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時間について

 先日塾の机の中にストップウオッチが忘れてあるのを一人の生徒が見つけた。しかし、塾生全員にきいても誰も自分のものだと名乗り出なかった。本当に誰のものでもないのか、恥ずかしくて言いだせないのか、その辺りは判然としないが、最近の子供たちには、忘れ物をしてもないものと決めつけてしまい、簡単にあきらめてしまう傾向があるように思う。例えば、時々送迎用のバスの中に100円玉が落ちていたりするのだが、「お金が落ちてなかった?」ときかれたことはないし、私が尋ねても自分だと名乗り出てくれたことはない。「100円くらい・・」と今時の子供は思っているのかもしれないが、携帯電話やi-Pod まで忘れてあることもあるから、物を大切にしない子供が多くなっているような気は確かにする。
 このストップウオッチも誰のものか分からないまま、塾の教室の窓枠のところにずっと置いてあったのだが、これを使って少しばかり試してみたいことを思いついた。それは、スタートボタンを押して、「1・2・3.・・」と数えていき、10まで数え終わった時点でストップボタンを押してみる、そんな単純なことであるが、試してみて驚いた。自分ではきっかり10秒だと思ってストップボタンを押したはずなのに、ストップウオッチは9.10秒。なんと 0.9秒も早かった。もう一度やってみようかと思ったが、少しずらせば10秒に近くなるのも当然だからやめてしまったが、自分の感覚としての時間が実時間とおよそ1割も違っていたのは、少なからず衝撃的だった。
 この結果は私の体内時計が、かなり早めに動いていることを表している。これは私が心に余裕がなく、どこか焦っている証拠ではないだろうか。この年になったら、もうゆったりした気持ちで時を過ごせばいいものを、何をするにつけても、「早く早く!」と己を急き立てている自分の姿が如実に表れているようで、思わずギョッとした。都会に住む人間と田舎に住む人間とでは時間に対する感覚が違うとは思うし、都会に住む人間の方が何かとせかせかしているようにも思うが、私のように、都会の喧騒から離れた地方都市に住んでいる者が、のんびり時を過ごせないというのなら、いったい何に対して焦っているのだろう?
 このところ、時が過ぎるのがめちゃくちゃ速い。一週間などあっという間に終わってしまう。自分で何をやってるのか分からないうちにどんどん時間が過ぎてしまう。それはもうだいぶ前からのことであるが、ここ最近はそれに加速度がついたように、本当に時間が過ぎるのが速い。速すぎる!! 私に残された時間がどれだけあるのか分からないが、いくらあってもこんな感じで時間が過ぎて行ってしまえば、最期を迎えるのもさほど遠くないはずだ、そんな実感がひしひしと襲ってくる。別に取り立ててなすべきことがあるわけではないが、残された時間がこんな感じでどんどん減っていくのはさすがに困る。どう困るのか、具体的なことは何も言えないが、とりあえず困る。そんな感覚でここ最近は毎日を生きているから、知らず知らずのうちに心の中で焦っているのかもしれない。焦ったところでなにも改善しないのも重々承知の上で焦っているのだからどうしようもない。
 知り合いの年長者から「20歳を過ぎたら、時間が過ぎるのが恐ろしく速いよ」と言われてもう30年も経ったのだから、時間のスピードが壊滅的に速くなるのも仕方のないことだろう。だが、それもすべて己の感覚のなせる技だ。50歳の私に流れる時間と20歳の息子に流れる時間は物理的には同じはずだ。ただ、この先いくらでも時間が有り余っているように思える息子と比べれば、確実に30年は残り時間が少ない私が同じ感覚で時間を過ごせるはずもない。感覚的時間が違うのはどうしようもない。かと言って、20歳の頃の心持ちに私がなることなど不可能だから、もうこうなったら適当に折り合いをつけることしかできない。だが、その按配をどうつけたらいいのかを、今はまだ模索中といったところなのかもしれない。
 だが、そんな折り合いなどつけられぬまま死んで行くような気もする。それならそれでも私らしいし、なにも後悔などしないだろう。ぐだぐだ思い悩みながら生きていくのが私の唯一できる生き方なのだろうし、そんな生き方こそが本望なのかもしれない。悟りたいなどと思わないが、そう開き直ることができたらいいな、そんな気はしている・・。。
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無理やり花見

