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The Boys of Summer

 今日で8月も終わる。暑くてどうしようもなかった夏に、やっと一区切りをつけられるが、私にとっては時間に追われた長い夏休み期間が終わることになる。うだるような暑さの中、ヘロヘロになりながらも今日まで頑張ってきた、当たり前のことだと言ってしまえばそれだけのことだが、自分としてはこの達成感は何とも代えがたいほどの喜びだ。そこで、毎年夏の終わりになると1度は聞きたくなる、Don Henley の "The Boys of Summer" のビデオクリップを YouTube から探してきて、この夏の記念に貼っておくことにする。
(Don Henley は元 Eagles のドラマー、ボーカル)
 いくら塾漬けの単調な毎日であったと言っても、振り返ればそれなりに色々あった。この曲を聴きながら、今年の夏の決算をして、新たな気持ちで9月からの新学期に臨む糧にしよう。

 しかし、かなり疲れた・・。






Nobody on the road
Nobody on the beach
I feel it in the air
The summer's out of reach
Empty lake, empty streets
The sun goes down alone
I'm drivin' by your house
Though I know you're not at home

I can see you-
Your brown skin shinin' in the sun
You got your hair combed back and your sunglasses on, baby
And I can tell you my love for you will still be strong
After the boys of summer have gone

I never will forget those nights
I wonder if it was a dream
Remember how you made me crazy?
Remember how I made you scream
Now I don't understand what happened to our love
But baby when I get you back
I'm gonna show you what I'm made of

I can see you-
Your brown skin shinin' in the sun
I see you walkin' real slow and you're smilin' at everyone
I can tell you my love for you will still be strong
After the boys of summer have gone

Out on the road today, I saw a BLACK FLAG sticker on a Cadillac
A little voice inside my head said, "Don't look back. You can never look back."
I thought I knew what love was
What did I know?
Those days are gone forever
I should just let them go but-

I can see you-
Your brown skin shinin' in the sun
You got that top pulled down and that radio on, baby
And I can tell you my love for you will still be strong
After the boys of summer have gone

I can see you-
Your brown skin shinin' in the sun
You got that hair slicked back and those Wayfarers on, baby
I can tell you my love for you will still be strong
After the boys of summer have gone

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サングラス

 
 これは私の愛用するサングラスだ。愛用といっても、休みのとき、しかもふっと思いついた時にしかかけないから、さほど使っているわけではない。3、4年前、急にサングラスが欲しくなって、レイバンのサングラスに度を入れてもらったのを買った。今では車中に置きっぱなしになっていることが多く、去年などは1度もかけなかった。今年は思い出して1度かけてみたのだが、どういうわけか、このサングラスをかけるといつも、色の着いた世界が現実の世界から遮断されたような不思議な感覚を味わう。耳に入ってくる周りの騒音も心なしか静まって、現実感が希薄になる。車の運転には集中できていいとも言えるが、どこか異空間に入り込んだような感覚に付きまとわれ、途中でいやになって外してしまうことが多い。怪しい感覚だ。
 私が眼鏡をかけ始めたのは大学生になってからだが、しばらくの間はレンズに薄い色を着けていた。「他人に目を見られたくないから」などとふざけたことを言いながら虚勢を張っていたにすぎないが、次第にそれも何だか嫌味に思えてきて、通常のレンズに変えてしまった。有名芸能人でもあるまいし、サングラスで顔を隠す必要などないからそれが当たり前の姿だが、それ以来サングラスの必要を感じずにすごしてきた。それが、ある日突然、衝動買いのように買ってしまったのだから、何か啓示があったのかもしれない。昔は眼鏡越しに色の着いた世界を眺めていても何も違和感を感じなかったのに、今ではどうしてこんな変な感覚に襲われるようになったのだろう、よく分からない。

