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満願成就!

 今日のこの記事で、1年365日毎日欠かさず投稿したことになる。このブログは、投稿すると記事の左に付いているカレンダーの日付が黒くなるが、去年の5月から今年の4月まで、すべての日付を黒くすることができた。それが何だといわれると、全くの自己満足であるため、返答に窮してしまう。しかし、私は素直にうれしい。うれしくてたまらないし、心からほっとしている。
 そもそも毎日新聞の記事がこのブログを始めるきっかけとなった。「誰にでも手軽にできる公開日記」というような題名でブログの説明があり、例として、記者がgooブログに登録し解説するまでのレポートがまとめてあった。私はその記事を読んで、ただなんとなく自分にもできるかな、と軽い気持ちで新聞に書いてあるようにgooブログに登録してみた。あまりに簡単だったので、少々拍子抜けしてしまい、しばらく放置してあったが、4月22日に急に思い出して、最初の記事を書いて投稿した。その後4月はたまに記事を書いて投稿しただけだったが、5月になったときに、「1年間欠かさず毎日投稿してみようではないか」と、今思えばかなり面倒な決意を突然してしまった。それまで、自分に何か目標を課し、それに向かって邁進するというような生き方を拒否してきた私としては人生初めての試みであった。ある目標を定めてしまえばそれにとらわれて自分の生き方が窮屈になるのではないか、と敢えて無目的に、その場しのぎ的に生きてきた私が、己ににそうした縛りを大した決意もなしに課してしまったことは自分ながら驚きであった。
 しかも、それとほぼ同時期に、松井のヤフー掲示板にも投稿を始めてしまったので、俄かに私の生活が忙しくなり始めた。何もしないでいたときでさえ、塾の毎日の仕事で手一杯だったところに、ブログの管理やトピへの投稿という仕事を増やしてしまったので、ずいぶん時間がきつくなってしまった。絶対に塾にしわ寄せが行かないように細心の注意を払ってきたつもりだが、時として授業に集中できなかったことがあったのではないかと、今では反省している。しかし、この力の抜け具合が私にはちょうどよかったのかもしれない。受験が近づくにつれ、毎年入れ込みすぎて逆効果になってしまったこともある私だから、かえって力が抜けたほうがよい結果を生んだのではないか、などと随分手前勝手なことを思っている。
 そうした思いで始めたブログではあるが、途中何度かくじけそうになった。一年こうして続けてみてよく分かったのが、己の心のあまりの弱さだ。偉そうに斜に構えてみたところで、さまざまな刺激に過敏に反応してしまう。常々、子供たちを通してしか社会とつながっていない未熟な人間であるとは思っていたが、ここまでとは思いもしなかった。心穏やかに泰然自若と構えていることが私にはできない。すぐに慌てふためき弱音を吐いてしまう。「もう、まったく・・」と何度己に舌打ちしたか分からない。
 しかし、私にとって幸いであったのは、このブログ、松井トピを通じて多くのすばらしい方たちと知り合いになれたことであった。私を消沈させたことの多くは、このブログを通してのことであったが、私を励まし何とか踏みとどまらせてもらえたのも、このブログを通じて知り合えた方たちの励ましの声であった。私のようにいくつになっても惰弱なままである人間にとって、多くの人々から心からの言葉を頂戴したことは生涯忘れることなく、私の心の支えとなっていくことであろう。何も大げさなことを言っているのではない。衷心から感謝の気持ちをここで述べたいと思う。

「ゴジ健さん、竜虎の母さん、ボネットさん、ワールドさん、クマノミさん、ともやさん、師匠さん、ウゴメクさん、ビーバーさん、でこさん、あおいさん、ユリカリさん、バツイチさん、みたぽんさん、aiaiさん、SAKIKOさん、キャベタマさん、ジドさん、コメントありがとうございました。心から感謝しております。おかげさまでここまでやってこれました。全身全霊を込めて御礼申し上げます。」

それと、「☆さん、あなたに伝わることはないと思いますが、一言。なんだかおかしなことになってしまいましたが、あの時までは毎日感謝していました。あなたのお陰で随分楽しい時間をすごさせてもらいました。本当にそう思っています」

これ以外にもコメントをいただいた方はいらっしゃるだろうが、失礼の段があればご容赦願いたい。
 
 
 これで随分気持ちが軽くなった。明日からも今までと同じように毎日続けていくかもしれないし、適当にサボりながらやっていくかもしれない。まだ決めかねている。ただ、自分ではめた足枷がやっと外せて、かなり身軽になっただけにあまり深く考えないで、心の向くままやって行けばいいんじゃないかと思っている。
 それが一番私らしいやり方だ。
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結婚記念日

