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大晦日

 とうとう大晦日がやってきた。もう今さらくよくよ悩んでも仕方ない。気力・体力ともに充実させて新しい年を迎えたいものである。
 かねがね告知してあったように、紅白歌合戦をとおして楽しい大晦日を過ごそうではありませんか!!
 以下に紅白出場歌手の氏名と曲を書き出してみた。曲名をクリックすれば、歌詞が読める。

 さあ、楽しい大晦日になりますように!!

mihimaru GT 「気分上々↑↑」

W-inds 「ブギウギ66」

BoA 「七色の明日 ~brand new beat」

鳥羽一郎 「兄弟船」

長山洋子 「絆」

SEAMO 「マタアイマショウ 紅白ミックス」

坂本冬美 「祝い酒」

北山たけし 「男の拳」

GAM&モーニング娘。「Thanks! 歩いてる  2006 Ambitious バージョン」

Aqua Timez 「決意の朝に」

藤あや子  「雪 深深」

細川たかし 「浪花節だよ人生は」

スガシカオ 「Progress」

伍代夏子 「金木犀」

堀内孝雄  「愛しき日々」

平原綾香 「誓い」

美川憲一 「さそり座の女2006」

大塚愛 「恋愛写真」

香西かおり 「最北航路」

ORANGE RANGE 「チャンピオーネ」

夏川りみ 「花(すべての人の心に花を)」 

布施明「イマジン」

森昌子 「バラ色の未来」

前川清 「長崎は今日も雨だった」

BONNIE PINK  「A Perfect Sky」

ゴスペラ-ズ 「ふるさと」

石川さゆり 「夫婦善哉」

森進一 「おふくろさん」

絢香 「三日月」

WaT 「5センチ」

浜崎あゆみ 「Jewel」

スキマスイッチ 「ボクノート」

中島美嘉 「一色」

TOKIO  「宙船(そらふね)」

aiko 「瞳」

ポルノグラフィティ  「ハネウマライダー」

小林幸子 「大江戸喧嘩花」

DJ OZMA )「 アゲ♂アゲ♂EVERY☆騎士」

アンジェラ・アキ 「HOME

さだまさし 「案山子」

水森かおり 「熊野古道」

氷川きよし 「一剣」

今井美樹 「PRIDE」

徳永英明 「壊れかけのRadio」

和田アキ子 「Mother」

秋川雅史 「千の風になって」

天童よしみ 「いのちの限り」

コブクロ 「風」

倖田來未 「夢のうた」

五木ひろし 「高瀬舟」

DREAMS COME TRUE 「何度でも LOVE LOVE LOVE

SMAP 「ありがとう」

川中美幸 「ふたり酒」

北島三郎 「まつり」


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06 私の十大ニュース

 昨年にならって、30日に「私の十大ニュース」を選んでみようと思う。毎日塾の周りをうろちょろするだけのいたって単調な生活でも、振り返ってみればそれなりの出来事があった。それらをこのブログで取り上げた事柄を中心にして選び出してみる。

第10位 「松井左手首骨折」
 松井が左手首を骨折したときの衝撃は、いまさら言うまでもないことだが、それから松井が復帰するまでの間、私はいったいどうやって過ごしていたのだろう。松井がヤンキースに入団して以来、シーズン中はヤンキースの試合とともに朝が始まっていたのが、今年はそのリズムが崩れてしまった。松井の打席のたびに感じるあのワクワク感が来年こそは数限りなく味わえるように!!

第9位 「バスの購入」
 愛知県ではディーゼル車の走行が禁止されることになり、1台だけ残っていたディーゼルエンジンのバスを車検を機に買い換えた。ガソリン価格の高騰と相まって、バスにかかる経費が多くなった。経営的には厳しい面があるが、私の塾ではほとんどの生徒がバスを利用しているので、交通安全を最優先にして通塾の便宜を図り続けていかねばならないと思っている。

第8位 「デジタル化すすむ」
 今年はPCの接続をADSLから光にしたこと、DVD録画機を妻から譲り受けたこと、デジカメを娘からもらったこと、携帯電話を新しくしたことなど、私の身の回りで様々なデジカル化が進んだ。特にPCは光に変えたことで、初めて私個人のプロバイダー契約をしたため、妻のPCに居候していたような状態から独立できた。ヤフーBBの不具合と決別できたのは嬉しかった。

第7位 「読書が増えた」
 元旦に村上春樹の「東京奇譚集」を読んだのを皮切りに、近年稀に見るほど多くの本を読んだ。そのうちの多くをこのブログで取り上げてきたから、ブログの記事を書くために読んだような気がしないでもないが、読書に関しては充実した1年だったと思う。また、年末になってから、2本の映画を劇場で見たのは、私にとっては画期的な出来事だった。

