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裁判?

裁判官():これからヤモリ三匹(太郎・花子・次郎)に対する暴行の疑いで、被告人・塾長()に対する裁判を開廷いたします。まずは、検察側の証人尋問を行います。
検察官():はい。それでは最初の証人・ヤモリ太郎くんの証人尋問から始めます。太郎くん、あなたが塾長から受けた暴行について証言してください。
ヤモリ太郎():はい。ボクがいつものように夜10時頃、塾の教室の窓に貼り付いてエサの蛾を捕まえようとしていました。すると急に窓が開いて軍手をした塾長の手が伸びてきて、ボクを捕まえました。ボクは驚いてしまって気を失いそうになりましたが、塾長が「やった!捕まえたぞ!」と大声で叫んだものですから、はっと我に返って塾長の方をギロッと睨んでやりました。ボクと目が合った瞬間に塾長は「ギャー!」と奇声を発してボクの体を離したものですから、何とか逃げ出すことができました(気の弱い男です・・)。その際、2階の窓から地面まで落下したので、着地に失敗したボクはしばらく動けませんでした。幸い軽い打撲ですみましたが、あの時の恐怖を今でも忘れられません。なんとか塾長に対して罰を与えてくださいますよう、お願いします。
検察官():塾長の暴挙の一端が明らかにされましたが、まだこれは氷山の一角に過ぎません。次に花子さん、証言を始めてください。
ヤモリ花子():ワタシはあの時のことを思い出すと今でも恐怖で体が震えます。太郎さんが命からがら逃げ出したわずか5分後位だったと思います、ワタシが隣の窓ガラスに止まっていた蛾に狙いを定めていた時に、突然塾長が窓を開け私を捕まえました。2度目なので少し慣れたのか、何のためらいもなくワタシを捕まえました。ワタシは何をされるのか恐ろしくてたまらず、じっと目をつむっていましたが、お腹のあたりに何かが触れるのを感じました。ちょっとくすぐったい気がしてうっすら目を開けてみると、塾長がマジックでワタシのお腹に何か落書きをしているのです。「何するの!」と心の中で叫びましたが、恐ろしくてとても声にはなりません。塾長は何度も上からなぞりながら大きく×印を書きました。これが証拠の写真です。


何の目的があってこんなことをするのか分かりませんが、書き終えると満足そうにワタシを窓の下に戻してくれました。命は助かったとホッとしましたが、油性マジックなので全然消えません。このままでは恥ずかしくてとても出歩けません。ワタシの体をこんなにしてしまった塾長が許せません。厳罰をお願いします。
検察官():本当に無茶なことを・・。怒りがこみ上げてきますが、ここは冷静になって、一番大きな被害に遭われた次郎さん、証言をお願いします。
ヤモリ次郎():ジブンの体を見てください。尻尾が途中で切れております。


言うまでもなく、これも塾長の仕業です。花子さんに×印をつけて、さらに落書きをしたくなったのでしょうか、塾長は窓枠でじっと身を潜めていたジブンを見つけ出して、捕まえようと軍手をはめた手を伸ばしてきました。人間に捕まえられるなんて初めてでしたし、太郎と花子のことも隠れて見ていたので、もう恐ろしくてパニックになってしまいました。思い切り噛み付いてやろうとしましたが、手の動きが早くあっという間に捕まってしまいました。塾長の手の中で、思いっきり体を捻じ曲げて逃げ出そうともがいていたら、ブチッと音がしてジブンの体が急に自由になりました。助かった!と思った瞬間、身体のバランスがうまくとれません。あっと思って後ろを振り返ったら、塾長の軍手にジブンの尻尾が握られていました。「尻尾が切れた!・・・尻尾ってまた生えてくるんだろう?」などと言う塾長の声が聞こえましたが、そんなに簡単なものじゃありません。まだ生えてきてくれないので、このままじゃ動きにくくて蛾を捕まえることもままなりません。いつまで生きていけるか心配です。ジブンをこんな目に合わせた塾長に断罪をお願いします。
裁判官:よろしい、よく分かりました。すぐに判決を下します。この三匹のヤモリに対する暴行により、塾長は・・・。
 

 すみません、天地神明に誓って、もう二度とこんなにひどいことはしませんから是非ともお許しを!!