 今日は私たち夫婦の22回目の結婚記念日だ。たぶん22回目だと思うが、違うかもしれない。まあ、そんな回数なんてもうどうでもいいくらい年を重ねてきた。思えば長くもあり、短くもあり、大したピンチもなく何とかここまでやって来れたというのが実感だ。無論、妻に言わせれば、「私が一生懸命やってきたから続いたのよ」とか何とか言うだろうけど・・・。実際、そうなのかもしれない、いやそうなんだろう、きっとそうだ。私のようにわがまま放題に育ってきて、勝手気ままな男が何とか生きてこられたのも妻のサポートがあってこそだ、と近頃は思うようにしている。以前からそんな気はしていたのだが、それを認めるのがいやで喧嘩ばかりしてきたが、ここ数年はあまり激しい喧嘩はしなくなった。少々の小競り合いはまだまだあるが、以前と比べれば、お互いがずいぶん穏やかになった。これは諦めなのか、落ち着きなのかわからないが、穏やかに日々暮らせるに越したことはないので、私としてはずいぶん暮らしやすくなっている。
 要は感謝の気持ちを、お互いに持てばいいのだろう。だけど、それを言葉に表すことは私たち二人はどちらもすごく苦手だ。18のときからずっと一緒にいて、今さらなにを、と思っているからだろうが、それでもなるべく言葉や態度に表さねばならない。結構労力がいって面倒くさいことだが、互いを思いやるのなら、それくらいの面倒を厭っていてはいけないだろう。
 
 妻は、このブログでも繰り返し書いてきたが、SMAPと藤原竜也の大ファンだ。彼らのコンサート・舞台・映画・テレビ・写真集などなど、ありとあらゆるものに出かけたり、購入したりしている。いい年をして馬鹿じゃないかと思うが、それが好きなら仕方がない、できる限りのことは協力してやるかと思い立って以来、なんだか二人の関係がギクシャクしなくなってきた。私は何もこれといった趣味も持っていなかったから、見返りに何かを欲したわけではない。ただ妻の心のなすがままにさせてみようと思っただけである。そうすると、さすがにとことんまで行く一歩か二歩手前で、自分なりにブレーキをかけるようで、家族にさほど負担がかかるようなことはしてこなかった。ふらふらしながら綱渡りしているようなものだが、落下することなく思う存分飛び跳ねている。見事なものだ。あそこまで、行きたいところならどこにでもにいけるだけのパワーを持った妻を、同い年の私としてはただただ感心するばかりだが、「行けるうちは行かなきゃ損だ」が口癖となっている彼女にしてみればどうってことないのかもしれない。
 
 今日の結婚記念日に、何か欲しいものがあるかと私がたずねたところ、「どこにでも行かせてくれる自由さえくれれば何もいらない」と考えようによっては、なんとも高価なものをねだられたのだが、今の私には、これほど簡単なプレゼントは他にはない。「どうぞ、どこにでも行ってちょうだい」、それだけで記念日の贈り物は終わってしまった。妻としてはそれで大満足のようだが、それだけではなんだか私の気持ちが収まらない。そこで、「バラの花でも買ってくるけど、何色がいい?」と聞いてみた。「赤いバラは血の色みたいだからちょっと苦手。うーん、黄色、黄色がいい」と即答してくれたので、早速花屋に走って行って、黄色のバラの花束を買ってきた。・・・なかなか立派だ。



 妻はこのブログは絶対に見ない。「どうせいい人ぶってかっこつけたこと書いてるんでしょう、そんなもの読みたくない」といつも言う。それには苦笑するしかないが、どうせならもうちょっとかっこつけさせてもらって、サザンの「いとしのエリー」を今日の記念に妻に贈ろう。
       
     「いとしのエリー」
  泣かしたこともある 冷たくしてもなお
  よりそう気持ちがあればいいのさ
  俺にしてみりゃ これで最後の Lady
  エリー My love so sweet

  二人がもしもさめて 目を見りゃつれなくて
  人に言えず思い出だけがつのれば
  言葉につまるようじゃ恋は終わりね
  エリー My love so sweet

  笑ってもっと Baby むじゃきに On my mind
  映ってもっと Baby すてきに In your sight
  誘い涙の日が落ちる
  エリー My love so sweet
  エリー My love so sweet


これからもよろしくね、松子さん!!


   
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コンビニ

 
 
  