 サングラスを、昔はよく「色眼鏡」と呼んだものだ。今ではそんな呼び方をする人はほとんどいないだろう。「色眼鏡」には、「色眼鏡でものを見る」といった使い方で、「先入観で物を見る、偏った観察をすることをいう」と辞書には記されているが、この言葉こそ今の私が最も注意しなければならないものだ。
 20年以上も塾をやっていると生徒と少し接すればだいたいの学力が分かってしまう。それがベテランの強みと言えば言えるし、逆に弱点だと言えなくもない。自分が積み上げてきた経験から自分なりのデータを作り上げ、その中から最も適切な指導法を選び出し、成果を上げようと毎日努力している。こういう子には、こういう指導をするのがいいと経験上知っているのは、生徒にも親にも安心感を与えられ、私の強みでもある。自分が長い時間をかけてコツコツと培ってきた実績に自信を持ってはいるが、しかし、それが時として過信になっている場合がないとは言えないだろう。この子ならこの程度できれば十分だ、と自身の経験から勝手に判断してしまい、もっと大きな可能性があるかもしれない生徒の伸びる芽を摘みとっているかもしれない。それこそベテランがはまりやすい陥穽であり、最も警戒しなければならないものだ。
 今までにも私が思いもしなかったほどの学力向上を果たした生徒が何人かいた。私の見込み以上の進歩をしてくれるのはうれしいことだが、それは私の眼力が誤っていたことの表れでもあり、その都度、十把一絡げの勝手な思い込みの危うさを肝に銘じてきた。こうしたことを何度か繰り返し、自分では生徒を極力色眼鏡で見ないように努力しているつもりであるが、ついつい先入観で判断してしまうことがまだまだあるように思う。もちろん、私の思いが図星であることのほうがずっと多いのは確かだが、たとえわずかな確率であっても私の予測を越える可能性はどんな子供にでもあるのだから、常に虚心胆懐を心掛けて生徒に接していかなければならないと、ことあるごとに己を戒めている。

 こうした思いが強くて、近頃はサングラスをかけるのが怖くなっているのかもしれない。

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月食の夜に

 
 皆既月食が見られることは一昨日くらいから聞いて知っていた。しかし、火曜当日の夕方には、雲が空を覆っていて、とても月の姿など拝めそうもなかった。ちょっとがっかりしていたが、9時に授業を終えて外に出たら、雲の切れ間から月がのぞいていた。月齢で言えば満月のはずなのに、見れば確かに右半分が欠けていた。思わず携帯を取り出して写真に収めたが、咄嗟の割にはきれいに撮れたので満足できた。運良く月食の片鱗を見られてなんだか嬉しかったが、実はこの楽しい心持ちは月曜の夜から続いているものだった。というのは・・、
 
25日付の毎日新聞朝刊に面白い脳トレが載っていた。脳トレと言えば川島教授だが、彼が監修したコーナーが毎週土曜日朝刊に掲載されていて、気が付いた時には試してみるようにしている。今回私が注目したのは、パズル形式のもので、その箇所だけを切り取って授業の合間に考えてみた。私はもともと直感で動くほうで、じっくり物事を考えるのは好きではないのだが、近年こうした問題に時間をかけて考えてみる楽しみを覚えて、少しは我慢強さも身に付いたのではないかと思う。だが、今回の問題はなかなかどうして難問だった。結局土曜日には答えが分からなかった。日曜は全く忘れていたが、月曜になって再チャレンジしたところ、ふとした拍子に答えが閃いた。正解発表は次の土曜の朝刊まで待たなければならないが、問題の性質上、自分の出した答えが正解であるのは間違いない。
 答えが分かった今は、しばらく澱んでいた私の頭がすっきり晴れた思いがして、晴れ晴れしい気持ちでいられる。それが月食を見たときにも表れたのかもしれない。そこで、以下にその問題を引用して、このブログを訪れてくださる方々にも、その喜びを共有してもらうことにした。
 
(問い)
次の文字はある法則に従って並んでいます。□に入る文字は何でしょう。
 
(例題)
 S・M・T・□・T・F・S
(答え)
 W(列は日曜から土曜を表す英単語の頭文字。□は水曜日 Wednesday の頭文字)
 
さてここからが本題。

 1.湯・朝・□・江・佐・□・利・□・白・野・小・田

 2.F・M・L・H・□・S・G・H・B・□
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もう?