 「花見をした。寒かった。でも、楽しかった」


 この写真だけを見れば、満開のようにも見えるが、咲いていたのはここだけ、大部分は蕾の状態で、全体から見れば二分咲き程度、しかも風が強く、決して花見日和などではなかった・・。それでも決行してしまったのは、塾が年度末の休みで日曜から3日間連休であり、しかも息子が帰省してきたという、まったくの個人的な理由からだが、やはりいささか無理があったようで、声をかけた割には参加者が少なかった。(当たり前か・・)
 だが、そんなことはどうでもいい。ただ私は酔っ払えれば十分だし、その上近しい人たちと楽しい時間が過ごせれば、もう何も言うことはない。昼過ぎから三々五々、毎年花見をする近所の小さな公園に集まって、持ち寄った食べ物や飲み物で、わいわいがやがや過ごしたのは、総勢20名ほど。誰もが防寒対策を怠らなかったのは当然だと言えば言える。


 あっという間に酔っ払った私は、子供たちとすぐそばを流れる川で遊んだ。私の子供の頃は、陶器工場から流れ出る廃液で茶色く濁っていた川が、今ではもう底まで見通せるほど透明になっている。環境設備が整ったのか、それとも陶器工場が減ったのか、そのどちらなのかもしれないが、この川の変化がわが町の消沈を象徴しているようで、寂しい気がしなくもない・・。



 川底や土手に白くて丸い薄っぺらな陶片が落ちている。私の子供の頃は、この川沿いにはいやになるほど落ちていて、それを拾っては汚れた川に向かって投げつけたものだ。川面をはじいて飛んでいく通称「せんべい」が何度跳ねるか、皆腕を競ったものだ。さすがに「せんべい」の数は少なくなったものの、よく探せば幾つか見つかる。昨日も酔っ払った勢いで、川の中に入り込んで「せんべい」を何枚か見つけ出した。(水は冷たすぎる!!)

 

 私の甥っ子ではまだまだ幼い。小学5年になり、野球クラブにも所属している従兄弟の子供は川面で何度も跳ね上げることができた。「すごい!!」ちょっとお世辞交じりにいってやったら、調子に乗って何度も繰り返す。こういうところが子供は可愛い。私の息子はビール片手に皆との会話に興じていて、川に下りてこようともしない。まあ、20歳も超えたからそれはそれでいいのだろうけど・・。

 今年は少々フライング気味ではあったが、来年も皆元気で花見ができたらいいなあ、今はそんな気持ちでいっぱいだ。
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直言居士

 佐高信著「小泉純一郎と竹中平蔵の罪」(毎日新聞社)を読んだ。著者の名はずいぶん昔から知っていたし、TVの報道番組でも時々姿を見かけたりするから、その歯に衣着せぬ「直言居士」ぶりはよく知っていたが、その著書を読んだのは実はこれが初めてだった。
 本書の刺激的な題名を新聞で見かけたとき、小泉のfanaticalな言動にはずっと胡散臭さを感じてきた私は、すぐに読んでみようとAmazonに注文した。だが、送られてきた本を読み始めて少なからず落胆した。題名にあるような二人を断罪する記述は、第1章「ギルティペアの小泉と竹中」(P.12~34)だけで、他の章にも散見はされるものの表題に見合う内容はほぼ1章にしか書かれていない。あとは、田原総一朗を代表とするマスコミへの批判、国民生活を等閑にする自民党政治への糾弾といったもので紙面が埋められていて、私が期待した内容とはズレがあった感は否めない。(しかも、後半3分の1を占める備忘録的な「日記」は蛇足な気がする)
 しかし、随所に私の知らなかった事実や、著者の視点の確かさを示す論述もちりばめられていて、やはり一読すべき書であると思った。
 
 『国民に「安心」を与えるのが政治の役目であるはずなのに、小泉や竹中のやったことは、国民から安心を奪い、そして「自己責任」を押しつけた。
 私は小泉を一次方程式しか解けない男と批判してきた。アメリカ一辺倒で、アメリカと中国という二次方程式になると解けない。(中略)
 ちなみに、小泉の後の安倍晋三は一次方程式も解けず、福田康夫に至っては、そもそも解く気がなかった。麻生太郎は「方程式」という字も読めないかもしれない』(P.19)

 この指摘には苦笑するしかないが、小泉・竹中が推し進めてきた「改革」には無神経さと押しつけがましさがあり、「現在の日本の荒廃はそこに根ざす」と断言する筆者が、伊藤千尋著「反米大陸」(集英社新書)について記した以下の文章は深い示唆を含んでいる。

 『「天国からはあまりに遠く、アメリカにはあまりに近い」といわれる中南米の国々は、なぜ次々に反米政権を誕生させているのか。伊藤はその原因を、アメリカの圧力によって進められた新自由主義の経済に求める。ちなみに、私は新自由主義というのはほめすぎで、ジャングルの自由に戻す旧自由主義だと断罪しているが、いずれにせよ、規制緩和、民営化、そして外資の導入などが主な政策で、その最初の実験場となったのが中南米だったのである』(P.178)

