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ポニーテール

 【舌の根の乾かぬうち】
 今言った言葉が終わるか終わらないうちに。多く、それと相反する言動を非難して言うのに使う。

 確か2日前に「もう葉っぱは買わない」と宣言したはずなのに、また買っちゃうなんて、まさしく「舌の根も乾かぬうち」の格好の用例になってしまった。でも、別にいいや、もう。なんと言われようが欲しい物は欲しい。こんな可愛いポニーテールを見つけたんだから、買わない方がおかしい。

 
 

【ポニーテール リュウゼツラン科 Beaucarnea recurvata】
原産はメキシコで、自生地では10mにもなります。
名前の由来は葉の先が子馬の尻尾に似ているところですが、園芸店では、旧属名である“ノリナ”や通称のトックリランと呼ぶ事が多いようです。
■置き場所
一年中、日のよく当たる場所に置きましょう。窓際に置くときは、ときどき鉢を回して満遍なく日光に当ててください。
■水やり
1年を通じ水やりは控えめにしましょう。
夏は鉢土が完全に乾いたらたっぷり与え、冬は乾燥気味にします。
■肥料
5~9月に、2ヶ月に1回、緩効性の化成肥料を置き肥しましょう。
■ふやし方
実生。
■植え替え
5~6月が植え替えの適期です、少なくとも3年に1度は植え替えしたほうがいいでしょう。

 本当は去年の暮れに買おうとしていたのだが、父が倒れてバタバタしているうちに買いそびれてしまった。そういう意味では念願かなったと言えなくもない。だが、「舌の根も乾かぬうち」に新しい鉢を買ってしまうなんて、少しは忸怩たる思いがないわけではない。だが、これも私。何隠すことなく、己のありのままをさらけ出すのもまた意味のあることではないか、などと愚にも付かぬ言い訳を考えてみたのだが、やはり牽強付会・・。
(【牽強付会】(けんきょうふかい)・・道理に合わないことを無理にこじつけ、理屈づけること)

 まあ、結局は己の欲望に歯止めのかけられぬ愚か者なんだろうけど・・。

 だーれも信じちゃくれないだろうけど、本当にこれで打ち止め。(にするつもり・・・)

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フリース MVP

 ワールドシリーズはカージナルスが11度目の優勝を飾った。レンジャーズとのシリーズは、よく似たチーム同士の戦いだと言われていたとおり、面白い試合が多くて大いに楽しめた。
 特に第6戦は、球史に残る試合だと言っても過言ではないほどの激しい試合だった。

  レンジャーズ 1 1 0 1 1 0 3 0 0 2 0 9
  カージナルス 2 0 0 1 0 1 0 1 2 2 1x 10

この得点経過を見るだけでどれだけ激しい試合だったかが分かる。カージナルスは9回は2死から追いついたものの10回表に2点を入れられ、万事休すかと思われたが、またも2死から追いつき11回裏にフリースがサヨナラHRを放ち、奇跡的な勝利を収めた。この試合を見ていて、何度レンジャーズが初の世界一になったと思ったことか・・。その度に驚異的な粘りで追いついたカージナルスの底力は恐ろしいほどだった。鬼神のごときプーホールスの力ではなく、他の選手が力を合わせて勝利をもぎ取った点に意義がある。解説の小早川が「長い野球人生の中、沢山の試合を見てきたが、こんなすごい試合は初めてだ」と興奮気味に語っていたのが印象的だった。さすがに松井が打ちまくった2年前のワールドシリーズ第6戦の時ほどではなかったが、この私も総毛立つほどのふるえを感じた試合だった・・。

 


その時のフリースを報道は次のように伝えている。
 『迎えた延長十一回、先頭で打席に向かう前には、子どものころを思い出して重圧を振り払った。「舞台は大きいけど、6歳の時とやっていることは同じ、と自分に言い聞かせた」。フルカウントからの6球目を捉えると、白球は中堅フェンスを越えた。最終決戦に持ち込む勝利を手繰り寄せたメジャー3年目は「まだ1試合ある。最後に笑っていたい」と、プレーが楽しくてたまらない「野球少年」のような表情を浮かべた』

 ワールドシリーズ7試合で、23打数8安打、打率.348、打点7、HR1という成績でフリースはMVPに輝いた。


 確かにMVPに相応しい成績ではあるが、2年前の松井の成績、13打数8安打、打率.615、打点8、HR3という驚異的な数字と比べれば些かの遜色があるのは否めないなあ・・。へへへ・・。


