2022年8月26日(金)に、市の集団接種で、コロナワクチンの4回目を接種してきた。
コロナワクチン3回目接種 副反応
に、前回の接種の時の、副反応で苦しんだことを書いた。
今回は、接種券が到着した8月5日にクリニックに電話したが、9月までの予約がいっぱいで、それで終了することが伝えられ、集団接種を受けてください、というのだった。
すぐLINEから、モデルナの集団接種の予約を取ろうとすると、その時点では、週末の3日間ずつしか空きがなかった。
家庭の用事などが埋まっていたので、少し先になるが、8月26日を予約した。
当日になり、初めての会場だったが、電車と買い物の関係で、16:45の予約時間より30分近く早めに到着した。
まだ受け付けてないだろうなとは、思ったが、案内の人に、予約時間を告げると、「ご案内できます」ということで、先へ進んだ。
注射は、担当の方の顔まで見なかったが、今までで、一番痛く、「イタイ、イタイ、ものすごく痛い」と声が出た。
本当に痛かった。どこか痛点に、ドはまりでも、したのだろうか。
結局、16:18に接種できて、15分間の待機場所に案内され、待っていた。
16:50のバスに乗って帰りたかった。
掲示物に、激しい運動はしないでください、と書いてあったが、少し急がないと、乗り遅れる。
階段を下りたり、登ったり、小走りで移動し、バスの待ち人の後尾に着けた。
ということで、その後の経過を時系列で、3回目に続き、備忘録も兼ねて、詳細を掲載する。
8月26日 (接種第1日目)
16:18 35.7℃ ワクチン接種
18:05 36.5℃
18:27 接種の会場に行く前に買った海老天の天むすと
鶏そぼろのおにぎりを食べる
23:38 37.3℃ 発熱が始まった、前回からすると、予定通りの時刻だ
23:48 アセトアミノフェン飲む。寒い。春秋用のパジャマを着る。
8月27日 (接種第2日目)
4:03 38.9℃ 暑い、アイスノンで冷やし、冷水も飲む
7:06 39.8℃ TVを観て、うつらうつらする
7:21 39.9℃ 吐き気も少しする。アセトアミノフェンを飲む
9:12 38.9℃ バニラアイスを食べる
9:56 37.9℃ アクエリアスを飲む
11:41 39.3℃
12:42 40.0℃ ここまで上がるか
13:23 39.2℃ アイスノン交換
13:27 アセトアミノフェン飲む
14:44 37.0℃ バナナ1本食べる
15:51 36.6℃ 一旦は、下がる
19:39 40.0℃ また上がる
20:22 40.1℃ アイスノン交換 アセトアミノフェン飲む
8月28日 (接種第3日目)
3:29 39.5℃
4:32 37.5℃ 玉子がゆ食べる
5:59 アセトアミノフェン飲む
8:02 36.2℃ バナナ1本、プリン食べる
10:08 36.8℃
11:33 37.0℃
12:45 カップヌードル食べる
15:07 39.6℃ アセトアミノフェン飲む
15:40 アイスノン交換、冷タオル載せる
16:55 37.5℃ コーヒーゼリー食べる
18:37 36.2℃
19:45 シャンプーする。 バナナ1本食べる
20:11 36.4℃ お腹をこわす
23:00 36.4℃ 2時間くらい眠った
23:07 新タントーゼ(止瀉薬)飲む
8月29日 (接種第4日目)
1:08 36.5℃ コーンスープ、きんぴらごぼう、さつまいも煮食べる
アイスノン交換
5:21 37.5℃ 長めに眠った後は、少し熱が出るので、ドラマを観て、様子をみる
6:47 36.2℃ 平熱並みに落ちてきた
7:32 36.6℃ 起床 洗濯 パルスオキシメーター 97
7:50 玉子がゆ、きゃらぶき、さつまいも煮食べる
一応、快復とした。
朝食のあと、洗濯物も干して、社会復帰した。
寝込んでいた間、夫は、自分の腎臓用の食事については、コンロを汚さない食事を前から予定していてくれ、食器洗いはすべて引き受けてくれた。
「何か買ってきてほしいものある?」