第6位 「息子の成長」
 我が家の愛猫トラが死んだ。猫エイズと診断されてから、家族が必死の看病をしたのだが、病には勝てなかった。トラを文字通り猫っ可愛がりしていた息子の落胆ぶりは哀れなほどだったが、その悲しみを乗り越えた頃から受験勉強に本腰を入れだした。私の目から見てもかなりの努力をしてきたように思えるのは、息子が精神的に自立できた証のような気がして嬉しい。来春にはよい結果を得られることを心から切望している。

第5位 「従兄弟の死」
 7月に従兄弟が亡くなったのはかなりこたえた。私より8歳年上の56歳で、娘を嫁に出した直後に入院し、2ヶ月ほどの闘病生活の末に帰らぬ人となってしまった。いつも周りにいる者たちを、機転の利いた話で笑わせてくれた太陽のような存在であっただけに、家族は勿論、親戚の者たちの悲しみは深かった。毎年正月2日に親戚が集まる席に、この従兄弟がいないのは寂しいことだろう。

第4位 「酒量が減った」
 従兄弟が入院した頃に私の足が浮腫んでしまった。これは飲みすぎのせいだろうと、さすがの私も数日ビールを飲まずにいたら、何とか治まった。それ以来、ごく自然な流れでビールを飲む量がかなり減った。365日毎日欠かさず何年も飲み続けていたのが、土曜と月曜の夜を休肝日とし、その他の日には350ml缶1本しか飲まないようになった。(日曜は相変わらずかなりの量を飲んでしまうが)

第3位 「好調だった塾の受験結果」
 今年の受験は、小・中・高、いずれも素晴らしい結果を残すことができ、私としてはかなりの自信になった。己が一生懸命やってきたことが、こうした形で実を結ぶのを実感できるのは幸せである。塾生の喜ぶ顔を見ればそれまでの苦労など一瞬にして吹き飛んでしまう。来年も同じような喜びを生徒と分かち合えるよう日々頑張っているが、これから最後の追い込みでどれだけ生徒1人1人を伸ばすことができるか、私の力量が問われることになる。頑張ろう!!

第2位 「娘の成人式」
 娘が20歳になった。京都で大学生活を送っているため、ここ3年ほど、余り顔を見かけなくなってしまったが、元気でいるだろうかと常に気にはなっている。自分の20歳の頃にやっていたことを思い出すと、娘も大して違いはない生活を送っているのでは、と心配になったりするが、今さらそんなことを言っても仕方がない。京都に送り出すときに覚悟を決めた以上、娘の自主性に任せるしかない。かなり危なっかしい奴ではあるが、私にできることはどんなことでも力になってやるつもりだ。

第1位 「ブログ1周年」
 5月に1年間このブログの記事を毎日欠かさず書き続けるという自らに課したノルマを果たすことができた。その後はいらぬ肩の力も抜けて、だらだらと毎日楽しみながら続けてきた。これからいつまで続けることができるか分からないが、今までこのブログに寄せてくださった多くのコメントに助けられてここまで続けてこられたことだけは、何度繰り返しても足りないと思っている。本当に感謝している、ありがとうございます。


 また来年も同じように「十大ニュース」を書くことができるようコツコツと努力していこう!!
 
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門松 (2)

 昨日、ラジオを聴いていたら、新年についての豆知識を幾つか紹介していた。その中で、門松について話された内容が特に印象深かった。要約してみると、「新年を祝って、家の門口などに飾られる「門松」とは、その年の神さまをお招きするための目印であり、また、神さまがお降りになったときに宿られる場所を表すものである。 その門松の材料に、いつしか主として松を用いるようになり、そのことから門松と呼ばれるようになった。門松は、31日に立てるのを「一夜飾り」といってさける習慣がある。また、29日に立てるのは、「九松」といって「苦待つ」に通ずるということから嫌われており、28日までに立てるのが一般的なようだ」。なるほど、だから父が昨日(28日)までに、毎年恒例となっている門松を塾の玄関に飾ってくれたのか。なかなかの物知りだな、などと感心してしまったが、父が門松を飾ってくれるのは、今年で何年目になるのだろう。毎年改良を加えて年々立派になっていく。去年もこのブログで紹介したが、今年は飾り付けの過程も写真に収めてみた。

  

この竹の直径を計ったら10cm以上あった。これを畑近くの山から父一人で何本も切り出してくるのだから、大変な労力だろう。父は一度も私に声をかけたことがない。私など連れて行っても足手まといになるとしか考えていないからだろうが、それも元気な証拠だ、と役に立たない息子は手前味噌なことばかり考えて、ろくに手伝おうともしない。
 ポリ製の桶に藁を編んで巻きつけてあるが、これだけでも相当な手間がかかるだろう。10日ぐらい前からこつこつ準備していたようだが、有難いことだ。それにしても、竹の切り口が素晴らしい。何の迷いもないほど、スパッと切られている。私が感心して「どうやって切ったの?」と聞いても、笑って答えてくれなかった。なかなかの職人技だ。しかも、節のところが絶妙に切られているため、三本の竹がこちらを向いて笑っているように見える。特に今年は大きく口を開けているようだ。「笑う門には福来る」とよく言われるが、これこそ「笑う門松には福来る」だ!!


