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「殯の森」

 カンヌ国際映画賞で審査員特別大賞「グランプリ」を受賞した、河瀬直美監督の「殯(もがり)の森」をNHK・BShiで見た。映画館上映前の作品がNHKで放送されるのは異例だが、この映画の企画段階からNHKの関連会社が製作協力していたため、NHKが昨年放送権とビデオ化権を購入していて、受賞を記念して放送されるようになったらしい。
 

 100分弱の映画の内容は簡単にまとめられる。「グループホームで暮らす認知症の男性とわが子を亡くした介護士の女性が、男性の妻の墓を探して森の中をさまよう物語」、それだけの話だ。しかし、その底流には「老いと死」というテーマが語られていて、見ようによっては深い味わいを感じ取れる内容になっている。「見ようによって」と言うのは、「そういうテーマが描かれているんだよ」と教えらて見た場合のことであって、何も考えずにぼんやり見ているだけでは、冗長な感じがしないでもない。1つ1つのシーンが長くて間延びするし、なにより認知症の老人と新米の介護士を二人だけで山間の施設から外出させるだろうか、と素朴な疑問が湧いてきた。そんな瑣末なことにこだわるなと言われるかもしれないが、一旦そう思い始めると、これは現実にはありえないだろう、と思ってしまう場面が幾つも出てきて少々見る気が失せた。
 と言うのも、本編が始まる前にNHKが流した、「河瀬監督はドキュメンタリー映画の出身」という短い解説が頭に残っていたからだろう。確かにドキュメンタリータッチで最初のうちは映画を見ている気が余りしなかった。深夜のTVで、ドキュメンタリー番組を見ているような雰囲気で話が進んでいく。淡々としていると言えば言えるし、情緒がないと言えばそうなのかもしれない。こうした映画がカンヌでは評価されるのか、と素人の私は驚いたが、その辺りを映画評論家の北川れい子がうまく解説してくれている。
 
 『「殯の森」は、新人賞「カメラドール」を受賞した「萌の朱雀」に比べても物語性が少なく、登場人物が緑の中をさまようシーンが中心。異国の美しい風景に対する驚きとともに、生と死の哲学的テーマが読み取られたのではないか。最近のカンヌ国際映画祭は、独立系の難解な作品が評価される傾向にあり、受けそうな映画だと思っていた』(中日スポーツより)
 
確かに、森や田畑の緑が美しい。青々とした稲の上を風が吹き過ぎるシーンなど、日本の原風景とも言うべき美しさが描かれている。しかし、生命力にあふれる緑の中で老人たちの姿を見るのは、少々痛々しい気がした。何故これほどまで、老人を横溢する生と対照する必要があるのだろうか。老人には老人にふさわしい命の輝きというものがあるのだから、それを圧倒するような生命力を私たちに見せ付けて何を伝えようとしているのかよく分からない。などと、繰り返される緑の演出についつい文句をいいたくなってしまった。
 なんだか納得いかないまま最後まで見終えたが、映画の最後に「殯(もがり)」という言葉の意味、「敬う人の死を惜しみ、しのぶ時間のときのこと」が画面に映し出されたときにやっと合点がいった。この映画は、「殯」という言葉の意味を忠実に映像化したものではないだろうか。33年前に亡くなった妻への老人の愛惜と、自分の落ち度で亡くしたと思い込む介護士の息子への思慕に一つの区切りをつけるための心のさまよいを描いたものなのかもしれない、そう思った。そうでなければ、やっとの思いで亡き妻の墓を見つけ出した老人に向かって介護士が言った「ありがとう」の意味が分からなくなってしまう・・。
 
 でも、映画ってこんなに考えて見なければいけないものなのだろうか。こんな小難しいことなど一切考えずに画面を見ているだけで楽しかった、日曜の夜に見た「パイレーツ・オブ・カリビアン」の方が私向きの映画であることは言うまでもない。
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おやつカンパニー