 市内の東部をバスで走っていたら、びっくりした。稲がもう実っている!!

  

いくらなんでも早すぎるだろう、まだ8月だ。この辺りは毎日バスで通っている。土曜にも通ったが、こんなにも稲穂が垂れてはいなかった。今年の猛暑で稲の生育が早いとラジオで聞いていたが、まさかこんなにも早いとは思ってもみなかった。周り全ての田の生育が早いわけではなく、まだ青々としているところもあるが、それにしても8月に稲刈りができてしまいそうになるなんて、どう考えても早すぎる。もともと亜熱帯性の植物である稲には日光と水が何よりの栄養なのだろうが、こんなところにも今年の猛烈な暑さの影響が表れている。
 私の携帯には毎朝、「天気Plus」というサイトからその日の天気予報を知らせるメールが届く。8月中旬からは、そのメールを開くたびに予想最高気温が35度を超える日ばかりで、うんざりしたものだが、ここ数日はもう何とも思わなくなってしまった。慣れたといってしまえば簡単だが、この暑さで体の芯に残った疲れが秋になってドッと出たりしないだろうか、と少々心配な気もする。その「天気 Plus」の中に夏休み中の最高気温が全て書き込んであるページがある。それを見ると、体の奥から汗がにじみ出てくるような気がするほど、今年の夏が殺人的な猛暑であったことがよく分かる。名古屋では毎年4、5日程度しかない35度を超える酷暑日が27日までに14日間あった。以下に抜き出してみる。

  8月5日 35.4℃   10日 37.2℃   11日 35.7℃ 
   15日 37.3度   16日 39.4℃   17日 38.5℃
   18日 36.9℃   19日 36.7℃   20日 37.5℃
   21日 37.2℃   22日 36.7℃   25日 35.7℃
   26日 36.1℃   27日 35.8℃

これ以外にも、9日・12日・14日・24日は34℃台で、もうほとんど真夏日だ。23日に天気が崩れて29.5℃までしか上がらなかった以外は、8月全て30℃を超えている。本当に暑い日ばかりだった。
 この猛暑の原因などいまさら調べても仕方ないけれど、天気予報士の森田氏のブログには次のように書いてあった。
  ・太平洋高気圧が本州の真上にあり、下降流によって気温が上昇している
  ・下降流が、空気のフタのような役目をし、地上付近(下層)に暑い空気を閉じ込めている。
  ・毎日毎日暑いので、徐々に熱が蓄積されている。
これには「ラニーニャ現象」と呼ばれるものが大きな影響を与えているらしいが、もうそこまでいくとチンプンカンプンになりそうなので、私は「早く涼しくなれ!!」と祈るだけにしておこうと思う。
 その一環としてキリンの「秋味」を飲んでみた。


「麦芽たっぷり1.3本分(当社比)のうまみ。深い味わいと、豊かなコクが秋の味覚と相性抜群」とうたい文句にはあったが、さすがにこれだけ暑くては秋の気分を想像することさえもできない。もう少しひんやりした頃にもう一度飲み直してみようと思っている。