松と梅がいけられた。これで、「松・竹・梅」がそろい踏みとなった。根元に満を持していた葉牡丹が添えられ、一応の形は整った。ここまでが27日の段階で、今年はこれで完成かなと思っていたら、28日に最後の仕上げが施された。

 

笹の葉と南天が加えられた。やはり南天の赤は華やかな彩を添えてくれる。一気に豪華な感じになった気がする。先日、私が作ったリースのときも南天の赤が素晴らしいアクセントになっていた気がする。新年を迎えるにあたって南天の赤のように燃える気持ちを持つことは大切なので、その意味でも新年の飾り物に南天は欠かすことができないものだと思う。
 さあ、新年を迎える準備が、一つ出来上がった。あとは31日に大掃除をして教室全てをぴかぴかに磨くことだけだ。年内まだまだ大変だが、もうひと踏ん張り、頑張るぞ!!
 
 あっ、それと年賀状・・・。今年は印刷屋に頼んだ。   
けっこう可愛い・・
 
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天然の落とし穴

 毎年、冬休みのこの時期になると、一瞬塾の空気が緩む。失笑、爆笑、苦笑・・・いろんな笑いで教室が包まれる。その理由を語るには、毎月塾で実施している私立中学入試模試の1月実施分の国語の過去問に載せられている、次の文章を紹介しなければならない。河合雅雄著「小さな博物誌」の一節である。

 草むらに、赤いルビーの玉を見つけ、ぼくは黙ってそちらへ足を向けた。(もしかしたら、オオテントウ?)、そんな思いが直感的に頭の中を走った。普通のテントウムシの何倍もあるすごいやつだ。この地方ではめったにお目にかかれない逸物だ。
 その時、天変地異が起こった。いきなり大地が避け、ズブズブという不快な音とともに、あっというまに体が大地に吸いこまれた。反射的にぼくは体をひねって草をしっかり握り、体が大地に没するのを防いだ。
 なんという不覚!肥溜に落ち込んでしまったのだ。田舎を歩いていて、もっとも注意しなけりゃならないものは肥溜だ。牛糞や人糞が腐り、表面が固くなって一見大地と見分けがつかなくなる。だが都会の子ならいざ知らず、このぼくが肥溜に落ちるなんて、なんという恥辱!この時は天然問題で目がうつろになっていて、オオテントウのルビーの輝きに惑わされ、うかつにも天然の落とし穴に落ち込んでしまったのだ。
 渾身の力を出して這い上がり、ぼくはさっとまわりを見回して体を伏せた。ミト以外にだれもいない。だれかが見ていたら、ぼくの一生はもう終わりだ。恥を知る男の子として、死を選ぶより道がないだろう。

 この文に対して、「『天変地異が起こったとは具体的に何(だれ)がどうなったのですか。文中の言葉を使って15字前後で書きなさい。」と「『肥溜』を他のことばで表現しているところがあります。それを文中から書きぬきなさい」という2つの問いが出されている。しかし、これが今の子供たちには意外と難問のようである。というのは、彼らには「肥溜」というのがいったい何を意味しているのか全く分からないからである。無理もないだろう。生まれたときから水洗トイレしか使ったことがないだろう現代の子供たちにとって、「肥溜」などというものは見たことは勿論、聞いたことさえないだろうから。
 そこで私が「肥溜」とはどういうものなのかを説明することになる。
「昔のトイレが、今みたいに水洗トイレじゃなかったことくらいは知っているだろう。ウンチやおしっこを便器の下の大きな穴に溜めておいて、いっぱいになるとそれを汲み出していた。都会ではそれを仕事にする会社もあったが、田舎では、家の者が汲み出して、それを畑の作物の肥料(人糞)とするために、畑の近くに穴を掘って汲み出してきたウンチなどをそこに溜めておき、必要なときに畑に撒いていたんだ。その穴のことを『肥溜』と呼んでいた。昔の野山にはそんなものがいっぱいあった。」などと一通り説明しておいてから、「実は俺も、この話の主人公のように、子供のときに『肥溜』に落ちたことがあるんだ。本当に臭かったぞ。しばらくにおいが取れなかったな・・」と実体験を話すと、「キャー」とか「オエー」とか、悲鳴とも侮蔑ともつかない叫び声が沸き起こる。「え~~っ?!最悪!」とさも汚いものを見るかのような目をする生徒もいて、少々自己嫌悪に陥ってしまうが、体験者が語ることほど真実味のあることはないので、毎年懲りもせず、同じ話を繰り返している。