 「おやつカンパニーって知ってる?」
妻がいきなり訊いてきた。
 「ああ、ベビースターラーメンを作ってる会社だろう」
 「うん、そう。そのおやつカンパニーがずっとストスマ(ラジオ番組「STOP THE SMAP」文化放送をキーステーションに月~金曜日まで放送)のスポンサーをやってたのに、今年になってスポンサーを降りちゃったの。それからはスポンサーなしで放送してるんだけど、ナイターが時間延長するとスポンサーがついてないから 休みになっちゃう。おやつカンパニーがスポンサーだった頃はどんなに遅くなっても必ず放送してたのに・・。どうしておやつカンパニーがスポンサー続けてくれないのよ、と思ってHPに行ってちょっと調べてみたら、去年の売り上げが前の年より13億円も減ってるの。大きな会社でも急にそんなに売り上げがガタッと落ちることがあるもんだなってビックリしちゃった。それが原因でスポンサー降りちゃったのかなあ」
ことSMAPに関しては飽くなき探究心を見せる妻であるが、この話はSMAPの枠を超えてわが国の経済情勢の分析にまで発展しそうで、なかなか面白い。
 「そんなに売り上げが落ちてるってことは、ベビースターラーメンが売れなくなったってことなのかな」
 「よく分からないけど、スーパーで今もベビースターラーメンが売られてるかどうか調べてみるのもいいかもね」
私も実際にどんな様子なのかを知りたくなって、よく行くスーパーに出かけてみた。するといろんな種類のベビースターラーメンが売られていた。 

  

 

ベビースターラーメンの基本的な味は守りながら、手を変え品を変えながら売ろうとする企業努力には驚く。どっさりもらった野菜を、色んな料理に加工して家族に飽きが来ないようにしながら全部食べてもらおうとする主婦の努力にも似て、感動さえする品揃えだ。さらにはこんなこんなお菓子もおやつカンパニーは販売している。


これだけのラインナップを揃えながらどうして売り上げが激減などするのだろう。消費者のニーズに応え切れていないのだろうか。
 などと偉そうなことを言う私だが、実は今までベビースターラーメンというものを食べたことがない。何故だか食べる気が起こらない。インスタントラーメンは大好物だが、乾麺を湯でほぐさず、そのままパリパリ齧るというのにどうしてか根強い抵抗を感じる。同じような感じのチキンラーメンなら湯を掛けて通常のラーメンにすれば食べられる。ただ、学生時代に下宿の片隅で一人で食べた寂しさがよみがえってくるので、今は余り食べたいとは思わない。変なこだわりばかりが増えてきて時々困ってしまうが、いやなものは仕方ない。
 
 売り上げが落ちたことがスポンサーを降板した直接の理由かどうかは分からない。しかし、おやつカンパニーのHPをのぞいてみるとお菓子作りに賭ける会社の真摯な姿勢が伝わってくるし、根強いファンも全国にたくさんいるだろうから、きっと業績は回復するはずだ。是非またストスマのスポンサーに返り咲いて欲しい。


これは驚きの、ご当地ベビースターラーメンの一覧。すごい!!
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白鵬

 大相撲夏場所で白鵬が15戦全勝優勝を飾ったため、横綱昇進が決定的となった。長く横綱は朝青龍一人だったが、これで東西の横綱が揃うことになり、相撲人気は回復するかもしれない。場所前は稽古不足も懸念されたし、八百長疑惑で揺れていたりもしたから、3度目の挑戦で首尾よく念願を果たせるかどうか、私は少々心配していた。それがここ一年間の挫折や苦悩を乗り越えることで精神的に成長し、しかも結婚・長女誕生と人間的な広がりを経験できたおかげで、心技体の「心」が飛躍的に向上したようで、重圧のかかる今場所を15日間自分の相撲をとりきることができた。誰も文句のつけようのない全勝という成績で横綱昇進が果たせるのは本当に素晴らしいことだと思う。心から祝福したい。
 それに比べて、今場所大きな壁になると公言していた横綱朝青龍の後半の失速は一体どうしたのだろう。朝青龍の稽古不足は毎場所指摘されることであり、千秋楽のTVでは、解説者の舞の海が「もう稽古の貯金は使い果たした。真正面から白鵬とぶつかったら勝てない」と取り組み前に辛辣な予想をしていたが、その通りの結果になってしまった。今まで余りに大関・三役陣が不甲斐なかったために横綱に驕り・慢心が生じていたのは否めないだろう。今場所も初黒星を喫した際に飛び交う座布団を足蹴にしたうえ、怒声を発したと横綱としての品位を疑う行動が物議をかもした。毎度おなじみと言えばいえる醜態だが、こうしたことも含め、自らを見つめ直し、一から出直すくらいの覚悟がなければ朝青龍の時代は終焉を告げるような気がする。強さは誰もが認めるだけに、奮起して欲しいと思う。
 

