母の七回忌と、父の十三回忌の法事が近づき、振り返ると弟に最後に会ったのは、母の三回忌の時だと気づく。
なんて時の経つのは速いことだろうか。
特に、仕事を辞めてから、夫の年金で気ままに生活するようになってから、速さを痛感する。
御嶽山の噴火が4年前だとか、ドラマの「コード・ブルー」が前のシリーズは8年前の2010年だとか・・・。
え? そんなに前のこと?
「明治維新から150年」とテレビで言っているが、私が小学生の頃は、「明治100年」と言っていた。
さかんに、「明治は遠くなりにけり」と放送していた。
テレビでは、慶応生まれの人も出てきた。
子どもの頃は、「戦後20年」と言っていたから、20年前を振り返れば、戦争していたわけだ。
いま、音楽番組で 30年前の歌をやっていても、ちっとも古くない。
映像もきれいだ。
こんなに人の一生が短いとは、誰も教えてくれなかった。
長い長い人生を歩むのだろうと思っていた。
やり直しもあまり効かないのが一生なんだということも、知らなかった。
やり直せるともいえるが、若いころに就かないとなれない職業もある。
若い時期に出直せば、何も問題なく新たな一歩が踏み出せることも、40,50代になってからではできないこともある。
他のことに意識を向けて、こっちのことに注力するからいいんだ、と 多少諦めて生きるしか、行く道はないかもしれない。
病気のことも、あのころ、こうしておけば良かった、と 夫も腎臓のことでは、悔いがあり、いまさら打つ手もない。
時間の巻き直しもできなければ、若い人と同じこともできないのだ。
いまは、社会で働かなくてよいという、待ち望んだ日々を送っているので、若いころ働いては病気になり、元気が出ては働き、という30年ほどを過ごしてきたので、穏やかに過ごしていられるというご褒美をようやくもらったことに 感謝すべきなんだろうと思う。
昨年の10月から、相見積もりして、検討に検討を重ね、2社で分割して、やっとリフォームが終わった![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
ビルトインガスコンロ、キッチン水栓、キッチン天井灯・キッチン流し手元灯・玄関足元灯のLED化、うち中のスイッチの大半8個交換。
頻繁に使うスイッチが2か所、バカになってしまって不自由していた。
うち、トイレはリモコンの照明スイッチにして代用品で1年以上使っていた。
トイレのスイッチが壊れてほどなくキッチンの天井灯のスイッチが壊れた。
こちらは仕方ないので、朝点けたら、夜寝るまで点灯したままにしてしのいでいた。
ビルトインガスコンロは、グリルが火が細くなって、焼き物が時間かかるようになって、点火も鈍くなってきていた。
キッチン水栓は、水栓が水漏れや表面の塗装がはがれてきた。
これらすべて、マンション入居から15年以上使ってきて、お疲れさま、という耐久限界にきたもの。
照明は、電気工事士の方がしなければ直せない照明器具をまとめてLED化してもらった。
工事のついでに、洗面所やトイレの換気孔のプラスチックのカバーを外していただいて、私が掃除した。
吊戸棚の扉の下がりも、お願いしておいたので、ネジ締めをしていただき、きれいに治った。
いやあ、明るくて、きれいで、機能的で・・・。
以前読んだ本で、「99%後悔しない 65歳からのリフォーム&家づくり」小川千賀子著 を参考に、シニアはこれからの人生をたっぷり楽しむために、修理するべきところがあったら、すぐ直してもらうのが良い、というアドバイスは本当だと思った。
これで、しばらくは、快適に過ごせる。
これらの工事すべてで、22万弱だった。
楽天市場で、洗濯機の上のデッドスペースを活用するランドリーラックを購入した。
レビューを読むと、組み立てに1時間以上かかったという人も、20代の女性で30分くらいだったという人もいて、若いころから組み立て家具はしばしば利用していたので、私もそのくらいでできるだろうと、タカをくくっていた。
購入するとき画面で見て、部品が多いな、とは思っていたが、届いた箱は思ったより軽く、開けて見たら、実際も、たくさんの部品だった。
高さ182cmのラックを作るにしては、箱が小さいので、つまり、接続させてつなげるために、部品が小さくなっているのだった。
理解しにくくはなかったから、手が遅いということなのだが、結局のところ、2時間14分もかかった。
年を取ると、こういうこともダサくなってしまうのだ。
部品の保護に、たくさんボール紙をはさんであったので、それを取り除くのに手間取ったのが、時間が掛かった最大の理由だった。
パイプの断面で手を切るので、手の保護に手袋をするようにと書いてあり、手袋をしなかったために、手を切ったとなったら、それは自分が悪いことになると思って、工場でパートをしていた時に使っていた作業用の手袋を出してきて始めたのが、愚図になってしまったようだ。
3時前に完成して、洗濯機周りに設置するとき、夫と二人で運んで置いた。
よく計測して買ったのと、組み立てる時に幅も良く考えて調整したので、難なく置けた。
だが、あまり具体的なプランなく洗濯関連用品を置いてみたので、良くなったのか、ラックが高い所から迫ってきて閉塞感が出たか、まだよくわからない。
100均で、ストックの液体洗剤の詰め替えパックを入れるバスケットでも買ってくることにする。
追記
作業が終わって、腰痛予防のため、3秒で腰痛を治すストレッチをさっそくしておいた。
押入れの中の断捨離がしたかった。
