毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
えっ?ほんと?
「来年は連休辺りに記念の旅行にでも行かなくちゃね」
などと少し前から話していた。本当に来年が25年だと思っていた。
だが、ちょっと待てよ、と疑念が湧いたのが、毎年結婚記念日に食事に行っている「サンマルク」というレストランで、パンを食べながらとりとめもない話をしていた時。昭和61年生まれの娘が今23才、ならば59年に結婚した私たちは、結婚して23+2=25年経ったことになる・・あれっ?おかしいぞ・・。25年は来年じゃなかったっけ・・。今年が銀婚式?そんなはずはないが・・。
少々狼狽を隠せない私は急いで携帯を取り出した。確か一年前にこのブログで結婚記念日のことを書いたはずだ。それを見れば分かるかもしれない・・。あった・・、ヤバイ・・、「24年」という題名になっている・・。去年が24年目なら今年は25年目だ・・、参ったなあ・・。大失敗だ・・。
「一週間くらい前から、ひょっとしたら25年じゃないかなと思っていたんだけど、計算するのが面倒だったから・・」
などと妻は涼しい顔をしているが、いったいいつ頃から1年狂ってしまったのだろう?・・・・・・う~~~~~ん、分からない・・・。
銀婚式といえば、一組の夫婦にとってはなかなかの重みを持ったイベントだ。結婚して25年間、多少の波風、紆余曲折はあったにせよ、何とかお互い生きながらえて来たわけだから、いわば戦友として労苦を慰めあい、来る年月に備えて新たな契りを結ぶべき時だ。そんな人生の節目の良き日のカウントダウンをよりによって間違えてしまうとは・・・、迂闊にもほどがある。妻がこうしたことには無頓着な女であることくらいは、長い付き合いで分かっているから、私がきちんと覚えていなくてはいけないのに、肝心の私が失念してしまってはお話にならない。「お似合いの夫婦」と言ってしまえばそれまでだが、それにしても間抜けすぎる。こんな能天気なカップルは今時そうはいないだろう、などと開き直るしかないくらい恥ずかしい・・。本当に参った・・。
もし今年が銀婚式の年だとちゃんと把握していたなら、昨日に備えてあれこれ段取りを組んだものを・・、などと考えただけで悔しいが、今更そんなことを言っても仕方がない。さすがに今から銀婚式の記念に旅行に出かけようとしても日程的に無理だ。かと言って、このまま何もしないでいるのも余りに寂しい。そこで、急ごしらえながら少しばかり立案してみた。
*「夏休みを利用して、1泊か2泊の旅行をする」バーンと海外へ、などというのは、子供たちにまだまだお金がかかるから自重しなければ・・。摩周湖には行きたいけど、2泊じゃ無理だよなあ、やっぱり・・。
*「銀婚式記念の写真を、写真館で撮ってもらう」結婚式の写真があるなら、銀婚式の写真があってもいいだろう。だが、「何着て写ればいいの?」という妻に「着物!」と言ったのはいいが、ならば私はスーツでいいのか?
*「銀婚式の披露宴があってもいいかな?」でも、それはただ宴会がしたいだけのような気がする・・。今更「おめでとう」って言われるのも気恥ずかしいから、これはさすがにボツ!!かな?