 東西に横綱が揃うといっても、両横綱ともモンゴル人であることが、大相撲を国技と捉える向きには不満であるようだ。日曜朝のTV番組で関口宏が「以前はハワイ・ハワイの時代がありましたが、今度はモンゴル・モンゴルですね」という内容の発言をしていた。曙・武蔵丸のことを言っているのだろうが、その時には貴乃花や若乃花がいた。彼らがいたからこそ、ハワイ出身の横綱もさほど問題にならなかったように思うが、今は近い将来横綱を望める日本人力士が全く見当たらないというのが不満を募らせる要因であろう。横綱がどこの国の人であろうと構わないと私は思うが、日本人の横綱がずっといないのはやはり寂しい。
 日本との所得格差の大きい国からやってくる外国人力士達はハングリーであり、簡単に帰国できないため相撲に精進し、出世も早いと言われる。それに比べ日本で力士を目指すのは、高校・大学の相撲部出身者ばかりであり、彼らにとっての相撲界は就職先であって、無理せず長く生き残ろうとする傾向が顕著なのだそうだ。長く相撲を取っていればそれなりに給金も増えて来る制度を敷いているため、安定志向の力士が多くなったと言われている。こうした現状では、外国人力士との差はますます開いていくことだろう。かと言って、今の日本社会で安定を求めるのは当然のことだろうから、意識を改革しようとするのもなかなか難しいように思う。
 相撲を格闘技と考えれば、強い者がピラミッドの頂点に君臨するのは当然であり強さが全てだと言ってもいいだろう。しかし、相撲は日本の伝統的な文化の一つであると考えるなら、肉体的な強さだけでなく精神的な強さも要求される。だが、相撲という競技を通して心技体すべての充実を図ろうという考えそのものが、現代の日本社会ではもう時代錯誤なのかもしれない。
 力士にそうしたノスタルジーを追い求めるのは酷かもしれないが、今場所の充実した白鵬を見ていると、彼ならそうした理想に近づけるのではないかと思わせてくれる。更なる精進を望む。
 
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「個人的な愛国心」

 日垣隆著「個人的な愛国心」(角川Oneテーマ21)を読んだ。日垣は1958年生まれで私と同い年だ。彼の著作は少し前に「いい加減にしろよ(笑)」(文藝春秋)を読んで、その中の細木和子に関する一文が何より面白かった。細木のしたたかさを糾弾するのではなく、むしろ楽しんでいるような書きぶりが出色だった。(「知的ストレッチ入門」も読もうと思って買ってきたが、部屋の隅で埃を被っている)
 最近新書をよく読むが、書き手は大きく分けて次の3つに分類できる。
  ①小説家
  ②大学教授などの研究家
  ③評論家ならびにジャーナリスト
①の小説家は、文章はさすがに読み易くて論旨もうまく伝わってくる。しかし、書き下ろしの部分が少なく、内容がつぎはぎだらけで不満を感じるものが時々あるのは残念だ。②の大学教授は論理的な組み立てには秀でているが、机上の空論のように言葉が独り歩きして、現実と遊離しているように思われることがある。その点③のジャーナリストの文は現実に密着した内容が中心となっており、説得力はかなりある。文章に論理性が劣るものがあるのも事実だが、問題意識の高さがそれを補って余りある場合も多く、思わず引き込まれてしまう。
 日垣はジャーナリストの肩書きを持っているから③に入るだろうが、彼の文章はとにかく強い。その強さは怒りのように感じられることさえある。彼が舌鋒鋭く切りつけるのは世の不正であり、理屈の通らないことである。腰抜け野郎である私から見れば、そこまで言って大丈夫なの?とハラハラするくらい己の考えを貫き通す。それは、「私は毎日三冊程度の本を読む。テレビ視聴時間も長い」と言うように、豊富な情報量(それに取材)を論拠としているのは明らかであるが、それ以上に次のような思いが彼の根底にあるからだと思う。

 私は抽象的な「愛国心」なるものにどっぷり浸っておらず、かと言ってインターナショナルな「万国の労働者」でもありません。
 そもそも私には日本を「愛している」という実感はないのですが、「好きな国だ」と思っていますし、生涯を通じて強い関心を抱いています。日本にたくさん希望をもっており、絶望もしていません。    (「あとがき」)

 私は、声高に愛国心を称揚しようとする昨今の政府の方針には強い違和感を感じている。国家主義的な愛国心ではなく、この本の題名となっている「個人的な愛国心」こそが大切なことだと思っている。強制などされず、日本の国土を愛し、家族や友人を愛する気持ちが自然に沸き起こってくることが愛国心の最も純粋な発露であると思う。こうした一人一人の「個人的な愛国心」が強まってこそ、よりよい国が作り出されるはずだ。国という大きな枠組みを維持しようと躍起になるよりも個のレベルでの視点を重視するような施策を為政者たちが心がけない限り、真の意味での愛国心など育たないと思う。現代の日本ではまったくその逆の政治しか行われていないのが悲しい・・。
 
