今日は雨の中、夫の病院に付き添うため、自転車の夫より後から出てバスに乗った。
私はバスの後ろに座ることにしている。
私の席の前の座席に、あとから乗ってきたショートのきれいな白髪のおばあさんが座った。
ふと気が付くと、おばあさんはスマホを器用に扱って、ネットを見ているようだった。
はあ、スマホはこんなおばあさんまで普及か、と 自分がガラケーなので感心していた。
お顔を拝見していないが、品のいい柄物の薄手のジャケットを着て、イヤリングを身に付けていた。
なるほど、シニアになれば、こんな趣味でファッションを選ぶのかと、納得した。
髪が全体まっしろだが、きれいにパーマをかけているので、美容院にはしっかりと行っているかたらしい。
髪の様子から、70代だろうと思った。
さて、見ていると、スマホをしまい、コンパクトを取り出して、開いた。
なんと、品がいいと感心していたこのおばあさんは、紅筆を手に持って、ファウンデーションのコンパクトを見ながら、口紅を塗り直していた。
バスの中で。
最近はギャルでも電車で化粧をしなくなったように感じていたのだが。
前に、寒川神社の初詣の帰り、電車でむしゃむしゃ食べるおばあさんのことを書いた。
やはり、年配になればなるほど、身なり行動が、どうでもよくなるのではなく、若い人の模範となるような行動をすべきじゃないかと生意気ながら思うのだが、どんなものだろうか。
市の健康診断を受けに、クリニックに行った。
以前、パートに出ていた頃、朝の通勤途上でよく見かける同年輩の女性がたまたまクリニックに入ってきて、待合室であいさつし隣に掛けた。
ちょうど待合室のテレビでは人生100年時代を取り上げていたようだった。
そのお顔だけを知っている女性が、私の隣で、
「100歳までなんて生きたくないですよねえ」
と耳の近くで言った。
私は 「はぁ・・・」 と あいまいに返事をしておいた。
というのも、私は、もしも高齢になっても健康で、まあ、多少加齢でいくつかの病気を持っていたとしても、普通に問題なく歩けて、聞こえて、見えて、食べて、娯楽をある程度楽しめるような、元気に過ごせる自分でいたなら、100歳でも生きて、毎日、テレビを観たり、映画を観に行ったりして、出歩いて、長生きしたいと思っているのだ。
瀬戸内寂聴さんのように、肉をもりもり食べて、90過ぎても病気があれば、手術をして克服して、笑って生きていきたい。
病気になったら、その時の受けられる医療は十分に受けて乗り越えたいと思っている。
年金制度は、若い世代が支え切れなくなっているので、受給開始年齢を遅らせようとしている。
だが、そうはいっても、高齢になって働くには、効率や、能力などが年齢とともに衰えていくから、定年というものがあるのだし、私は人との対処がとても苦手なので、働かなくても良いという環境に置かれるようになって、こんなに幸せなことはない。
70歳まで働くことが当然のようになったり、年金がまだ受けられないから、高齢になっても働かなければ生活できない、などという状況におかれては、私のような人間は、生きていくことができない。
昔のパート仲間で70歳を過ぎて、お孫さんもいる女性が、清掃の仕事をしている。
孫にお金がかかるからだという。
元気に働けて、それが楽しく、うちにいるよりいい、という考え方の人は、それは、働いていただければ、社会のためにも、良いことで、それを否定するものではない。
だが、70歳まで定年を延ばし、そこまで働かないと生活できないなどという世の中はあまりにも高齢者にきつい。
若々しくいるために、充実した老後を送るために、外へ出ようと意識を持っていくことは、失わないでいたいと思っている。
焼肉が食べたくなった。
おひとりさまの焼肉というのも、なんともわびしいので、避けてきたが、いやいいんじゃないか?と 思い切って行ってみた。
焼肉屋さかいには、夫とよく行ったものだった。
メガネの修理のため、遠い眼鏡市場のお店に、自転車で行った帰り、ランチに寄ってみた。
開店時刻と同時くらいだ。
写真はキャベツが添え物の野菜だが、私のときは代わりにピーマンだった。
一人で食べる焼肉の味は・・・・・・ 「おいしいいいいいい」
2015年3月に甥姪と食べて以来のお店の焼肉だ。
「え??? こんなに美味しいもんだったっけ?」
「一人でもいいじゃん」
と、思った私だった。