 「規制緩和、民営化、そして外資の導入」といえば、まさしく小泉・竹中が血道をあげて進めてきた「改革」であり、その結果たる現在の日本の状況は、市場原理を過信した自由化や規制緩和がもたらした負の累積効果と苦闘するラテンアメリカの姿と見事にオーバーラップしている。だが、日本には相変わらず親米政権が維持されているのは、いくら不況下とは言え、中南米諸国と比べれば、はるかに経済水準(生活水準)が高いからなのだろうか?小泉・竹中「改革」の負の遺産が、アメリカからの圧力によるものであるのなら、現在の混迷する社会状況から反米の機運が高まってもよさそうなのに、まったくそうならないのは、不思議な気がする・・。(国民に実態があまり知らされていないのも事実であるように思う)
 だが、本書を読んで一番感じたのは、佐高信はどうしてここまで辛辣な言葉を重ねることができるのか、という疑問である。もちろんこの国を憂いての発言なのだろうが、そこまで筆者を揺り動かす原動力はいったい何だろう?気の弱い私などでは、とても言えないような批判を相手が誰であろうと浴びせかけて怯むことがない。その決然たる姿勢はいったいどこからやってくるのか・・。佐高信について詳しくない私では想像すらできないから、しばらくは彼の著書を幾つか読んでみようと思っている。

 
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野暮用

 広辞苑いわく、
「野暮用」・・取り立てて言うほどのものでない、つまらない用事。
       趣味や遊びに関わらない仕事のための用事。
らしいが、昨日私が名古屋まで出かけた用事はまさに後者の「趣味や遊びに関わらない仕事のための用事」だった・・。「何の用事?」と訊かれたって、正直に答えられやしない。粋でいなせな男としてちょっとは知られた男として、こんな野暮な用向きで出掛けたとあっちゃ沽券に関わるというものだ。
 などと戯言を言いたくなるほど、面白くない用事だった。用向きが野暮である以上、あれこれ言い訳したところで野暮に決まっているが、野暮に野暮が重なってしまえば、もうどうしようもない・・。
 
 名古屋の真ん中、栄の地下駐車場に車を停めて、さあ乗り込むか、と地下街をしばらく歩いていたら、ふと携帯を車の中に忘れてきたのに気がついた。家にかかってきた電話は皆私の携帯に転送されるようにしてきたから、携帯がなくては電話に出られない。この年度末の忙しい時期だけに大切な電話がかかってくるかもしれない・・、走って取りに戻った。しかし・・、どこに車を停めたのかまったく覚えていない。地下1階だったのは覚えていたが、はてどのあたりに停めたのか思い出だせない・・、困った。早くしないと地下街に待たせた妻がプリプリ怒り出す。どこだっけ・・。ふと妻が「紫のA・・」と呟いていたのを思い出した。あれは駐車した場所の柱に書かれていた番号だったような・・。そう思ってすぐそばの柱を見たら、ピンクに塗られた上にBと書いてあった。「やっぱりそうだ、紫のAだ!」そう思いついてきょろきょろ見渡したら、あった!紫のA!・・・お陰で、なんとか車まで辿りつくことができた。
 駐車場から走って戻ったら、妻は和服屋に入り込んで店員さんと話し込んでいた。なんだ、焦らなくてもよかったのか・・。ちょっと拍子抜けしたが、後で面倒なことになるよりはずっといい。そこから少し歩いて地上に出たら、目的の場所はすぐに見つかった。
 だが、そこでもまた己の不注意さに情けなくなってしまった・・。そこに来るまでに用意しておかなければならないものが幾つかあったのだが、そのうちの1つを買って来るのを忘れていた。仕方なしにそれが売っている場所を教えてもらって、すぐに買いに出た。買い忘れて来る人が多いのだろう、地図が用意してあって、丁寧に説明してくれたし、さほど離れた所でもなさそうだったので、すぐに見つかるだろうと思っていたのだが・・。横に2ブロック行くはずだと思って小走りに行ったところ、おかしい、見当たらない。この通りにあるはずなんだが、見つからない。変だな・・。妻は待合室のTVで高校野球を見ていたから(しかも試合は妻の贔屓チーム・中京大中京が戦っていた)、しばらくは我を忘れて試合観戦をしているだろうが、早く戻らなくては手続きに時間がかかってしまう。塾を始める時間よりも前に家に着かなきゃいけないからこんな所でグズグズしてはいられない、焦った・・。ちょうど通りの角で弁当を売っている女の人がいたので、「すみませんが」と道を尋ねると、「ああ、そこならあの角を曲がったらありますよ」と親切に教えてくれた。感謝もそこそこに、走っていったが、???、おかしい、ない・・。どうして?
 「あっ、コンビ二だ!」すぐに入っていって、お茶を買いがてらまた場所を訊いた。「すぐそこですよ」と店員さんが指で指したところまで走ったら、あった!ほっとした・・。でも、どうして見つけられなかったんだろう?
 などと首をひねりながら、必要なものを買ってまた元の所に戻った、もちろん走って・・。それからは至ってスムーズに事が運んで、思ったよりも短時間で主目的たる野暮用は終了した。だが、もうへとへと、疲れた・・。でも、もう一踏ん張りして、昼食を食べるために少し離れたデパートまで歩いていった。すると・・。