 本書は73編の短文から成り立っている。印象深い文章は幾つかあるが、その中でも一番心に残った文の一部を以下に引用してみる。

 私はこの国にも賢明な長老がたくさん必要だと思っている。
 例えば司馬さんの進言なら、軽薄を通り越して「政局だけが趣味」の小泉純一郎氏も真剣に聞いたのではないか。ないものねだりをしても詮方ないのだが、読売のドン渡邉恒雄氏をも含めて、「一度全てを失った」経験をもつ長老たちの言葉は、しばしば重い。
 黒柳徹子も司馬遼太郎も渡邉恒雄も、おそらく日本を誇りに思いたいに違いないが、お上に媚びておらず、保身のために「言葉を飲み込む」ことを潔しとせず、堂々と説教をする。
 説教が、日本で、今ほど嫌われている時代はない。説教は原理原則に基づき若者を導く営為である。エネルギーと知恵が要る。  (『週刊誌50年、「徹子」30年、司馬さん10年』)

やはり説教ジジイは必要だ。誰にも負けないくらいの説教ができるよう、私はもっと勉強しなければならない。



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ピタゴラ装置

 普段は新しいものには余り興味を示さない私だが、ことブログに関しては新しい知識を得ると試したくなる。一昨日のブログパーツをメニュー画面に貼ることができたのに続いて、YouTube の画像も貼ってみたくなった。しかし、オリジナル画像を投稿してそれをここに貼るには専用の機器もないし、知識もない。そこで、何か面白い映像を見つけてきて貼ってみることにした。どういうのがいいかなと考えをめぐらせているうちに部屋の隅に転がっていた「ピタゴラ装置 DVDブック①」(小学館)に目がとまった。昨年末に買ってきたなり、一度も見たことがなかったが、もしこの映像が YouTube で見つかったら、それを貼り付けてみるのも面白いだろうと思いついた。TV画像を録画したものはチェックが厳しくてすぐに削除されてしまうそうだが、うまい具合に幾つか見つけることができたから貼り付けてみる。(いつまで見られるか分からないが、とりあえず今は見られる)




このピタゴラ装置の映像は、NHK教育の「ピタゴラスイッチ」という番組の1コーナーで放映されている。朝ボーっとTVのチャンネルを回していて、運良く曜日と時間が合えば楽しむことができる。何曜日の何時に放送されているかは知らないが、子どもたちには人気がある番組だ(調べたら、毎週火曜日 午前9:15~9:30、水曜日 午前10:30~10:45 土曜日 午後5:25~5:40に放送されているようだ)。色々変化に富んだコーナーがいくつか用意されているため見ていて飽きない。その中でも、私は「おとうさんスイッチ」という、子どもたちが小さなダンボール箱をコントローラー代わりにして、そこに書かれた動作をお父さんがするというものが好きだ。お父さんが照れながらも忠実に動くところがいい。
 もちろんこの「ピタゴラ装置」も大好きなコーナーである。その発想の豊かさには見るたびに驚いてしまう。私達は感心して見ているだけでいいが、製作者の苦労は相当のもののようだ。ピタゴラ装置を作っているのは慶応大学・佐藤雅彦研究所なのだが、撮影にまつわる苦労話がDVDブックに載っている。

 「今では、撮影のテイク数の多さも現場のスタッフに理解されていますが、始めた当時は、テイク30も超えると、スタジオ内にかなりの緊迫感が走ります。テイク50を超えると、怒りを含んだ空気がスタジオに充満します、一触即発の胃が痛くなるような失敗が続く時間が流れます。テイク70を超えると、緊迫感を通り過ぎ、到達点のないあきらめと嘲笑めいたものまでがかすかに生まれてきます。しかし佐藤研はあきらめません。このピタゴラ装置が番組に入った時のことを考えると、たとえテイクが100を超えようと、成功に向かっていこうという気が起きるのです。」

ピタゴラ装置が毎回あまりにスムーズに動いていくので、番組の裏側にこんな苦労が隠されているなんてことはついぞ考えたことがなかった。素晴らしい完成品を作り上げるにはいくつもの失敗を乗り越えなければならないのはどんな分野でも同じなのだろう。
 そんな苦労とは対極にあるようなのが、「いつもここから」が暢気に行う「アルゴリズム体操」。見るたびに思わず体が動いてしまうのだが、二人の真剣そのものの表情がいい。