 妻は私のことを「コンビニジャンキー」と呼ぶ。車で出かけると、目的地に着くまでに必ず1回はコンビニに立ち寄る。目的はいつでもペットボトルのお茶を買うことだ。サントリーウーロン茶か伊右衛門のうち、その時の気分によってどちらを買うか選ぶ。朝起き抜けですっきりしたい時にはウーロン茶を選ぶが、少し濃い目のお茶で気分を一新したい時は伊右衛門を選ぶ。当然妻も一緒に店内に入って来て、自分の欲しい物を選ぶのだが、彼女の場合は何を買うかはその時の都合で特に決まったものはないようだ。そして、買った飲み物を車中で飲み干す頃には、だいたい目的地に着く仕掛けになっている。
 買い物やら食事を済ませた後に、帰り道の途中でも必ず一度はコンビニに寄る。この時のお目当ては甘いものだ。小さなケーキだとかアンのたっぷり詰まった饅頭だとか、とにかく食後に甘いものが食べたくなる。勿論、飲み物も必需品として買うことになるが、この時は行きに買わなかったもう一方の方を選ぶ。妻も適当なものを買い込み車に戻るが、運転しながら物を食べるのは妻から禁止が出ているため、停車したまま平らげる。あとは家までお茶を飲みながら、悠然と車を運転していく。
 毎回決まったようにこのパターンを繰り返しているので、外出するときは妻からコンビニジャンキー」と揶揄されても仕方がないと思うが、普段はそれ程コンビニを利用することはない。歩いて200mほどのところに、「サークルK」があるが、深夜ビールが切れた時に行くぐらいで、明るい時には滅多に行かない。しかし、日曜となると事情が違う。朝、喫茶店に行って朝食をとった後、どうしてかコンビニに行きたくなる。妻からは今飲んだばかりなのにと笑われても、何故かお茶が飲みたくなってしまう。その時には、わざわざ少し離れた「セブンイレブン」まで車で走って行くのだが、その理由は自分でも何故だかはっきり分からない。ただ、「セブンイレブン」の方が店内のスペースが広くて、伸びやかに買い物ができるのが日曜の朝の気分に合っているのかな、と下らぬ自己分析はしている。それにしても妙な習慣がついてしまったものだ。
 その後、塾がない日には明るいうちからビールを買いに走るし、夕飯を外食した場合には、その帰り道に必ずコンビニに立ち寄る。特に何が欲しいというわけでもないが、無性にコンビニに行きたくなってしまう。妻や息子もそれに慣れっこになって、黙って付いて来てくれるが、彼らも1品か2品は好きなものを買うのだから、まったくのはた迷惑でもないんだろう。時にはそれだけで済まずに、深夜独りで、足りなくなったビールを買いに行くこともあるから、ひどい日曜には3回も同じコンビニに行くことになってしまう。
 何故そんなにもコンビニを利用するのかと問われても理由は自分でもよく分からない。ただ、直方体の形をした店舗が、私にとっては「ゴキブリホイホイ」のような物かもしれない。または、100m先からも視認できる背の高いポールに付けられた大きな看板が、誘蛾灯のような役目を果たしているのかもしれない。車で走っている時に、コンビニの広い駐車場を見掛けると、ついつい入らずにはいられなくなる。特に何が欲しいわけでもないのに・・・と思いながらも扉を開けてしまう。
 今の私にはコンビニのない生活は考えられないのが、悲しいやら寂しいやら、なんだか滑稽でしようがない。

 
で、これが写真を撮りに行ったセブンイレブンで買った、デザートとウーロン茶。「大きなプリンのアラモード」という名前がついていて、思わず買ってしまったが、家に帰って食べてみたら、めちゃくちゃうまかった。これはいい、また今度買おうっと。
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蠅叩き

 写真は私の愛用している「蠅叩き」である。これの正式名称が本当に「蠅叩き」なんだろうかと、塾生の電子辞書を借りて、広辞苑を調べてみた。すると、確かにあった。「蠅を打ち殺すのに用いる道具。はえうち。はえとり」と説明があり、夏の季語にもなっているという。すると、4月に「蠅叩き」を持ち出しては少々季節外れということになるが、そろそろハエがどこからともなく現れてくるだろうから、しまいこんでおくわけにもいかず、目の届くところにおいてある。寒かった冬を越えて生き延びたものはいないだろうから、今飛ぶハエは生まれたばかりのものだと言えよう。それなら敬意を払ってもう少し命を全うさせてやればいいものを、もしブンブン飛び回られてはとても我慢ができなくなり、パチンと叩き殺してしまうことだろう。さすがに「五月蠅い」と書いて「うるさい」と読ませるだけあって、本当にハエが一匹いるだけで鬱陶しくてたまらない。五月だけじゃなくて一年中いついたって、ハエは邪魔臭い生き物だ。
 しかし、この「蠅叩き」というものは、改めて観察してみるとかなりの優れものだ。まず、持つところが掌にぴったり収まるくらいの太さで、よく見れば縦に細いすじが何本も入っていて滑り止めとなっている。柄の部分は25cmくらいの長さで一番上には、何故だかコアラの装飾品が付いている。何の意味もないだろうが、ちょっとは気になる。その上に網状になった部分が付いていて、ここでハエを叩くのだが、縦・横1mm~2mmの隙間があいたこの部分が、「蠅叩き」の真骨頂だと思う。この隙間がもしなかったら、空気抵抗を受けてスムーズに標的まで一気にたどり着けないだろう。空気を切って、しかもハエを叩き潰すのにちょうどよい隙間を求めた長年の研究の成果であろうが、手にとって振ってみると本当に使い易い。あるところまでは腕を振りかざし、後は手首を効かして先端部を標的目掛けて叩きつける。「ピシッ」と壁を叩く音が部屋中に響くが、これだけの圧力を与えられれば、ハエはひとたまりもないだろう。
 しかし、この優れものが手元にあれば一番いいが、肝心な時に見当たらないことが往々にしてある。そういう場合は、私などは新聞紙を筒状に丸めて代用する。だが、これだとなかなか上手くハエを退治できない。いったい何処が「蠅叩き」と比べて劣っているのだろうか。まず、グリップ部分だが、新聞紙をいくら細く丸めてもやはり手で持つには少し太すぎる。新聞の枚数を減らせばよさそうだが、そうすると柄の部分が弱くなって振っているうちに中折れ状態になってしまう。また、新聞を丸めただけでは先の部分の断面積が狭いため、ハエに命中させるにはかなりの精度が必要になる。松井やイチローのようにバットコントロールが優れた人間なら簡単なことだろうが、普通の人間にとって、いくら壁の上でじっとしているハエであっても、丸めた新聞紙でハエを一撃の下に退治するのは、おいそれとできるものではない。
 試しにやってみたいところだが、まだこの季節ハエなど簡単に見つからない。たとえ見つかったとしても、やっと生まれたばかりであろうごくわずかなハエを叩き殺すのはいかにも忍びない。夏の盛りの鬱陶しくて仕方がないほど発生しているときだったら、いくら殺しても何の痛痒も感じないだろうが、若葉が出始め、新しい命が息吹くこの季節に無用な殺生はしたくない。これも人間の身勝手な思いだろう。などと書いていたら、部屋の中に大きなハエが入り込んできて、ブンブン飛び回っている。反射的に「蝿叩き」を握ってしまったが、やっぱりやめておくことにした。どうせ、少したてば、否が応でも戦わなければならない相手だからと思い直して、窓を開けて逃がしてやった。
 この「蠅叩き」は、100円ショップで買ったものだ。100円ショップの買い物は、後から「やっぱり100円は100円でしかないや、だめだこんなもの」とがっかりするか、「なんでこんなにいいものが100円で買えるんだ」と驚くかの2通りしかないように思う。いいか悪いかはっきりしていて、その分私たちの物を見る目が試されているようだが、この「蠅叩き」はまさしく驚きの部分にはいる商品だと私は思う。
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料理