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修正液

 仕事柄、修正液をよく使う。大事なポイントを修正液で消して穴埋めのプリントを作ったり、問題集屋からもらった、答えの書いてあるテキストを修正液で消してコピーしたりと、用途は幅広い。なくてはならない事務用品だと言ってもいいだろう。
 しかし、この修正液を私はあまり好きではない。何年か前の冬、閉め切った部屋の中で長時間ずっと修正液を使って作業をしていたことがある。修正液独特のにおいが気にはなったが、何も考えずにずっと作業を続けていたら、ある瞬間から頭が少し朦朧とし始めた。なんだか頭の中で焦点が定まらず、漠として自分が何をやってるのか分からなくなった。おかしいな、と思いながらも頭を振ったり叩いたりしながら、何とか作業を終えたのだが、そんな状態はしばらく続き、バスの運転をしている時も頭がふわふわしておかしな感じだった。今思えば危険なことだが、その時はどこか体調が悪くなったのかな、ぐらいにしか感じていなかった。数時間後には治ったものだから、深く気に留めずにそのままになってしまった。ところが、その次に修正液を使った時には身体が拒否反応を示したのか、すぐに頭が痛くなった。その瞬間に「ああ、この前は修正液が原因でおかしくなったんだな」と直感した。思えばあの独特の臭いがどうにも危険な臭いだ。それ以降、それに懲りてあまり修正液を使わなくなったが、どうしても使わねばならない時には、窓を開けて空気の通りをよくし、タオルで鼻と口を覆いながら、作業をするようになった。
 先日、塾の夏期講習用のテキストの準備を始めた時に、修正液を大量に使う必要ができた。イヤだなと思いながら使っていると、やはりすぐに頭が痛くなってきた。空気の入れ換えは十分だったから、もう条件反射的に修正液というものを身体が受け付けなくなってしまったようだ。ならば、いったい修正液の何が私にこうした症状を引き起こすのだろうか、調べてみようと思い立ってちょっと検索してみた。しかし、商品としての修正液ばかりが検索されて、肝心の成分やら人体に与える影響だとかは全く分からなかった。そこで、こういうことに関しては詳しい娘にメールしてみた。

修正ペンの成分は何?閉めきった部屋で使ってると頭がボーとしてきて、中毒にかかったようになるのは何の成分のため?教えてよ。
ぐぐればー。
ぐぐっても分からんからお尋ねしてるんだわ。
修正液は有機溶剤を使用しているから。
有機溶剤って何?それがあると神経麻痺させるの?
それこそググりなよ。シンナーもガソリン溶かしてるのも有機溶剤。
はい、ありがとうございました。

娘のご親切な忠告に従って「有機溶剤」について調べてみた。

「物を溶かす性質のある物質のうち、炭素や水素の有機性の化合物で構成されている溶剤を有機溶剤と呼んでいます。高い濃度の蒸気を吸入すると、急性中毒にかかります。急性中毒は、酒類を限界を超えて大量に飲んで酔っぱらったときと同じような症状をみせます(酒の成分であるエチルアルコールも有機溶剤の一種です)。
換気の悪いところで急性中毒が起こり、救助に向ったものも急性中毒にかかることもあるので、警戒すべきです。」

何だこれは! 注意して扱いさえすれば大した害を与えるものではないから市販されているのだろうが、こんなことが分かった以上使うのが怖くなった。こうなったら修正テープを使うことにしよう。修正テープの方が、乾くのを待たずにすぐに上から書けるので便利なことは知っていたが、どうも扱いにくくて少々敬遠していた。でも、仕方がない、上手に使えるように練習してみよう。
 
 まあ、今回は思わぬことで、久しぶりに娘とメールのやり取りができたのが一番嬉しかったのだが。

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「わいも!」

 「ビリーズブートキャンプ」が巷で大流行している。ビリー・ブランクスも来日して色んなTV番組に出演し、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いである。私もかなり前から深夜の通販番組でそのプロモーションビデオを何度も見るうちに、一度は試してみたいと思うようになった。以前から続けている腹筋と腕立て伏せは今も入浴する前にそれぞれ80~90回、35~40回行っているが、バットの素振りはいつの間にかサボるようになってしまったため、ビリーのプロモで見た腰のひねりを取り入れたエクササイズを見よう見まねでやるようになった。脱衣場で上半身裸になって、ひざをかがめて両腕を前に折り曲げながら腰を回転させると、身体の筋肉のひねり具合が鏡に映ってよく分かって面白い。何と言っても我流であるから本当に効果があるかどうかは分からないが、もうしばらくは続けてみるつもりだ。ビリーズブートキャンプの7日間集中トレーニングはかなりハードだとよく聞くから、この辺りでお茶を濁しておくのが私には無難だろう。
 ビリーのプロモに出ている人たちは皆ものすごい動きをしている。あれだけ動いたら自然身体も引き締まるだろうと思う。だが、動きに関してなら、彼らに引けをとらない動きをする老婆がTVCMに登場している。コイケヤの「わいも!」という商品のCMで 
  ♪食べたい~も食べたい~もわいもわいもわいも♪
と少年が歌いながら踊っているのを横で聞いていたおばあちゃんがやおら立ち上がり、
  ♪あげない~もあげない~もわいもわいもわいも♪
と歌いながら少年と全く同じ振り付けで踊りだす。その動きのしなやかなこと、とても白髪の老婆(御年70歳は超えているであろう)の動きには見えない。私はその映像を YouTube で探してみたのだが、どうしても見つからなかった。ひょっとしたらコイケヤのHPでそのCMが見られるかもしれないと思って覗いてみたら、この「わいも!」は、愛知・岐阜・三重・長野・石川・富山・福井の7県で先行販売している商品だということが分かった。なので、そのCMも全国的に知られているはずもなく、ほとんど何でも見つかりそうな YouTube にもアップされていなくても仕方ない、と納得した。それでも粘ってもう少し探してみたら、CMの画像をイラスト化したものを見つけた。

