職場には、仕事をバリバリとできる人がいる。
そういう人は自分にも自信を持ち、前向きに働いているので、そのようにしていない人を許さないところがある。
他人にシビアであることが多い。
男性でも、女性でもだ。
だが、人はさまざまなことの力について、高い人もいれば、低い人もいる。
今、できていても、その人の気力体力が落ちたときに、できなくなっているような場合も生じる。
退職してからも、親しくしている人に、話の流れから、あえて
「〇〇さんは、仕事をなんでもこなして、最大限努力してやる人だから、それができない人を許さないところがあるでしょう?」
というようなことを〇〇さんに聞くと、たいてい頷く。
「でもね、できない人は、怠けているわけでもなく、サボっているわけでもなく、その部分の能力が足りないんだよ。
〇〇さんみたいに、優秀な人ばかりじゃないんだよ。
一生懸命にやっているけれど、その人の能力では、そこまでしかできないのよ。」
と、失礼ながら申し上げると、意外な表情はするが、一応聞いてくれる。
私は、もう何度も前に書いたかもしれないが、人間関係のコミュニケーション能力に劣っていて、仕事が面白いと思ってはいても、一方で人間関係に支障が出てくると、もう、仕事も気持ちが入らなくなり、下降線の一途をたどり、結局その職場を去ることになる。
働くことに向いている人と、向かない人がいるのだなと思う。
だが、それは、仕事ばかりでなく、家庭内のものごとでも、たとえば、片付け・掃除だとか、料理だとか、金銭管理だとか、外部との交渉、パソコンとか、することはたくさんあるが、ひとつずつ、人によって得手不得手があり、能力は様々なのだと、思うことがある。
できない人を、許さないのは、心が狭いとも言えないだろうか。
車椅子ラグビー(ウィルチェアラグビー)で、日本が銅メダルを獲得した。
NHKのEテレのハートネットTVで、数か月も前から、パラリンピックのスポーツと代表選手たちを紹介していた。
パラリンピックでの車椅子ラグビーに大注目していたので、アメリカ戦は徹夜して、リアルタイムで観た。
今日は、準決勝のオーストラリア戦で負け、今夜の3位決定戦 カナダ戦に期待していた。
いい試合だった。
ずっとリードしていた。
得点が追いつかれることはなかった。
前日の準決勝での敗退から、完全に復活していた。
パラリンピックでは、ハイポインター(障害が比較的軽い方のクラスの選手)池選手の日本最高の光るわざのロングパスからのゴールは、研究されつくされたのか、出すチャンスはほとんどなかった。
スタッフも含めた20人の総合力の勝利だ。
銅メダルを獲得した時、選手、コーチ、スタッフみんなが泣いていた。
日本はこの競技で初めてのメダルだ。
手と足の両方に障害がある人の競技だ。
健常者でもできないことをしている。
本当に、勇気をもらえる。
今井選手は、ローポインターで、グローブをはめるのにも、口を使って、10分かかるという。
今井選手のディフェンスで、敵をブロックして、オフェンスの選手の道を作り、ゴールへと導く。
パラリンピックは、柔道、水泳、テニス、陸上と観ていた。
選手たちの精神力は、実に強い。
過酷なトレーニングに耐えてきた代表選手。
代表に洩れた無数のアスリートがいただろう。
もう、明日、パラリンピックが終わってしまう。
パラリンロスになりそうな気がする。
選手たちのこれからの毎日が輝いてほしい。
私は、出掛ける時は、だいたいリュックサックをしょっていく。
リュックだけでは買い物や電車に乗るとき、いちいち不便なので、そのほかに、必ずショルダーバッグの小さいものも斜め掛けしている。
近所のスーパーに行くときでも、電車で遠出するときでも、だいたいそれだ。
おしゃれなバッグも去年から今年にかけて、いくつか買うには買ったのだが、リュックに入っているものを、オシャレなバッグには移し替えても入りきらないのだ。
だいたいにおいて、A4のクリアファイルが入らないのは、不便だ。
それに、小さい水筒か、ペットボトルのどちらかは持っていたい。
そうなると、オシャレなバッグには無理だ。
こじんまりとオシャレに出かける時は、いろいろなグッズを持っていくのは諦めて、必需品不足で出かけるようになる。
たとえば、保険証やお薬手帖の入ったケース、はさみの入ったペンケース、大きめのハンドタオル、クーポンの入ったA4のクリアファイル。
挙げて見れば、つまらないようでも、欲しいときにないとなると、「あー、あれは置いてきたんだった」と思うことになる。
そしてなにより、いつもリュックサックをしょっている背中に、何もないのは、なーーんか、忘れ物をしてきた気がして落ち着かないのだ。
戸越銀座商店街に行ってきた。