 思えば10歳くらいまでの私は、どうしようもない野生児だった。毎日学校から帰るとすぐに外へ遊びに出た。宿題はなかったのだろうか?よく覚えていないが、そんなもの適当に済ませるだけの要領のよさは心得ていたから、ないに等しかったのかもしれない。とにかく暗くなるまで何も考えず、ずっと遊んでいた。どろどろになりながら川の中を走り回ったり、丘の斜面で間に合わせに作ったソリを滑らせて遊んだり、野原で野球のまねごとをして遊んだり・・・本当に年がら年中遊んでいた。今思い出してもあれほどゲラゲラ笑っていられた日々は他にはなかったような気がする。もし、一日だけ昔の日に戻れるとしたなら、あの子供の頃に戻って、一日中山野を転げまわっていたい、そんな気がする。
 この模試のおかげで、毎年暮れになると、ふっと幼かった頃の思い出に浸ることができる。甘い甘い日々の思い出に心までとろけそうになってしまう・・・
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渡辺監督

 ゴジ健さんお勧めの、横浜高校野球部監督・渡辺元智著「若者との接し方」(角川書店)を読んだ。もう1ヶ月以上前に買った本だが、なかなか読む時間がとれなかったが、いざ読み始めたらその内容の豊かさに導かれて一気に読了してしまった。
 渡辺監督と言えば、73年春甲子園初出場で優勝、80年夏の選手権を制覇、98年にはエース松坂大輔を擁して史上5度目の春夏甲子園制覇を成し遂げ、さらに今年06年には選抜大会優勝と、華々しい戦績を誇る高校球界きっての名監督である。その監督が自らの体験をもとに、現代の若者との接し方について語った本書が、塾という形は違っても、日々若者たちと接している私には多くの示唆に富んだものであったのは言うまでもないことであろう。色々感銘することも多く、いい本を紹介してくださったゴジ健さんには感謝している。
 私は、自らの体験を基にした教育論めいた書物は今までに読んだことはなかった。それは、その著者が己の成功例を滔々と自慢げに述べるだけで、それを普遍化できるまで自分の方法を客観視できていないものが殆どであろう、と碌に読みもせずに敬遠ばかりしてきたからである。しかし、本書での渡辺監督は違った。監督は、日々生徒たちと接する中で、その指導法に悩み、多くの失敗を重ねながらもそこから教訓を学び取り、次の指導へつなげていこうという、常に生徒の身に立った向上心に満ち溢れている。
 冒頭で監督は現代の子供たちが変わってしまったと強調する。
 『とにかく今の子供たちは「伸び伸び」やらせようとすれば好きなほうへ行ってしまうし、「楽しく」やらせようとすれば楽なほうに行ってしまうから、絶えず引き締めていなくてはならない。昔は社会のバックボーンだった「礼儀」とか「礼節」というお題目だけではなかなか制御しきれないのだ。』
 これは教育現場に立つ者なら誰でも実感している感想であろう。教師が自分たちの受けてきた教育を順送りにしようとしても、それができない環境になってしまっている。それに対して、家庭での親の躾が悪いとか、社会環境が乱れきっているとか、いくつかの要因を見つけ出すことは容易であろう。しかし、日々子供たちと直に接している指導者たちにとって、そうした要因から今の子供たちを分析している時間的余裕などない。日々刻々と変わっていく、子供たちの意識に何とか付いて行くだけで精一杯であるというのが、現場教師の偽らざる本音ではないだろうか。
 「ならばどうする?」--どうかしなければ現場を維持できない、日々教師はこの問いに頭を悩めていることだろう。それに対して監督は、第2章の表題にあるように、「信頼と愛情が人を育てる」と答える。しかし、今の若者たちと信頼関係を築くのはなかなか難しい。一方的にこちらの気持ちを押し付けても退かれてしまうだけだし、かといって何も言わないでいれば無視されたと思い込んでしまう。その辺りの機微が非常に難しい点で、私も以前よりずっと神経質になっていて、子供たちとの距離のとり方に頭を悩ませている。以前のように、これくらいならOKだろうという基準がなくなってしまい、生徒一人一人にきちんと対応していかなければ、立ち行かなくなっている。本当に難しい・・・
 その困難さを打ち破るために必要なことを、「普段から多く若者たちとコミュニケーションを交わしていることが、私の言葉を素直に聞いてもらえる土壌になっているのだと思う。」と監督は述べている。本書全編を通じて、監督が毎年100人近くいる部員一人一人に細かな配慮をし、絶えず彼らとコミュニケーションをとろうとしている姿勢には驚いた。何か心配なこと、気がかりなことがあれば、すぐにその生徒と、自分の考えを理解してもらうまで話し合う、その姿勢には心底感服した。いくつもの挫折を味わいながら、そこから学び取った生きた指導法であるだけに、若者と理解しようという姿勢を持ち続けることがどれだけ大切であるかを教えてくれる。
 私も常に生徒たちに言葉をかけ、彼らの考えていることを理解しようとしているが、まだまだ未熟者であるゆえ、うまくいかないこともしばしばである。相手の思わぬ反応に、私のほうが先に腹を立ててこちらから会話を打ち切ってしまうことさえある。渡辺監督も言っているように、指導者が己を磨くことがまず第一の要諦である。私も弛まず精進せねばならない。
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ショコライフ