「早く涼しくなれ!」
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長野

 8月最後の日曜日、9月になったらもう休みはなくなるので、どこか遠出をしたくなった。海に行くか山に行くか、少々迷ったが、いつまでも暑い日中を少しでも楽に過ごせるよう山へ行くことにした。と言っても、急な思い付きであるため、細かな目的は定めず、ただ蕎麦を食べに中央高速を走って長野方面に出かけようとだけ決めて出発した。
 子供たちが小さかった頃は年に何度も昼神温泉に日帰りで遊びに行った。中央高速で恵那山トンネルを抜けるとすぐにある園原インターを下りたところにパークランドという施設があり、そこでニジマスやアマゴを釣って焼いて食べるのが楽しくてよく行ったものだ。土地勘と呼べるほどのものではないにせよ、その辺りに行けば蕎麦が食べられるのは分かっていた。ただ今回はちょっと冒険してみようかと、インターをもうひとつ乗り越して飯田で降りることにした。
 しかし、大雑把な性格が早くも災いしてしまった。飯田市街までたどり着いたものの、沿道に蕎麦屋など一軒もない。ちょっと走れば簡単に見つかるものと軽い気持ちでいた私を襲う焦燥感・・。「どうして?飯田には蕎麦屋はないの?」などと何度もぶつぶつ言いながら車を走らせていると、妻が携帯で検索を始めた。そうか、その手があったか!Google 検索には絶大な自信を持つ妻は、あっという間に近辺の蕎麦屋を見つけ出した。その店の電話番号を車のナビに入力したところ、さっそく道路案内を始めてくれた。Good Job!!。ビリー隊長の聞きなれたフレーズを叫びながら、ナビの音声案内に従って行ったら、首尾よく目的の蕎麦屋に着くことができた。(ナビにこれほど感謝したのは初めてだ!)たどり着いたのは「千秋庵」という店。

 

しばらくお預けを食らって空腹の私が注文したのは、「天ざる蕎麦」の大盛り。注文したときに店の人が、「うちの天ざるは温かいおつゆに冷たい蕎麦をつけて召し上がっていただくのですが、よろしいですか?」と聞いてきた。なんだかよく分からなかったが、「はい」と答えたところ、普通のざる蕎麦と、温かい醤油つゆの中にえび天やしいたけ・かまぼこなどの入ったどんぶりとが出てきた。つけ麺のようにして食べたのだが、う~~ん、どうだろう、ざる蕎麦ならやっぱり冷たいつゆでさっぱり食べたかったなあと思った。蕎麦のうま味もさほど感じられず、Google 検索でヒットしたコメントほどの味ではなかった、というのが正直な感想だった。
 お腹が満たされたら、近くの温泉に入りたくなった。飯田からはやはり昼神温泉だ。車をしばらく走らせればすぐに着いたのだが、ここまで来たら以前によく来たパークラドに行ってみようということになった。

  
第3セクターで営業されている施設で、ニジマス・アマゴの釣り池があり、釣った魚はその場で焼いて食べられる。ニジマス3匹とアマゴ1匹を釣り上げて(イワナ3匹は店が用意してくれた)、調理されたものを自分たちで焼いて夕ご飯のおかずに持ち帰ったのだが、時間がたってもおいしく食べられた。
 この後、パークランド近くにある「月川」という温泉宿に立ち寄って、お風呂に入った。


南信州といってもまだまだ日差しは強く、じっとしていても汗ばむ天気だっただけに、温泉につかってさっぱりできたことは心身ともにリラックスできた。露天風呂もあり、入浴後に肌がつるつるしたのは気持ちよかった。
 いろいろ楽しい一日だったが、久しぶりに出会った長野の自然の雄大さは私の心をゆったりさせてくれ、心が随分軽くなった。

  
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慣用句

 中1の夏期講習用の国語のテキストに、次の問題が載っていた。

(問)次の慣用句の(  )にあてはまる言葉を下から選んで答えなさい。
 1.(  )で風を切る。
 2.(  )によりをかける。
 3.手(  )にかける。
 4.歯の(  )もあわない。
 5.足もとから(  )が立つ。 
 6.木で(  )をくくる。
ア.塩  イ.肩  ウ.鼻  エ.腕  オ.根  カ.鳥