 案内カウンターに置いてあった「桜パンダ」、私の新しいPCのマウスパッドと同じキャラクターが出迎えてくれた。そのとぼけた風貌を見たら、一瞬疲れを忘れたが、それくらいじゃそれまでに受けたダメージは簡単に払拭できない。ご飯を食べ終わって家路につく頃から、体全体がどよ~~んと重くなり、塾の最中も疲労困憊した感じは抜けなかった。走った影響か、特に足が重い・・。

 まったく困ったもんだ・・・。
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ひげそり

 髭剃りでずっと悩んでいた。私はそれほど髭が濃い男ではないが、人並みに髭は伸びる。一日放置しておくと「汚らしい!」と妻から指摘を受ける。イチローのようにわざと無精ひげを残している人も最近は多いが、髭は私の顔には似合わない。試したことは一度もないが、やたら薄汚く見え、悪印象を周りに与えるだけだと思って、意図的に髭を伸ばしたことはない。
 髭を剃るには子供たちが父の日に買ってくれた電気シェーバーを使っていたのだが、使い方が粗いせいなのか、網の部分が破れてしまい使えなくなってしまった。修理にもって行けばいいものを億劫がっているうちにいつしか埃を被ってしまった。その間は、ずっと安全カミソリを使っていた。が、この安全剃刀というものが全く用をなさない。昔はもっと切れ味が鋭かったはずなのに、近頃のものはどうしてこううまく剃れないのか?色々試してみたがどれもこれも似たり寄ったりだ。

 


 実はここまで書いたのはもう2年以上前のことだ。カミソリの写真も撮って、切れ味の悪いことをタラタラ書き記そうと思っていたはずだが、なぜか途中で放置してしまった。今となってはその理由は判然としないが、安全カミソリではあまりにも髭がうまく剃れないのに業を煮やして、修理してもらおうと一念発起して電動シェーバーを電気店まで持って行ったら、破れた網の部分を取り替えてもらうだけで直ってしまった。余りの簡単さに拍子抜けしてしまい、剃刀をテーマにして記事を書く気力が萎えてしまったような気がする・・。
 それなら何故こんな書きかけの記事を引っ張り出してきたかと言えば、修理して以来ずっと使ってきた電動シェーバーだが、最近また網の部分が破れてしまって、とても髭を剃れる状態ではなくなったからだ。「そう言えば以前にもこんなことがあったなあ・・」と書きかけの記事があったのを思い出して、あちこち探してみたら、やっと見つけることができたので、このまま埋もらせておくのも勿体無い気がして、続きを書いてみようかと思ったのだった。


 これが電動シェーバーの今の状態。手前左の部分の網が破れている。ちょっと前から髭を剃るたびにちくちく痛んではいたが、まさかまた破れるとは思ってもみなかったので、我慢してずっと使っていた。だが、先日あまりに痛いので金網の部分を調べてみたら、横幅1cmくらい網が破れていた。これだけ傷んでいれば放置しておくわけにもいかない。電気店に行って直してもらおう、持って行きさえすれば簡単に直る、それはもう十分承知しているが、あれこれ色々忙しくて、ついつい行きそびれてしまっている・・。
 その合間にも髭は絶えず伸びる。電動シェーバーの代わりにまた安全カミソリを使うようになったが、やはりなかなかうまく剃れない。「使い方が下手なんじゃないの?」と妻は私を詰るが、使い方に上手下手なんてあるとは思えない。私だってあれこれ試してみたが、いかんせん、あまりにも切れ味が悪い。うまく剃れないからついつい力が入ってしまい、思わぬところで擦り傷を作ってしまう。本当に厄介だ・・。どうしてこれほど剃れない物を売っているのか、事情通に聞いてみたい気もする。

 いずれにしても最善の方法は電動シェーバーを電気店にもって行って、修理してもらうことだ。できるだけ早く持っていかないと、私のきれいな顔に切り傷がどんどん増えていってしまいそうだ。それは困る!!
 