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今年最後の・・

 お世話になっている花屋さんが観葉植物の割引きセールをやっているので、ちょっと行ってきた。もうジャングル部屋も満タンになってきたし、欲しい物は粗方集めてしまったから、それほど行きたくはなかったが、浮き世の義理というものは大切にせねばならない。声を掛けられた以上は覗かないわけにはいかない。
 だが、欲張りな私であるから、見れば欲しくなるに決まっている。それでも、何とか一品だけにしようと制御は利いたので、選び出したのがフィカス・ベンガレンシス。

 

 このところヤシばかり買っていたが、ゴムの木もやはりいい。厚手の大きな緑の葉が愛くるしい。このベンガレンシスは半年ほど前に一鉢買ってあるが、もっと大きな木が1本欲しいと思っていただけにいい買い物ができたと思う。
 
 もうこれで、観葉植物は新しく買わない!!
と誓ってみたものの、掘り出し物を見つけたら買っちゃいそうな気がしないでもない・・。

 まあ、それはともかく、チューリップの球根も買ってきた。店にあった8色全部を買って、塾舎の玄関口に植えてみた。

 

 妻に寄れば、一皮剥いてから植えると失敗する確率が低くなる、とTVで言っていたそうだから、そのとおりにした。皮と球根の間にカビが生えるのを防ぐのに有効だそうだ。
 植えたのは、「赤・白・赤黄・桃白・黄・赤白・紫・桃」の8色だが、ランダムに植えたので、どこに何色が咲くのか、全く分からない。ただ、上手く成長して立派な花が咲いたなら、そこで初めて色が分かるので、それまでせっせと世話を怠らないようにしなければならない。

 楽しみだ。
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達成感

 振り返ると、9月28日と10月10日に柿の記事を載せた。その後にもう1度行って、さらに昨日行ってきたから、合計4回柿採りに行ったことになる。よくもそんなに、と言われるかもしれないが、3回目に行った後も木の上の方の枝にはまだまだ沢山の柿が残っていたから、どうせなら最後の一つまで残らず採ってみたいと、妙な気持ちが湧いてきてしまったのだ。そんなことやってる場合じゃないんだけど・・、と己に言い訳をしながら、父と二人で出掛けた。今回はどんな高いところの柿でも採れるように梯子をバスに積んで・・。


 父の生家に着いて、うんざりした。まだこんなに残っているなんて・・。


 さすがにほとんどの葉が落ちてしまっている。葉がない分だけ高枝ばさみを使い易くなったが、高いところばかりなので、いくら高枝ばさみを伸ばしても届かない。やはり梯子を持ってきてよかった。さすがに古木だけあって幹はかなり太いので、梯子を掛けても危なくない。高いところが苦手な私でも、足場がしっかりしていれば何とか持ちこたえられる。さほど怖がることもなく、柿を採ることにだけ専念した。
 
 小一時間ほど集中したら、ほとんどの実を枝から採ることができた。

 
 最後の方は、カウントダウンしながら採っていったため、最後の一つを採り終えたときは、 「達成感」に身も心も包まれた。
 どんなことでも一つのことをやり遂げるのは気持ちの良いものだ。


 4回行って、合計何個の柿を採ってきたのだろう。近所や親戚、さらには塾生にもたくさんたくさん配った。500は楽にあっったし、ひょっとすると1000近くはあったように思わないでもない・・。

 あれ??今思い出したけど、採ってきた柿を一個も食べていない。
「美味しいぞ、この柿は」
と父が何度も繰り返しているから、本当に美味しいのだろうが、やはり自分で確かめなくてはいけないよな・・。
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「絶望の国の幸福な若者たち」

 古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち」(講談社)を読んだ。この本のことは何かの週刊誌の書評欄で見かけ、ちょうどその頃、財政危機に陥っているギリシアの人々の多くが幸福感を味わっていることに、なんとも言えない虚無感を感じていたため、ひょっとしたらギリシア人の脳天気さを理解するヒントがあるのかもしれない、と本書を読んでみる気になった。
 作者は26歳の社会学者だそうだが、私の娘とほぼ同世代、そんな若者がどれだけ客観的に日本の若者の現状を分析しているのか興味があった。まあ、血気にはやった小難しい理屈を述べているだろうなと予想はできたが、そんなことも「生温かい」(作者が本書の中でよく使う表現)目で見ながら、最後まで読み通してみようと頑張ってみた。
 こうした論考はだいだい新書の形で刊行されることが多いが、出版社が話題性があると判断したのだろう、単行本で刊行されている。ただ、その内容が単行本に見合うのか、と問われれば、些かの疑義は浮かぶ。ていうか(これも多用される接続詞)、様々な統計を駆使し、調査結果から現状を解き明かそうという研究の形式上、多くのページは飛ばし読みしたところで、大きな影響はないから、少しでも軽い新書の方が手に持つには楽だろうに・・、と何度か思った。結局こうした論考は、結論を導くための準備に心を砕き、実のところほんの数行で言いたいことは終わってしまうのを、どれだけ粉飾できるかに作者の力量が問われるのであって、さほど目新しくもない結論でも、力のある作者の手にかかれば、世の碩学さえをも唸らせることも可能であろう。そういう観点から言えば、この本の作者はなかなかの俊英であると言ってもいいだろう。