 料理など滅多にしたことがない。ラーメンくらいしか作れない。「出前一丁」なら、誰よりも上手にできる自信はある。目分量で湯を沸かし、適当にさーっと作るだけでおいしいものができる。子供たちにもほめられるが、他には何もできない。というより作ったことがない。大学生のときも外食ばかりで自炊したことがない。今は、作らなくても作ってあるからそれを食べる。仕事柄、時間はかなり不規則だが、一日三食きちんと食べる。
 勿論、料理は妻が作るのだが、今までにこんなもの食えるか、と思ったことはないしおいしく食べられてきたので、なかなかの名人なのだろう。結婚した当初は、まだ私の母が生きていたので、二人で作っていたが、亡くなってからは母の味と自分の嗜好とを微妙にブレンドして、味に何の不満もないものを作ってくれている。父も表立って文句を言ったことがないから、満足しているだろうと思う。(年をとってきて、食べたくないものは残すようになったが)
 しかし、考えてみれば妻の毎日行っている作業は大変なことだ。朝、息子と父のの朝食を作り、息子の弁当を作って送り出す。私は朝遅く起きて、パンか喫茶店で適当に食べたりするからほかっておけばいいが、ちょっと買い物に出たりするとすぐにお昼になる。父は長い習慣で、必ず12時には昼食をとることになっているので、それに間に合わせなければならない。あとは夕食だが、私から見てもこんなにもいらないぞと思うくらいの品数があるのでずいぶんと時間がかかっているのだろうと思う。自分でも「作るのは楽しいからいい」と言っているように、料理すること自体はさほど負担にはなっていないようだ。しかし、毎日あれこれメニューを決めること、ある程度決まった時間までに作らなければならないことには、かなりのプレッシャーを感じているようで、しばしば不平を口にする。
 しかも、私は好き嫌いが多く、父も年のせいか硬いものだと食べないことが多いため、メニューの選択肢が狭められる。さらに、私は白米を食べない。玄米しか食べない。ここ17・8年は玄米しか食べていない。したがって、妻は一日に私の玄米、息子の弁当用の白米、それと父用の柔らかめの白米と3つの炊飯器の面倒を見なければならない。また、私は肉類は一切食べないので、どうしても肉を使う料理が少なくなるし、さらにトマトやらナスやら、食べないものが多いから厄介極まりないだろう。かと言って、私にばかり合わせているわけにはいかない。何と言っても育ち盛りであり、受験生の息子がいる。栄養のバランスなど、私よりも息子のほうに目を向けなければいけない。それも毎日のことだ。(日曜はほとんど店屋物か何かでいい加減に済ますので楽かもしれないが)。考えただけでいやになるだろう。確かに愚痴や不満を耳にすることも多く、むかっ腹の立つこともあるが、これだけのことを毎日こなさねばならないのだからそれも当然だと、私もやっと思えるようになって来た。それまでは当然のことをやっていて何を言ってるんだと、よく喧嘩をしたものだが、私のように鈍感な男には、妻のやっていることの有り難さが身に沁みるまでにはこんなにも時間がかかってしまった。恥ずかしい話である。
 以前、私の母校の三綱領を話題にしたが、あの学校にはもう一つ昼食の前に必ず唱える文言がある。