学生時代の友人と、池上線 戸越銀座駅で12:50に待ち合わせして、よくテレビで取り上げている巨大な昭和の戸越銀座商店街に遊びに行った。
今日は、食べ歩きと、遅いお昼で、そのあとは、ミスドでお茶しておしゃべりを楽しんだ。
私は辛口カレーパン、彼女はピロシキ、そのあとコロッケ。
コロッケは戸越銀座の名物コロッケでいろいろな店で置いているらしい。
商店街の長さと言ったら、長いこと長いこと。
端まで行って、また戻って反対側の端まで行ったので、何キロも歩いた感覚だ。
おせんべい屋さんで試食したり、塩の専門店を見学したり、昭和の店を楽しんだ。
友人はねぎ味噌煎餅をご両親へのお土産に買っていた。
食べ歩きといっても、お腹がいっぱいになってきてしまうので、そうそう食べられるものではない。
食べたいものは揚げ物が多いし。
お蕎麦屋さんでお昼を軽く食べたが、その前に食べたカレーパンが胃の中でうどんの汁を吸ったのか、お腹がいっぱいになって苦しいほどで、もう食べ歩きは無理になった。
ミスドでは、話が弾んで、こんなふうに聞いてくれる友人がいて良かったと思った。
帰りの大井町線で、「楽しかったねええ」「またどこか行こうね」と話した。
先送りにしていた、彼女との遊びの日を今回設けて、会ってよかったと思った。
きのう、半年ぶりに美容院に行った。
その前の日の深夜に、急に美容院に行きたくなったので、ホットペッパービューティでネット予約した。
そのあとは、雨が続きそうだったのだ。
白髪を気にする カラーリング
半年前に、髪を染めた話を書いた。
そのときは、髪を染めても、2か月くらいで生え際から3cmほど、あちらこちら白髪が現れてしまったし、半年もたたないうちに、長い白髪が元のように露出した。
今回は、はじめ、染める色は前回と同じで、と美容師さんと話が決まっていたが、白髪がもどった話をちょこっと美容師さんに話したところ、
「もっと濃く染めましょうか。元の色くらいに濃くなっても大丈夫ですか?」
と、聞かれて、それでお願いをした。
前の晩は、髪を伸ばしてロングにしているので、カットはしなくてもいいかな、とそのつもりでいたが、これから秋が来て、髪を結ばないで、垂らして出かけることもあるかもしれない、と思って、やはり、毛先を調える程度はお願いしたほうがいいかもしれないな、と自宅を出る時から考えていた。
半年、カットせずにいたら、毛先が伸びて長さのばらつきが出て、パラパラになるかもしれない、と説明され、やっぱりそうだなと思い、カットしてもらうことにした。
でも、これからもロングで伸ばすので、少しだけ切りそろえてもらった。
そして、毛染めの薬剤を塗っていった。
女性週刊誌を久々に読んだが、芸能ネタなど、「へえー、ほぉー」と、読んでいるうちに眠くなり、うつらうつらして、意識が半分薄れてきた。
染めが終わり、時間を置くため、待合の席でタイマーが鳴るのを待って、そのうちシャンプーに呼ばれた。
シャンプー台でも、眠くなってきた。
席に案内されて、ドライヤーで乾かすと、美容師さんが話しかけてきたので、会話しているうちに眠気が飛んだ。
美容院に入ったときに、お客さんがいっぱいいた店内は、もう、お客さん3人ほどになっていた。
髪はしっかり濃く染まった。
40歳ころには、ロングだったが、そのあとずっとショートだった。
この美容師さんも、ずっと通っていた私の髪型が、前下がりのボブだったことが印象にあると、覚えていて、私は見覚えのない美容師さんだったが、ここに前から勤務していたようだった。
店舗は3店舗以上ある、会社なので、転勤があって、もどってきたかたなのかもしれない。
これから、友人や親戚に会う機会も多いので、この際、カラーリングしたのだ、白髪はどこにもなくなった。
また、半年、美容院には行かないかもしれない。
勤めていた頃は、毎月美容院に行ったなぁ。
毎月の小遣いに入れてもらっている美容院のカット代は、半年間貯まっていく。
砂川啓介さんも、認知症の大山のぶ代さん(当時83歳)が風呂ギライになってしまったので、衛生上よくないから、親戚の美容院に連れて行き、トレードマークのロングヘアーをカットしてもらい、パーマもかけて、すっかりきれいにしてもらったところ、のぶ代さんは喜んで、砂川さんが容姿を褒めると、とてもうれしそうにするし、明るくなり、怒ることが少なくなり、認知症の状態もよくなったという。
いくつになっても、女性は、容姿をほめてもらうとうれしいのだなとおもって、極力褒めてあげるようにしたのだそうだ。
やはり、自分で容姿を気に留めているようにすることは、若さにも良さそうだし、気持ちも上がる。
気力があるうちは、髪を染めて人に会うようにすることにしよう。