 「経済成長の恩恵を受けられた世代を「自分とは違う」と見なし、勝手に自分たちで身の丈にあった幸せを見つけ、仲間たちと村々している。何かを勝ち得て自分を着飾るような時代と見切りをつけて、小さなコミュニティ内のささやかな相互承認とともに生きていく。
 それは時代に適合した賢明な生き方でもある」(P.257)

 作者が300ページ近くかけて読者に伝えたかったことを要約すれば、こんな感じだろう。(「村々している」というのは、「まるでムラに住む人のように、「仲間」がいる「小さな世界」で日常を送る」ことらしい。が、さらに加えて、「何かをしたい」という「ムラムラ」する気持ちを抱えながら、実際には変わらないメンバーと同じような話を繰り返して「村々」している若者たちを「ムラムラする若者たち」」とも呼んでいる)この要約と題名の「絶望の国の幸福な若者たち」とを照らし合わせれば大筋の内容は分かってしまうが、それだけ自明なことが書いてあるだろうと薄々分かってしまっても、最後まで読ませてしまうのは、作者の文章力に拠るところが大きいように思う。

 「高校生の時にたまたま詩のコンクールで賞をもらったこと。その賞をアピールして慶應SFCにAO入試で入れてもらったこと」

と「あとがき」でさりげなく自慢しているのも微笑ましいが、表現力に秀でているのは、さほど面白くもない論文300ページを一気に読ませてしまうことでも、じゅうぶん分かる。ところどころ、あえて若者風の表現を使って、文章のバランスをくずしているのは「残念」(これもまた多用されている)だが・・。
 しかし、なんにしても26歳でこれだけの書を物することができるのだから、立派なものである。
 
 ただし、日本よりずっと「絶望的な国」であるギリシアの人々が幸せな理由は、本書を読んだ後でもよく分からないままだ。

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「秋刀魚の味」

 日曜日、自分の部屋のTVを点けたら、NHK・BSプレミアムで「秋刀魚の味」が放送されていた。毎週日曜の夜10時から始まる「山田洋次監督が選んだ日本の名作100本 ·家族編」の中の1本であったが、TVを点けたのが遅かったため、終わりの30分ほどしか見ることができなかった。それでも何となくあらすじは分かったが、一応確認のために「goo映画」から引用してみる。

 『長男の幸一夫婦は共稼ぎながら団地に住んで無事に暮しているし、家には娘の路子と次男の和夫がいて、今のところ平山にはこれという不平も不満もない。細君と死別して以来、今が一番幸せな時だといえるかもしれない。わけても中学時代から仲のよかった河合や堀江と時折呑む酒の味は文字どおりに天の美禄だった。その席でも二十四になる路子を嫁にやれと急がされるが、平山としてはまだ手放す気になれなかった。中学時代のヒョータンこと佐久間老先生を迎えてのクラス会の席上、話は老先生の娘伴子のことに移っていったが、昔は可愛かったその人が早く母親を亡くしたために今以って独身で、先生の面倒を見ながら場末の中華ソバ屋をやっているという。平山はその店に行ってみたがまさか路子が伴子のようになろうとは思えなかったし、それよりも偶然連れていかれた酒場“かおる”のマダムが亡妻に似ていたことの方が心をひかれるのだった。馴染の小料理屋へ老先生を誘って呑んだ夜、先生の述懐を聞かされて帰った平山は路子に結婚の話を切り出した。路子は父が真剣だとわかると、妙に腹が立ってきた。今日まで放っといて急に言いだすなんて勝手すぎる--。しかし和夫の話だと路子は幸一の後輩の三浦を好きらしい。平山の相談を受けた幸一がそれとなく探ってみると、三浦はつい先頃婚約したばかりだという。口では強がりを言っていても、路子の心がどんなにみじめなものかは平山にも幸一にもよくわかった。秋も深まった日、路子は河合の細君がすすめる相手のところへ静かに嫁いでいった。やっとの思いで重荷をおろしはしたものの平山の心は何か寂しかった。酒も口に苦く路子のいない家はどこかにポッカリ穴があいたように虚しかった』