「やまだ眼」、ちょっとおもしろい。
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Denim

 竹内まりやのニューアルバム「Denim」が23日に発売された。まりやファンを公言している私ではあるが、不覚にも予約することを忘れていた。はっと気づいたのが発売当日の23日夜、慌ててアマゾンをのぞいたところ、発送まで3~4週間かかると表示されていた。いくらなんでもそんなには待てない、翌日CDショップまで走っていった。ひょっとしたら売り切れかなと心配したが、さすが地方都市、陳列棚に何枚も並べられていた。この町には、発売当日に売り切れになるくらいソフィスティケートされた人間がいないのか、と寂しくなったが、それよりも無事手に入れることができた喜びの方がはるかに大きかった。
 この「Denim」は2001年の「BON APPETIT!」以来6年ぶりのオリジナルアルバムである。その間2003年に「LONGTIME FAVORITES」を発表していたが、カヴァー曲を集めたものであったため、オリジナルアルバムはまさしくファン垂涎の、待望久しいものであった。
 アルバムタイトルについて、竹内まりやは次のように記している。

「人生はまるでデニムのようだと、私は思う。  
 青春をおろしたての真新しいインディゴ・ブルーにたとえるとすると、年を重ね人生が進むにつれて、そのデニムの青は少しずつ風合いを増しながら、さまざまに変化していく。あるときには糸がほつれ、穴が空いたりもする。けれど、歴史とともに素敵に色褪せたその青には、若き日のあのインディゴにはなかった深い味わいが生まれているはずだ。
 私のデニムも、愛したり、笑ったり、悩んだり、泣いたりしながら、いつか私だけの特別な色合いになっていくのだろうか」 

彼女の思いはアルバムを一度聴けばよく分かる。12曲通して聴いて最初に浮かんだ感想は、「ああ、竹内まりやだ」。新しくもないが古くもない。全曲竹内まりやだ。ただ、全ての曲がかなり熟成されていて深みがある。ストレートに感情を表現せずとも、心を伝えることはできるといった奥行きが感じられる。例えば、悲しみを歌った曲でも悲しみだけを歌っているのではなく、悲しみの底から澎湃と湧き出づる希望を歌い綴っているような・・。竹内まりやは1955年生まれであるから今年52歳(私の母が亡くなった歳だ、信じられない・・)、人生の機微を知った者にのみ許される表現力を身につけたように思える。
 中でも私が一番心を打たれた曲は、アルバム最後の「人生の扉」。「春が来るたび ひとつ年を重ね、目に映る景色も 少しずつ変わるよ」と始まるこの曲は自分の年齢を意識した詞になっている。しかし、それはデニムのように年月を重ねることでしか生まれない独自の色合いを楽しんでいる彼女の心境を表しているようで、何度も何度も繰り返し聴いてしまった。
 
I say it's fun to be 20
You say it's great to be 30
And they say it's lovely to be 40
But I feel it's nice to be 50

こうした気持ちがあるからこそ、次のように歌い上げることもできるのだろう。
 
I say it's sad to get weak
You say it's hard to get older
And they say that life has no meaning
But I still believe it's worth living
But I still believe it's worth living

これは竹内まりやがアーティストとしてだけでなく、一個の人間として熟成したことの表れだろう。きっと素敵な年齢の重ね方をしてきたんだな、とまだまだこんな言葉を発することができるような境地に達していない私には羨ましくて仕方がない。
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ブログパーツ

 少し前からgooブログの編集画面に「ブログパーツが利用できるようになります」という告知が出ていた。私は少し前からサイドメニューに「月齢カレンダー」のブログパーツを貼り付けたくてあれこれ研究していたのだが、結局gooブログは Java Scriptに対応していないという理由で設置することはできないことが分かって、かなり落胆していた。なのでこの告知を見つけたときには、これで念願の「月齢カレンダー」が貼れると喜んだが、サービス開始日の24日になって説明を読んでみたら、どうも勝手が違うようだった。記事の中に設置するならば、あらかじめgooブログ側がセキュリティ面で安全と判断した特定ドメインのみを対象として、そのスクリプトの貼りこみ用タグをgooブログ独自の文字列に変換したうえで、それをコピペして貼り付ければでき上がる。しかし、サイドメニューに設置するには「アドバンス会員で且つカスタムテンプレートを選択している」場合のみ許されるという制限がついている。これはセキュリティー対策だと強調してあるから、仕方のないことかもしれない(よく分からないが)。
 私はアドバンス会員であり、このテンプレートも「シンプルカスタム」というものなのでgoo側が提示した条件に合う。そこで念願の「月齢カレンダー」のタグをコピーしてきて試してみた。「編集画面」の「ブログパーツ」をクリックして、タグをgooブログに合うようにするため「変換タグ」の枠内に貼り付けてみた。しかし、「許可されていないタグの構成です」という文字が表示されてしまい、今の段階では設置することは許されていないブログパーツであることが分かった。少々悲しくなったが、どうしようもない。諦めて他のものを幾つか試してみたが、どれも許可されなかった。まだ運用が始まったばかりで利用できるブログパーツはgooが公認したごくわずかなものに限られているようだ。
 このまま止めておこうかとも思ったが、せっかくなので「ディズニーワンダーブログ時計」という公認パーツを設置してみることにした。このところHTML編集画面というものを何度かのぞいたことがあったので、設置方法は案外と簡単だった。
 