  

かなり正確に再現してあるのには感心する。このブログ主のゆかたさんは素晴らしい才能の持ち主だ。(快く貸してくださって感謝します!)
 しかし、全国的にこの「わいも!」が売られるようになれば、CMが流れて、あの老婆の見事な動きも全国的に知られるわけだ。そうなるには、先行販売された地域で「わいも!」の売り上げが伸びなければならない。そこで、微力ながらも「コンソメオニオン味」を1つ買って売り上げに貢献してみた。

 

私はこうしたスナック菓子は喉が渇くのでほとんど食べない。実を言えば、買っておいて妻が食べたら感想を聞こうと思っていたのだが、自分で食べずに感想を書くのは少々無責任だと思い直して一口食べてみた。う~~ん、まあまあかな・・。
 
 塾の生徒たちにも買うように勧めてみよう。
 
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人気スポーツ選手

 世論・市場調査の専門機関、社団法人中央調査社が、人気スポーツに関する全国調査結果を19日に発表したものが新聞に載っていた。「プロ・アマ、現役・引退、国内・国外を問わず、あなたが好きなスポーツ選手を1人だけ、何の選手かもあわせてあげてください」という質問に対しての全国の20歳以上の男女が回答したものだが、その中から最も好きな選手ベスト10を写してみると、
  
  1位 イチロー
  2位 松井秀喜
  3位 長嶋茂雄
  4位 松坂大輔
  5位 王貞治 
  6位 中村俊輔
  7位 浅田真央
  8位 金本知憲
  〃  宮里藍
 10位 福原愛

 イチローは3年連続でトップのようだが、人気・実力・収入などあらゆる面で日本を代表する選手だけに当然の結果なのかもしれない。毎年パフォーマンスの質を向上させ、昨年はWBCでも日本を優勝に導く原動力となったのだから、異論を挟む余地はない。それに比べて、松井秀喜は2004年までは1位だったのが、ここ3年連続で2位になっている。松井ファンとしては、う~~んと唸ってしまう。松井は今シーズンでメジャー5年目を迎えるが、1年目に苦しみながらも何とか2年目では実力の片鱗を発揮し始めた、と喜び勇んだ3年目には伸び悩み、4年目は手首の骨折でシーズン大半を欠場した。さあ、今年こそはと意気込んだ今シーズン、数字的には形は整えているものの、全くといっていいほど印象に残る活躍をしてくれていない。特にここぞ、という場面で凡退を繰り返し、クラッチヒッター、RBIマシーンなどともてはやされた面影はどこにもない。やはり骨折した手首が微妙な感覚のズレを生み出しているのか、あるいは他にどこか身体に異常があるのか、精彩を欠くこと甚だしく、チームも波に乗り切れず、ポストシーズン出場に黄信号が灯り続けている。ここ最近、松井の状態を考えると言いようのない寂しさに襲われるので、あまり考えないようにしているが、ここがファンとしても正念場であり、挫けず声援を送り続けなければならないと腹をくくっている。
 このアンケート結果を見て一番驚くのは、長嶋茂雄元監督と王貞治監督が3位と5位に選ばれていることだ。野球小僧だった私にとっては、二人とも神様のような存在だ。両人とも体調に不安を抱えていながらも、長嶋監督は球場にたびたび赴き、王監督はやせ細った身体をものともせず監督を続けている。その野球に対する衰えることのない情熱には心から敬意を払っているが、日本の至宝であるから、決して無理をされないように願っている。
 さらに松坂と金本がベスト10に入っているため、「好きなプロスポーツ」では2位のサッカーを大きく引き離してプロ野球が 51.1%のダントツの支持を得ているのも当然だと思われる。10位以下にも星野仙一(14位)、田中将大(16位)、野茂秀雄(19位)、小笠原道大・原辰徳・松中信彦が20位で並び、サッカー選手の3人(中村・中田英寿・三浦和良)を完全に凌駕している。日本のプロ野球も交流戦を行うようになり、今年からセ・リーグでもプレーオフ制を導入するなど、野球人気の盛り上げに努力した成果が現れているように思う。
 大学野球からは早稲田の斎藤佑樹が20位タイに入っている。この調査が行われたのが早慶戦や大学選手権前だったので20位ではあるが、いま調査すればもっと上位に選ばれたはずだ。日米野球の代表選手にも選ばれ不敗神話がどこまで続くのか興味あるところだ。
 女性は浅田・宮里・福原と有名選手が名を連ねているが、この他、荒川静香・安藤美姫がともに16位になっており、フィギュア選手の華麗な演技に魅了される人が多いことを物語っている。ただ容姿端麗というだけではなく、実力も世界レベルのものを持っている選手たちなので上位にランクされたのは嬉しい。

