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えっ、今日からなの?

 夕飯のため、9時過ぎに一旦自宅に戻ったところ、妻がPCの前でそわそわしている。何やってんだと思いながら、用意されていた食事を食べ始めたら、こちらに来て『もうアンコールか、3時間、うーん』とうなっている。『どうしたんだ』とたずねると、『コンサート、札幌』と短く答えてまたPCのところに戻っていく。『えっ、夏コンもう始まったのか』とびっくりして聞き返すと、『何回言ったら分かるの、今日の札幌から始まるの』えーっ、そうなのか、来週から始まるんじゃないのか、てっきり間違えていた。『で、何でコンピューターを見てるんだ?』『携帯でライブ会場から様子を送ってくる人がいるの、内緒だけど』ふーん、世の中色んなことをする人がいるもんだとひとしきり感心したが、『札幌行けばよかったのに、何でやめたんだ。行けよって言っただろ』と自分のアリバイを確かめると、『そうだけど、2人分の飛行機代はさすがに・・』どうも娘と行くつもりだったらしいが、予算の関係で断念したとはご愁傷様だった。車をぶつけた責任を取って、修理代を自分で払ったんだから、当然お金はないだろう。それにしても、妻にしてはよく我慢したものだ。
 で、『ライブの感想はどうなの?』『今日は公開リハみたいなもんだから・・』『何だそれ?』『公開リハーサル。みんなが集まってリハーサルなんてなかなかできないから、初日が公開リハで、これからだんだんと変えていくの』『今日の客はそんなのを見せられるのか』『それがいいの、それが見られるのは今日だけだから』とPCから目を離さずに、説明してくれた。本当に何でも知っている。まさしく、SMAP博士だ。さらに、『札幌は明日までで、来週が日産スタジアム』『おお、それに行くのか』『うん、そう、日程くらいちゃんと覚えてよね』と背中を向けたまま憎たらしいことを言う。
 それにしても、夏休み中は彼女とほとんど顔を合わせないし、話をするのも内線電話を通じてという場合が多い。そんなときにたまたま話をすればSMAPの話ばかりといのもなんだか腑に落ちない気がするが、まあ、今年の夏は仕方ないかもしれない。それだけ、彼女も夏コンに気合いを入れているのだろう。
 でもなあ、明日の日曜にどこかへ出かけようかと誘ったのに、『一人ではっぴ着て喜んでればいいじゃない。』と冷たく言われたのには参った。バカヤロウ!と叫びそうになったが、ヤンクスの試合が深夜2時過ぎから始まる、体力は温存せねば、と思い直して、『へへへ』と力ない笑いを返すだけにしておいた。あーあ、馬鹿だよなあ、2人とも。
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BANG ! BANG ! バカンス

 今日、車の中でSMAPの新曲を聴いたが、びっくりした。30超えたおっさん達が歌う歌ではないだろう、コミックバンドでもあるまいし、何でこんな歌を歌うんだと、全く関係ない私でも心配になった。で、早速妻に質問してみた。すると、『あれでいいの。確かに、30過ぎた男が歌う歌じゃないかもしれないけれど、ちょっと前の変なメッセージを込めた歌よりもずっといい。』とこちらの意表をついた返事をした。SMAPなら何でもO.K. という場面も多く見受けられるが、一応批判的精神は忘れずにいるので、彼女のSMAP評はなかなか面白い。私のような全くのSMAP音痴にしてみれば、彼らのよいところ、悪いところを真摯に伝えようとする伝道師のような存在である。(ちなみに、大ヒットした『世界に一つだけの花』は、彼女の一番嫌いな歌である。反戦歌として持ち上げられたのがいたくお気に召さないらしい。たしか、シングルCDは買ってないと思う)
 彼女によれば、SMAPというグループは、ジャニーズ事務所で唯一デビューシングルがチャートで1位を取れなかったグループらしい。デビューした頃が、TVで歌番組が激減していた時期だったので、歌手としてだけでなく、エンターテインメントの分野で自分達を売っていく必要に迫られたお陰で、今日のように、多方面に活躍する彼らが見られるようになったらしい。そうした弛まぬ前進を続けるグループとしてのSMAPを、彼女は愛しているため、彼らの前進を阻むものは徹底的に批判する。その対象は、TV局であったり、ジャニーズ事務所であったりするが、SMAPのメンバー1人1人には決して悪口をはかない。その徹底振りは大したもので、私もヤンキーズ松井を応援する身として、大いに学ばねばならないと思っている。