 
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失敗から学べ

 長い間塾で受験に携わっていると、毎年悲喜こもごもの結果に一喜一憂する。月曜に発表された公立高校の発表でも、受かってくれたらいいなと期待していた生徒(J君)が、残念なことに不合格となってしまった。その結果を聞いてしばらく言葉を失ったが、すぐに「ああ、やっぱり普段からコツコツ努力することが大切なんだな・・」と当たり前のことが改めて心に浮かんできた。
 J君は勉強も運動も中学校ではリーダー格の生徒であり、友人も多く、誰からも一目置かれる存在であった。と言っても、彼の中学校は市内で最も奥まった所にあり、学力も他校よりも劣ると目されている学校であるから、少しばかり頭の回転がよければ、大した勉強をしなくてもそれなりの成績を取れてしまう。中学入学とともに私の塾に通い始めたJ君は、最初の定期テストで好成績を収めることができたが、それがいつしか慢心に変わってしまい、塾に来て勉強するだけで家庭学習の時間が少なくなってしまった。私は、彼の母親との面談で勉強量の不足を心配する言葉を聞いていたし、定期テストの前にも学校からの課題をこなすことに汲々として、試験勉強らしきものをする時間が徐々に少なくなってきたので、「もっと家でしっかり勉強しろ」「もっと課題を早く済ませて試験対策の勉強が出来るようにしろ」などと口酸っぱく注意してきた。だが、口では反省するそぶりを見せたりするものの、相変わらず試験の前になっても課題をこなすだけの勉強で終わってしまっていた。それでもそこそこの成績を収めることが出来たのが、結局は彼にとっては致命的になってしまった。片田舎では周りの勉強に対する意識も低いため、彼なら大した努力をせずとも、そこそこの成績は収められ、それが彼の心に自分に対する甘さを植え付けてしまい、そこに安住して向上心を失くしてしまった・・。
 私はそんな彼のことを常に憂いて、本当にしつこいくらい、時には言い過ぎかと自分でも思うほど、「心を入れかえなけりゃ、いつか痛い目にあうぞ」と辛辣な言葉を繰り返してきた。だが、3年生になっても、夏休みになっても、冬休みを過ぎても一向に勉強に対する姿勢が改まることはなく、いよいよ受験直前になっても千篇一律、だらだらした勉強ぶりで私をイライラさせ通しだった。公立高校入試の過去問をやり始めても、「今度までにこれだけはやって来いよ」と指示した箇所までやってあったことはほとんどなかった・・。それでも休むことなく塾には通ってきたので、一通りの勉強はし終えたのが、私としてはかなり不満が残った。私立高校は受験した2校とも合格したが、公立高校では果たしてどうだろう?そんな不安は拭えなかった。だが、最後まで笛吹けど踊らず・・。
 公立高校の受験を終えて自己採点結果を聞いた時には、決していい点ではなかったが、何とか合格ラインに達したのではないか、と思った。だが、結果は不合格・・。 「だから言っただろう!!」私は無性に腹が立って仕方がなかったが、もう後の祭り・・。
 発表後、塾にやってきた時はさすがに落胆していた。「この失敗をしっかり受け止めて、自発的に勉強できなかった己の弱さを克服できれば、失敗は十分生かされるから、挫けずに頑張れよ」と声を掛けた私に「はい」といつになく殊勝な返事をした。さすがに可哀相になったが、心を鬼にして、「やはり努力をしない奴は最後に受験の神様に見放されるんだ。ちゃんと勉強していれば、十分合格点はとれたはずだ。本当に残念だ。 だけど、合格した第2志望の高校だって第1志望の学校と同じくらいのレベルなんだから、悔しくて悲しいのはよく分かるけど、出来るだけ早く気持ちを切り替えて、新しい学校で頑張ろうと思わなくちゃいけないぞ」と励ました。私の言葉には思いやりが欠けているとよく妻に批判されるが、私にしか言えないことをきちんと伝えて、彼のこれからの人生に少しでも役立てて欲しいという気持ちで、あえて厳しいことを言った。
 
 「過ちて改めざる是を過ちという」

 論語のこの言葉の通り、失敗することは恥ずかしいことでもないし、失敗が人を大きくしてくれるのも確かだ。肝心なのは失敗から学び、それをこれからの人生にどう生かしていくか、なのだ。15歳のJ君にはこれからいくつも試練が待ち受けているだろう。受験の失敗よりも大きな失敗をするかもしれない。その時に、決して挫けることなく、この失敗から学んだ教訓を生かすようにしてもらいたい。そんな私の思いが彼に伝わってくれたらいいなと思っているが、果たしてどうだろう。




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WBC2連覇!