私は自分の父親と母親が銀婚式を迎えた年に、九州一周の旅をお祝いにプレゼントした。その記憶があるものだから、銀婚式を迎えたら、娘と息子がお祝いしてくれるのではないか、と心密かに期待していた。だが、妻の「あの子達は結婚記念日がいつかなんてことも知らないんじゃないの・・」という一言で目が覚めた。
ないものねだりしても、無理なものは無理・・。とりあえずは、無事25年過ごせたことを妻と寿ぐだけで満足しておこう。
ジャンパー
普通の高校生デヴィッドは、ある日凍結した川に落ち、図書館への瞬間移動を体験した。そして彼はその力を悪用し、銀行から大金を盗み取る。その後、母の失踪から人が変わってしまった父との生活を離れ、ニューヨークで「世界中のどこへでも瞬時に移動できる」という自由を満喫していたデヴィッド。しかし、パラディンというグループの存在と、その組織に自分が追われていることに気づく。そして、偶然出会った同じジャンパーと協力し、何千年も続くというジャンパーとパラディンとの戦いに巻き込まれていく。
これだけの話だが、これだけの話を膨らませていって2時間超の映画を作るのが現代だ。それなのにこの映画はわずか88分、文字通りあっという間に終わってしまった。「ジャンパー」というのが、念じればどこにでも瞬間移動できる特殊能力を持った存在だというのは分かった。しかし、主人公がどうしてそんな能力を持っているのか、また「ジャンパー」を殲滅しようとしている「パラディン」なる組織とは一体何なのか、そんなことは少しも明らかにされない。戦いが小休止して、5歳の時に失踪した母の居所を突き止めたものの、母もパラディンの一人だと分かったところで、唐突に映画はエンディングを迎えてしまった。
「えっ?もう終わり?」
この映画の予告編は劇場で見た覚えがあり、面白そうだな、と思った記憶があるが、見に行かなくて良かった。尻切れトンボというか、さあ、これから面白くなるぞ!と期待した瞬間に終わってしまうのだから、唖然としたのは私だけではないだろう。
「お金を払ってまで見る映画じゃないな・・」
それがこの映画に対する一番の評価だと思う。
だが、TVで見る分にはなかなか面白かった。それは主演が「スターウオーズ・エピソード3」で若き日のダスベーダーを演じたへイデン・クリステンセンだったからだ。私は「エピソード3」を見て、へイデン・クリステンセンが野心溢れる若者を見事に演じていたとの感想をこのブログに記したが、そのときの印象とこの「ジャンパー」の中のデヴィッド役との落差は大きくて、「同じ人物か?」と疑問に思ったほどだった。デイヴィッドは複雑な過去を背負っているように思われるのに、そんなことを微塵も感じさせないほど陰影のない男として描かれている。そんな面白みのない役どころを過不足なく演じられるのものへイデン・クリステンセンの技量なのかもしれない、などと自分でも褒めているのか貶しているのかよく分からない感想をもった。全編中途半端な印象をどうにも拭えない。
そこで私は次のような想像をしてみた。
多分この映画には続編があるのだ、その続編ではジャンパーとパラディンの壮絶な戦いが、デイヴィッドの出生の秘密とも絡ませながら、繰り広げられるのだ。そこでは、へイデン・クリステンセンが「スターウオーズ」で見せたような妄執に満ち満ちた男を演じることになるのだ、絶対そうだ!
これが当たっているのかどうか、そんなことはどちらでも構わないが、もし続編が完成したなら、なるべく早い時期にWOWOWで放送してもらいたい。たぶんお金を払ってまで見たいとは思わないだろうから・・。
でも、ジャンパーが、普通の人間ではとてもいけない所へ瞬間移動する場面は爽快だった。例えば、「ビッグベン」「スフィンクスの頭」etc.・・・
これらはCGじゃないって言われているが、いったいどうやって撮ったんだろう?
パブリックな人