 ところで、待望のヤンキーズはっぴが届いた。早速私が着てみて、写真に収めた。なにぶん、授業の合間を見計らって急いで撮ったものなので、うまくは撮れていないが、息子の携帯で写したため、画像としてはきれいだと思う。しかし、モデルが・・・よれよれのシャツとズボンは仕事着だから、ということにしておいても、さすがに顔出しまでは勇気が出なかった。着た感じは、すっかり応援団気分になれるから、はっぴの持つ魔力というものも侮れないなと実感した。今週末の、TV観戦には、必ず着用して、たとえ早朝だろうが、深夜だろうが、一人で盛り上がりたいと思う。
 きっと、こういう御バカな気分が、BANG ! BANG ! バカンスなんだろうね。
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『檸檬』

 京都のいる新聞記者の友人が、時々京都発の話題を定期的に記事にして書いていることは以前記したが、その第3弾が2.3日前に夕刊に載っていた。第2弾は(もっと書いているのかもしれないが、私の目に留まった2回目と言う意味で)京都の古い町屋を現代に生かす工夫をレポートしていたが、何とはなしに余り力が入ってないのが行間から読み取れて、読む方としても正直つまらない話題だった。それを受けて、今回は如何に、と興味を持って読み始めたが、なかなか面白かった。
 梶井基次郎の『檸檬』という作品は、実際に読んだことのない人でも、主人公が檸檬を丸善の書棚においておく場面だけは知っているほど、広く人口に膾炙した、珠玉の名作である。その舞台となった丸善が、実は京都の河原町にある丸善であることを知る人は案外と少ない。(かく言う私も、彼のレポートを読むまでは、漠然と東京の丸善だとばかり思っていた。)その川原町の丸善が様々な事情により、閉店されることが決まり、それが公表されて以来、店との別れを惜しむ人々が殺到し、中には書棚に檸檬を置いていく人までも現れるようになったという。
 私はその友人と大学時代はほぼ毎日寝食を共にした仲であり、色々な書店も連れ立って逍遙した記憶があるが、果たして川原町の丸善に一緒に行ったことがあるかどうか覚えていない。しかし、私などより、はるかに多くの書を読み漁っていた彼のことだから、丸善にも何度か立ち寄ったことがあるのだろうか、なかなか思い入れのあるいいレポートだった。8月の『野草を食べる会』の同窓会に彼も出席するだろうから、同席した折に取材での苦労話でもたずねてみたいと思う。
 ところで、梶井基次郎といえば、『桜の樹の下には屍体が埋まっている』と書き、読む者を妖しい世界に誘ってくれるのだが、私には彼の作品よりもむしろ、彼の写真のほうが、はるかに強烈な印象を残している。初めて見たのは中学生のときだったと思うが、それから30年以上たった今でもすぐにその風貌が目に浮かぶほどだ。彼の残した美しい作品と彼の武骨な容姿との間の、余りにも大きなギャップがこれほどまで強い印象を私に与えたのだろう。現代のように、少しでも名が売れると自分の容姿を省みず、やたらメディアに露出してくる者が多いと、梶井ならどうしたんだろうと思いたくもなるが、その姿を想像しただけで笑えてくる。(梶井ファンにははなはだ失礼だが)
 でも、昔の男は今の男ほど、見てくれを意識せずに生きていただろうから、案外平気でTV出演したりするかもしれないなあ。

 願わくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月の頃 (西行 続古今和歌集)
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はっぴ