選択問題であるため、だいたいの生徒が正解を答えていたが、一人の生徒が私に質問した。
「慣用句の意味がよく分からないので、全部教えてください」
当然の質問なので、私自身の言葉で1つ1つ説明することにした。

1の「肩で風を切る」というのは、「威張っている様子」を表している。今風の言葉を使えば、「チョーシこいてる」ってことになるかな。
2の「腕によりをかける」は、「自分の持っている最高の技を使って最高のものを作り上げること」という意味だ。
3の「手塩にかける」というのは、「一生懸命愛情を注いで子供や弟子などを育てること」を表している。
4の「歯の根もあわない」は、「怖くてガタガタ震えている様子」のこと。もっと簡単に言えば、「めちゃくちゃ恐ろしいものを見たときにビビッて歯がカチカチ鳴っている様子」
5の「足もとから鳥が立つ」というのは、君が野原を歩いていた時に、そこにいた鳥たちが君に気づいて慌てて飛んで逃げる様子を思い浮かべるといい。びっくりするだろ、そんな時は。要するに「意外なことが起こって驚くこと」を表しているんだ。

と、ここまで説明してきて5の意味が本当に正しいかどうか少し不安になった。何となくは分かっているつもりでも、いざ正確な意味を教えてくれと言われると、自分がどれだけいい加減な覚え方をしていたかが分かる。これはちょっとまずいぞ、と思っていたら、6の「木で鼻をくくる」の説明では、もう完全にしどろもどろになってしまった。

木で鼻なんかくくれないだろ、そんな様子を表した言葉で、「なんだかとぼけたような、相手の思いをはぐらかすような・・・う~ん・・的外れな様子・・」を表すと思うんだけど、違うかなあ・・、怪しいなあ・・、ちょっと待っててよ。

などと言いながら、教室に置いてある「三省堂国語辞典」で全ての慣用句の意味を調べてみた。

1.いばって得意そうなようす
2.ふだんよりも、一段とうでまえをあらわそうとする
3.自分が最初からめんどうを見てせわをする
4.寒さやおそろしさのため、歯がかちかち音を立てるほど体がふるえる
5.思いがけないことが、とつぜんおこるようす
6.そっけない態度をとる

1~5までの意味は大きく間違ってはいなかったのでホッとした。しかし、6の意味はかなりの的外れだ。もちろん生徒には辞書を見せながら訂正しておいたが、少々冷や汗ものだった。しかし、私の間違った思い込みを生徒に押し付けておいて知らん振りをしてはならないので、間違いがあれば速やかに訂正しなければならない。自分では分かっているつもりの言葉や事柄であっても、「?」と思う箇所が少しでもあったら、その都度確かめておくことが大事だと痛感した。
 こういった思い込みはきっと他にもたくさんありそうだ。注意しなければならない、反省!!
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百万本のバラ

 NHK・BSは、ヤンキースの試合がないときでも、半ば癖になってチャンネルを合わせてしまうことが多い。はじめはぼんやり見ていても、興味深い番組が放送されていることも多く、しばらく見入ってしまうこともしばしばだ。「世界ふれあい街あるき」という番組もその1つだ。これは、世界中の色んな都市をカメラマンが歩きながら探訪していき、その映像にナレーター(役者から芸人まで各種人物が担当している)が、いかにも自分が歩いているような台詞をかぶせて、その街を紹介してくれる。今まで見た中では、青島やマドリードが特に印象深かったが、少し前に見たリガも興味深かった。ラトビアの都市として、ロシアと歴史的に深いかかわりを持ってきたことが街の各所に表れていて勉強になったが、加藤登紀子の歌として日本では有名な「百万本のバラ」が、ラトビアを発祥の地としていたことが紹介されたときには驚いた。私は、加藤登紀子のオリジナル曲だとばかり思っていたので、意表をつかれたような気がした。
 番組の中では、ラトビアの文化大臣も務めた原曲の作曲家であるライモンズ・パウルス氏がインタビューを受けていた。母娘の悲しい人生を綴るオリジナルの歌詞には、他国に支配され続けてきたラトビアの苦難の歴史が暗示されてるとも言われているが、その原詞を訳したものを探してきた。

