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暮らしの差し色

慢性腎臓病の夫と二人、静かな生活です

「遺体 震災、津波の果てに」

2016-06-21 19:16:57 | 
「遺体 震災、津波の果てに」 石井 光太著





5月に古本屋で、東日本大震災の釜石を書いたルポルタージュのこの本を買った。

2011年の発行で、2013年には映画になっている。

40000人が住む三陸の港町釜石を津波が襲った。

死者・行方不明者1000人もの犠牲を出した。

まず、旧中学校の体育館が臨時の遺体安置所になり、そこもいっぱいとなって、安置所になった施設に次々と遺体が運び込まれる。

戦時下を思わせる未曾有の遺体数。

民生委員がご遺体の収容のお手伝いを買って出る。

医師、歯科医、釜石市職員、消防団員、陸上自衛隊、消防署、海上保安部、葬儀社、僧侶・・・さまざまな方たちがご自身ができることをご遺体のために尽くしていく。

自らも被災者であり、身近な人が亡くなっていたり、行方不明であったりする中で、みなで、協力して、壮絶な状況を乗り越えていく。

厚生労働省から、特例措置として土葬許可が下る。

冬場とはいえ、時間がたってご遺体が傷んでくるし、海から運ばれたご遺体は引き揚げた時点で傷みが激しい。

しかし、釜石の方たちは、他県の協力も得て、なんとか土葬にならずに、最後の一体まで火葬してあげたいと、奮闘する。



被災地のかたがたが、身近なかたの死に直面し、その悲しみを受け止めて、また歩き出してこられた姿を思い、この5年、どれほど苦しくつらい日々であったかと胸が締め付けられる思いだ。




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人間が死ぬということ

2016-02-19 23:22:13 | 

『看護婦が見つめた人間が死ぬということ』 宮子あずさ著 を 読んだ。



                


宮子あずささんは、この本を書かれた1994年、経験8年目の看護婦さんだった。

内科病棟に勤務し、そこでは高齢者の入院が多いため、年間50人前後の方が亡くなっていた。

職業柄、人より多くの死をみとるうち、自分がいずれは死ぬことについても、受け入れられ、それを受け入れるための考え方を、身に付けられるような気がすると述べている。

「死は新しい世界への旅立ち」という考え方に至ったそうだ。


今、看護師さんと呼ぶべきところだが、当時は看護婦さんという呼称で、私の年齢の者にとっても、「看護婦さん」という包容力をイメージさせてくれる呼び名のほうが温かさが感じられ、本にしたがって、ここでは、看護婦さんとあえて書かせていただいている。


内科病棟の看護婦さんたちの間では、仕事の休憩中などに、時々『自分が死ぬなら何の病気がいいか』『絶対避けたい病気は何か』といったことが話題に上るのだそうだ。

それによれば、死ぬならこれ、と出てくる病名は、一気に決着のつく脳幹部の出血、なのだという。

「ぽっくり願望」は、看護婦さんのあいだにも、根強いものがあると。

反対に、これだけは避けたい病気としてあがるのが、肺がんと膵臓がんなのだそうだ。



肺がんは、モルヒネで痛みは取れても、肺に息が入っていかない息苦しさは、いかんともしがたい。


膵臓がんは、その痛みが強烈な場合が多いという。


胃がん、肺がん、大腸がんなどでは、その臓器そのものが痛む場合よりも、周囲の神経に浸潤したり、骨に転移した部分が痛む、ということが多く、臓器そのものの痛みとしては、膵臓がんが何より痛そうな印象がある、と書かれている。



一方、高齢になればなるほど病気にはなりやすくなる。

だから、死因が老衰という、厳密に加齢による衰弱だけで死んでいく例はほとんどないのだそうだ。



病院に運び込まれて意識がない一番悪い状態でもうろうとしていた間のことは、患者さんは忘れていることが多いという。

その状態から意識が戻ったある患者さんは、”一度死んだ”体験から、


  「死ぬ瞬間って、別に痛くも何ともない。

   たいへんなのは、そこに行くまでの苦しみだ。

   その苦しみだって本当に短い時間で、それほど

   大したことじゃなかった。」

と、話していたのだそうだ。



私は、幼いころ小児喘息でよく床についていた。

大人になってからも、20代に長いこと病んでいて数年間働けなかった時期もあったし、病気やけがで手術を2回して痛みに堪えて、治療の成果でまた普通の生活に戻れるようになったことを経験している。

小さいころから、病気は治すもの、元気になってまた日常にもどるもの、と思ってきたので、死にたいとか、このまま死んでしまったら楽だろうか、とかそういう考えが頭をもたげることはなかった。


病気が苦になって、「俺は死ぬんだぁ!」と叫んだ人を身近に聞いているが、私は、そうならないような気がしているのだ。


60年も生きていると、身内の死に何度かであうが、死は生きていたときの苦しみから解放されて別の世界へ行く、と思える。

その意味では、宮子さんの「死は新しい世界への旅立ち」に共感できる。


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片づけ~近藤麻理恵さん

2016-02-04 21:20:21 | 
こんまりさん(近藤麻理恵さん)の「人生がときめく片づけの魔法」を去年6月Amazonで買った。


     