 日本がWBCを2連覇した。
 

 
team  1  2  3  4  5  6  7  8  9 10  total
 日本  0  0  1  0  0  0  1  1  0  2  5
 韓国  0  0  0  0  1  0  0  1  1  0   3

 朝10時から出かけていた私は、この試合を日本が先制した3回あたりからTVでの実況を見始めた。2試合連続で日本打線が翻弄されてきた韓国の先発投手は球数も多く、これなら早い回で攻略できるのでは、と思っていたが、日本の攻撃に対して要所を締める投球で、日本は追加点を奪えない。1-0のままできた5回裏、絶好調と思われていた岩隈がソロHRを打たれて同点にされる。しかし、気合十分の日本打線は7・8回に1点ずつを上げ3-1、これで勝負あったかなと思ったが、ここからが韓国の強いところだ。8回に1点を返し、9回裏。日本はダルビッシュで逃げ切りを図るも、2つの4ボールで2アウト1・2塁となる。もともとは先発ピッチャーのダルビッシュ、ここを抑えきれず、三遊間を破られ同点、延長に突入。思わず、大きなため息が出てしまう・・。
 しかし、さすが日本。10回先頭打者・内川がヒットで出塁、すかさず稲葉が送りバントを決めると、次打者岩村がヒットでつなぎ1・3塁。ここで代打の川崎に期待がかかるも初球を3塁ファールフライ・・、2アウト。しかし次はイチロー。ここはもうイチローに決めてもらうしかない。岩村が走って2・3塁となり、イチローとの勝負を避ける選択肢もあったが、韓国はそのままイチローと勝負。ドキドキは最高点に達する。イチロー、ファールで粘る。集中した顔がいい。そしてバットが一閃すると、打球はピッチャーの頭を超え、センター前のヒット!!2者が返って5-3、やった!!これでどうだ!!大丈夫だろう、ダルビッシュ!
 しかし、10回裏のダルビッシュは先頭バッターに4ボールを与え、少しいやな感じになる。だが、ここからがダルビッシュの真骨頂。次打者を三振にとると次のバッターは浅いセンターフライ。いよいよあと一人。(9回も2アウトまで来たよな・・)などとチラッと思ったりしたが、ここはダルビッシュの気力の方が打者を圧倒していた。韓国の打者のバットが外角へ鋭く曲がるスライダーに空を切り、三振、ゲームセット!!マウンド上で雄叫びを上げるダルビッシュに向かってナインが集まってくる。イチローが嬉しそうだ。すごいなあ。本当にすごいなあ。。。

  


 などとその後もしばらくTVを見て、原監督やイチロー・岩隈・松坂のインタビューを聞いたが、皆いい顔をしている。「いいなあ、原、こんな場面に立ち会えて・・。」同い年の男としては、かなり羨ましくなるが、やはりこの素晴らしい結果は原が監督だったおかげだと思う。「長島ジャパン」「王ジャパン」「星野ジャパン」と続いてきた日本チームも、星野の凡才によって地に落ちた感もあったが、今回の日本代表は「原ジャパン」などと名乗らなかったのが最大の勝因だったように思う。「侍ジャパン」という安っぽいネーミングは好きではないが、「侍」という日本男児なら誰もが持つ、男らしさを象徴するイメージに、選手全員の士気を集約できたのがよかったのではないだろうか。さらに、原が表にしゃしゃり出ず、コーチ陣も黒子に撤したため、「自分たちの大会」という意識が選手一人一人に浸透し、チームとして一丸になれたのではないだろうか。原の采配がよかったかどうかはよく分からないが、選手を最後まで引っ張って大輪の花を咲かせた力量は素晴らしいものだった。世界一のチームの監督と呼ぶにふさわしい男である。おめでとう!!
 しかし、韓国は本当に強かった。まさに紙一重の違いしかなかった。「北京オリンピック優勝国といっても、日本の敵じゃないだろう」などと気安く考えてい私は、自らの不明を恥じるしかない・・。果たして第3回WBCが開かれるかどうかは定かではないが、開催されたなら、今大会で一敗地にまみれたアメリカや中南米諸国が、日本と韓国を打倒しようと立ち向かってくるはずだ。ワクワクする・・。
 
 松井の出ないWBCなど・・、と思ってはいたものの、大会が始まるとだんだんヒートアップしてきて、第2次ラウンドからは全試合の中継を見てしまった。そして優勝というフィナーレを迎えられたのは最高にうれしいが、松井にもこの喜びを味わってもらいたかったな、などと思わないでもない。まあ、それは言ったらいけないことなんだろうけど・・。

(MVPは松坂が受賞したが、私は内川の活躍はMVP級だったと思っている。今までほとんど知らなかった選手だが、今シーズンは注目していきたい)
 
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表の作り方

 ブログ上で表を作るにはどうしたらいいのか、ずっと知りたいと思っていた。ランキング表や野球のスコアを作っても、必ずどこかにズレが生じて見た目のよくないものになってしまう。今までも調べたことはあったが、「これは!」という方法を見つけられなかった。ところが、先日ひょんなことからブログ上での表の作り方を解説しているページに巡りあって、HTML の入力方法を知ることが出来た。以下に、そこから学んだ「表(テーブル)の作り方」を記してみる。(<>はすべて<>に直すこと)

