姪ふたりとラゾーナ川崎の福栄組合 はかた地どりの料理食べてきた。
地どりの手羽先の唐揚げ
大根と大葉のサラダ
塩唐揚げ
鶏たたき
ももとせせりの旨辛焼
ほかにもお料理とったけど、写真ないので、一応これだけアップ。
私のオススメは、鶏たたきと塩唐揚げ。
手羽先の唐揚げは甘口と中辛があって、写真ではインパクトありまず最初に注文した、、、でも、塩唐揚げのほうが、私は、好きです。
テレビで健康や医療の番組を録画して観ることが多いので、どの番組でやっていたのか、忘れてしまったのだが、「冷え症」を観た。
そのまえに、私は、以前、冬場から春にかけて、手荒れをするので、料理学校の仕事に就いている友人のアドバイスで、食器洗いはぬるま湯どころか、水で洗うようにしていた。
「手荒れを防ぐ」に書いた。
2015年から真冬でも水で洗っていて、部屋が暖かいと、結構冷たいことには我慢できないことではなく、むしろ、これで手荒れやあかぎれがなくなれば、そのほうがいいと思って続けていた。
そこで、テレビで観た冷え症のことを書くと、手足が冷たいのは冷え症の症状だが、冷たい水に手を浸けたりするのは、冷え症を招くようだ。
ただでさえ血流は大事な部分に回り、末端が後回しになるために手指、足先に血流がいかず、末端冷え症になるというのだから、からだの末端である手指で冷たい水で食器洗いをしていたら、冷え症と同じ現象を起こしていることになりかねない。
手荒れも嫌なので、今年の冬からは、ぬるま湯で食器洗いをすることにしようと思う。
父の机の下の引き出しがなくなったあと、引き出しに入れていた小物類は、何度も干して、薬品臭を飛ばした。
その後、机の下を気分良くするために、カラーボックス用のインナーボックスを購入した。
インナーボックス自体も、素材の繊維の匂いがついていたので、これも、陰干しや天日干しをして、匂いを飛ばした。
おさまりよく片付けたので、しばらくこれでいく。
作歌の気分が乗ってこないので、短歌を少し休むことにして以来、机に向かってじっくりと座ることが少なくなった。
日記を書く、提出の書類を書く・・・それ以外に座る用事もないようだ。
年を取ったら、橋田壽賀子さんや、瀬戸内寂聴さんのように、机に向かってペンを動かすのが日課、というような生活に憧れていたが、私はそういう性格ではないようだ。
ベッドでひっくり返って、録画したドラマや健康とかドキュメントの番組を観て、いつの間にか寝てしまい、はっと気づくと、また巻き戻して観てないところから、観返す、なんて怠惰な生活が私の自由時間の大半を占めている。
買物に行くときは、自転車でひとくだりでスーパーに着くが、帰りはよいしょよいしょと自転車を押して歩くので、それが私の運動になっている。
そういうわけで、机に向かう生活もしないとなると、あとは、掃除をときどきして、料理は食べなきゃならないので作る、洗い物は片付くので率先して早く片付ける。
それ以外に私のすることと言ったら、3日に一度の洗濯、平日毎日ある朝のゴミ出し。
広告の安売り研究。
新聞はざっと目を通して、興味あるところはしげしげと読む。
そんな一日で、別に退屈もしていない
トイレ用スリッパに、100円ショップで買ったものを使っていたところ、そのスリッパの底が黒い素材でできていたので、トイレマットの表面に次第に黒い色が移ってしまい、普通に洗濯機で洗っただけでは黒ずみが落ちなくなった。
薄めの塩素系漂白剤に一晩漬けてみたが、ほとんど黒い色は取れなかった。
トイレマットは、きなりの無地と花柄との2種類が染まってしまったので、塩素系は強力に濃い漂白液に漬けるわけにもいかず、色柄用の酸素系漂白剤を試みることにした。
下の写真の物とは違うのだが、ちょっとイメージで載せてみた。
酸素系漂白剤の説明を読むと、汚れを強く落とす「塗布漂白」が適するようなので、汚れに原液を染みこませて、すぐ洗剤で洗うという。
多めに酸素系漂白剤を黒ずんだところに垂らして、洗濯機で2枚とも洗剤で洗った。
洗い立ても、あら、落ちてる
干して乾いたところも、落ちてる
というわけで、黒いスリッパは廃棄にして、ほかのスリッパに替えた。
トイレマットが復活して良かった
母が臥せっていた真夏、私と弟は実家に来ていた。
母が暑いだろうと思って、そばにあったうちわで母に風を送っていた。
母は 「寒いわよ」 と言った。
そのことばで、弟が赤ちゃんだったときのことを思い出した。
私は小学2年生だった。
「Kちゃんが赤ちゃんのとき、うちわでこうやって(早く)扇いであげていたら、お母さんが『息ができなくなっちゃうじゃない』と言ったね。」
と、母に話すと、母は
「そおお? あんたよくちょっかい出してたわね」
と、言った。
私はちょっかい出していたんじゃないのだ。
赤ちゃんが涼しくなるように母の真似をしてうちわで風を送ったのだ。
そして、ゆったり母が扇いでいるのを見て、もうすこし風を送ってあげたほうが、赤ちゃんが気持ちいいのではないかと思った。
だから扇いだ。
でも、母は姑に育児を取られた二人の上の娘たちとは違って、ひとりで育てることができる長男の弟を溺愛していた。
だから、私がすることは、赤ちゃんにとって、悪意の行為にしか映らなかったのだ。
臥せっている母に、そんなことを話したところで始まらないと思い、母はそう思ってきたのだな、と 悲しかったが、説明はしなかった。
母はそう思ったまま、その夏に亡くなった。