 最近コンビニで目立つのが、売られているチョコレートの種類の多さだ。先日森永の「チョコボール」に、イチゴやメロンなど6種類あるのを見つけて驚いた。そのうち食べてみようとは思うのだが、今の私に一番気にかかっているチョコレートは明治の「ショコライフ」だ。桑田圭祐のCMが洒落た雰囲気を醸し出しているのを見て、買ってみたくなった。一袋に約2cm四方の板チョコが4枚入っていて、100円。「美味しいものを少しずつ食べる“贅沢”」というコンセプトのもと、8種類の味が用意されている。しかし、決して安くはないし、「どれがおいしいのだろう・・」などと迷っていたら、また悪い虫が騒ぎ出して「全種類買って食べ比べてみればいい」などと短絡的に決めてしまった。
 実は、以前カカオの含有率の高いチョコレートの食べ比べをしたのと一緒に、「ショコライフ」も8種類買っておいたのだが、食べる機会を見計らっているうちに、そのとき買ったうちの「温州みかん」と「黒糖カカオ」が販売中止となり、「豆乳」と「カシス」が加わったため、今回は買っておいた8種類に2種類を加えた10種類を食べ比べてみることになった。

            (リッチミルク)     (厳選カカオ75)    (玉露) 
  

  (黒糖カカオ)    (温州みかん)    (とちおとめ)  (厳選カカオ60)
   
             (豆乳)       (カシス)        (北海道ミルク)
  


 それぞれの味が短い言葉でパッケージに説明してあるので写してみる。
「リッチミルク」・・厳選ミルクを使用した、芳醇な香りとコクのハイミルクチョコレートです。
「厳選カカオ75」・・ひと粒ずつ厳選したカカオ豆を使用した、力強い香りと苦味のビターチョコです。
「玉露」・・・・・・柔らかな風味の玉露を贅沢に使用。素材のおいしさが愉しめます。
「黒糖カカオ」・・・黒糖のやさしい風味とほどよい甘さのマイルドなビターチョコレートです。
「温州みかん」・・・さわやかな香りの「温州みかん」を贅沢に使用。素材のおいしさが楽しめます。
「とちおとめ」・・・甘酸っぱい「とちおとめ」を贅沢に使用。素材のおいしさが愉しめます。
「厳選カカオ60」・・ひと粒ずつ厳選したカカオ豆を使用。香りとコクが愉しめるビターチョコレートです。
「豆乳」・・・・・・こっくりとした豆乳の風味とまろやかなカカオ、ほどよい甘さのチョコレートです。
「カシス」・・・・・甘酸っぱく濃厚な風味のカシスを贅沢に使用。素材のおいしさが愉しめます。
「北海道ミルク」・・北海道ミルクを使用した、芳醇な味わいのホワイトチョコレートです。

以上ノミネートされたショコライフを、私一人で食べて感想を述べたところで何の面白味もないので、塾生と家族にも試食してもらい、少しでも多くの意見を総合してみることにした。協力してくれたのは、小学生8人(男1人、女7人)、高校生4人(男2人、女2人)、そして私と妻の合計14人である。それぞれ試食後、ベスト3とワースト1を選び出してもらった。その結果を、1位3点、2位2点、3位1点と点数化して、総合ベスト3ならびにワースト1を決定した。以下がその結果である。
    1位 20点 リッチミルク
    2位 13点 北海道ミルク
     〃  〃  とちおとめ
    4位  8点 玉露
    5位  7点 厳選カカオ75%
     〃  〃  温州みかん
    7位  6点 カシス
    8位  4点 豆乳
    9位  3点 厳選カカオ60%
     〃   〃 黒糖カカオ
さらに、ワーストは
    1位  6票 厳選カカオ75%
    2位  2票 豆乳・黒糖カカオ・カシス
    5位  1票 玉露・温州みかん

人の味覚というものは多様ではあるが、やはり小学生女子は苦いチョコレートは苦手なようである。対象とした人間に偏りがあったことは否めない。したがってなんらの意味も持たない結果ではあるかもしれないが、発売中止になった「黒糖カカオ」が、不人気であったことが図らずも証明されたような気がするので、あながちいい加減な結果ではないような気がする。私も黒糖カカオはあまりおいしくなかった。
 ちなみに私が選んだベスト3は
  1位・・75%  2位・・とちおとめ  3位・・リッチミルク 
ワーストは、カシスであった。

 
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「しあわせ」

  Merry Christmas!!