330ページほどの本書を読み終わるのに相当時間がかかった。確か読み始めたのが3月の終わりだったから1ヶ月もかかったことになる。内容が面白くなかったというわけではない。内田先生が聞き役に回って、橋本治の正体不明なところをうまく引き出して、「橋本治って何かすごい」と思わせるのだから、内田先生も相当な手管れだ。そのため、対談集と銘打ってはあるが、実際は「橋本治に対するインタビュー」と呼んだ方がいいかな、と思わないでもなかった。橋本治という怪人物(と今まで私は思っていたが・・)の本当の姿まではとても解明できなかったようにも思うが、たとえ一部なりとも読者に分かる形にまで、橋本治をプロデュースできたのは、やはり内田先生だからこその手腕であると私は思う。
3月の終わりから4月にかけては、塾の新学期と重なって、色々やることがあり、心も落ち着かなかったから、明るいうちは本を読む時間などまるでなく、夜も疲れて布団に入った瞬間に眠ってしまうことが続いて、本書を読み進めることがなかなかできなかった。4月半ば頃になって、少し時間にゆとりができたものの、その頃から歯痛に悩まされて、読書に集中できなかったのも、これほど時間がかかってしまった原因だろう。(それに対談集にありがちな短い言葉の応酬などではなく、じっくりと己の思うことを橋本が述べる場面も多かったので、TVのインタビューを聞いているような手軽さはなかった)
また、私が橋本治という人物をほとんど知らなかったことも読み終えるのに時間がかかった理由かもしれない。「桃尻娘」は知っているが、本を読んだことはなく、映画を見た記憶があるくらいで、私にとって橋本治はほぼ未知の作家であった。いかつい顔は昔から知っているが、実際に彼の作品を読んだことはなく、どちらかと言えば読みたくない部類の作家かな、と勝手に思い込んでいた。しかし、この対談を読んで、橋本治のすごさ--日本の古典文学に通暁し、それをバックボーンとして己が興味を持つことを一貫して追求してきた--を幸いにして体感できた。私には到底真似できそうもない思考回路の持ち主であるが、そんな彼を本書では繰り返し「パブリックな人」と表現している。それは内田先生のみならず、橋本治自身も認めているから、真にパブリックな人なのだろう・・。
内田 橋本さんて、ほんとにパブリックな人ですよね。
橋本 そうなんですよね。プライベートな部分がぜんぜんないんですよ。
内田 なんで社会に対してこんなに責任感があるんだろうって思うんですよ。
橋本 それねー、自分じゃ謎なんですよ、ほんとうに(笑)。 (P.35)
内田 橋本さんってすごくパブリックな人だっていう話をしたじゃないですか。基本的にあんまり「私的なところ」がないんですよね、橋本さんて。ふつうみんあ、自分の根っこみたいなものをすごく信じているじゃないですか。でも、橋本さんて、実は意外に「私的なもの」にこだわっていないんじゃないかなって。(P.188)
橋本 俺はパブリックな人だから自分の仕事の範囲は責任をもってやるけど、それ以外は他人の仕事で他人がやるもんだと思ってる。他人を信用してそこをやらないでいるというのがパブリックでしょう、と。
内田 そうです。僕もまったく同じ意見ですね。
橋本 ときどきなんかやっている人が集まって、「ああ、今までみんなでパブリックの分け合いをやっていたのか。じゃあ、そのまんまでいいじゃないか」と言って、もう一回散るみたいな、俺はそういう離合集散の繰り返しです。(P.228)
「パブリック」という言葉だけで橋本を理解しようとするのは余りにも無謀だろうが、何らかのヒントにはなるように思う。簡単に理解などできる人物でないことだけは、本書を読んでよく分かった。本書の中で私が一番感じ入った次の言葉を読めば、彼の奥行きの深さが感じ取れるのではないだろうか・・。
橋本 (前略)いまは小さな人たちが何か能力を持っていなくちゃいけないんだけど、その能力の使い方を間違えているから、プライドだけ高くなって、統合障害になるみたいな方向にいくだけの話。
やっぱり参加じゃなくて、何かを参考にしなくちゃいけないんですよね。それで、参考にする以上、縁側がないと困るという、そういうものだと思う。人と人の間に微妙な距離を置かない限り、人との関係は深まらない。だから、縁側を作れ、縁側をキープしろという話ですよ。(P.285)
「距離を置かないといい関係ができない」--なんて真理!!