  原題:「マーラ(生命と母性を象徴する女神)が与えた人生」
 子どものころ泣かされると 母に寄り添ってなぐさめてもらった
 そんな母は笑みを浮かべてささやいた 
 「マーラは娘に生を与えたけど 幸せをあげ忘れた」
  
 時が経ってもう母はいない 今は一人で生きなくてはならない
 母を思い出して寂しさに駆られると 同じことをつぶやく私がいる
 「マーラは娘に生を与えたけど 幸せをあげ忘れた」

 そんなことはすっかり忘れていたけど ある日突然驚いた
 今度は私の娘が 笑みを浮かべて口ずさんでいる
 「マーラは娘に生を与えたけど 幸せをあげ忘れた」

しかし、少し調べたら、加藤登紀子が訳したのはこの詞をもとにしたのではないらしい。この曲をもとにヴォズネンスキーがロシア語の詞を付け、1982年にロシアの歌手アーラ・プガチョワが歌って大ヒットした「百万本のバラ」の歌詞を日本語に訳したのだそうだ。そのロシア語の歌詞を忠実に訳すと次のようになるという。

  「百万本のバラ」
  一人の画家が住んでいた
  彼は家とカンバスを持っていた
  でも、彼は1人の女優に恋をした
  彼女は花が好きだからと
  彼は絵画も、屋根から丸ごと家を売って金をつくり
  花の海で彩った

  百万、百万、百万本の赤いバラ
  窓から、窓から、窓からあなたは見る
  誰の愛なの、誰の愛なの、誰の愛なの熱心な
  あなたのために彼の人生は花に移った

これを加藤登紀子の訳詞と比べてみると面白い。

  小さな家とキャンパス 他には何もない
  貧しい絵かきが 女優に恋をした
  大好きなあの人に バラの花をあげたい
  ある日街中の バラを買いました 

  百万本のバラの花を 
  あなたに あなたに あなたにあげる
  窓から 窓から見える広場を
  真っ赤なバラでうめつくして

もちろん、曲にのせた日本語としては加藤登紀子の詞が一番だろうが、ラトビア語の原詞は悲しい。他国に支配され続けたラトビアの歴史を暗示するものとして、この曲を聞いた多くのラトビア人の胸を打ったことだろう。加藤登紀子はこうした経緯を知った上で、日本語に訳して歌ったのだろうが、日本でそうした背景を知る者はごくわずかではないだろうか。それとも、この曲が流行した当時にはそうしたデテールまできちんと紹介されていたのだろうか。寡聞にして詳しくはないが、外国の楽曲を紹介する際の難しさを垣間見たようで興味深かった。
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おみやげ(2)

 また今年の夏もどこへも出かけないまま過ぎていく。まあ、それも仕方ないことだから、せめてもの慰めに旅行に出かけた生徒たちが各地で買ってきてくれたお土産を並べて、自分が出かけていった気になってみようかと思う。





