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緊急事態宣言下の葬儀

 母方の叔母が亡くなった。81才だったそうだ。この叔母は、30年以上前、母が亡くなったときに病気で同じ病院に入院していて、母よりも重篤な病気だと言われていたのに、母があっけなく亡くなった後回復し、ここまで生きてこられたのだから、天寿を全うしたと言ってもいいのではないだろうか。

 しかし、緊急事態宣言下の現在、葬儀に参加してもいいのだろうか、などと少し思った。葬儀が不要不急かと問われれば、そんなことはないと言われるだろうとは思うが、葬儀場に多くの人が集まり、少なからず会話をする、果たしていいのだろうか、などと思うのもコロナ脳になってしまった証左のようで苦笑するしかない。
 
 だが、心配ご無用だった。葬儀場は入り口のドアが開閉され、椅子も一定の距離離して並べられていて、空気清浄機が何台か置いてあった。それに最近はお通夜だけ出席して葬儀は欠席する人が多いため、会葬者はまばらで、ほぼ一部の親戚のみ出席の家族葬のようなものになった。これならいくらコロナが蔓延中の愛知県内とは言え、余程のことがない限り感染することはないだろうと思えた。

 そんな中、ぼんやりとお経を聞いていたら、「塵労」という言葉が二回ほど聞こえてきた。その前後がよく聞こえなかったので、脈絡が分からなかったが、その言葉だけがいやにはっきりと聞き取れた。「塵労」という言葉は、夏目漱石の「行人」の一章の標題に使われている言葉で、高校生の頃読んで以来忘れられない言葉になった。その意味は
1 世の中・俗世間における煩わしい苦労。
2 仏語。煩悩 (ぼんのう) のこと。
であるが、叔母の少し若い頃に撮った遺影を眺めながら、30年以上病と戦ってきた塵労はかなりのものだったんだろうな、としみじみ思った。遺影はニコニコして可愛らしいものであったが。
 
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