自分の言葉で
しかし、この草の会見以上に私の心を打ったのは、土曜11時から放送された「スマ・ステーション」の冒頭で、司会者の香取慎吾が草の事件に関して謝罪を述べたことである。その日は妻が大阪に藤原竜也・小栗旬の舞台「ムサシ」を見に行って家にいなかったため、生番組で香取が謝罪したのを私が知ったのはネットのニュースを通じてだった。すぐにYouTubeにアップされていた動画を見たが、その真摯で率直な彼の一語一語が私の心の奥底に重く響いた。以下にすべての言葉を写してみる。
「みなさんこんばんは。SMAPの香取慎吾です。
SMAPのメンバーである草剛が、草剛がみなさんに多大なるご迷惑をおかけしたことを、深くお詫び申し上げます。
草剛が、今回してしまったことは、社会人として、社会人として、大人として、絶対に許されることではありません。
草剛は、ぼくにとって、SMAPのメンバーでもあり、一番の親友でもあります。
(15秒あまり絶句)
少しだけですが、昨日の夜、電話で話すことができました。深く、深く、彼は反省していました。その言葉を、ぼくは信じたいと思います。本当に今は…本当に…みなさんに…本当に…みなさんが許していただけるのならば、SMAPに…SMAPに…SMAPに一日でも早く、つよぽんが戻ってくることを…戻ってくることを願っています。
本当に申し訳ございませんでした」
深々と頭を下げる香取はまるで自分が罪を犯したように見えるほどだった。こみ上げてくるものを抑えるために何度も口ごもりながらも、自分の言葉をかみ締めるようにして、謝罪の言葉を視聴者一人一人に訴えかけるようにして語った彼の姿に、思わず目頭が熱くなってしまった。
「慎吾にとって剛は自分なんだなあ」
30過ぎた男が愚かな友人のために心から頭を下げる、普通そんな場面はなかなかないかもしれないが、そんな状況に陥っても何の迷いもなく友人と心を一つにできる、そうした彼らのつながりの強さを改めて見せられたようで、SMAPというグループがここまで大きくなった原動力を見たように思った。
「すごいぞ、SMAP!!」
たとえ拙い言葉しか使えなくても、自分の言葉で自分の思いを伝えようとする切なる心さえあれば、相手にその思いは伝わるものだ。謝罪ばやりの昨今ではあるが、通り一遍の言葉の羅列しか聞いたことがなかった私には、この香取の謝罪には本当に感動した。
京都から帰宅した妻と録画してあった慎吾の言葉を改めて聞いたが、この番組をきっと見ていたはずの草はどれだけ勇気づけられたことだろう。妻は当然の如く号泣していたが、「きっと慎吾が剛を気遣ってくれるから、剛は大丈夫だよ・・」と呻くように言っていた。
草剛、私は君が本当に素晴らしい仲間、ファンを持っていることが心から羨ましい。二度とバカな真似をしないよう大いに反省して、一日も早く元気な姿を見せてくれよ、待ってるぞ!!
いつ削除されるかもしれないけど、一応・・。
藤棚
昨年の花と比べてみようかと写真を撮ってみた。
昨年よりも紫色が濃く見えるのは、小雨が降っていて花の汚れが流されたのとデジカメの性能が去年のものよりずいぶん良くなったせいだろう。また、花房が集まっていた箇所を狙って撮ったものだから、華やかにも見えるが、実際には昨年と同じくらいの花の数で、藤がその勢力を拡大したとは思われない。それでも、また今年も咲いてくれたのは嬉しい限りだ。
全国各地で藤の花が見ごろのようで、先日もラジオで「藤棚を鑑賞してきた」と報告している便りを紹介していた。それを聞いて、昔は祖母の家の庭に藤が咲いて、「藤見」と称して親戚が集まったりしたのを思い出した。ここ10年ほどそんな会が催されたことはないから、あの藤は絶えてしまったのだろうか・・。
昨日塾バスを走らせていたら、今は少子化の影響で休園となっている保育園の運動場の片隅に「藤棚」ができているのを見つけた。