 1.「ブログパーツ」ページの変換元タグに、載せたいブログパーツのタグを貼り付け、[gooブログパーツに変換]をクリックする。
 2・「変換完了」ページが表示されたら、変換後の文字列をコピーする。
 3.ブログの「テンプレート編集」ページを開き、HTMLデータの任意の場所に変換後の文字列加え(私の場合、「最新のトラックバック」欄の上に置いてみた)、[変更を保存する]ボタンをクリックして編集を完了する。
 4.意図した箇所にブログパーツが貼れているかプレビューして確認してみる。

この結果は左側のサイドメニュー欄に表れている。ディズニーでは私のブログには可愛すぎて少々不釣合いだ。違和感は感じるが、もう少し色んなブログパーツを利用できるようになるまではこのままにしておこうと思う。
 この新機能によってYouTube の画面を直接貼り付けることも可能になったようだ。また今度試してみたいと思う。ブログの世界も日進月歩であるが、利用者である私がその進歩について行けないのが残念だし無念だ。でも、とぼとぼと牛歩のような速度でも少しずつ進歩して行けたらなと思っている。


ちなみに、「月齢」を設置するためにはMoon Phase のページに行き、「I have read and agree to the following Copyright/Terms of Use:」の□にチェックを入れると、タグが表示されるのでそれをコピペすればできる。
gooブログではではいくらやっても、ここまでが限界だが。

CURRENT MOON
<script language="JavaScript" type="text/javascript">var ccm_cfg = { pth:'http://www.moonmodule.com/cs/', fn:'ccm_v1.swf', lg:'en', hs:1, tc:'FFFFFF', bg:'000000', mc:'', fw:103, fh:151.8, js:0, msp:0 }</script><script language="JavaScript" type="text/javascript" src="http://www.moonmodule.com/cs/ccm_fl.js"></script>




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ジブリ美術館

 先週土曜日、妻と娘は稲垣吾郎の「魔法の万年筆」を観劇するために上京した。その夜は息子のアパートに泊まって、翌日曜日には「三鷹の森ジブリ美術館」を見学してきた。前から行きたかったそうだが、なかなか予約が取れず今回もダメもとで申し込んだところ、運良く予約が取れたのだそうだ。楽しかった記念にと、ロボット兵の写真を撮って送ってくれた。

「天空の城ラピュタ」はジブリの作品の中でも私の一番のお気に入りなので、このロボット兵の写真は気に入っている。
 だが、問題なのはジブリ美術館で買ってきてくれたお土産だ。1つは「空想の空とぶ機械達」というブラスエッチングモデル、もう一つは「トトロぴょんぴょん」というペーパークラフト、どちらも組み立てなければならないものだ。「こういうの好きでしょ?」と妻から渡されたが、正直言って細かい作業は得意ではない。今までこのブログに、プラネタリウムや万華鏡を組み立てた記事を載せたことはあるが余りいい出来ではなかった。しかし、お土産と言われて「出来ませんでした」と言うのも悔しいから一生懸命作ってみた。
 最初に飛行機を組み立ててみた。しかし、何と言っても両翼が5.5cmほどの小さなキットであり、しかも真鍮が柔らかくちょっと力を入れると変形してしまうため作業は難航した。

  

 