と、聞いてもくれた。
リビングでは、食事の10分間だけエアコンを点けるともったいないから、と言って、冷房しないで過ごしていた。
もともと、夫は自室で、テレビやYouTubeを観るのが日課なので、食事時間以外は出てこない。
世話の焼けない人で助かった。
また、5か月後には、この副反応地獄に落ちるのかと思うと、5回目接種は気が重い。
接種券には、5回目、6回目の空欄があるのを見逃さなかった。
2022/8/25 読売新聞 編集手帳を読んで
新学期を前に、小中高生の自殺が増えるという。
自身の学校時代を考えると、退屈な長い夏休みが終わり、宿題は徐々に片付けてあったので、提出物を持って、新学期の日常がやってくることへの興味、関心の気持ちを少し抱いて、登校していったように記憶している。
学校生活が充実していたわけでもないし、楽しく過ごしていたわけでもないが、夏休みの終わりに、自殺願望が起きるということはなかったと思う。
現代の小中高生は、重い心の負担になっていることは、何があるのだろうか。
人間関係でコミュニケーション能力がやや弱いために、友人との軋轢、いじめがあるなど、学業の不振、課外活動の負担感がつらいのもあるかもしれない。
20代で精神疾患を発症した私としては、自殺まで悩んだ小中高生は、神経科にかかるか、カウンセリングのチカラを借りるのがいいように思う。
一人で悩んでいると、アドバイスもなく、薬もなく、睡眠は乱れ、ますます悩みの中に押し込められて、抜け出すこともできなくなっていくのだろうと思う。
悩んでいる本人に解決方法はない。
友人、家族への打ち明けはなんの手助けにもならない。ふさわしいアドバイスをするだけの経験や能力を持った人などいないのだ。
行政が、小中高生に容易に手を差し伸べることができるシステムを構築していくことが必要になってきているのではないだろうか。
神経科の敷居を低くして、思春期の若者への診療がたやすくなるような、医療の体制も必要だろう。
私に思いつくのはそれくらいしかない。
土曜日にも郵便配達がなくなって、週末は2日間、郵便がない。私は郵便が大好きなので、配達がないのは寂しい。
ゴミ出しのカレンダーでも、土日は収集が何もない。
夕刊は土曜日の配達はあるが、それだけのためにエントランスの郵便受けに行かなくても良い、と夫が言うので、用事がない週末は、土日の2日間、まったく部屋を出ないこともたまにある。
それに、今は、コロナ禍で、外出自粛を最重視して、買い物の回数を極力減らし、部屋で過ごしていることが多い。
いつもと違うテレビ番組を観ながら、早く平日にならないかなぁと思いながら土日が過ぎると、月曜の朝が来て、あー、やっと日常に戻った、と思う。
ところが、その平日もあっという間に5日間が経ち、また週末になってしまう。
このブログにも何度も何度も書いてきたことを書くので、ご迷惑な話だが、本当に、時間が過ぎるのが速い。
2020年の初めにコロナが感染拡大し始め、もう3年目の夏を過ごしている。
中学生、高校生は、コロナの中、入学し、もう来春は卒業する生徒さんもいるはずだ。
青春時代は、いつの年代の時も、振り返ると懐かしい思い出が蘇るし、未だに 50年前の高校の仲間とよく集まっている。
そんな貴重な年月をコロナで失った若者が気の毒だ。
私たち、高齢者は、感染予防のために、極力 外出自粛して巣ごもり生活だが、1週間、1か月がどんどん過ぎていく。
外部との接触もあまりなく、LINEで、親戚、友人と連絡を取り合うことが、交信手段で、電話で話すこともあまりない。
夫と、いることに 困っていないので、私はこの生活も怠惰で、まあそれなりに毎日を過ごしているが、
友人には、夫と1日中二人というのはとても居られない、必ず外出はしたい、という女性もいる。
あと何年、コロナが続くのだろうか、映画も観に行きたいのになぁ、と思う。
旅行も、この状況では行きたくない。
人によって、外出についての意識が、万人それぞれなので、感覚が違うが、私は、人ごみには行くべきではないと思っている。