 今、松井トピをのぞいたら、松井の背番号55を背中にあしらったはっぴが話題になっていた。そのはっぴを売っている京都の会社のHPも紹介されていて(何でこんなものまで知ってるんだろう、あの人は)、ホーム用のピンストライプのはっぴとビジター用の紺色のはっぴとが写真に掲載されていた。私は思わず、ピンストライプの方を衝動買いしそうになったが、ちょッと待て、これなんかバッタモンくさいぞ、と思い直し、もう少し丹念にそのHPを調べてみた。会社の概要や場所などが色々と説明してあったが、その地図を見て、『何だ、ここか!』と思い至った。
 去年は娘が京都に越して1年目だったので、何回か私も京都をたずねた。そのうちのいつだったかは忘れてしまったが、京都駅からタクシーに乗って本願寺の前辺りを通ったときに、妻が『あっ、新撰組のはっぴだ。ここで売ってるのかあ』と、叫んだ。去年は、香取慎吾主演の『新撰組!』が妻の一番のお気に入りで、『組!』関係には敏感になっていた。京都全体もそれにあやかろうと、新撰組を前面に押したてたキャンペーンを張っていたようで、至るところで新撰組関連の催しをやっていた印象があった。だから、そのはっぴの店も便乗商売をしているのかと軽い気持ちで見過ごしてしまったが、今日こんな形で再見するとは思ってもみなかったので、少々驚いた。
 あの店なら、怪しいにしてもまだ大丈夫かなと、勝手に判断して、トピに『ピンストライプのはっぴ購入してみます』と書き込んでしまった。今日はまだ、塾が終わったばかりで、ビールを一滴も飲んではいないから、全くの素面だが、面白そうなことには何故だかすぐに飛びつきたくなってしまう。発散しなければやっていけないようなストレスを抱え込んでいるわけでもないから、こののりのよさは理解に苦しむ。でも、まあ、難しいことはさておいて、早速購入の手続きをしてみようではないか。
 で、無事送られてきた暁には、このブログにその写真を貼って、ニヤニヤ笑ってみるのも一興だと思う。(あ、夏休みだった。今は余りにも自由な時間が少ないので、知らず知らずのうちに、何か面白いことないかなあ、と心のどこかで探してるんだな、きっと)
 
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虹に願いを

 台風一過(小学生の国語のテキストに、「タイフウイッカ」ってどこの一家なのか聞きたいけど馬鹿にされそうな気がして悩む子供の話があった)とまではいかないけれど、夕方雨上がりの空に大きな虹がかかっていた。バスで生徒を送る途中で発見し、思わず携帯の写真に収めたけれど、やっぱりちゃんとは撮れてない。実物はアーチの端から端までがくっきりと見えて、これほどの虹は見た記憶がないほど綺麗だった。漢字の『虹』というのも、何かとらえどころのない虹の性質をよく捉えていると思うが、やはり、フランス語の l'arc en ciel というのが一番視覚に訴える表現だと思う。「空にかかったアーチ」、「ラルクアンシエル」というグループが人気を博しているため、今では日本でもポピュラーな表現になってしまったが、私が初めてこの言葉を知ったときには、素敵な表現だなとフランス語の美しさにうっとりしてしまった。 rainbow もきれいな言葉だと思うが、やはりスケールの大きさから言っても、l'arc en ciel の方が勝っているように思う。勿論、各言語に『虹』を表す語は必ずあるのだから、もっと美しい表現はあるかもしれないが。
 
 私はこの虹を見たとき、思わず願い事をしたら適うのではないかと思った。『星に願いを』とはよく聞く言葉だが、果たして虹が願い事を託す対象物として広く認知されているかどうか、寡聞にして不明ではあるが、とりあえず、祈っておいて損はないだろうぐらいのつもりで、願い事をしてみた。私は、ほんのたまにだが、流れ星を目撃するたびに、必ず心に浮かんだ願いをかけることにしている。時によって、その願いは、塾の生徒が合格するように、であったり、自分がお金持ちになれますようにだったりするのだが、今日心に最初に浮かんだのは、『松井が活躍しますように』。まあ、これは日頃の馬鹿が高じた挙句だと思ったが、その次に浮かんだのが、なんと、『世界が平和になりますように』だった。自分でも思わず、おいおい本気かよ、と突っ込みを入れたくなるほどだったが、事実だからしょうがない。世界を平和にするどころか、我が家の平和を維持していくだけで汲々としている男が大きく出たもんだ、と苦笑いをしながら、それでも少し心が広くなったような気がして、もう一度、虹に向かって祈った。
 『世界が平和になりますように!』  かっこいいじゃん。
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やっと写真が入った