テレビで

   アメリカの雑誌TIMEの「世界で最も影響力のある100人」が(去年)4月16日発表され、

   日本からは作家の村上春樹さんと、近藤麻理恵さんが選ばれた。

と、紹介があったからだ。


世界中でこんまりさんの片づけの本が翻訳されてよく売れているという。

去年暮れにも、「情熱大陸」でこんまりさんを取り上げていた。


こんまりさんは、片づけコンサルタントだ。


こんまりさんの片づけの基本は、 「触ったときに、ときめくか」 である。

「モノを一つひとつ手にとり、ときめくモノは残し、ときめかないモノは捨てる。」という。


本についても、

「いつか読むつもりの『いつか』は永遠に来ない」

と述べている。



公団の3Kに住んでいた頃、部屋はすべて和室で、各部屋に押入れがあったので、それも、合計で3間(さんげん)もあって、物がいっぱいしまってあった。

マンションに引っ越すとき、新居は多少のクローゼットはあるが、押し入れは1間(いっけん)しかないので、本はことごとく捨てた。

本当に収納の少ない間取りなのだ。

で、始末した本がなくなって、10年以上経つが、まず支障はない。

本棚はスカスカになっていた。

やはり読み返すことはほとんどないというのは本当かもしれない。

実用書でよく手に取る本は残したので、それで事足りたのだと思う。


その後、資格の勉強や、趣味の本を、買うのでだんだん本は増えてきた。


本は読みたいものが浮かんだら、最近は Amazonで中古本を買っている。

Amazonの中古の価格は日にちによっても、一日の中でも変動するので、価格が下がるのを待って、安いタイミングで、ささっと買うようになった。

本の価格が1円になるものも多い。

中古本は、1冊につき、257円の手数料がかかる。送料も含めて。

なるべくそこまで下がるのを待つようになった。


安く買った本なら、読み終えて、その使命を終えたとき、思い切って捨てられるだろう。



服も、去年 タンスの中と、プラスティックの衣装ケースから、衣替えの際に行ったり来たりして、出しても着ることなくまた季節が終わってしまわれていくだけの服はたくさん捨てた。

普段着になら着るかなと 取っておいた服も、もう気に入ってないのだから、外に着ていかない服は、普段着にする愛着もないようなのだ。

そういう服は、まさに「ときめき」がないのだろうから、捨てた。

タンスの中がスキスキになった。


和室をフローリングにリフォームしたときも、会社勤めのなくなった夫は、スーツやYシャツなど仕事の服をたくさん処分した。

それで、フローリングの部屋は広く使えるようになった。


またときどき、大処分を敢行したいと思っている。

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家族という病

2016-01-23 19:03:30 | 
「家族という病」下重暁子著 を 読んだ。


       

ネットで本のレビューを見るとかなりの酷評がある。だがベストセラーになっている。


読みたいと思っていた。

Amazonの中古本が安くなったところで、購入したのだ。


下重さんがご両親、お兄さんと疎遠であったことや良いコミュニケーションが取れなかったこと、ご家族との会話をもっとすべきだったと、亡くなってしまったあとで心残りになっていることが、私には共感できた。

家族は他人よりも一番理解しがたい存在だと述べている。

本書では ネガティブな文面が続くようだが、家族を亡くして、もっと知る努力をすべきだったことを悔やんでいらっしゃる。


レビューで、下重さんを否定的に書いておられる方たちは、お若いのだろうと想像する。

両親を亡くして、もう悔やんでもどうすることもできない思いは、失った人にしかわからないだろうと思うからだ。


私も、人恋しがる亡き父にもっと会話する時間を作ってあげたほうがよかったと思うし、誕生日のおめでとうも言ってあげればよかったと思う。

昔、祖母がよく 「墓に布団は着せられず」 と言っていた。

亡くなってしまった人には、「それは違うのよ・・・」とか、「そのことはね・・・」と、説明してあげることがもうできないのだ。

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大地の子 山崎豊子

2016-01-10 09:09:10 | 
昨年、秋から11月にかけて、山崎豊子の「大地の子」(文庫版 全4巻)を読んだ。

ちょうど NHKBSでも毎週土曜の夜再放送していた。

本は、ブックオフオンラインで中古本を安く入手した。


     



若いころ、中国の残留孤児の帰国で親探しがさかんにテレビで放送された。

当時私とは年齢もかなり離れていることもあって、身近には感じられておらず、ずっと年下の私たちには遠い話のように思っていた。


満州に残された日本人のこどもたちが、悲惨な苦しい人生を歩んでいたことは見聞きしてはいた。

だが「大地の子」を読んでさらに現実を知ることになった。

私が社会人になったと同じ昭和50年代に、残留孤児は辛い身の上がまだ延々と続いていたのだ。


当時、私は水処理のプラントの会社の、工場用水や工場排水の水の分析をする部門で働いていた。


「大地の子」では、名称は変えているが、日本の新日本製鉄の多大な協力・支援のもと、国家的事業で宝山製鉄所を建設していたことを伝えている。

私の部署にも、宝山製鉄所から、たくさんの水のサンプルが送られてきて、分析をしていた。

男性社員も宝山へ出張していた。


その後、勤めていた会社がプラントを受注したかどうかは知らないが、私が働いていた年齢のころでも、残留孤児の方々は苦しい生活や待遇を強いられていたのだ。


そして、宝山製鉄所は、幾年月も掛けてさまざまな障害に遭いながらも完成し、中国の発展に寄与していったのだった。


中国に友人がいることを、以前ブログに書いた。

日本に1988年ごろ留学していた人たちだ。

その一人が、文化大革命の頃は怖かった、と語っていた。

インテリ階層の人たちは、民衆につるし上げられて、地方に送られ、過酷な年月を過ごしたと聞く。

「大地の子」にも詳しく書かれている。

友人が「怖かった」と話したことはこのようなことかと知った。


結婚してから、市営団地に住んでいた頃、その団地にも中国からの帰国者が家族で住んでいた。

連れてきた小学生の男の子は、きかん坊だった。

ことばが通じず、辛かっただろうと思う。


昨年末、韓国と慰安婦問題について、突然の合意となった。

だが、中国の残留孤児は、結局のところ、棄民となってしまったのだ。


4巻読み終えて、ためいきをついた。

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