 でも、やっぱり松井が気にかかる。どうしたって頭から離れない。しっかりしろよと叫びながら、何とか最後まで応援していくつもりだ。

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インド式計算

 インドは近年IT産業で目覚しい発展を遂げ、金融関係でも世界的に活躍している、というようなことを取締役にまで出世したマンガ「島耕作」で知った。経済のグローバルな動きにとんと無知な私では、「いつの間にインドが・・」という気がしないでもないが、中国に次ぐ人口と広大な国土を持った国であるから、そうした急速な発展も可能なのだろう。
 などと思ってみたのは、先日書店で「インド式計算」というコーナーを見つけたからだ。何種類もの本が出版されているようだが、その一冊「インド式計算練習帳」(青志社)を手に取ってみた。「日本人の計算方法を根底からひっくり返すオドロキのインド式計算テクニック」と宣伝文句が表紙に踊っている。パラパラめくってみると面白そうだったので買ってみた。
 0を発見したのがインド人であることは、かつて岩波新書で読んだことがある。そうした歴史を振り返ってみれば、インドの数学のレベルが高いのも推測できるが、果たして「インド式計算」とはどういうものなのだろう。
 初級編では、2ケタ同士の足し算・引き算、4ケタ同士の足し算・引き算を「インド式」に計算する方法が紹介されている。しかし、私のように子どもの頃そろばんを習った者にとってはさほど驚くべき方法ではなかった。そろばん塾で暗算の練習をしたことがある者なら、ある程度のケタ数の足し算・引き算は何の苦にもならないはずだ。「インド式計算法」と言っても、分配法則や結合法則を、そうとは意識せずに使っているだけのものに過ぎず、そろばんほどの独創性はない。公文式の算数も基本計算を繰り返し学ぶことで一定の成果はあるようだが、そろばんの力とは比べるべくもない。永六輔らがそろばんの復権をプロパガンダしているように、私も幼少期にそろばんを使った計算力を身につけるべきだと思っている。
 しかし、中・上級編の掛け算になると日本のやり方とは違うユニークな方法で計算している。2ケタ×2ケタを13×28を例にとって試してみる。

  

まず、日本式の筆算と同じような式を書き、下に1本線を加えておく(ここに繰り上がった数を書く)。そして、一の位の数同士の掛け算、3×8=24の4を一の位に書き、2を繰り上げておく。次に十の位の数と一の位の数を斜め同士掛け合わせ(たすき掛け)、1×8=8、3×2=6、それと繰り上がった2を全て加える。8+6+2=16。6を十の位に書き1を繰り上がらせておく。最後に十の位同士の数を掛け合わせ、1×2=2と繰り上がった数1とを足して、2+1=3を百の位に書けば、364という答えが出て計算終了!。慣れるまではちょっと大変だが、何度か練習してみると日本式の筆算よりも早く簡単にできる。
 しかし、この方法は2ケタ同士の掛け算にしか使えない。(ケタ数が増えても応用できなくはないが、やたら煩雑になって面倒くさい)そこで、3ケタ以上の掛け算には次の計算方法がまさに「目から鱗」状態にしてくれる。

  