 携帯で撮った写真なので、鮮明ではないのが玉に瑕だが、何とか初めて画像を掲載することができた。モデルは高校生だが、快く引き受けてくれた。彼も3年生だというのに、なかなか勉強に身が入らず、趣味のパソコンで毎日毎晩、私からは想像もできない作業を繰り返し、楽しんでいるらしい。確かに、この間も、プロシキで串にさすってどうやればいいのか、と尋ねたところ、瞬時に解説してくれたから大したものだと思う。(せっかくの説明も、途中から私にはちんぷんかんぷんで適当にお茶を濁して終わってしまったけど)
 18歳になれば、おぼろげなりとも将来の展望は持っていなければならない、などと偉そうなことを書こうとしたけれど、じゃあその頃の自分はどうだったんだ?と自問したら、駄目だ、恥ずかしい、全く何にも考えてなかった。ただ漠然と、大学で文学を学びたいと思っていただけで、それを将来どう生かすかとか、果たして文学とは学ぶ価値があるものかなどとは少しも考えていなかった。そんな甘い考えで、よく受験勉強に耐えられたものだと、今思えば不思議だが、何とかなってしまったのがよかったのか悪かったのか、現在の私を基にして判断するのは難しい。
 暗黒面に落ち込んだベーダー卿を前にして、ああすればよかった、こうすればよかったなどと繰言を重ねても仕方ないから、来し方の反省は後に譲ることにする。
 しかし、このマスクはよくできている。軽いし、何よりも顔を覆う面と頭を覆う面とに別れているため、着脱しやすい。内側でマジックテープで止めるようになっているのでずれることもなく、少しくらい動いても大丈夫だ。昨夜の妻の友人達は今度の、ダンスの発表会にこのマスクをつけて出ようか、などと盛り上がっていたが、それは無理だ。実際かぶってみて分かったことだが、暑い、とにかく暑い。こんなのを被って全身運動をしたらいったいどうなってしまうことやら想像も付かない。
 もし、被ってぶっ倒れたとしても、さすがのPL法も助けてくれないだろうな。このマスクを被ってダンスする人がいるなんてさすがに想定外だよなあ。
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大変だ!

 昨夜、松井トピで私のこのブログのURLが突然貼られて、いったいどうしたものかとしばし頭を悩ました。別ハンで、ブログの宣伝をする人が結構見受けられるので、私もその一人だと思われては、心外の極みとばかり、即刻ブログを閉じようかと思ったが、いかんせん、この3ヶ月ほどで書き溜めた文章が消失してしまうのが忍びず、何かいい方法はないものかと思い悩んだ。全文を印刷すればいいかと思い、やってみたところ、思うように印刷がうまくできない。それなら、ワープロソフトに移植すればいいのかと思い、最近覚えたばかりのコピペで移そうとしたがうまくいかない。(これは全く、私の未熟さによるもので、後でゆっくり試したらできた)半分パニックになりながら、このままブログを閉じるか、掲示板に投稿するのを一切止めにするかの二者択一に迫られた。もう、分からん、明日の朝考えよう、と決心を先延ばしにして眠りについたのだが、やはり気になって、早い時間に目が覚めた。せっかくの日曜なんだから、体力を回復するためにもゆっくり寝ておく必要があるのに、こんなに早く起きてはどうしようもない、とぶつぶつ思いながら、昨夜に思い悩んだことを反芻してみた。
 確かに、宣伝行為にとられるのは私の意に反することだが、しかしブログの持つ性格自体が公開を基としている以上、どういう過程であれ、ある意味、晒し者になる覚悟の上で文を書きとめなければならない、ということに思い至った。ある程度、他人に読んでもらいたい、少なくとも読んでもらってもいいことをあれこれ綴るべき性質のものである以上、今度のことでじたばたしても、それはおかしいのではないか、このまま続けていけばいいのではないか、という結論としてはごく当たり前のことに思い至った。
 そう自らの心の整理が付いたら、何かすっとして、楽な気持ちで一日が過ごせた。妻のSMAPのライブチケットが全て取れた話や、息子がオープンキャンパスで東京方面に出かける話など、鷹揚な心持で聞くことができた。なんだ、大したことないじゃん、と思いながら、夕方から妻の友達と焼肉を楽しんだ。
 ダースベーダーのマスクをかぶり、馬鹿なことをぺちゃくちゃしゃべっているうちに、妻の友人の1人が昨日誕生日だったという話題になった。せっかくの誕生日なのに家族の誰もお祝いをしてくれなかったと嘆く彼女に、もうかなり酔っ払った私、がやっぱり言ってしまった。『それじゃあ、今からお祝いをしよう。ケーキ買ってくるから、何がいい?』ああ、またやっちゃった。格好付けたら自分がしんどいだけだぞ、と思いながら息子の自転車に乗って、はるばると遠くのケーキ屋まで買いに言った。ぜーぜーいいながら帰って来た私が広げたケーキがおいしそうだったので、座にいた人々は皆歓声を上げてくれたのだけれど、本当に疲れた。まあ、車に乗らず、飲酒運転をしなかったのは日頃の私からすれば上出来だったが、ケーキを食べた後、すぐに寝てしまったことから見れば、己の能力を超えた馬鹿をまたやってしまったと、目覚めた今は思う。
 まあ、これはこれでいい運動にはなっただろうけど。
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素足に草履