もう休園されて2年以上経つため、誰も手入れをしていないのだろう、つるが延び放題になっていて、「藤棚」などとは呼べないほどだ。門扉が閉ざされているので、敢えてそれを乗り越えて近くまで行くこともできず、望遠で写真を撮った。それでも、きちんと手入れさえすれば見応えがあるだろうな、と思わせるほど見事な花房がたくさん垂れている。最近は林業の担い手が減ったため、森が荒れ放題になってしまい、虫の数が減り、それを食べる野鳥の数も減った、という新聞記事を少し前に読んだが、人間の手が入らなくなった植物は、勝手気ままに枝葉を伸ばせるが、それが果たして植物にとっては良いことなのかどうか、この「藤棚」を見てそう思った・・。
だが、手入れの行き届いた藤棚の下で、初夏の爽やかな風を感じながら、ビールを飲んだらさぞやおいしいだろうな、とも思った。
「藤棚が欲しいな・・」
急にそんな気になった。調べてみたら、あるだなあ、これが・・。
商品名 木製パーゴラ
寸法 W3000×D2500×H3000mm (埋込500mm)
柱:90角(杉材)
柱:芯々 2500×2000mm
材質 天然木(ACQ加圧注入処理)杉材
※ 組立式
※ 受注製作
標準価格 178,000円/台
しかし、いくらなんでもこの値段は高すぎる。これくらいなら古材を集めて適当に組み立てればできそうだ。なんと言っても我が家には、今は農民だが元は大工の父がいるから、アドバイスくらいはしてくれるだろう。でも、そんな簡単なもんじゃないよな、やっぱり・・。
発想の転換(2)
中3生の女の子が私に質問してきた。
「先生、学校の授業で出された問題が分からないんですけど・・」
「おお、見せてみろ。」
夜、A・B・C・Dの3人が吊り橋を渡ろうとしています。でも、夜道なので、渡るときには懐中電灯を使う必要がありますが、懐中電灯は1個しかありません。また吊り橋を同時に渡れるのは2人までで、吊り橋を渡るのにかかる時間はそれぞれ、A=10分、B=5分、C=2分、D=1分だそうです。このとき最短時間で4人全員が渡りきるためには、どういう順番で渡ったらいいでしょうか、答えなさい。
「クイズか・・。こんなの簡単じゃん、まずAとDが一緒に渡って、Dだけ戻ってくる。次にBとDが一緒に渡って、Dだけ戻ってくる。最後にCとDが一緒に渡れば、合計10分+1分+5分+1分+2分=19分かかったことになる。どうだい!!」
などと意気込んで答えたが、結果はあえなく不合格・・。
「最短時間は17分だって教えてもらったんですけど、どういう順番で渡ったらいいのか分からなくて・・。明日答えるように指名されてるんで、教えてください」
「ふ~ん、17分か・・・。ちょっと待ってくれよ、考えてみる」
それからしばらくあーでもないこーでもないと考えてみたが、17分という渡り方が思いつかない。
「途中まで行って、1人をそこに待たしておくとかはダメだよな・・」
「懐中電灯がなければ暗くて渡れないよな、やっぱり・・」
などなど、半ばいちゃもんをつけるようなことも言ったりしたが、どうにも答えが出てこない。う~~~ん、困った・・。
結局、時間内に答えを思いつくことが出来なかったが、生徒の困った顔を見たら、このままにはしておけない。それに質問に答えられないのは塾長としての沽券に関わる。また後でじっくり考えて答えが分かったら電話かメールすると約束した。
だが、正直余り自信はなかった。こうした問題は直感で分からないと正解を導き出すことはなかなか難しい。
「出来なかったら申し訳ないな・・」
と思いながら次の授業の間も、ずっと頭の片隅で考え続けていた。
しかし、やっぱり思いつかない・・。でも、待てよ、こうした場合の打開策は案外簡単に見つかことも経験上分かっている。そのために必要なことは・・、
そうだ、発想の転換だ!!
私はずっと一番時間のかかるAを最初に渡らせるべきだと考え、Aとの組み合わせを色々なパターンで考えていたが、それでは二進も三進も行かなくなってしまった。ならば、思い切ってここは最初にAを渡らせずに、所要時間の短いCとDの二人を渡らせてみたらどうだろう・・・。
すると・・・。
できた!!確かに17分で渡れる!!!何度も確かめてすぐに生徒の携帯に電話してみた。
「できたよ! いい?、今から説明するよ」
まずCとDが一緒に渡って、Dだけ戻ってくる。これで2+1=3分。次にAとBが一緒に渡って、二人の代わりにCが戻ってくる。これで10+2=12分。最後にCとDが一緒に渡れば、全部の合計3分+12分+2分=17分で渡れる!!