    ほんとうに生きんがために今この食をいただきます。
  与えられた天地の恵みを感謝いたします。いただきます。

と合掌して唱える。これによって、両親をはじめ自分に食を与えてくださる人々、天地自然の恩恵に対して心からの感謝の意を捧げるのだ。当時は面倒くさい作法だといい加減に唱えていたが、今の私は、妻の台所での毎日の奮闘努力によって無事生かされているわけだから、食事のたびに心で手を合わせ、この「食作法(じきさほう)を唱えながら妻の作ってくれたものを感謝しながら食さねばならない。
 などと柄にもないことを書いてしまったが、本気でそう思うこのごろである。
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 ここ数日、家の周りで一日中鶯が鳴いている。「ほーほけきょ」と鳴く声が響いてきてなかなか乙なものである。じっと聞いていると本当に「ほーほけきょ」と聞こえる。先入観からかもしれないがそう聞こえるのは確かだ。3月の中頃から鳴いているような気がするが、最初と比べるとずいぶんうまく鳴くようになった。何をするにしてもやっぱり反復練習が上達への道なのだ、などと教えられる。鶯はその鳴き声と比べると、姿かたちはあまり美しいものではないようだが、鳥嫌いの私は姿など見せず、鳴き声さえ聞かせてもらえれば十分だ。
 そういえば「鶯の谷渡り」という言葉があるのを思い出した。辞典で調べると、
「鶯が谷から谷へと鳴きながら渡ること。また、その時の一種の鳴き声。枝から枝へ行き来する場合にもいう」
とあった。鳥って言うのは、枝でじっとしてさえずるものだと思っていた私には少々意外だった。「飛びながら鳴くのか・・」、とその姿を想像したら鶯が立派に思えてきた。飛ぶだけでもかなりの労力が要るだろうに、その上あんな鳴き声まで出しているなんて、小さな鳥にしてはすごいパワーだと思う。人間で言えば、走りながら大声を上げて歌うようなものだ、かなり大変ではないか。でも、本当にそんな芸当ができるのか、一度詳しく調べてみたい。
鶯の声

 そういえば、「鴬張り」という廊下がある。私の出た中学・高校は浄土宗の学校であったため、何度か本山である京都の知恩院に連れて行かれた。その廊下を歩くたびに「キュッ、キュッ」と音がしたのを覚えている。私は大工の息子でありながら、どうしてそんな音がするんだろうと構造を調べようと思ったことはない。その辺からして私の生き方は間違っていたような気がする。でも、興味のもてないことにまで好奇心は及ばないのは仕方ないかもしれない。勉強を教えている身としては、何とか勉強に興味を持たせることが最優先だと、常に自戒しなければならない。
鴬張りの廊下

 辞典をぼっーと眺めていたら、鶯という語を使った言葉がいくつも並べられている。それだけ人々の心に強い印象を与えてきた鳥だということなのだろう。「鶯色」というのは「鶯茶」とも言われ、「鶯の背の色に似て、褐色がかった黄緑色。江戸時代、女性に特に好まれた」と解説してある。どんな色なんだろう。鶯の写真を載せるのが一番いいだろうが、鳥の姿は見たくない。あったらいいなと思って、google で検索したらちゃんとあった。画面いっぱいに鶯色が広がる。
鶯色

 本当に便利な世の中だ。大体のことはネットで検索できてしまう。それにしても、江戸時代の女性はこんな色の着物を好んで着たのだろうか。なんだか、くすんだ色で私にはあまりいい色だとは思えないが、時代時代によって好みの色というものは変化するだろうから、私が論評することではないのかもしれない。
 と、ここまで書いてきて、そういえばホトトギスと鶯の関係は面白かったなあと、思い出した。ホトトギスは自分で子を育てないで、鶯の巣の中に卵を産んでかえさせる習性を持つという。それを「托卵」と呼ぶが、なんとも面白い習性だ。自分たちより、鶯の方が子育てがうまいと思っているのだろうか。
 万葉集に「うぐいすの生卵(かひご)のなかにほととぎす独り生まれて 汝(な)が父に似ては鳴かず 汝が母に似ては鳴かず」とあることから、「鶯のかいごの中のホトトギス」という言い回しができ、「子でありながら子でない」という意味を表している、と辞典には書いてあった。奈良時代から、もう人々はホトトギスの「托卵」という習性を知っていたのだというのは驚きだ。どうやって見つけたものだろう。不思議だ。
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つれない

 昨日は、妻の妹の家族と、鱒釣り場に出かけた。ここは、昨年の8月29日に「大漁」という題名で紹介した場所であり、それから8ヶ月ぶりに訪れたことになるが、昨日の釣り場は実に閑散としてもの寂しい雰囲気が漂っていた。かなり山の中にあるため、知る人ぞ知るといった穴場ではあるが、あまりに人がいないとやはり寂しいものである。市街地は桜など散ってしまったが、さすがにここまでくるとまだ花の残っている木もあって、風に吹かれた花びらがひらひらと舞い落ちてくる。それがまたえも言われぬ寂しさを誘う

 