135×642で試してみる。まず、縦横3マスずつの正方形を書き、各正方形に対角線を同じ方向に1本ずつ引き、その枠外に135と642を写真のように書き並べる。次に、右上の正方形には5×6の答え30を対角線の上と下に書き入れる。左上には1×6の答えを06と対角線の上下に書き込む。このやり方で9個のマス全てを埋める。そして、次には書き込んだ数を斜線に沿って足していく。(2から斜めに2、4から斜めに0+1+7=8、6から斜めに0+2+2+0+2=6、5から斜めに3+8+1+4+0=16、6を書いて1を繰り上げる。3から斜めに、繰り上がりの1も加えて、1+6+0+1=8、1から斜めは0)この足し算の答えを枠外に書き込み、左上から並べた86670が計算の答えとなる。これは何ケタ同士の掛け算にも使えるし、九九と1ケタの足し算だけでできるので、四角を書くのが面倒でなければなかなか優れた計算方法だと思う。
 
 他にもユニークな方法があるかもしれないが、今のところ私の身についたのはここまでだ。
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「闘論」

 いささか旧聞に属するが、5月21日付けの毎日新聞朝刊に『「親学」は必要か』というテーマで、「夜回り先生」と呼ばれる水谷修と「ヤンキー先生」と呼ばれる義家弘介の両氏が、それぞれの見解を述べた「闘論」を掲載していた。「親学」というのは、政府の教育再生会議が親に向けた「子育て指針に関する提言」を発表するというので賛否両論渦巻き、発表が先送りされたいわくつきのものである。年金問題が発覚して以来、「教育再生」が参議院議員選挙の争点ではなくなってしまったようだが、教育問題はこの国の将来を左右する重大な問題であるから、あだやおろそかにしてはならない。
 不良少年から高校教師となった義家がどういう経緯で「教育再生会議」の担当室長になったのか詳しくは知らないが、政府の代弁者として熱弁を振るっているのは面白い。彼の意見の要点は、
 
 ・「親学」は親の育児への介入ではなく、応援だ。
 ・私は幼少期に明治生まれの祖父母に古い童謡を教えてもらったが、祖父母から愛された思い出として心に残り、非行から立ち直るよすがの一つになった。
 ・「自分がされて嫌なこと、悲しいことを人にしてはいけない」という基本的な道徳を子どもに教える必要がある。
 ・現代社会で必要な知恵を、全国の親が教師、地域の人たちと一緒になって学ぶことができれば、子育てに関する悩みは軽くなる。
 
 さすがに先週土曜日に参院選に自民党からの立候補を表明しただけあって、政府の思惑通りの模範解答を述べている。非行から立ち直ったことを売りにしているが、今の政府におもねって非行少年をなくせると思っているのだろうか。「自民党の中から自民党を変える」などという世迷言を彼も信じているのだろうか。不良少年の気概という物が全く感じられない凡庸な提言である。
 一方の水谷は日本で子育てが難しくなっているのは、「国全体にゆとりがなくなり、イライラをためこんだ社会になっていることが最大の原因だ」という論拠に立って、次のような意見を述べている。
 
 ・政府がこれまでの失政を認め、学校や家庭にゆとりが生まれるような政策を打ち出さない限り、子育て環境は改善しない。
 ・「親学」は母乳や子守歌による育児を推奨しているが、家庭がゆとりを失っているからできなくなったのではないか。
 ・政府がやるべきことをせず、親に責任を押し付けるような発想に満ちている。
 ・倫理は言葉では学べない。大人が一人の人間として、自分の生き方を子どもに見せることでしか伝わらない。

 水谷の考えは、夜の街にたむろする若者たちの現状を痛いほど知っているからこその意見であろうが、少々極論過ぎるのではないかと、彼の言葉を聞くたびにいつも思う。私が毎日接している普通の(夜の街を徘徊などしていない)生徒たちは、それほどイラついてはいない。キレやすいとか、自己中心的であるとか、大人をナメているとか、腹の立つことはしょっちゅうだが、だからと言って、社会の歪を子どもたちが全て体現しているわけではないと思う。子どもは子どもとして悩みながらもそれぞれ一生懸命頑張っているのではないだろうか。その中にはドロップアウトして水谷のような人に救いを求めたりする者もいるだろうが、大部分はそれなりに楽しくやっているような気がする。水谷の行動はとても私などには真似のできない立派な行為であり、心から敬意を表しているが、ダークサイドから見た考えばかりでは違和感をもってしまう。
 だが、水谷が夜の街から救い上げた若者たちが日の当たる社会に戻って、ごく普通の社会人として生活したらどうなるのだろう。その代表的な例が義家であろうが、水谷が自らの信念に従って救った(と彼が信じている)若者が、己を非行へと追い込んだ国・政府のお先棒を担ぐような真似をし、さらにはその中枢に食い込もう選挙戦に立候補しようとしているのは、何とも言えないアイロニーに満ちた図である。それは、自らの信じる世界観を若者たちに押し付ける宗教団体のような行為を水谷がしていない証拠でもあり、ひたすら善意に満ちた行動の結果でもあるから、水谷自身も覚悟の上でのことかもしれない。
 