「本当だ!!17分だ、すごい!!」
電話の向こうで生徒が大喜びしている。
「ありがとうございます」
「なになに、答えが出てよかったよ。じゃあ、おやすみ」
正攻法だけでなく、時には搦め手から攻めるのも必要なことだなあ・・。
かまたまらーめん
通常は278円の商品が30%引きの194円で売られていた。「卵とあえる汁なしラーメン」で、「用意するのは卵ともやし」と書いてある。売れ残っているということは、おいしくないんだろうな・・と少々イヤな予感もしたが、こんな騒動のあった日は、妻のやることにあれこれ口を挟まないほうが無難なので、おとなしく食べてみることにした。
①沸騰したたっぷりのお湯の中にめん1袋を入れ、ゆっくりほぐしながら8分ゆでる。8分ゆでたら、もやしを入れて一緒にさらに1分ゆでる。
②めんをゆでている間に、器に卵1個を割り入れ、ときほぐす。
③ゆであがった①をざるにあけてしっかり湯を切り、②の器に入れてよくまぜる。
④③に「たれ」1袋を加え、よくまぜてできあがり。
*お好みで、万能ねぎなどを加えてお召し上がり下さい。
・麺は太めのもちもち麺。ほどよいちぢれがたれと卵によくからむ。
・たれは鰹節に鯖節をブレンド。卵とあわせてマイルドな味わい。
と味のポイントが記されていたが、食べてみたらまったくその通り、おいしい。特に鰹の味が良く効いていて、何故これが売れ残り商品になったのかよくわからなかった。確かにラーメンは麺だけでなくスープを楽しむものであるから、ラーメンのつもりで食べると違和感はある。しかし、例えば「ラーメン風パスタ」とでも名づけたらまた違った印象を受けるかもしれない。
意外においしくて拾い物をした気分になれたが、剛ポンのことで頭がいっぱいの妻に感想を求めても、はかばかしい答えが返ってこなかったのは仕方のないことかもしれない。ただ、ポツリと言った言葉にはドキッとした。
「でも、釈放されたらしばらくは謹慎するだろうから、一人になったときが心配・・」
「鴨川ホルモー」
この映画の予告編は、「ヤッターマン」を見に行った時に見た。その時、余りに京大の時計台が綺麗に写っていたので、それだけでも一見の価値があると思った。実際私も去年の夏に京大に行って、構内が私の通っていた頃とはまるで違って、どこもかしこも綺麗になっているのに驚いた。TVドラマ「ガリレオ」では京大吉田キャンパスがロケ地となっていたと聞いたことがあるが、独立法人となった今、大学全体が本当に綺麗になっているから、大きなスクリーンでその雄姿を眺めるだけでも気持ちがいいだろう、と必ず見に行こうと決めていた。それになんと言っても私は万城目学の原作も読んで、その感想をこのブログに記したから、あの素敵な告白のシーンがどう映画化されたのかも知りたいと思った。だが、TVCMを見る限りでは、ホルモーとオニがやたら強調されていたので、私の期待する出来にはなっていないかな、そんな心配も幾ばくかは持っていた。そんな期待と不安が入り混じりながら、映画館に足を運んだが・・。
山田孝之はよかった。時流から半歩か一歩遅れている典型的な冴えない京大生を上手く演じていた。実際に学生の中に混じっても何の違和感なく受け入れられるだろうと思ったほどだ。楠木ふみ役の栗山千明がきれいなのには驚いた。だが、メガネをかけて凡ちゃんと呼ばれていた時の方が、メガネを外しておしゃれをした姿の時よりもきれいに見えたのは何となくおかしかった。
この二人を中心にして、物語はテンポよく進んでいった。「原作を上手く消化した脚本だな」と感心したし、京大青龍会の荒唐無稽さもよく表現されていた。「これは案外面白い映画かも・・」と楽しみながら見ていたが、驚いたことに、思いもかけぬ場面で、余りにも簡単にあの告白の場面になり、通り一遍のよくあるシーンになってしまったので、一気に興味がしぼんでしまった。「えっ、「鴨川ホルモー」の一番の場面はあの告白シーンだろう?!」とがっかりしていたら、後はもう安っぽいSF映画のようになってしまって、急に見る気が失せてしまった・・。「ちょうどいいや・・」などと捨て台詞を吐きながら、落胆のあまりトイレに立ってしまったが、戻ってきても相変わらず、CGを使ったオニの戦いの場面が続いていて、「やはりこの映画はオニの戦いがメインなのかな」と私の心配が現実のものとなってしまい、全身でがっかりしてしまった・・。