 島崎藤村の書いた童話に「しあわせ」というものがあるそうな。私は全く知らなかったが、短い話なので以下に載せてみる。

 「しあわせ」がいろいろな家へ訪ねて行きました。
 だれでも幸せのほしくない人はありませんから、どこの家を訪ねましても、みんな大喜びでむかえてくれるにちがいありません。けれども、それでは人の心がよく分りません。そこで「しあわせ」は貧しい貧しいこじきのようななりをしました。だれか聞いたら自分は「しあわせ」だと言わずに「びんぼう」だと言うつもりでした。そんな貧しいなりをしていても、それでも自分をよくむかえてくれる人がありましたら、その人のところへ幸せを分けておいてくるつもりでした。
 この「しあわせ」がいろいろな家へ訪ねて行きますと、犬の飼ってある家がありました。その家の前に行って「しあわせ」が立ちました。
 そこの家の人は「しあわせ」が来たとは知りませんから、貧しい貧しいこじきのようなものが家の前にいるのを見て、
「お前さんはだれですか。」とたずねました。
「わたしは『びんぼう』でごいざいます。」
「ああ、『びんぼう』か。『びんぼう』はうちじゃお断りだ。」
とそこの家の人は戸をぴしゃんと閉めてしまいました。おまけに、そこの家に飼ってある犬がおそろしい声で追い立てるように鳴きました。「しあわせ」はさっそくごめんこうむりまして、今度はにわとりの飼ってある家の前へ行って立ちました。
 そこの家の人も「しあわせ」が来たとは知らなかったと見えて、いやなものでも家の前に立ったように顔をしかめて、
「お前さんはだれですか。」とたずねました。
「わたしは『びんぼう』でございます。」
「ああ、『びんぼう』か。『びんぼう』はうちじゃたくさんだ。」
とそこの家の人は深いため息をつきました。それから飼ってあるにわとりに気をつけました。貧しい貧しいこじきのようなものが来て、にわとりをぬすんでいきはしないかと思ったのでしょう。
「コッ、コッ、コッ、コッ。」
とそこの家のにわとりは用心深い声を出して鳴きました。「しあわせ」はまたそこの家でもごめんをこうむりまして、今度はうさぎの飼ってある家の前へ行って立ちました。
「お前さんはだれですか。」
「わたしは『びんぼう』でございます。」
「ああ、『びんぼう』か。」
と言いましたが、そこの家の人が出て見ると、貧しい貧しいこじきのようなものが表に立っていました。そこの家の人も「しあわせ」が来たとは知らないようでしたが、情けというものがあると見えて、台所の方からおむすびを一つにぎってきて、
「さあ、これをおあがり。」
と言ってくれました。そこの家の人は、黄色いたくあんのおしんこうまでそのおむすびにそえてくれました。
「グウ、グウ、グウ、グウ。」
とうさぎは高いいびきをかいて、さも楽しそうに昼ねをしていました。
 「しあわせ」にはそこの家の人の心がよく分りました。おむすび一つ、たくあん一切れにも、人の心のおくはしれるものです。それをうれしく思いまして、そのうさぎの飼ってある家へ幸せを分けておいておきました。


 人によってこの話から様々な印象を受けるだろうが、今日はクリスマス、いい話を聞いたってことにしておこう。

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リース

 今日はクリスマスイブだ。せっかくのイブ、何かそれらしいことをしてみたいと思った。何にしようか、あれこれ考えてみたのだが、なかなかいい考えが浮かばない。すると、小学生の冬休みの宿題に、自分が作ってみたいリースのスケッチを描くというものがあった。これだ!とばかり閃いた。「私もリースを作ってみよう!」
 しかし、昨日から冬休みが始まり、塾の時間割が冬休みバージョンとなって全く身動きができない。リースを作ろうにも材料を満足に集めることなどできるものではない。しかし、作ろうと決めた瞬間から、意気込みだけは妙に熱いものがあったので、身近にあるもので何とかやってみようと思った。

 

まずは土台作り。父の作業場をのぞくと、「ばんせん」と言って足場丸太を組み立てるときに丸太同士を結びつける鉄線があったので、それを土台に使うことにした。二重に巻きながら丸くしていったら、直径25cmほどの円ができた。ペンチでつなぎ止めて、土台は簡単に完成した。でも、このまま鉄線がむき出しになっていてはいくらなんでも暖かみがない。何かその上に巻かなくてはいけないと思った。すると、「ばんせん」のそばに束ねて置いてあった藁を巻きつけてみてはどうだろうと、再び閃いた。

  