とは言っても、まったく釣れない。いつもなら練り餌をつけた釣り糸を水の中に投げ入れれば瞬時に鱒が寄ってきて、竿をくいっと上げるだけで釣れるのに、今日は当たりさえない。しかもいつもに増して流れ来る水に勢いがあるため、水面が波うってじっと見ていても魚影が見にくい。魚の群れがいるところに針を投げ入れさえすればつれる、という感覚でいる私にはなんともイライラが募る状態である。30分ほど頑張ってみたのだが、まったく釣れない。もう何十回となく来たことがある釣り場なのだが、こんなことは初めてだ。わずかにいる他の客たちもまったく釣れず、ぶつぶつ不満を言っている。妻は、甥っ子の持ってきたNintenndo DS に夢中になっているから、全くそんなことに頓着していない。私は、元来が忍耐力の欠けた人間であるため、面白くなくて仕方がない。甥っ子と一緒になって、頑張っていたものの一向に釣れない。こりゃだめだと思い、網ですくってもらうしかないなと思い始めた瞬間にどういうわけだか、私の竿に大きな鱒がヒットした。おお、これはなんとしても釣り上げねばならぬと必死の思いで、かなりの手ごたえを感じながらも、なんとか無事釣り上げることができた。思わず、「やった!」と甥っ子とハイタッチしてしまったが、久しぶりに胸のすく思いがした。
 

この調子で、どんどん釣れるかと思ったのだが、昨日ばかりはそうは問屋が卸さなかった。どれだけ頑張っても、一匹も釣れない。もうこれ以上粘っても仕方ないやとあきらめて、釣り場の人に網ですくってもらうことにした。それでも、なかなかすくい上げることができずに、結局かなりの大型の物ではあるが、3匹だけすくうことができ、私の釣った一匹と合わせて料理してもらうことにした。普段なら、小中合わせて20匹近く釣り上げるのに、こんなにも釣れなかったのは前代未聞のことであった。息子はこの釣り場では、圧倒的な釣果を誇る名人であるが、昨日は友人と学習会を開くとかいう理由で参加しなかった。息子がいれば・・と、妻や義妹はさかんに嘆いていたが、受験生たる者おいそれとは遊ぶ気にはなれないのだろう。仕方がない。
 釣った魚の数は少ないが、一匹一匹が大振りのものばかりなので、1匹を刺身、2匹をフライ、もう1匹を塩焼きにしてもらうことにした。どれもがおいしいが、その中でもフライが香ばしくてうまいと絶賛する人が多い。普段なら塩焼きをメインに一人一匹ずつ食べられるのだが、昨日の場合は望むべくもなかった。それでも、塩焼きを皆でつついてもかなり食べられたのには驚いた。本当に大きかったんだろう。薪でおこした火で、ざっと塩を全体にまぶした野趣あふれる焼き具合は、何度食べてもおいしい。丸ごと一匹食べられなかったのは、返す返すも悔しいが、こんな日もあるさとあきらめなければならないだろう。

 
 
 久しぶりに会った甥っ子は、今年で小学3年生になる。小学校入学の時には、「かえるになりたい」と宇宙人のようなことを言っていた子が、今月から中学受験のための勉強を始めたという。家が近かったら勉強など私がみてやるものを、私の家から車で1時間半ほどかかる名古屋のはずれに住んでいるから仕方がない。いざと言うときは、いくらでも相談にのってやるから、「頑張れよ」と励ましてやった。
 しかし、母親の反対を押し切って、DSのゲームソフトをネット注文してしまった私という伯父は、はたして彼の目にはどんな存在に映っているのだろうか・・・
 