それでも、随所に現れた京大付近の映像は、懐かしさもあり、私のような者には一見の価値ありだった。特に「吉田寮」(映画では「百万遍寮」とされていた)の内部が写されていたのには驚いた。私が学生だった当時は、「寮には近づかない方が無難」と暗黙の了解事項があったため、足を踏み入れたことはなかったが、30年前とほとんど雰囲気の変わっていないだろう寮の内部が見られたのには感動すら覚えた。よく撮影できたもんだと、時代の流れを感じたが、私が間違っているかもしれない。
吉田寮はまだ安全だったのかな、熊野寮がやばかったのかな・・。
レッドクリフ2
瑜(周瑜)の武将黄蓋曰く、「操の軍まさに船艦を連ね、首尾相接す。焼いて走らすべきなり」と。すなわち蒙衝(軍船の一種)・闘艦十艘を取り、燥荻・枯柴を載せ、油をその中に載せ、帷幔に裏(つつ)みて、上に旌旗(せいき)を建て、予め走舸(速い船)を備へて、その尾に繋ぐ。先づ書を以って操に遺(おく)り、詐りて降らんと欲すと為す。
時に東南の風急なり。蓋十艘を以って最も前に著(つ)け、中江に帆を挙げ、余船次を以って倶に進む。操の軍皆指さして言ふ、「蓋降る」と。
去ること二里余、同時に火を発す。火烈しく風猛く、船往くこと箭のごとし。北船を焼き尽くし、烟焔天に漲る。人馬溺焼し、死する者甚だ衆し。瑜等軽鋭を率ゐ、雷鼓して大いに進む。北軍大いに壊れ、操走(に)げ還る。
「レッドクリフ2」は、まさにこれだけのことを2時間余の映画にしたものだ。私は昨夜これを見た。先にこの映画をご覧になったゴジ健さんは、少々違和感をもたれたようだが、最近北方謙三の「三国志」を読破されたばかりの氏が私に下さった助言は、『「三国志」の「赤壁の戦い」ではなく、「レッドクリフ」として鑑賞するべきだ』というものであった。私にとっての「三国志」は横山光輝の世界であり、しかも30年近くも前に読んだものであるため、ほとんどと言っていいくらい戦いの経緯を忘れ去っていた。上の「十八史略」さえも、高校生が学校の漢文の授業で配布されたプリントの日本語訳を教えてくれと、言ってきたため初めて読んだものであり、「ああ、赤壁の戦いの概略はこんなものか」と思ったほどである。
したがって、私にとって「赤壁の戦い」はまさに初体験に近いものであったため、かなりの迫力で展開されるこの映画の戦闘シーンには、釘付けになってしまった。闇の中での炎は恐ろしい。業火とも呼ぶべき炎が画面(スクリーンと言わなくちゃ・・)から飛び出してくるような迫力で襲ってきて、私の身をも焦がしてしまいそうだった。途中からはどちらが曹操軍でどちらが孫権軍なのか分からなくなってしまうほど、ぐちゃぐちゃな戦いになってしまったが、そうした肉弾戦が戦いの最後の姿なのかもしれない・・。
だが、正直言って、余りに大勢の「雑兵」(そんな言葉で括られる一人一人の命が可哀相だ)が塵芥のように死んでいくのには嫌気がさしてしまった。勇猛果敢な猛将たちは長く語り継がれるであろうが、ただの捨て駒のように次々と木っ端のように殺されていく何千何万の若者たちの死は、いったいどうやって報われるのだろう。「戦いとはそんなもんさ」と嘯くのは簡単だが、そんなもんだからこそ、戦いは起こしてはならないものなのだ、と死屍累々のシーンを見ながら思った。
しかし、この「レッドクリフ」は、そんな感想を抱かせるための映画ではないだろう。周瑜が戦いの終わった後に、「勝者などいない」と叫ぶのを聞いても、どこか空疎な響きを感じてしまい、感慨を抱かせるには至らなかったのも、息もつかせぬ戦闘シーンを口をポカンと空けたままじっと見ていることを、この映画が要求しているからではないだろうか。確かに、余計なことは考えず、頭と心を空っぽにして見ていられれば、これほど面白い映画はなかなかないかもしれない。各所にちりばめられた逸話も大団円を盛り上げる役目を担っていて、よく練られた物語であると感心した。