1.<table>~</table>と、最初と最後を<table>タグで囲みます。「~」にあたるのがテーブルの内容になる。
2.表というのは縦に何マス、横に何マスという風になるので、次は縦のマス目の分だけ<tr>~</tr>を作る。例えば、縦が10マス(10行)ある表を作るには、<tr>~</tr>の部分を10作ることになる。
3.次に横のマス目の分だけ(つまり1行に何マスあるか)、<tr>~</tr>の間に<td>~</td>を埋め込む。例えば2マスの表にするには、一つの<tr>~</tr>の間に<td>~</td>が2つずつ埋め込むことになる。そして<td>~</td>の間に入れるものが、表の中に表示するものとなる。
4.<tr></tr>の部分を増やせば縦のマス目が増え、一つの<tr>~</tr>の中にある<td>~</td>をそれぞれ増やせば、横のマス目を増やすことが出来る。
5.また、<table>の中にborder="1"と入れ、<table border="1">とすると、表の中のマス目を区切る線の太さを示すことになり、この部分を入れないと線のない表になる。
6.さらに、<table>の中にwidth="310"と入れ、<table border="1" width="310">とすると、表の横幅を決めることが出来る。

 文字で書かれてもよく分からないから、実際に「スタンリー・キューブリックの作品年表」というものを見つけたので、その作り方を写しておく。

<table border="1">
<tr><td> 1953年</td><td> 恐怖と欲望</td></tr>
<tr><td> 1956年</td><td> 現金に体を張れ</td></tr>
<tr><td> 1957年</td><td> 突撃</td></tr>
<tr><td> 1960年</td><td> スパルタカス</td></tr>
<tr><td> 1962年</td><td> ロリータ</td></tr>
<tr><td> 1964年</td><td> 博士の異常な愛情</td></tr>
<tr><td> 1968年</td><td> 2001年宇宙の旅</td></tr>
<tr><td> 1971年</td><td> 時計じかけのオレンジ</td></tr>
<tr><td> 1975年</td><td> バリー・リンドン</td></tr>
<tr><td> 1980年</td><td> シャイニング</td></tr>
<tr><td> 1987年</td><td> フルメタル・ジャケット</td></tr>
<tr><td> 1999年</td><td> アイズ・ワイド・シャット</td></tr>
</table>

と入力して<>を<>に直すと、こんな表になる。

 1953年 恐怖と欲望
 1956年 現金に体を張れ
 1957年 突撃
 1960年 スパルタカス
 1962年 ロリータ
 1964年 博士の異常な愛情
 1968年 2001年宇宙の旅
 1971年 時計じかけのオレンジ
 1975年 バリー・リンドン
 1980年 シャイニング
 1987年 フルメタル・ジャケット
 1999年 アイズ・ワイド・シャット


 このやり方で、手元にあった「サンデー毎日」から今年度の高校別・東京大学合格者数ベスト10を表にしてみた(border="3"、width="210"とする)

「2009年度東京大学合格者数ベスト25」
 開成(東京)  130
 筑波大付駒場(東京)   97
 灘(兵庫)   97
 麻布(東京)   71
 桜蔭(東京)   67
 栄光学園(神奈川)   55
 聖光学院(神奈川)   47
 ラ・サール(鹿児島)   47
 東大寺学園(奈良)   43
 岡崎(愛知)   42

 

さらには、WBC決勝のスコアボードを作って、熱戦を記録する用意もしておく。

WBC決勝 日本vs. 韓国
 
team  1  2  3  4  5  6  7  8  9 10  total
 日本  0  0  1  0  0  0  1  1  0  2  5
 韓国  0  0  0  0  1  0  0  1  1  0   3