 国が陣頭指揮をとってあれこれ指図することに碌なものはないから、私としては水谷の考えに賛意を表するが、なかなか考えさせられる新聞記事であった。
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ソルべ

 頂き物をした。妻が楽しそうに包み紙を開けると、「あっ、ソルベだ!」と叫んだ。私はソルベが何なのかよく分からずにのぞき込むと、小さなガラスのコップ状の入れ物に果汁が入っている。「何これ?飲み物?」と私が聞くと、「だからソルベだって」と妻が素っ気なく言う。「ふーん、ソルベねえ・・」と曖昧な返事をしていると、妻は箱から幾つか取り出して冷凍庫にしまった。なるほど凍らせて食べるものか、と分かったような気になったが、どうにもソルベという語がしっくりこない。こっそり検索してみた。
  「ソルベとはフランス語でシャーベットのこと」
なんだ、シャーベットのことか。それにしてもよかった。一応これでもフランス語を専攻した身であるから、下手に意味を妻に尋ねたりしていたら、バカにされるところだった。だが、なんて人騒がせだ。シャーベットならシャーベットでいいではないか。何もフランス語に言い換える必要はない。勿論フランス料理のデザートから広まった言葉なのだろうが、同じものを指すのにいくつもの用語があっては紛らわしい。洒落ているつもりでも、意味が伝わらなければ何にもならない。困った風潮だ。
 でも、シャーベットって一体何だろう。アイスクリームとは違う(牛乳を使ってないからかな?)。もちろんカキ氷とは明らかに違う。あれは氷を欠いたものにシロップをかけたものだ。それならまだみぞれアイスの方が似ているような気がするがよく分からない。また調べてみた。
 「ピューレ(果物をつぶして皮や種、芯などを取り除いて裏ごししたもの)を凍らせたもの」
とあった。果物を絞って作られたものがジュースだから、ビューレの方が果物全体のエキスを集めたものなのだろう。なんとなく分かった。確かに冷やす前のコップには果物のエキスが濃厚に詰まっていたように見えた。

 翌日、冷やしておいたソルベを食べてみた。マンゴー・ストロベリー・青リンゴ・ピーチ・カシスなどがあった中から、マンゴーを選んだ。

 

さすがにピューレというだけあって、ふたを開けたらマンゴーの香りが芬々と漂ってくる。おいしそうだなと、スプーンを挿してみたら驚いた。カチカチに冷えているばかり思っていたら、さーっとスプーンが通る。凍っていないような気さえする。これがピューレの持つ特徴なのだろうか?不思議に思いながら一口食べた。


普段マンゴーはあまり食べないが、このマンゴーはおいしい。口に入れると、思ったほど濃くはなく食べやすい。柔らかくて、冷たくて、食べやすいから、ついつい急いで食べてしまい、こめかみの辺りがキーンと痛んだ。久しぶりだ!痛くてたまらないが、「冷たいものを食べたんだ!」という実感がして、嬉しくなってきた。
 
 翌日にはカシスを食べた。


これもマンゴーに負けないくらいおいしかった。負けないくらいキーンときた。負けないくらい痛かった・・。
 
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こんにちは。

 19日、私の弟に男の子が生まれた。双子の父親でもある弟にとっては、3人目の子どもだ。2600gの小ぶりな子だが、母子ともに元気だと、その夜弟から電話がかかってきた。まずは元気がなにより、心から祝福した。双子のときは女の子が2000gで男の子が1600g、ともに生まれてから1ヶ月以上保育器の中ですごしていた。それが今度の子は生まれてすぐに自分の腕で抱けたと、嬉しそうに弟が話した。私も初めて病院で二人を見たときはあまりに小さくて驚いた。これで本当に育つだろうかと心配になったが、順調に大きくなって今ではかなりのやんちゃ振りを発揮している。嬉しいことだ。
 昨日金曜日に赤ちゃんに会いに行った(名前はまだ決まっていない)。弟家族の住むマンション近くの産婦人科病院で弟が通うには便利だが、双子の子ども達の面倒は義妹の実家でみてもらっているそうだ。病室をノックして入っていくと、義妹のベッドのすぐ横にベビーベッドが並べられていて、その中で眠っていた。
「ずっと寝てるんですよ」
と義妹が教えてくれる。写真を撮るときにフラッシュをたいてもまぶしそうにするだけで、目を開けないのだそうだ。その辺りは高校生の頃、家ではずっと寝っぱなしだった弟によく似ているのかもしれない。私の父は一緒について来なかったので、8人目の孫の顔を見せようと思って写真を撮った。