 ふ~~ん、そうだったのか・・。それはストーリーよりも、出演者の名前を確認して出たため息だった。
「驚くほど綺麗な花嫁姿は岩下志麻なのか。長男は佐田啓二、中井貴一の父親だ。その妻には岡田茉莉子、う~~ん妖艶だ・・。父親の笠智衆が心惹かれているバーのマダムが誰だったか、その場では思い出せなかったが、岸田今日子だったとは、意外だ・・・」


 

 小津安二郎作品はあまり見たことがないが、この映画は淡々とした中にも深い情趣が感じられる味わい深い映画だと思った。と同時に娘を嫁にやった父親の心境とはこんなものなのかな、と少しばかり思いを巡らせてしまった。私にも年頃の娘がいるから、いつ何時この笠智衆のような立場に立たねばならなくなるともしれぬ。その際、果たして笠智衆のように『どこかにポッカリ穴があいたように虚しかった』などという心境になるだろうか。18で家を出て以来、もう8年近くも一緒に暮らしていないのだから、いざ結婚するとなっても、私としては何も変わらないような気がする。大学に入った当初から、「京都に嫁にやった」つもりだったから、いざ結婚することなっても、「何を今更・・」と思ってしまうような・・。それが幸なのか不幸なのかは自分では判じられないが、少なくとも湿っぽさを周りに見せないだけでも格好がいいかもしれない。

 まあ、当分はそんなことにはならないようだが・・。
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カニ

 塾舎の横の橋の上からぼんやり川面を眺めていたら、何かが動いた。
「ザリガニ?」
スッポンや小魚ならよく見かけるが、ザリガニなんて初めて見た。
「これは捕まえなくっちゃ!」
と急いでタモを取りに行って、土手から飛び降りた。しかし、河原の土が柔らかかったため、滑って尻餅をついた。
「わあ!」
と叫びながらもすぐに立ち上がって、川の中に入った。しかし、ザリガニなんて姿形も見えない。
「逃げられたなあ・・」
と残念な気持ちになったが、次の瞬間、
「えっ?あれは何だ?」
とザリガニよりも大きな物が動くのが見えた。じっと目をこらしてみると、カニだ!大きい!びっくりしたが、この獲物を取り逃がしては後悔する。そっとそっと近づいて行って、タモで掬ってみた。
 どういうわけかカニは逃げようともせず、案外簡単に捕まえることができた。
「やった!!」
先ずは妻に見せてやろうと、慌てて川から上がり、家まで走って行った。
「おーい、面白い物見つけたぞ!」
と玄関口で叫ぶと、
「何??」
と訝しげに妻が出てきた。
「カニだ、カニ。大きいぞ」
と、雨水が溜まっていたバケツにカニを入れてみた。


「本当だ、大きい・・」
と言いながら、妻は傍らにあった棒きれでカニをツンツンし始めた。妻はこういうことが大好きだ・・。外に出した方がもっと喜びそうなので、棒きれ2本を箸のように使って、カニを出してみた。


 甲羅は直径10cmくらいありそうだ。右手のはさみはかなり大きくて立派だ。外に出たカニを妻が相変わらず棒きれでツンツンしていると、さすがに怒ったのか、カニが立ち上がった。それを見て、余計に面白がった妻は、さらにカニを刺激する・・。

 


「どうしてはさみがこんなに泥まみれなんだろう?」
と不思議そうに言うものだから、じっと見たら、確かに右のはさみだけ泥だらけ、まるで泥を握りしめているようだ・・。
「綺麗にしてあげるね」
と妻が棒きれではさみを掃除してやったら、はさみの表面は毛で覆われているのが分かった。この毛に泥が絡みついていたようだ。


 とは言え、あまり長く外に出しておいたら、カニが干上がってしまうかもしれない。それはちょっとかわいそうだから、
「もう十分遊んだだろ?」
と妻に確認してから、川に戻しに行った。さすがにもう一度河原に下りる気はしなかったので、橋の上からそっとカニを投げ入れた。ポトっと音がしたと思うと、元気に歩いて行く姿が見えたので、
「じゃあ、またな」
と声をかけてやった。
 