藁を無造作に巻きつけていって、何箇所か適当なところをあまった藁で縛ってみた。それが真ん中の写真だが、どうにも収まりが悪い。そこで、家にあった少しおしゃれなビニール紐をぐるっと一周巻いてみた。右の写真がそれだが、これでかなり形が整った。しかし、さすがにこれだけでは貧相だ。なんといっても藁だ、無理もない。私としては馬小屋で生まれたと言われるイエスの誕生日にちなんで、藁を使ったという面もあっただけに、ここからどう飾り付けていくかが思案のしどころだった。何かいいものはないか・・家で物色していると、妻が以前買っておいたというりんごの実の飾りを出してきてくれた。「知恵の実」と呼ばれることもあるりんごとは、なかなか縁起がよい。

 

吊り下げてみたら、いい感じだ。でも、藁の上にも何か飾ったほうがいいような気がした。このままでは少し殺風景過ぎる。リースとはもともと魔よけのためのものなのだそうだ。ならば、先日ゴジ健さんが教えてくださった「難を転ずる」に通じる「南天」が魔よけの意味合いといい、色目といい、私のリースに最適だとまたまた閃いた。
 

自宅の庭の南天から実を採ってきて、藁の間に挿し込んだ。思ったとおりのできばえだ。しかし、りんごの赤と南天の赤、少し違った色のアクセントが欲しい。同じ魔よけなら、庭に柊の木がある。その葉を南天の間に挿してみてはどうだろう。と試してみたのが右の写真、やはり予想通り、緑がいい味を出している。
 これで完成!!塾の休み時間を使ってこそこそ作ったものだから、所要時間ははっきりしないが、一気に作っていたなら1時間足らずでできたと思う。早速家の玄関に飾ってみた。


自分で言うのもなんだけど、上出来、上出来!!うれしい!!

リースの輪は、「永遠を意味し、生命・幸福がいつまでも続くように」という願いが込められているのだそうだ。
    Happy Christmas!!
  
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五十肩?

 金曜の朝、目覚めたら左肩がやたら痛い。何だこれは?と思いながら軽くマッサージしてみたが、どこを押しても痛む。困ったなあ、と思いながら妻に話したら、「五十肩じゃないの?」と言いながら、ロイヒを貼ってくれた。普通の肩痛ならこれを貼っておけばかなり楽になるのだが、今度の痛みばかりはちょっと感じが違う。左腕を上げようにも痛くて上がらない。肩をぐるぐる回そうとするとかなりの痛みが走る。そんなことを繰り返しているうちに右腕が痺れたようになってきた。さらには、首を回すと寝違えたときのような痛みを感じてしまう。時間が経つにつれだんだんと症状が悪化してきたようにさえ思われた。
 いったいどうしたんだろう?ただの肩こりなんだろうか?私は猫背であるため、背中を丸めていることが多く、昔から肩が凝ることはよくあった。しかし、それは右肩が中心で、左肩が凝ったことなど余り記憶がない。姿勢が悪く、血の流れが悪くなると肩こりになるとはよく聞くが、それだけではないような痛みだ。そういえば、タイヤ交換という慣れない仕事を一生懸命やったから、筋肉痛になったのだろうか?しかし、私は右利きであり、作業も右手中心で行ったから、凝るなら右肩のはずだ。やっぱり妻の言うように五十肩なんだろうか?調べてみた。

「40代50代の人に起こりやすい肩関節の周りに起こる炎症のことを、四十肩、五十肩といいます。腕を動かそうとしたときなどに突然、肩に激しい痛みが起こり、腕を上げる、後ろに回すなどの動作がしにくくなるのが特徴です。通常、半年から1年で自然に治りますが、体操などによって症状をやわらげ、回復を早めることができます」

なるほど。さらに整形外科では、腕を上げる、横に開く、後ろにまわすなどのさまざまな動作を患者に行ってもらい、痛みを感じたり、スムーズにできない場合、四十肩・五十肩を疑うのだそうだ。試しに次の動作をやってみた。
 ①両腕を前から真上に、耳より後ろまで上げる。
 ②両腕を手のひらを上に向け、真横から真上に上げる。
 ③両腕を肩の高さで上下させる。
 ④両腕を曲げて外に開く。
 ⑤両腕を背中に回す。
 ⑥両腕を頭の後ろに回す。

結果、⑤以外はみな痛かった。特に⑥が痛いが、腕を上げる動作が左肩には駄目なようだ。これだとやはり50肩ということになるのだろうか・・・
 しかし、いくら四捨五入すれば50になると言っても、やはり50の大台にはまだまだ達したくはない。四十肩なら許せるが、五十肩と認めたくはない。症状に区別があるわけではなく、その人の年齢で区別しているだけのように思われるから、五十肩とは思わず、あくまでも四十肩だと思うことにしよう。
 それで、痛みを和らげるにはどうしたらいいのだろう。調べてみたが、これ!というような方法はないようだ。ただ、保温するのがよいとはどこにでも書いてあったので、温湿布をしばらくは欠かさないようにするのがいいのかもしれない。その他にも肩をぐるぐる回すような運動も効果があるようだから、試してみようと思う。
 バスを運転しているときに一番不便を感じるので、何とか少しでもこの痛みが緩和するように色々試してみようと思う。
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「おれちん」