生まれたての赤ちゃんは、日に日に顔が変わっていく。最初は双子の男の子に似ていたのが、だんだん女の子の方に似てきたと義妹は言う。私が見る限りはどちらにも似ているようだし、似ていないようにも見える。結局私たちがいる間ずっと寝ていて一度も目を開けなかったので、どういう顔なのかよく分からなかった。
「目は奥二重で上の男の子に似ています」
と義妹が解説してくれたが、まあ、私の血を引く男なんだから、カッコいいに決まっている・・。
 赤ん坊の手のひらはよくもみじに喩えられるが、触ってみると本当に柔らかい。
「生まれたばかりの赤ちゃんの手ってめちゃくちゃ柔らかいね」
と私が言うと、頭をそっと撫でていた妻が、
「当たり前でしょ、そんなこと」
と私をバカにしたが、赤ちゃんを触るなんて久しぶりだから感触を忘れてしまっていた。耳たぶもプリプリしていて実に気持ちよさそうだ。


これくらいの赤ちゃんを見れば「可愛い!」と溜息をつくことしかできない。人間の始まりはこんなにもいとおしい姿なんだと少しばかり感動した。できればこんな無垢のまま育っていってもらいたいが、そんなに簡単なものじゃない。だが、生まれてきたことを祝福してくれる人間が周りにたくさんいることだけはいつまでも忘れないでいて欲しい。私からのお祝いの印として、次の詩を贈ろう。

  「奈々子へ」 吉野弘
赤い林檎の頬をして 眠っている奈々子
お前のお母さんの頬の赤さは
そっくり 奈々子の頬にいってしまって
ひところのお母さんの つややかな頬は
少し青ざめた

お父さんにも ちょっと酸っぱい思いがふえた
唐突だが 奈々子
お父さんは お前に多くを期待しないだろう

人がほかからの期待に応えようとして
どんなに自分を駄目にしてしまうか
お父さんは はっきり知ってしまったから

お父さんが お前にあげたいものは
健康と 自分を愛する心だ

人が人でなくなるのは 自分を愛することをやめた時だ
自分を愛することをやめる時
人は他人を愛することをやめ 世界を見失ってしまう
自分があるとき 他人があり 世界がある

お父さんにも お母さんにも 酸っぱい苦労がふえた
苦労は 今は お前にあげられない

お前にあげたいものは 香りのよい健康と
かちとるにむずかしく はぐくむにむずかしい
自分を愛する心だ




幸せな人生を歩めるように。

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ユニフォーム

 私の自慢のヤンキース松井の背番号55がついたユニフォーム、3年前東京ドームで行われたヤンキースの開幕戦に着ていったあのユニフォーム、実はもう私の手元にはない。4月に花見をしていたときに、そこにやって来た従兄弟の息子、小学校2年生がヤンキースのキャップを被っていたので、「おっ、ヤンキースファンなの?」と尋ねたら、「松井のファン!!」と答えた。その時既に大分メートルが上がっていた私は大喜びして、「じゃあ、松井のユニフォームをやろうか?」とつい言ってしまった。「えっ、くれるの?」と嬉しそうに言うものだから、「うん!ついて来いよ」と家まで連れて行って、ユニフォームを着せてやった。


 アメリカ製のLサイズのユニフォームだからめちゃくちゃ大きい。2年生では足元まで隠れてしまうほどだったが、やたら可愛かった。「似合うじゃん!」と大声を上げると、父親である従兄弟は「本当にいいの?」と恐縮したが、「いいよ、いいよ」と酔っ払いの私は太っ腹なところを見せた。「大事にするんだぞ」と従兄弟は息子に言い聞かせていたが、これでコアな松井ファンが一人増えたと思えばお安い御用だ、と良い気分でさらに杯を傾けた・・・。
 翌朝はさすがに、ちょっと調子に乗りすぎたかなと反省したが、ユニフォームの飾ってあった壁を見てもさほど後悔しなかった。もし万一NYまで試合を観に行くようなことになったら、あの子に借りに行けばいいわけだし、などと訳の分からぬ言い訳だけは上手に作っていたが。
 ただ、ユニフォームが飾ってあった壁が寂しくなった。何か代わりに飾るものはないかなとそれ以来思っていたところ、昨日息子がいい物を送ってきてくれた。