 
 ①の「ちんすこうショコラ」は、少々無理な気がした。なにも「ちんすこう」とチョコレートを合体させなくても・・、と思った。生徒に配って私は食べなかったので、どんな味なのか分からないが、食べた者たちはみな「おいしい」と言っていたので、意外にいけるのかもしれない。②の「パックンチョ」は沖縄限定商品。地域限定商品はパッケージを見るだけでも楽しい。
 ③は東京ディズニーランドの「おせんべい」、初めてもらった。④⑤はUSJのクッキー。名古屋からだと大阪は東京までの半分の時間で行けるし、近鉄も使えるので、近年は訪れる生徒が多い。
 ⑥⑦は、大河ドラマ「風林火山」にちなんだものらしい。⑥は妻に渡した。⑦のチーズケーキは包装用紙に武田信玄が描かれているだけで、箱を開けるとどこにでも売っているただのチーズケーキだった。その点⑧の伊勢志摩のクッキーは中身までしっかり伊勢志摩を表していた。
 ⑨⑩は大阪に行った生徒からのもの。吉本新喜劇を見に行った生徒が2人もいて、お笑いの底辺が広がりつつあることを実感した。⑨の綿棒には1本1本大阪弁で占いの言葉が書いてある。「ぼちぼちでんな~」などと書かれていると軽い脱力感に襲われた。⑩は新喜劇出演者の顔を漫画化して描いてあるホワイトボード。なかなかおしゃれだ。
 ⑪はストラップ。左から北海道みやげの「まりもちゃん」、大阪みやげの「タムケン」、沖縄みやげの「オッパインちゃん」。3つとも塾の電話につけてある。⑫は1週間ハワイ旅行に行ってきた生徒からのおみやげ、「GODIVA」のいかにも高そうな包装をされたチョコレートの大きな箱。いい具合に日焼けして帰ってきた生徒を見て、かなり羨ましくなった。
 残念だったのは北海道に行った生徒がくれた、今話題の「白い恋人たち」・・。写真に撮ることを忘れて生徒たちに配ってしまった。写真さえあれば、文句のひとつも言えたかもしれないけど、何の証拠もないから仕方がない。

 こんなにたくさんおみやげを頂けるなんて、やっぱり嬉しい。
 
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OCN

 私のPCが契約しているプロバイダーが9月いっぱいでサービスを停止することは、6月8日の記事に書いたが、新しいプロバイダーとの契約はいろいろ忙しくて時間がとれず、夏休みが終わって落ち着いてからにしようと思っていた。ところが、火曜日に今のプロバイダーから速達が送られてきた。同封してある解約申込書に必要事項を記入して返送しろという督促状のような内容のものだった。9月中に手続きを完了しさえすれば何も不自由はないだろうから焦る必要はないと、高をくくっていたものの、いざこんな書面が送られてくると少々焦る。書類と一緒に、OCNの申し込み用紙も同封されていたので目を通してみた。しかし、私はプロバイダー契約をしたいだけで、IP電話などを利用するつもりは全くないので、そういう場合にはどういうプランで申し込めばいいのか、申込書を読んでもよく分からなかった。やっぱり電話して直接話を聞くのが一番いいだろうな、と思っていたら、偶然その日の夕方に少し時間に余裕ができた。ならばこの機会を利用してあれこれたずねてみようと思い立って電話してみた。音声ガイダンスにしたがって番号を押していったら、サービス担当の女性につながった。
「プロバイダー契約のことでお尋ねしたいのですが」
「はい、こちらで承ります」
「今まで契約していたプロバイダーが9月いっぱいでサービスを停止してしまうのでOCNに変えようと思っているのですが、IP電話とか余分なものはいらなくて、インターネットさえ接続できるようになればいいのですが・・」
「はい、もちろんできます」
「どうすればいいんですか?」
「この電話でお申し込みを受け付けることもできますが」
このまま申し込んでいいのか少し迷ったが、なんだか簡単にできそうなので申し込んでみることに決めた。
「はい、じゃあお願いします」
「では、回線はADSLでしょうか、光でしょうか?」
「光です」
「光にも2種類ございまして・・」
などとサービスの女性の懇切丁寧な説明にしたがって必要事項に答えていったら、あっという間に申し込むことができてしまった。後は送付されてくる書類に銀行の振込先などを記入して返送し、自分で接続すれば契約は完了なのだそうだ。こんなに簡単でいいの?と拍子抜けするくらいだったが、
「ただ今キャンペーン中でございまして、お申し込みいただいた月の間は料金を無料にさせていただいております。ですので、8月中に接続されますと、無料期間が8月いっぱいで終わってしまいますので、接続は9月になってからされますようにお願いいたします」
なんてやさしい人だろう。感激して思わず、
「ありがとうございます、そうします」
と電話口で頭を下げてしまった。
 