 ここ10年以上素足に草履で暮らしている。夏も冬も1年中靴下を履かず、素足に草履をつっかけて歩いている。今のように暑い時期は、誰もが素足でサンダル・草履履きなので違和感なく街に溶け込めるが、真冬ともなると、好奇の目どころか、変人扱いさえされる。当たり前だといえば当たり前だ。自分でも、もし他人がそんな格好を真冬にしていたら、変じゃないのと白い目で見ることだろう。冬は寒い、寒いから暖かくしよう、という人間のごく普通の感覚の逆をいっているのだから、変な目で見られても仕方ないだろう。
 そもそも、私がこんないでたちをするようになったきっかけは、子供達が通っていた保育園で、寒さに負けない体、風邪を引きにくい体を作るために、裸足健康法(そんなものがあったかどうか)を取り入れ、希望する園児と父兄に草履の購入を勧める動きがあったことだった。我が家では、まず子供達が草履で生活を始めるようになり、その次に妻も草履を時々はくようになった。私はといえば、何もあんな貧乏くさいものをはかなくても、と尊大な態度で彼らに同調しなかったが、子供達の様子を観察しているうちに、確かに風邪を引く回数が減ったように思え、冬でも素足で元気に走り回っているので、これはやっぱり体にいいんだろうなあ、と思うようになった。私は仕事柄、冬の追い込みの時期に風邪など引いていられぬ身なので、風邪を引かないで済むなら私も試してみようと思い立ち、それが今日まで続いている。
 それ以来、確かに風邪を引くことが少なくなった。引いたとしても、軽くて済んでいるように思える。自分はこんな健康法を実行しているんだと思い込んでいるせいなのかもしれないが、何にせよ、風邪を引かずに冬を乗り切れるならそれに越したことはないので、これからもずっと続けていくつもりだ。
 しかし、困ったことがないでもない。ふだん、足を何も圧迫せずに歩いているので、たまに靴を履いたりすると、すぐにまめができてしまう。また、冠婚葬祭などでやむを得ず、靴下を履かなくてはならなくなると、違和感ですぐに脱ぎたくなってしまう。それに冬の父母面談などのときに、裸足で応対することになり、『冷たくないですか』とよく聞かれる。そのたびに、『まあ健康法の一つですから』と答えるのも一苦労であるが、ちゃんと弁解しておかなければ、変な塾長というイメージを父兄に持たれても困ってしまう。
 自分の信念を通すことはとかく難しい。依怙地になってもいけないし、かと言って、譲れないものは譲りたくない。年をとればとるほど、我儘になっていくものだが、世間との折り合いだけはうまくつけていきたいと思っている。(日和見かな)
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ダースベイダー