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いろは

 『赤光』といえば、斉藤茂吉の第一歌集であるが、赤光という言葉を、私はずっと夏の真っ赤に燃える太陽の光を指す言葉だと思っていた。それは赤銅色という日焼けした肌を表す言葉と何かの弾みでつながってしまって、誤って覚えてしまったのかもしれない。赤光が、「夕方の太陽の光」のことだと知ったのは、『美人のいろは』という本を読んだからである。これは、『美人の日本語』を書いた山下景子が綴った日本語の本の第二弾なのだそうだが、「美人の」という題名がどうにも好きになれない。何もわざわざ「美人の」という枕詞をつけずとも、もっと違う気の利いた表題があるだろうと思うが、このあざとさがこの本の出版社・幻冬舎らしいといえば言えるかもしれない。
 しかし、そうしたことを度外視してこの本を開けば、帯に「やさしい気持ちになる、ほっとする、日常に潤いを与える670の言葉」とあるように、心にしみる言葉が並べられている。選ばれた言葉一つ一つが持つ奥深さと、美しさが読む者に十分に感じられるように解説している文章も柔らかで、「日本語っていいなあ」、と思わず呟いてしまうような内容になっている。私は、この手の日本語を題材にした本はあまり好きではなかったが、この本はそうした先入観を打ち破るだけの力を持っているように思った。
 『美人のいろは』という名前のとおり、いろは順に仲間分けした言葉を集め、それに関連した言葉を解説するという形式をとっている。例えば、「い」は「いろどり」という括りの元に色のいろいろをあらわす言葉を、「ろ」は「ろっこん」という括りで身体のいろいろを表す言葉を集めて解説している。この中に心に残る言葉はあまたあるけれど、ここでは「らくよう」の元に、並べられた「夕暮れ時の情景描写」を表す語に注目したい。
 上代の一日は、「あさ→ひる→ゆう→ゆうべ→よい→よなか→あかつき→あした」であった。夕は昼の終わり、夕べは夜の始まりを表していた。「あなたにとって夕方は、昼の終わりでしょうか、夜の始まりでしょうか?」と問いかけられるが、さてどうだろう。私にとっての夕方は、塾の授業の開始を象徴しているから、夜の始まりといったニュアンスが強いような気がする。でも、塾の休みの日には、夕暮れになると「ああ、もうたまの休みも終わりか」と落胆する気にもなるから、昼の終わりなのかもしれない。
 取り上げられている夕暮れ時を表す言葉をいくつか写してみると、
 「夕間暮れ」-- 薄暗くて見えにくくなった頃
 「黄昏(たそがれ)」--「誰(た)そ、彼」が語源で、顔もよく見えなくなって誰か聞かないとわからない頃
 「逢魔(おうま)が時」-- 生霊、死霊が行きかうと考えられた夕暮れ時の時間
 「灯点し(日ともし)頃」-- 夕暮れ時の、ひとつ、ふたつ、あかりがともっていく頃
 「天が紅(あまがべに)」-- 夕焼け雲のこと。「茜雲(あかねぐも)」とも言う。夕焼けを「夕紅(ゆうくれない)とも言う。
 「空火照り(そらほでり)」-- 夕空が赤く染まっていく様子。
などといずれも印象的な言葉ばかりだが、私には「入相(いりあい)」という言葉とその解説の文が特に心に残ったので、以下に引用してみる。

 「日の入る間」を略してできた言葉だそうです。つまり夕暮れ時のことですね。
 日没の時刻、お寺では、勤行の合図に鐘をつきます。これが入相の鐘です。
 都会では、あまり耳にすることはなくなりましたが、きっと、時には切なく、時には穏やかに、心に響く音でしょう。
   山里の 春の夕暮 きてみれば 入相の鐘に 花ぞ散りける
                             能印法師
 真っ赤に空を染めて、山の端に沈む夕陽。遠く響く入相の鐘の音。それに合わせて舞い散る桜の花びら・・・。
 夢のように美しい情景を、いっそう引き立たせてくれるBGMです。  

昨日注意してみたら、6時過ぎから薄ぼんやりとしてくる。ちょっと山に入っていけばまだ散り残った桜はあるだろう。近くの寺はいつも鐘を鳴らすとは限らないのが難点だが、運がよければそうした場面に出会えるかもしれない。夕暮を待って、出かけてみようかな。しかし、逢魔が時でもあるわけだから、弁慶をお供に連れて行くのを忘れないようにしなければいけない。

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お暇なら・・

 漢字を使ったパズルの雑誌を買った。いろいろ面白いものがあって、1冊でかなりの時間がつぶれそうだ。その中でも、私が試して面白かったものを載せてみる。

(第1問 --- 二字熟語しりとり迷路)
 下の(例)のように、スタートから、二字熟語の読みでしりとりをしながら進んでいく。ただし、上下左右には進めるが、斜めには進めない。正しく進めば、ゴールにたどり着くまでに、四つの漢字を除いて全部の漢字を1回ずつ通る。最後に、その四つの漢字でできる二字熟語をふたつ答えること。

(例)
特  砂利  特許(とっきょ)→楊枝(ようじ)→砂利(じゃり)  
許楊枝         
(小さい字も大きな字として扱う)
                                   
                           スタート                                 
        
土桃胡曲饒児目明晰木
産夏至歪舌寵様粗闊迂耳
印騒潮和佃寸燐子褄房言
籠内炊柔煮流儀餃先厨質
田股戯言身形産襲奇使仕
畑捻挫湯畳吟着御託駆草
手寝成治石味華檎行月錯
綱転就遊説冥利林水如綜
仲猛蓮型鋳背上候居気浮
人獰惰怠鉄接木桔梗烏合
枚磨達責屑子銚道崖雑浮
挙豪華呵化時活慟駕凌世
要戸膠古稽黄独哭口栗妖
事上着矩形硫饂調毬精
         
↓ 
            ゴール

 

(第2問 ---  漢字つめクロス) 
 あらかじめ現れている漢字をヒントに、下のリストの漢字を□の中に入れてクロスワードを完成させる(■は空欄)。ただし、リストの漢字は一度しか使えない。(たて読み、左から読み、のみ)
 最後に、リストに残った漢字を組み合わせてできる三字熟語を答えること。

□動□座□替■□陽□■□具
尊■答■動■新□■□学□■
□境■□□□□■□信■□準
■□□量■密■□由■眼□■
華■岐■危□一□■交□■直
□□□□■械■師□□■献□
■人■吸□■知■囲■幹■不
□□□■□団□動■人□□□
主■評□家■合■宛□■空■
□確■議■□□□□■□□□
■□文■□字■明■□出■付
薬■□級□■公□放□■深□
□導□■□術■化■□舶■苔