本当は、主翼にある細いリブの穴の中に直径0.5mmほどの真鍮の主翼桁というものを左右2本ずつ通さねばならないのだが、何度やっても出来なかったので断念した。こんな作業をうまく出来るのはよっぽどのマニアしかいないだろうと少々腹が立ったが、マニア向けの模型なのかもしれないから、的外れの不満なのかもしれない。だが、それ以外は何とか作り上げて、プラスチック製の箱に入れて飾ってみるとなかなかいい感じである。苦労しただけに完成品(中途半端だが)を眺めるのは気分がいい。
 次にペーパークラフトに挑戦したのだが、こちらは簡単にできるだろうと高をくくっていたら、案外そうではなかった。まず全ての部品を紙から切り取らねばならなかった。ミシン目が入っていてはさみなど使わずにすむと思っていただけに少々骨が折れた。組み立てるのも簡単ではない。うまい具合にのりしろや切れ込みが作られていて、ほおっと感心することも多かったが、その分作業は細かくて厄介だった。

  


これは一体何なのか、作る途中は分からなかったが、完成したものを妻に見せたら、「これと同じようなものが美術館においてあった」と教えてくれた。「中心棒をくるくる回せばアニメみたいに見える」と妻がやって見せてくれた。それほど感心もしなかったが、まあ完成できてよかった。

 そう言えば、この美術館の入場券が洒落ている。アニメのネガが入場券に貼り付けてある。透かしてみると一場面が確かに見える。

 

目を凝らしてみたら、「魔女の宅急便」だ!!

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はしか

 首都圏で大学生を中心にしてはしかが流行していることは半月以上前から知っていた。最初は一校だけだったのが次第に感染が広がり、休校する大学も多くなってきた。いつか息子の通う大学にも流行し始めるのではと心配していたら、21日になって、

「本日 午前11時の段階で学生30人の麻疹(はしか)の感染が確認されました。
 本学としては二次感染を防止することが最優先であると判断し、下記のとおり全面的に休講ならびに出席停止措置をとります。
 1.期間と対象キャンパス
  1)期間 5月21日(月)4時限~5月29日(火)終日
  2)立ち入り禁止キャンパス 全キャンパス
  5) 期間中は、原則として自宅学習とします。

と発表された。はしかの感染力は非常に強く、患者のせきなどで空気感染するといわれている。潜伏期間は10日~12日で、初期は風邪の症状と似ていて医師でも見分けにくいらしい。息子の大学のように学生数が多いところでは、あっという間に蔓延する危険性が高いだろうから、休校という措置は妥当だと言えるだろう。
 息子は生まれてすぐに予防接種をしたため、今まではしかにかかったことはない。母子手帳で確認したから確実なのだろうが、予防接種を打ってあるからといっても安心できないのだそうだ。予防接種を打たずにはしかにかかっていれば、抗体ができて通常は二度とかからないそうだが、予防接種の抗体は弱くて時間が経つと免疫力が薄れてくるらしい。だから、抗体検査をして、弱くなっていれば予防接種をし直さなければならない、と息子がずっとお世話になってきた小児科医に妻が電話して教えてもらった。大学でそうした検査をしてくれるかどうかを調べてみるようにと、妻が息子に連絡した矢先に休校になってしまったので大学に頼ることはできなくなってしまった。こうなったら自分で医療機関に出向くしかないのだが、果たして息子がそんなことをするだろうか、疑問だ。
 月曜の毎日新聞夕刊がこのはしか流行について記事を載せていた。その中に「今までかかった病気の中で一番つらかった」というはしかにかかった大学生のコメントが紹介されていた。以前このブログに書いたが、私も15年ほど前に風疹(三日はしか)にかかってフーフー言ったことがあるから、その気持ちはよく分かる。高熱はでるし、全身が真っ赤になってしまうし、人生最悪の一週間だった。もちろん風疹とはしかは症状が違うし、つらさも違うだろうが、同病相哀れむという気がする。
 しかし、なぜ今大学生の間ではしかが流行したりするのだろう。毎日新聞は、「日本では1976年に定期予防接種が導入された。89年春には、はしか、おたふくかぜ、風疹を予防するためのMMR(新3種混合)ワクチンも導入されたが、副作用で死亡したり重度障害を負うケースが相次いだ。MMRが中止された93年までの4年間は接種率が落ちた。その後は接種が徹底されつつある。」今回のはしかが「当時、接種を控えた世代で流行した可能性はある。」という医師の分析を紹介している。さらに「近年、大きな感染症の流行がなくなり、ウイルスにさらされて免疫を増強する機会が減ったことも原因の一つ」だとしている。タイムリーな記事でなるほどと思った。
 