 誕生日と父の日のお祝いだそうだ。私の母校でもないし、斎藤投手のファンでもない。なので、どうして?という気がしないでもないが、ひょっとすると今日本で一番人気のあるユニフォームなのかもしれない。私が流行物を欲しがるミーハー気質であることを十分知っている息子ならではのプレゼントだ。そう思うと嬉しくなって、早速ユニフォームを着て、キャップを被って写真を撮った。その写真を貼付して「サンキュー!」とメールを送った。
 
 私のユニフォーム姿を見た妻が、
「どこかに着ていくの?」と尋ねた。
「日曜日にどこか出かける時に着ていってもいいかな」
「やめてよ、私が恥ずかしい。それよりパジャマにしたら?」
「せっかく送ってくれたものをパジャマにしたら申し訳ないだろう」
「いいじゃん、毎晩着てくれるなら本望だと思うよ」
人のことだと思っていい加減なことばかり言う。自分は一緒に送って来たチョコを食べてご満悦だから、いい気なもんだ。


「W」のロゴが入った Mary's のチョコ。色んなグッズがあるもんだ。
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四葉のクローバー

 先日私は四葉のクローバーをもらった。四葉のクローバーと言えば、幸福をもたらすお守りとして古くから珍重されてきた。


 きれいに葉が4枚ある。押し花にして大切にしようと思っているが、このクローバーを見ていたら、不意に森田公一とトップギャランが歌った「青春時代」の歌詞の一節が浮かんできた。

  青春時代が夢なんて
  あとからほのぼの思うもの
  青春時代の真ん中は
  胸にとげさすことばかり   作詞:阿久悠

 この年になって若かった頃を振り返ると、「ああ、あの頃は楽しかったな」とまるで黄金の時を過ごしたかのように思える。その時々には辛くて悲しいことでも、今となってはいい思い出だ、などと言ったりもする。時間のフィルター越しに見れば全てが美化されてしまうのだろうか。幸せとは振り返ってしみじみと味わうものなのだろうか。
 四葉のクローバーが幸せをもたらすものなら、幸せがやってきた瞬間に幸せを感じなければクローバーに申し訳ない。後からふり返って幸せを感じるのでは有り難味が随分薄れてしまう。どうせなら、「今この瞬間に自分は幸せなんだ、ああ、四葉のクローバーよ、ありがとう!」などと思いたい。もし、幸せを「幸せ度数」などといったものに数値化することができるなら、この数値以上は幸せ、と絶対的な判断ができるかもしれない。しかし、幸福感が主観的なものである以上客観的に数値化できるはずもなく、相対的に判断してしまうのは仕方ないだろう。今よりもあの時の方が幸せだったとか、あの人よりも私の方が幸せだとか・・。
 などと、頭で考えても所詮仕方ないことだ、幸せの喜びを感じるのは心なのだから。あれこれ考えるよりも心の感じるまま素直になればいいのではないか。
 昨日の夕方、私がバスを運転していると、前方に一人の塾生が下校しているのを見つけた。バスで横を通り過ぎて行くと、私に気付いた彼は右手を大きく挙げてにこっと笑ってくれた。普段はおとなしい子でそんなリアクションをしてくれるとは思っても見なかったので、正直驚いた。と同時に私の心が暖かいもので満ち溢れた。「ああ、生徒から手を振ってくれるなんて幸せだな・・」心からそう思った。そのおかげで昨日一日は授業をしていても、心が弾んで軽やかだった。その時、こうしたことが大切なんだなと実感した。自分にとって喜ばしいことがあったら、たとえそれがどんなに小さなことであっても、「幸せだな」としみじみ思うようにしよう。幸せを安売りするつもりもないが、幸せをそんなに崇め奉る必要もない。心が少しでも幸せだと感じたら、全身で喜びを味わうようにするのだ。一旦幸せな気持ちになれたら、次に起こることが少々辛いことであっても難なく乗り切れる。ましてや嬉しいことが起こればその喜びが倍加する。幸せにつながる導火線は一旦火がつくとなかなか消えたりはしない。幸せが幸せを生み出し、喜びが喜びを作り出すといった「正の連鎖」が心の中に出来上がれば、人生は随分生きやすくなるように思う。
 もちろんそれが簡単ではないことは重々分かっているが、くよくよ考えたって泥沼にはまり込むだけだ、碌なことはない。私は今年の初めに目標として「笑う門には福来る」という言葉をこのブログに掲げてみた。半年たってみて、このモットーを忘れずに暮らしてこれたとは思えない。思うに任せぬことも幾つかあって、ついつい暗い気持ちになったこともしばしばだった。それではいけない、何も生まれやしない。前を見据えて堂々と生きていくようにしなければならない。
 
 四葉のクローバーを見ているとそれができそうになるから不思議だ。

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