その中でも、金城武はやはりいい。自然と語り合い、そこから人間のとるべき道を選び出す孔明の泰然自若たる雰囲気を上手く演じている。総じてパート2の方がパート1よりも出演者がそれぞれの役柄をうまく演じているように感じたが、1・2を通じての金城の孔明は抜きん出ていたように思う。他の金城の映画も見てみたい、そんな気にさせてくれた。
でも見終わったのが夜中の3時(どうして?)だったため、妙に興奮して寝つきが悪かったのは、やはりこの映画の持つパワーに当てられたからだろうな・・。
ひげそり(2)
書いたが、実はあれは私がきちんとひげそりを使っていなかったせいだというのが最近分かった。と言ったところで、T字型の安全カミソリなどどう使ったって大きな違いはない。問題は、私がシェービングクリームなど何もつけず、時には水さえ顔につけることなく、まったくそのままひげそりを肌にあてていたことだったようだ。そのためひげそりの能力を十分引き出せていなかったのだ・・。
妻が私の顔を見るたびに、
「髭を剃れ」
と口うるさく言うので、その度に
「分かってるけど、なかなかうまく剃れないんだよな・・」
と言い訳していたが、2・3日前に妻が
「石鹸かクリームみたいなものを付けたらうまく剃れるんじゃないの?」
と言い出した。そう言えば、今までそんなものを使ったことがなかった。試しに付けてみようかと思ったが、石鹸では何となく心もとない。浴室の洗面台を探してみたら、息子の使っている「GATSBY SHAVING FOAM」と書いてあるものが見つかった。いつからこんなものを使っていたのだろう、と少しばかり感心したが、私の感覚がずれているだけで、こうしたものを使って髭を剃るのが、世間的には当たり前のことなのかもしれない。少し反省しながら早速試してみた。
入れ物を軽く振って、頭のボタンを押すとムース状の細かな白い泡が出てきた。思わず出しすぎてしまったが、両手で伸ばして顎や鼻の下にペタペタくっつけた。確かにすべすべして、「いい感じだな」と思った。すぐにひげそり(もう1・2回使ってかなり剃れなくなってしまったもの)を手にして、顎から剃ってみた。
すっと剃れた。気持ちがいい。すぐに剃り跡を確かめたら、かなりきれいに剃れている。力をまるで込めていなかったし、剃り跡も痛くない。「ほお!!」と感心してどんどん剃ってみた。本当に滑らかに剃れる。剃るたびに泡がひげそりと一体化していくので、剃り具合が良く分かっていい。顎を剃り終えて一旦顔を洗ってみた。鏡で見る限り、剃り残しはないようだ。いい!!
鼻の下も剃ってみた。私は鼻の穴のすぐ下に小さな黒子があって、それを間違ってひげそりで切ってしまったりすると、しばらく血が止まらずに難儀をする。今までそうした失敗を何度も繰り返してきたため、鼻の下の髭を剃るときは慎重になる。いくらクリームをつけて滑らかになっているとは言え、何も考えずにひげそりをあてたら、まずいことになるかもしれない。「慎重に剃らねば」と少しばかり気構えたが、そんな心配など無用だった、するっと剃れてしまった、すごい!!。
一通り剃り終えてから、容器に書いてある効能書きを読んでみた。
・クリーミーな泡が肌に密着、ヒゲを根元から柔らげしっかり深剃り
・スムース成分が肌とカミソリの摩擦を減らし、刃すべりをよくする
・カミツレエキス(保湿成分)配合
ヒゲ剃り後の肌荒れ・カサつきを防ぎ、すこやかに保つ
・クーリング成分配合でスッキリ爽快な使用感
と書いてあった。こうした効能書きを読む場合、普段なら話半分くらいに受け取るようにようにしているが、実際に使ってみて、まさに書いてある通りの使い心地だったのから、「このシェービングフォームは実に優れものだ」と感心した。これで400円。もっと早く知っていたら、あれこれ悩まずに済んだものを・・。
まったく私のやることはこんなことばかりだ。世の中に不便があれば、それを解消するために多くの人が考える。多くの人が考えれば何らかの解決策は出てくるものだ。私がひげそりに感じた不便さなど、今までに多くの人が感じて、それを解消しようと努力してきた結果が、このシェービングフォームというものになったのだ。脈々と受け継がれてきた人間の英知の歴史を垣間見たようで、少々厳粛な思いもしてくるが、ただ自分の愚かさを糊塗しようとしているだけかもしれない・・。
« 前ページ |