 しかし、あんな大きなカニが川にいるなんて全く知らなかった。何ていう種類のカニなんだろう?モクズガニかなあ・・。


 
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Google Sky Map

 スマートフォンと一緒に「アンドロイド入門&アプリ ザ・ベストコレクション」という本が入っていた。なかなか便利な本で、役に立つ無料アプリが108本紹介されていて、すべてQRコードが添付されているので、ダウンロードも簡単だ。
 さすがに、なんでもかんでもアプリをダウンロードするほど若くはないから、必要最小限で止めておくことはできる。だが、『Google Sky Map』だけはどうしてもダウンロードしたくなった。

 『空が曇っていようが、部屋の中だろうが関係ありません。『Google Sky Map』はいつでもどこでも星空を見たいと思った時に、Android端末をかざせばその方向にある星を画面に映し出してくれます。星空が見られるだけでなく、恒星や星座を名前付きで見ることもできるので、星空を眺めていて「あの星座なんだったけ?」と思った時、すぐに調べることができます。本アプリさえあれば、星空を眺めても何がなんだか分からなかった人も安心ですね。
 さらに、過去へ未来へと時間を移動して世界中の星空を楽しめる機能も搭載し、天体ファンならずとも絶対楽しめる1本になっています。ひとりで星空を眺めて癒されるもよし、恋人や家族とロマンティックなムードに浸るもよし。『Google Sky Map』で星空の旅へ出かけましょう』

との説明を見ただけで、もう心は星空へと飛んでいった。早速ダウンロードした・・。


 こんな星空がスマホの画面いっぱいに広がる。空に向けたスマホの位置を変えれば、変えた位置の星空となる。すばらしい!!

 と言っても、ダウンロードした土曜は雨が降っていて、星が見えなかった。残念だったが、日曜の夜ゆっくり見ようと満を持した。そして・・。
 日曜の夜、晴れてはいたが、なんとなく煙っていて星の輝きがぼやけて見えた。しかし、そんなことはこの際どうでもいい。Google Sky Mapのすごさを実感できればいい、そんな気持ちでスマホをかざしてみた。それが夜8時過ぎ・・。
 おお!!なんてことだ、今の時期に夏の大三角が見られるなんて、思いもしなかった。はくちょう座のデネブ、こと座のベガ、わし座のアルタイルを結ぶと見事な三角形ができる!10月下旬でも早い時間なら見ることができるんだ!ちょっと賢くなった。
 しかし、今の時期はやはり冬の大三角だろう。12時を回った今、スマホとともに夜空を見上げてみた。


 霞が少しは晴れたのか、かなり星の数は増えていた。おお!!南の低い空におおいぬ座のシリウス、こいぬ座のプロキオン、そしてオリオン座のベテルギウス!!冬の大三角が簡単に見つかった!!素晴らしい!! 
 
 このアプリを入れただけで、もう十分スマホにした甲斐があった。
 
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黄金の銃

 高校生と一緒に読んだ「宇治拾遺物語」の一節・・。

「亀を買ひて放つ事」
 昔、天竺の人、宝を買はんために、銭五十貫を子に持たせてやる。大きなる川のはたをゆくに、舟に乗りたる人あり。舟のかたを見やれば、舟より、亀、首をさしいだしたり。銭もちたる人、たちどまりて、その亀をば、「何の料ぞ」と問へば、「ころして物にせんずる」といふ。「その亀買はん」といへば、この舟の人いはく、いみじきたいせつのことありて、まうけたる亀なれば、いみじき価なりとも、うるまじきよしをいへば、なほあながちに手を摺りて、この五十貫の銭にて、亀を買ひとりて放ちつ。
心に思うやう、親の、宝買ひに隣の国へやりつる銭を、亀にかへてやみぬれば、親、いかに腹立ち給はんずらむ。さりとて、また、親のもとへ行かであるべきにあらねば、親のもとへ帰り行くに、道に人のゐて言ふやう、「ここに亀うりつる人は、この下の渡りにて、舟うち返して死にぬ」となむ語るを聞きて、親の家に帰りゆきて、銭は亀にかへつるよし語らんと思ふ程に、親のいふやう、「何とてこの銭をば、返しおこせたるぞ」と問へば、子のいふ、「さることなし。その銭にては、しかじか亀にかへてゆるしつれば、そのよしを申さんとて参りつるなり」といへば、親の言うふやう、「黒き衣きたる人、同じやうなるが五人、おのおの十貫づつ持ちて来たりつる。これ、そなり」とて見せければ、この銭いまだ濡れながらあり。
はや、買ひて放しつる亀の、その銭川に落ち入るをみて、とりもちて、親のもとに、子の帰らぬさきにやりけるなり。