 電話を切って、果たして私の力で接続がうまくできるかどうか不安になったが、うまくいかなくても、また電話すればきっと丁寧に教えてくれるはずだ。何という名前の人だったかメモするのは忘れてしまったが、彼女の丁寧な対応が安心感を与えてくれた。
 電話での対応は大切なんだな、と改めて思った。塾の父兄からの電話にも丁寧に答えるようにしなければいけない、と気持ちを引き締めた。
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 塾生を送り終え、市内の東部をバスで走っていたら、不思議な穴を見つけた。公民館の駐車場の奥がちょっとした崖になっていて、そのふもとに穴が開いている。


何だろう?車を降りて近づいてみた。


最初は防空壕かと思った。私の子供の頃は、道から少し離れた山の斜面に防空壕がいくつも掘ってあった。戦後20年近く経っても取り壊されずに残っていたのも不思議な気がするが、私の住む町が実際に空襲に遭ったという話は聞いたことがないので、たぶん一度も使われないまま放置されていたのだろう。
 しかし、この穴はどうも違う。小さすぎる、人一人も入れないだろう。奥をのぞいてみると穴の壁がレンガのようなもので固められていた。
 「そうか!窯だ!陶器を焼く窯だ!」
私の住む市は陶器の町として有名で、窯元(陶器を焼くための窯を持った陶器製造業者)がたくさんある。特に市の東部には昔ながらの茶碗や皿などを作っている、「窯焼き」(窯元の通称)が集まっている。それは町名にも表れていて、「窯町(かまちょう)」「窯元町(かまもとちょう)」「窯神町(かまがみちょう)」などと呼ばれる地域があり、窯が住民の生活と密着したものであったことが分かる。陶芸作家と呼ばれる人々も多いし、陶房やギャラリーを開設している作家もいる。私のように生まれてからずっと住んでいる者にとっては特に魅力のある町だとは思えないが、近年は観光客も多くなり、年に2度ほど東部地区で開かれる「窯めぐり」という窯元を歩いて回る催しも盛んになっている。
 などと書けば、華やいだ町のようにも思われるが、7月24日の記事にも書いたとおり、廃業する窯元が後を絶たないほど、不景気が長く続いている。私の親戚にも「窯焼き」があるが、家族だけで細々と続けて何とか糊口をしのいでいるような状態だ。
 そういう視点で見れば、写真に撮った窯も哀れを誘うが、もうちょっと明るい話をこの窯から想像することはできないだろうか。例えば・・、
 
 この窯が出来上がった頃は、火力はまだ薪であった。燃料設備の跡が何もないから多分そうだろう。それから窯の燃料が薪→石炭→重油→電気と次第に移り変わるにつれて工場も発展を遂げ、こんな旧式の小さな窯だけでは生産がおっつかなくなった。そこで時代に即した近代的な大きな窯が造られ、この窯はいつしか使われなくなったが、工場の礎を成した窯としてその後も残されてきた・・。
 
 などと考えてみれば、この打ち捨てられた窯も、陶器産業の発展期の象徴であったかのような気がしてくるから不思議だ。そう思って、周りを見回してみたが、大きくなったはずの窯元はどこにも見当たらない。ただ夏草に覆われた空き地が広がるだけだ。一度は大きくなった工場も、時代の波にもまれるうちに、いつしか立ち行かなくなってしまい、跡形も残すことなく滅びてしまったのかもしれない・・。今の私の町からはどうにも景気のいい話は思い浮かばない。情けないが、結局は暗い話になってしまう。
 
 時はちょうど夕暮れ、鳴き続けるセミの声の中、「斜陽」という言葉が私の頭をかすめた。
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