夫が、基礎疾患があるせいがもちろん大きい。
でも、コロナの病気自体を軽視している感覚は、少々理解しがたい。
コロナでなくても、時が、ビュンビュン過ぎていくのだ。
氷河期が来てしまって、建物の中だけで暮らしているドラマを去年だったか観たが、外気に触れないように地下生活をしている話とか、なんかSFでそういう未来の図を見た気がする。
だがパンデミックのこの生活も、世界史に残るような、恐ろしい年月だ。
年金暮らしで、ありがたく暮らさせてもらっているが、若い人は、この環境の中、働かなくてはいけないので、ご同情申し上げる。
以前のジョージアのCMであった「世界は誰かの仕事でできている」というコピーが、本当にそうだな、と思う。
高齢者になって、過去の労働の見返りに、働かなくても生活できるように社会が回ってくれている。
残りの年月を、漫然と生きない努力をもう少ししてみよう。
ウォシュレットが故障した。
使用した後に、ノズルの洗浄水がトイレの床やドアを濡らすほど、噴き出るようになってしまった。
購入したのは2015年夏だった。
つい最近、トイレのリフォームをした気がしていたのだが、それは7年前だった。
感覚的には、2年くらい前の新しいトイレだと感じていた。
便器もウォシュレットも、壁紙、床材も、リフォームしたのだった。
それより前の話をすると、購入したマンションに入居した時、「セレクト50」という1点1万円のポイントを50点もらえて、アイテムの中から、自由に選んで設置してもらえるというものがあった。
その時、50のうち、9点を使って、ウォシュレットを付けた。
ところが、入居の当初から、どうも調子が悪くて、何度か、メーカーのほうから修理に来てもらっていたが、使いたいときに、お湯ではなく水が出て、ひゃーーーっと、びっくりすることになるので、私はほとんど使わなくなって放っておいた。
それが、2002年で、リフォームしたのが、2015年だから、それまで13年も我慢していたことになる。
このたび、修理を依頼するにあたり、長期保証の保証会社から届いている保証書を見ると保証終了日は2023年8月20日になっていた。
まだ、保証期間内で良かった。
7年使ってきて、お湯と、洗浄水関係があちこちおかしい。
保証会社に電話したら、メンテナンスをするメーカーから電話が来るようにするので、日程調整してください、ということになった。
それが、きのうだ。
その日の昼前に、メンテナンス会社から、「明日の10時前にエリア担当から直接電話が行きますので、日程決めてください」と女性が電話をくれた。
今朝、メンテナンスの担当者から電話があり、今日はどうか、ということで、話が進み、マンションの駐車場の確保をして、今日の13時から15時の間に来てくれるということになった。
今日、メンテナンスの担当者の方が、来られて、駐車場に案内し、8年保証が来年切れるので、7年前に付けたものだと話すと、「耐用年数はだいたい7~8年なんです」と話していた。
症状を説明すると、だいたいわかりました、と見てくれた。
ほどなく、「ポンプユニットと、流量調整弁ユニットが壊れています」
車に部品を取りに行ってくれて、工事して交換してくれた。
滞在時間はものの30分くらいで、すっかり直してくれた。
手洗いをしていただいて、メロンクリームソーダの缶を差し上げて、感謝を伝え、お帰りいただいた。
助かったーーー!
最初の電話から、素早い対応で、感じが良かった。
以前、シニアの一人暮らしのエッセイ「老いのシンプル ひとり暮らし」(阿部絢子著)を読んだとき、
シニアは住まいにトラブルが起きたら、自分で解決できないことが増えてくる、このトラブルを放っておくと、気持ちがドヨ~ンとよどんでしまうので、故障があったら、すぐに修理してもらうのが良い
と書いてあった。
たしかに、このように、故障からすぐに直してもらえると、気がかりが長引かずに、スッキリして、気持ちが良い。
ありがとうございました。