 
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「レッドクリフ」

 「レッドクリフ」をDVDで見た。土曜から妻は藤原竜也・小栗旬の舞台「ムサシ」を見に行っているため、どうやって日曜を過ごそうか考えていたら、映画館で見そびれていた「レッドクリフ」がDVD化されたのをレンタルして見るのが一番いいかなと思った。だが、私は今まで、DVDをレンタルしたことがない。市内にある TSUTAYA で借りればいいのは分かっているが、会員になどなっていないし、面倒な手続きは煩わしいし・・どうしようか、日曜の午前中逡巡してしまった。だが、せっかくの日曜を有効に過ごす手立てを他には考え付かなかったから、ちょっと頑張ってみようかと、昼過ぎに出かけてみた。
 TSUTAYA に入るのは初めてでもないが、レンタル部門に足を踏み入れたことはなかったので、どうしたらいいのか分からなかった。まず、どこに「レッドクリフ」が置いてあるのか分からなかったので、近くにいた店員さんに尋ねたら、丁寧に案内してくれた。だが、そこでもまた迷ってしまった。パッケージごとカウンターに持っていけばいいのか、中身を取り出して持っていけばいいのか・・、しばらく決めかねていた。たまたま近くにいた人が中身だけをいくつか持っているのが見えたので、たぶんそうすればいいのだろうと判断して、中身を取り出してカウンターに持って行った。
 「会員じゃないんですけど」と係りの女性に告げると、彼女にとってはルーティンなのだろう、淀みなく手続き方法を教えてくれる。申込用紙に必要事項を書いたら、OK、あっという間に会員証ができてしまった。店員さんはそうしなければいけない決まりなのだろう、会員規約をあれこれ説明してくれる。「もういいです、わかりました」と言っても止めない。マニュアル通りにしなければ誰かから怒られるんだろうな、と思って、その後はおとなしく聞いていたが、職務に忠実な日本人の美徳(?)を久しぶりに見たような気がした。
 その帰りに白エビスを買った。日も暮れてないうちから、ビールを飲みながらDVDを見る、もうずっと休みなしで受験と格闘してきた私には、夢のような時間だ。そんな幸せな気持ちをかみしめながら、見た「レッドクリフ」はさすがに大ヒットした映画だけあって、息をのむ迫力に満ちていた・・。

 私と「三国志」については、11月20日の記事に書いたとおり、まったくの門外漢というわけでもない。ただ、横山光輝の三国志が私のすべてであるため、登場人物に対するイメージはどうしても横山版「三国志」に影響されてしまう。「レッドクリフ」に登場する劉備・関羽・張飛の三兄弟についてはほぼイメージ通りであり、さほど違和感は感じなかった。だが、乱世の奸雄・曹操は、私としてはもう少し野心溢れる中にも才気走ったイメージを抱いていたため、少しばかり物足りなさを感じた。
 だが、金城武の孔明はいい。とにかく目がきれいだ。これほどきれいな目をした役者を見たことがない、そんな思いにさせるほど涼やかな眼差しが、希代の軍師にふさわしい。これほどの目ならば、戦いのすべてを見通す知力を備えているのも当然であり、赤壁の戦いを前にしていささかも怯むことなく的確な指示を与え、劉備・孫権同盟軍を勝利に導くだろうと誰もが思える。いつからこんなにすごい役者になったんだろう。(力の入りすぎた中村獅童とは好対照だ)
見終わった今、Part2で赤壁の戦いがどれほどの迫力で描かれるものか、楽しみで仕方ない。もちろん歴史的な事実を扱ったものであるから、その結果は分かっているが、その裏側にうごめく人間模様をどう描いているのか、興味は尽きない。4月10日から公開予定だから万難を排して見に行こうと思っている。
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生茶パンダ

 何かの拍子で手にしたキリン生茶のペットボトル、おまけが付いていた・・。
「ヤバイ!」、直感したが、もう手遅れ、12種類あるマスコットストラップを集めようと決めてしまった。
 「生茶パンダ先生」
いったい何だ、これは?どうしてパンダが先生なのだ?何を教えてくれるって言うんだ?
 疑問は湧いてくるが、そんなものはお構いなしに、せっせとコンビニ通いを始めてしまった。一度に12本、おとな買いをしてしまえば簡単なことだが、そんなことして集めたところで何も楽しくない。足繁くコンビに通って、1つずつ集めていくのが醍醐味ってもんだ。ただ、このパンダ先生のストラップの付いたペットボトルはスーパーでは売っていなかったので、1本98円ではなく、148円払わねばならなかったのは残念だった・・。

  

  

  

  

 生茶は飲むと舌がピリピリすることがよくあったので、余り好きではなかったが、新しくなった生茶はそんなことも感じられず、飲みやすくなった。それを記念してのキャンペーンの一環なのだろうが、パンダの毛の色が茶葉の色をしているのや、すべてのパンダが茶葉を加えているのも、さすがにお茶のおまけだけあって愉快だ。
 でも、こんなに集めていったいどうするの?なんてことは聞かないで欲しい。「集めたいから集めるだけで、他に何も考えていない」って答えたって、「ブログのネタにするつもりでしょう」って言われるのがオチだ。確かにそうかもしれないが、そうじゃないかもしれない。なんだか今回は自分でもよく分からなかった。ただ、集めるうちにこのパンダ先生が可愛らしく見えてきたのは、不思議な気がした。じっと見れば、そんなに可愛くないものね・・。
 でも、せっかく全部集めたので、12種を一気に並べた写真も載せておく。


 ちょっと壮観!!
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