 2週間ほど前に、妻の友人2人が加わって、バーベキューを楽しんだことは,ここに書き込んだが、その折、何の話のついでにそうなったかは判然としないが、『スターウオーズ』のダースベイダーのマスクをかぶってみんなで写真を撮ろうということになって、私が酔った勢いでネットショッピングでマスクを3つ頼んでしまった。1つ5,000円以上するものだから、決して安い買い物ではないのだが、最近酔っ払うと見境がなくなってしまうので、まあしょうがないかと、翌日酔いがさめてから思った。楽しければまあいいか、とどこかのTV局のようなことを言ってごまかしてみるが、酔っ払ったときの無分別さには困ったものだ。ホントに反省しなければいけないと思っているが、いざ酔っ払うと何もかも忘れてはしゃいじゃうからどうしようもない。
 まあ、それはそれとして、頼んでおいたマスクが今週の初めに届いた。もう少し時間がかかるような返事だったのだが、案外早くついた。早速1個開いて、その場にいた小学生にかぶってもらった。はじめは恥ずかしそうにしていたが、携帯のカメラでその姿を写したところ、大喜びでポーズをとってくれた。マスクが周知の如く、おどろおどろしいものなので、いくら小さな小学生といえども、不思議と迫力満点に見える。真っ黒で、ピカピカに光っているものだから、余計に威圧感があるのかもしれない。今、手元に携帯がないのでいけないが、できたら、その写真を掲載したいと思う。だが、果たして私にそんな高等テクニックが使えるかどうか。一応、試してはみるけれど・・
 何にしても、私のように全くの文系人間にとって、パソコンを使いこなすことなど、夢のまた夢だし、勘を頼りに毎日操作しているだけだから、体系だった使い方など望むべくもない。このブログに投稿するのでさえ、原稿が出来上がる寸前で、ヘンな箇所をクリックしてしまい、画面が消えたということを何回か繰り返している。そのたびに悔しい思いをしているのだから、対処法を身につけていけばいいと思うが、それがなかなかこの歳ではできない。悔しいけれど、それが現実だ。若い頃のように機転が利かない。
 毎日子供達と接しているので、気だけはいつまでも若い。事実若いのならいいが、若いつもりだけっていうのは見苦しいから、注意しなければいけない。でも、今度の日曜に妻の友人達を呼んで、ダースベーダーのマスクをかぶれば、若いつもりで、きゃあきゃあ弾んじゃうんだろうな、このお調子者は。
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松井の応援

 普段なら、ヤンクスの試合は、開始から終了まで丸々堪能できるのだが、夏休みに入ると午前中からずっと授業があるので、ほとんど見ることができなくなる。途中経過すら、自由に知ることはできないので、結構辛い。中継があるときは必ずビデオに撮るので、塾が終わってからゆっくり観戦することはできるのだが、結果を知ってからの観戦と、生ライブでの観戦とではこちらの気持ちの入りようが違うので、どうしても物足りない。まあ、考えてみれば、日本時間の朝早くから昼ちょっと前までの時間を野球観戦に割くことのできる人の方が少ないわけで、この不完全燃焼さを、日本で松井を応援する者たちは、毎日味わっていることだろう。
 松井を応援する掲示板でも、仕事の合間を縫って投稿、という人もたくさん見受けられる。『仕事を抜けて、・・』とか『仕事中にこっそり・・』という書き込みも少なからずあるので、苦労しながら応援しているんだな、と感心することも多い。そこまでしなくても、と思うほど、松井のプレイ一つ一つに泣き笑いしているのを知ると、実際はどんな人なのか知りたくなってくる。コンピューターの向こうにいて、顔を見たこともない人たちばかりだから、想像してみるしかないのだが、投稿された文だけがその人となりを探る唯一の手がかりなので、じっくり読んでみると、なかなか面白い。普段は冗談ばかりでにぎやかな人が、突然、一本筋の通った硬派な投稿をしてくることもあり、その人に対する認識を改めなければいけないこともよくある。
 『夜目、遠目、笠のうち』と七難隠す要素が述べられているが、掲示板では、アバターがその役割を果たしていると思う。アバターというのは、個人のIDが一目見て分かるように、一人一人がマネキンに自分の好きな服装をさせ、ネット上に自らの分身を絵姿で描き表したものである。私が設定したアバターは坊主頭に眼鏡をかけた、目元のきりりとした和服の男性にしてあるので、私の実像とはかけ離れた印象を与えてしまう虞がある。人間は互いの評価を、見てくれで行っている場合が多いのは明らかだが、掲示板などのように、モニターに映し出されたものしか判断材料がない場合には、いらぬ誤解を受けたり、与えたりするもとにもなるだろうから、常に自戒していなければならないだろう。
 何にしても、PCから広がる世界というのは限りがないだけに、自分の立つ位置というものを常に確認しながら、意図しない方向に流されないよう、注意していかなければならない。
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