 これを読んだのは2週間ほど前のことで、その時は、「かさじぞう」によく似た話だなあ、くらいにしか思わなかった。善行を積めば報いがある、と道徳の本にでも書いてあるような、有り難い話である。
 だが、一昨日カダフィが殺害されたのを速報で知ったとき、なぜかこの話が頭に浮かんだ。そうか、この話は「かさじぞう」とは違って、非道な行いをする者は必ずその責めを負わねばならないということを巷間に知らしめるための説教話なんだなあ、と合点がいった。「亀を殺して食べる」ことは動物たる人間にとっては当たり前の行為であろうが、命を粗末にするというのは人倫にもとる行為であると言えなくもない。そうした酷薄な行為を平気でしようとしながらも、一旦お金を積まれると即座に亀を売り渡してしまうのだから、命を物扱いし、軽視していると言わざるを得ない。そうした者が受ける代償は己の命と引き替えになってしまう・・、そんなことを暗示しているとするならば、カダフィの末路とシンクロしているような気がしたのだ。それを端的に示したのが、彼の最後の持ち物であり、己もその銃弾で殺害されたと報道されている「黄金の銃」。


 カダフィが民衆の蜂起によって殺害されるまでに至った原因は、この銃に象徴されているように思う。強権と強欲。銃による支配を続けながら、己の欲望を満たすためにせっせと蓄財する・・、独裁者の陥る自壊への道筋だ。

 カダフィも嘗ては理想に燃えた憂国の士だったのかもしれない。それなのにいつの間にか変節してしまったのだろう。何がターニングポイントだったのだろう、殺さずに明らかにして欲しかった。


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スマホ

 携帯電話が壊れてしまった。いつどこでぶつけたのかまるで覚えていないが、事実壊れてしまったのだからどうしようもない。

 

 電話もメールもできるが、いつ配線が切れて使えなくなるかもしれない。心配で、DOCOMOショップに持ち込んだところ、修理するには5000ほどかかると言われた。だが、この携帯もうすぐ2年、そろそろスマートフォンに買い換えたいと思っていたところだけに、5000円もかけて修理するのはもったいない。これを良い機会と思って、さあ、スマホ・デビューと行こうと思ったのだが、DOCOMOのスマホは最新機種が11月から続々と売り出される予定なので、今はまだそれが手に入らない。現行の機種でもいいのだろうが、どうせなら最新機種が欲しい、どうしよう・・、そんなバカげたことで思い悩みながら最新のカタログを見ていたら、SONYの機種はPSPの付いたものが新しく売り出されるだけで、XPERIAはしばらくは新型がでないことが分かった。ならば、XPERIAにすれば当分は最新機種だと威張っていられるじゃないか、と私のバカな見栄を満足させられるよい方法が見つかった。
「じゃあ、これに変えてください」
と、選んだのがこの白い XPERIA ACRO。

 

 調子にのって、ついつい気軽に買ってしまったが、そうは簡単なものではなかった。
「塾長にはスマホは使いこなせないよ」
そう冷やかした高校生の顔が浮かんで来るほど、最初は苦労した。だって、電話がかけられない、メールは送れない、ネットのサイトがブックマークできない・・。説明書をきちんと読んでいなかったのがいけなかったのだろうが、スマホをもっている高校生に訊けばなんとかなるだろう、と楽観していたのもいけなかった。
「やはり一から丁寧に勉強していかねばいけない」
と思い直して、説明書とにらめっこしながら、一つずつ解決していった。
 今の取扱説明書は結構読みやすい。ポイントだけが図入りで書いてあって、きちんと読めば十分理解できる内容だ。大いに役立った。電話もかけられるようになたし、メールも送った。このブログもブックマークできたし、「ウエザーニュース」のアプリもダウンロードした。短時間にしては、なかなかの進歩だ。(アプリの意味も何となく分かりかけてきた)
 この記事を書き終えたら、QRコードを読み取るアプリ、セキュリティを万全にするためのアプリ、などなどをダウンロードしようと思っている・・・。
 
 時間がなくて、思うように行かないこともたくさんあったが、時間をかけさえすれば何とか使いこなせるようになるんじゃないか、と徐々に自信も芽生えてきた。だが、このスマホ、なかなか面白い。くせになりそう・・。 

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