 大学がとった休校という措置によってはしかの流行が一日も早く収束することを望むだけだが、学生には思わぬ休暇が与えられた。一応は自宅学習をするようにと通達が出ているが、じっとしているような学生は少ないだろう。息子には妻が「帰省すれば」とメールを送ったが、返事が帰って来ないそうだ。電話もしたようだが、つながらないとぼやいていた。だが、それこそ元気で学生生活を楽しんでいる証拠なのだから、とやかく言う筋合いではないのかもしれない。
 でも、やっぱり抗体検査だけはすぐに受けるように言わなければならないだろう。
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ネバーギブアップ

 日曜の朝刊のスポーツ欄の片隅に次の記事を見つけた。
 
19日に、滋賀・皇子山球場で行われた関西学生野球春季リーグ戦で、関大の伊勢慎也(1年・明徳義塾)が京大を相手にリーグ史上27人目となる無安打無得点試合を達成した。今季は既に近大の巽真悟(3年・新宮)が同大戦で、関学大の板戸圭介(3年・関西学院)が京大戦で無安打無得点試合を達成しており、1シーズン3回はリーグ史上初めて。京大は今季2回目の無安打無得点で、これも初。

大学野球は、斉藤祐樹投手が入学した早稲田大学の試合がTV放送されるほど、東京六大学に注目が集まっている。そうした中、関西学生野球のニュースが流されるなんてことは珍しいが、こんな珍記録しか報道されないのも何か寂しい気がする。かと言って、今年巨人に入団してもう既に4勝を上げている金刃投手は、立命館大学の出身であるから、リーグ自体のレベルがさほど低いわけではないだろう。ただただ、京大野球部の力が劣っているに過ぎない、残念ながら。
 京大は、4月に始まった春期リーグ戦を全て戦い終えたので以下にその戦績を載せてみる。
   4/7 vs.近大 0-1 (6安打)
       vs.近大 0-8 (1安打)
   4/18 vs.関学大 0-1 (0安打)
       vs.関学大 0-8 (1安打)
   4/28 vs.同大 2-7(延長11回) (7安打)
       vs.同大 0-8 (3安打)
   5/11 vs.立命大 0-7 (4安打)
       vs.立命大 1-12(5安打)
   5/19 vs.関大 0-3 (0安打)
       vs.関大 3-8 (8安打)

10戦全敗で当然最下位。スコアを見ると、投手陣はそれほど大量失点を重ねているわけではない。得点力が低すぎるからどうしてもこんな成績になってしまうのだろう。10試合で合計得点が6点、1試合平均0.6点しか取れないのだから勝てるはずがない。チーム打率を計算してみたら.114 、これじゃあどうしようもない。ランナーが出ないのだから作戦の立てようがない。
 私が学生だった頃は京滋リーグというものに所属し、細々と試合をしていただけだった。それが1982年のリーグ再編の荒波に飲みこまれて、どういうわけか関西私立の雄と同じリーグに所属するようになってしまったのだから、今日のような成績は当然といえば当然であり、仕方がないのかもしれない。そうした苦しい胸のうちは、野球部のHPにも書かれていた。      

 「京大硬式野球部において野球をするということは、並大抵のことではありません。弊部には推薦制度もありませんし、学校からの補助金もありません。また、部員は全員が苦しい受験勉強を潜り抜けなければならないため、自ずと入部時には肉体的に衰えていることになります。しかし、こういったハンデを背負いながらも、めげることなく恵まれた私学勢に立ち向かい、決して彼らにも負けないような成績を残された方も大勢いらっしゃいます。」

確かに恵まれた環境ではないだろう。だが、そんな中でも野球をやろうとする若者の熱意は十分伝わってくる。高校まで野球でスポットライトを浴びたことのない者たちが、甲子園出場者も多くいるであろう私立大学のチームと同じ土俵に立って勝負しているのだから、並大抵な努力ではないはずだ。彼我の力量の差は如何ともしがたいであろうし、気力で乗り越えられるレベルでもないだろう。だが、どんなに叩きのめされても立ち上がるロッキー・バルボアのように不屈の闘志だけはいつまでも持ち続けて行って欲しい。たとえ、チャンピオンになるチャンスはゼロに等しくとも、戦う姿勢だけは忘れないようにして欲しい。
 
 少し調べて驚いたことは、甲子園球場で試合が行われることだ。「京大に入学して野球部に入れば甲子園で野球ができるよ」などと宣伝したら、進学校の弱小野球部で悔しい思いをしている野球部員が、必死で勉強を始めるかもしれない。そうして少しでも有能な部員が集まれば、ノーヒットノーランを食らうこともなくなるだろうし、リーグ優勝も夢ではなくなるかもしれない。そんな日がいつか来るといいなあ・・。
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