 朝日新書「おれちん」を読んだ。筆者小倉紀蔵のプロフィールを見ると、1959年生まれとある。私と同世代だ。最近新書の筆者には、同世代の人物が多い。「下流社会」の三浦展が1959年生まれ、「羞恥心はどこへ消えた?」の菅原健介も1958年、「ウエブ進化論」の梅田望夫は1960年生まれだ。思うに長年研究や観察してきたことがそろそろ一つの形を取り出してきた人たちが多くなってきたということなのかもしれない。私には、そんなものが何もないだけに少しばかりうらやましくはある。
 しかし、同世代の者が今の日本をどう見ているのかを知るのは興味深いものだ。以下にこの書の要点を簡単にまとめてみようと思う。

 「おれさま」と「ぼくちん」という存在が昔からあった。「ドラえもん」のジャイアンが「おれさま」、のび太が「ぼくちん」の象徴的存在である。彼らはともに共同体に帰属し、そこから逸脱しようとはしていない。彼らの仲間(共同体)の間で生じる様々な出来事の中で日々暮らしていた。しかし、ここ数年の間に、純粋な「おれさま」と「ぼくちん」の間でボーダーレス化が進み、「おれさま」の「おれ」と「ぼくちん」の「ちん」が融合し、「おれちん」という存在が出現した。この書の副題ともなっているように、この存在が「現代的唯我独尊のかたち」なのである。
 ならば、「おれちん」とはどんな性格を持った存在なのか。「共同体を知らず、ひたすら自分だけの世界に閉じこもっている。そして自分が一番偉いと思い込んでいる」存在、それが「おれちん」である。「自己中心的で威張っており、しかも自閉的な人間」と言い換えてもいいだろう。具体的な人物名を挙げれば、小泉純一郎、堀江貴文、中田英寿、この3人が代表的な存在である。なるほど、と思えなくもない。いずれも、上の定義に当てはまるように思える。近年の日本の政治、経済、スポーツの分野で象徴的な存在であるだけに、彼らを「おれちん」と見做すことは、現代日本に蔓延する風潮を端的に看破することができるような気がする。小泉は自民党という共同体を壊そうとした。堀えもんは自己中心的で尊大だ。中田は自閉的である・・・などと部分で考えたら納得いくのは勿論だが、トータルで見ても、この3人が「おれちん」の定義を満たしているというのはなかなか説得力がある。
 しかし、この「おれちん」が歴史的にどうやって生まれてきたかを説明する件は少々小難しい。共同体を絶対とする「プレモダン」、理性主義・本質主義により国民意識を持った「モダン」、共同体が崩壊し個が浮遊している「ポストモダン」。噛み砕いて言えば、共同体を絶対視しそこへの帰属を第一義とした昭和前期(プレモダン)、国民としての存在が認められた昭和中期(モダン)を経て、昭和後期から平成(ポストモダン)になると共同体という意識が崩壊し、「今ここ」か「いつかどこか」にしか関心がない「さびしい人たち」が生まれてきたことが、「おれちん」を生み出す土壌となった。「おれちん」という名を冠せられる者たちは、ネット社会の普及とあいまって、外部世界を自己の関心・嗜好・必要などにしたがって検索される対象領域としてのみ認識している。自分に興味のないものは存在しないに等しい。彼らは、「全能感--自分は何でもできる、何にでもなれる、すべてを支配できる」から、「分能感--自分は社会の中の一部に過ぎない」に意識を転換できなくなっている。
 こうした「おれちん」にとっての敵にはどんなものがいるか。「分能感」を持てと言う教養を背景とする「わたし」勢力。主体性を持てと言う者たち。共同するものたち。早実の斉藤投手のような折り目正しい者たち。仁愛者たち。恒産者たち。「モダン」な思想を体現している韓流。SNS(ミクシー)・・これらを見れば「おれちん」がどんな存在なのかが焙り出されてくるように思える。
 しかし、小泉・堀江・中田という代表的存在が表舞台から去ってしまった現在、「おれちん」たちを脅かす勢力が力を増しているという。それは、共同体への回帰を促す勢力である。ポストモダンからプレモダンへと一気に回帰しようとする勢力--「美しい国」へとこの国を導こうとする勢力である。その視点から見れば、改定された教育基本法は別名「おれちん」撲滅法なのだ・・・。

 なんだろう、いったい何が言いたいんだろう。「おれちん」の登場は歴史的必然なのかもしれないが、「おれちん」はこのまま存在してもいいのかどうなのか?私の読解力が足りないせいなのかもしれないが、イマイチ判然としない。まあ、何にでも金目のものの前ではいつくばる「てまえども」や、国家のために潔く死ぬ「貴様と俺」よりも「おれちん」のほうがましだとは思うけども。
 
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