 

(リスト)
自 自 代 間 髪 字 一 味 呼 振 品 英 異 事 海 道
名 舞 輸 口 学 差 範 立 通 行 数 開 話 心 船 路
集 者 機 歌 点 古 会 収 氏 伎 識 動 名 人 太 芸
少 証 鋭 的 指 理 真 論 標 目 送 文 分 精 民 光



この問題の解答は、4月23日の日曜日の夜に発表します。
それまでに解答を知りたい方、不明な点がある方は、下記までメールくだされば、折り返し、返事いたします。

  jukucho19580615@yahoo.co.jp 


 

 

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携帯電話

 私は携帯電話をもう13、4年使っている。今のボーダフォンがデジタルフォン(愛知県では「東海デジタルフォン」)として開業したときに、初めて携帯を買った。弟の会社の関係で、安く手に入ると薦められて買ったのだが、その時には10万円近くもした。あれば便利に越したことはなかったけれど、特別必要でもなかったから、ただの見栄で買っただけなのだが、それにしても当時の電波状況は最悪で、少し郊外にいくと全く通じなかった。「糸電話」に毛が生えた程度のものだったが、うれしそうに持っていたのを思い出す。バカだ。
 その後、IDO(今の au)に代えてしばらく使っていたが、やっぱり DOCOMO でしょう、と訳の分からぬいい訳をして寝返って以来、ずっと DOCOMO を使っている。一年ほど前から FOMA に進化して TV 電話も使えるようになったが、一度も試したことがない。その間、機種にしてみれば、車で轢いたり、水の中に落としたりして10台近くとっ代え引っ代えしてきたのだが、ここ何年かは Panasonic に落ち着いている。Panasonic 製が、私には使い勝手が一番よいため、愛用している。今は電波状況がすこぶるよくなって、よほどの山間部に行かない限りは電話がつながる。バスを運転していて、業務連絡が入ることも度々なので、仕事上は欠かすことができない。もちろん、車を停めて電話に出るのだが、まだまだ携帯で話しながら運転している人々をよく見かけるので、「おいおい!」とその度に叫んでいる。あれは見ているだけで危険だし、実際注意力が散漫になって、絶対にやってはいけないことだと思う。塾バスを運転する者たちにも、携帯で連絡が入ったら車を停めて出るように常々言っている。
 塾生たちも携帯電話を持っている者が実に多い。高校生は全員持っているし、中学生も半分以上持っている。そんなもの必要じゃないだろうと思うのだが、必需品らしく授業が終わるとすぐにメールチェックをしている。一日中学校で顔をあわせているんだから、何もメールしなくてもと思うのはもう年寄りの考えなのかもしれない。授業中に鳴らす生徒が時々いて、「今度からは必ずマナーモードにしておけ」ときつく言うが、そういう者に限っていつまでたっても同じことを繰り返すので困ってしまう。習慣になるまで何度も言い聞かせなければならないのが面倒だが、約束は約束だ、守らせるようにしなければいけない。
 最近は小学生でも携帯を持っている者が多くなった。塾に通う途中が心配だから、ということも言えなくはないが、私の塾はほぼ全員をバスで送迎するため、その心配はない。首から携帯を提げている子を見ると、こんな小さな子に買い与えなくてもいいのにと思うが、見ていると上手に使いこなしているので、小さいうちからこういったIT機器を使いこなす能力を身に着けることもこれからの時代は必要なのかもしれないと思ったりする。私の子供たちは、二人とも中学に入ってから持たせた。最初はいらないと言っていたのに、しばらくすると肌身離さず持ち歩くようになったのには笑えた。必要か不必要かなどと考える間もなく、友達関係から持たざるを得ないのが現代の事情なのかもしれない。
 子供たちは慣れるのが早くて、すぐに使いこなせるようになる。厄介なのは、年寄りだ。私も1年ほど前に父と義母に何かあったときにすぐに連絡が取れるよう、老人向けの携帯電話を持たせた。自宅と、私と妻の携帯の番号を入力して、ボタンひとつでかかるようにしてあるのだが、なかなか持ち歩いてくれない。使わないから、使い方を忘れてしまうという悪循環を繰り返しているのだろうが、最近では埃をかぶったまま充電器にさしっぱなしになっている。かけることもかかってくることもめったにないため、基本料金だけ払っているが、宝の持ち腐れのような気がしないでもない。

 ここで、私の素敵な携帯電話の写真を載せておく。ただの携帯電話だが、ストラップが自慢だ。ゴジ健さんから頂いたものだが、昭和55年の50円玉と5円玉が結び付けられた、ゴジ健さん手作りの世界に一つのものである。私の今の楽しみの一つは、松井がHR.を打ち、ホームランメールがこの携帯に届いて、硬貨をカチカチ鳴らしながら携帯を開くことである。今年はまだ3度しか届いていないが、少なくともあと40回はぜひとも開かせてほしいものである。
 
 
 
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