うちのマンションは収納が少なくて、押し入れが1間(けん)しかない。
書類をフォルダで分けて整理しているため、大量のフォルダを入れるフォルダボックス、それを入れる段ボール製の保存キャビネット(引き出し)が数個ある。
押し入れの1/4を占めるのは、布団だ。
扇風機も2台、箱に収納している。
私物はこれまで処理してきて、段ボール箱に収めてあるものは、箱の数にして、4箱だけだ。
断捨離を試みたが、段ボール箱をひとつ開いたら、中は、大量の領収証を貼ったノートと、数冊の家計簿だった。
通常、部屋に出していないし、押入れから出しやすいように置いている保存キャビネットの中にも入れていない年月日の領収証のノートは、かなり古いものだ。
古いとは言っても、このシステムにし始めたのは、2003年くらいからなので、20年前、30年前というわけではないが、どんどん増えて段ボール箱にぎっしりと詰まっている。
ほかの段ボール箱は、手紙と、アルバムだった。
家計簿関係は、見たいときがあると、捨ててしまっては困ることがあるのだ。
捨ててしまっていたら、それはそれで、仕方ないと、あきらめるだろうが、今まだ保管しておく余裕があるうちは、なにも今捨てなくても、と一応もとに戻した。
今夜捨てたのは、漢字検定準一級を受験した時の本、FPに合格してから毎年購入してきた公的年金についての参考書の古い本、放送大学で視聴したビデオテープ、簿記の問題集。
今回は、これだけで、やめておいた。
だいたい、もう職に就くことはありえないのに、なぜか、仕事に結びつきそうな参考書や問題集をどうもまだ残している。
実学が多いので、生活に役に立つからだろう。
保存キャビネットには、過去の確定申告のフォルダがぎっしり入っている。
マンションに転居してからの確定申告は全部とってある。
いつかは捨てるだろうなと思うが、まだ見るから、と言い訳しているのだ。
しかし荷物をそぎ落としていくと、自分の歴史は無意味化しないのだろうか。
大学で勉強したのは細胞学や生化学だった。
去年8月に研究室の先生を囲む会に出席した時、もうその専門分野に自分が興味を失っていることを思い知らされた。
一生は短いもので、大学を卒業して40年。
寿命が尽きる日がひたひたと近づいてくるのが現実だ。
若い人には、今しかできない、好きなことに思い切り情熱を注いで、がんばってみて、と言いたい。
こんなに老人になる日が早くやってくるとは。
今日、62歳になった。
2014年5月に、学研が全国のアンケートで調査して、「主婦が幸せに暮らせる街」ランキングを発表したところによると、第1位は、「神奈川県 藤沢市」となった。
マーケティング研究の専門家である早稲田大学の野口智雄教授によるアドバイスのもと、まずは主婦の幸せ度を「HQ(=Happy Quality)」と名付けて数値化。「暮らし」「家族」「お金」「食費・健康」「モノ・趣味」の5つの指標に関する幸せ度を全国の市ごとに偏差値化し、「主婦が幸せに暮らせる街」を導き出したという。
新築工事の終わった藤沢市役所の展望デッキから見た景色
藤沢市役所庁舎
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/3e/53a6ae5e044568c9642c279dea57b510.png)
湘南と呼ばれる地域では一番人口が多く、2017年12月1日現在の藤沢市の人口は、429,202人だ。
全国的に知られている観光地と思われる「江の島」が藤沢市にある。
大学もいくつかあるが、一番いま有名なのは、慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパスではないだろうか。
東海道線沿いに多くの工場があったが、工場が撤退した地域には、跡地に商業施設や病院ができるなど、便利になってきた。
辻堂駅には、テラスモール湘南という大型のショッピングモールもあって、映画館もありにぎわっている。
小学生までは、小児医療費助成制度が所得制限なしに行われている。
私は、東京生まれで、青年期は横浜市北部に住んでいた。
結婚後、横浜市北部、南部と移り、藤沢市の公団の団地に引っ越してきたときから、藤沢市の住民となった。
横浜市の南部にいたときには、バスで小田急線の長後駅に出やすかったので、横浜市の北部にあった実家に帰るときや、資格の予備校に通学するときは、藤沢市を通る小田急江ノ島線をよく利用した。
休日に藤沢駅に出て、買物をしたり、資格の学校に行っていた時は、大きな街である藤沢駅から数駅で住まいがあったらどんなに便利だろう、と小さな私鉄駅に憧れていた。
団地を神奈川県内いくつも見学して回った時に、藤沢駅に数駅と近い大きな公団の団地を気に入って、応募した。
3DKの家族用の部屋の募集が1戸あり、幸運なことに当選した。
入居が決まったあとの募集号を見たら、私のときの倍率は、203倍だった。
人生の運はここで使い果たしたと言ってもいいくらいラッキーだった。
公営団地に住んでいた頃は、団地内の植栽の枝切りや、掃除は、すべて住人が交替でやらなければならず、大変だった。
特に共働きをしていたので、休日に駆り出されて作業をするのはしんどかった。
公団(今のUR)に引っ越して、団地内の掃除は、管理費を払っているので、専門の公団の関連会社がすべて行ってくれていたから、団地内は清潔で美しかった。
そしてその後は、その団地の近くのマンションに移り住むようになって今日に至っている。
確かに、藤沢市は住みやすいと、実感している。