61歳で買ったワンピースのことを、思い出していた。
椿山荘であった母校の「恩師を囲む会」に参加した時、年齢的には多少若すぎるデザインのワンピースを買ったことを書いた。
太い縦じまで、紺と、ライトブルーと白の袖なしのワンピースで、ウエストで紺の幅広いリボンを結ぶ。
少々若向きだとは思っていた。
61歳のときの服だ。
2017年に買って、数回しか着るチャンスがなかった。
2019年の夏は、皮膚科の治療で背中を出す必要があって、ワンピースは着られなかった。
2020年と2021年の夏は、コロナウイルスの蔓延で、街に出られない。
ミニマリストの佐々木典士氏の説では、着ない服をいつか着るかもと持っているのは良くないのだ。
永遠に「いつか」は来ない、と言う。
洋服ダンスに何年も袖を通さずに吊るされている服。
また数年経って、着ないに決まっている。
もう私は四捨五入で70歳だ、すでに。
61歳で着た服、それも華やかな席に着た服。
着るだろうか、将来。
捨てて もしどうしても後悔したとする。
「本当に必要なモノは必ず帰ってくる」という。
どうしてもと思ったら、買いなおせばいいのだと。
ここでの暮らしはあと何年だろう。
不要なモノを捨てた、すっきりした生活がしたいのである。
先週、「断捨離」の番組を観終わったあと、また感化されて、和ダンスの上段から着ないニットを選び出した。
30年以上前のセーター、カーディガン、ベストも。
タンスの肥やしになっていた。
税理士事務所の職員だったときは、私服を毎日着ての仕事だったので、いくつもニットを持っていた。
ここ数年に買い求めたが、いまいち気に入らなくて、ほとんど着なかった真新しいセーターもあった。
いまは、プルオーバーというのだろうか。
10枚以上は、集まっただろう。
資源ごみで集められた衣類は、自動車のマットにも再利用されるとテレビでやっていた。
この新型コロナウイルスの外出自粛の期間に、各家庭が巣ごもりですることがなく、断捨離をする人が多く、古布がたくさん出されたため、衣類の回収業者は、回収はするものの、自動車産業の休業や、加工する中国の工場の営業停止が影響して、買い上げ先がなく、回収業者に滞ってしまっているという。
そんなことを聞いていたのに恐縮ではあるが、着ないニット、普段着にも着たくない、よほど気に入らないセーター、新しくても似合わないから出番が少なかったものを集めだすと、こんなことになった。
ニットは、それ一枚でその日のファッションの主役を演じてしまうので、気に入らないセーターを着て出かけたり、人に会ったりする気にはどうしてもならない。
きのうの火曜日は、資源ごみの中でも古布もそのひとつの日だった。
古布は、月に2回しか回収の日がないのだが、自治体の注意書きに大事なことが小さな字で書いてある。
「ぬれるとリサイクルできないので、雨の日は出さないでください。」
リサイクルされずに、燃やされるらしいのだ。
タンスの中で、何十年も大事にされたニットは、私の元から去ったあと、だれかの役に立ってほしい。
せめて、リサイクルされてほしい。
それで、きのうの回収日の天気をおとといから気をつけていた。
きのうは、15時ころから雨が降ると言っていた。
夕方まで、1滴の雨も降ってほしくない。
朝の天気予報から、雨がときどき、そして夕方、雨が降る予想だった。
朝8時までに出すことになっているが、どうも、降るかもという日には出したくないので、空模様を気にしていると、今日はやめよう、2週間後にしようと思った。
9時ころになって、空が明るい。まだ、古布が出発してなかったら、出そうか。
そう思って、ゴミの倉庫に見に行った。
各種ゴミの回収の日ではあるが、古布だけが入り口付近に集められ、まだ出発していなかった。
出そう!
そう思って、急いで帰り、束ねたニットを持って走っていくと、ちょうどそのタイミングで回収のトラックが到着していた。
若いおじさん(絶対、私より若い)が私が衣類を持っているのを見て、
「いいですよ、そこに置いてください」
トラックの頭の横あたりに私が立っていた。
「お願いします!」
そこに置いた。
おじさんは、
「9時までに出すようにしてくださいね」
「すみません」
少し作業を見ていた。
ぼんぼん、荷台に放り込んでいた。
私の出した衣類、回収されるかな。
「いいですよ」
そうまで言われてはそこにいられないので、部屋に帰り、バルコニーから、身を乗り出して見ていた。
どうなったか、見えない。
トラックはそのうち出発した。
ゴミ倉庫に行ってみた。
なくなっている。
行ったんだ。
というわけで、私が大事に持っていたたくさんのニットが、廃棄された。
若いころに比べて、ちょうどよい気候の時期が、非常に短くなった感が強い。
冬物のジャケットやダウンを着ている時期は数か月あり、暖冬とは言え、室内をエアコンで暖める期間はかなり長い。
夏は夏で、エアコンを回していなければ、過ごしづらい暑さも厳しく、そして、長い。
以前は、長そでの薄着で、気持ちよい月日が長かったように思う。
H&Mで、2016年に買った、気に入っているデニムジャケットを羽織って街を歩く季節感の時期が非常に短くて、年に数回しか着られない。
晩夏に肌寒いなと思うときに、デニムジャケットを着る機会はあるが、じきに涼しい季節になってしまい、もっと暖かいジャケットやコートを着る季節がすぐにきてしまう。
四季があるといっても、冬夏夏冬 のような、季節の回り方をしている気がするのだ。
夏服ならいいかと言えばそうでもない。
夏のワンピースも、61歳の時に、大学の研究室の恩師を囲む会のために買ったものが、夏に着ようと思っても、大きな街に買い物にでることがそう多くなかったので、まだ、何回も着ていない。
去年の夏は、街に出るたびに、皮膚科に寄って背中の処置をしてもらわなければならなかったから、背中を出して診察を受けるため、上と下がセパレートになるような夏服しか、着て出られなかったので、一度もそのワンピースを着ることができなかった。
61歳の服が、70歳まで着られるのか、若めの袖なしワンピースだ。
近所のスーパーの買い物にも着られないし、まして、今は、外出自粛で、ひょっとしたら、今年の夏も、また、着られないかもしれない。
今日は雨の中、夫の病院に付き添うため、自転車の夫より後から出てバスに乗った。
私はバスの後ろに座ることにしている。
私の席の前の座席に、あとから乗ってきたショートのきれいな白髪のおばあさんが座った。
ふと気が付くと、おばあさんはスマホを器用に扱って、ネットを見ているようだった。
はあ、スマホはこんなおばあさんまで普及か、と 自分がガラケーなので感心していた。
お顔を拝見していないが、品のいい柄物の薄手のジャケットを着て、イヤリングを身に付けていた。
なるほど、シニアになれば、こんな趣味でファッションを選ぶのかと、納得した。
髪が全体まっしろだが、きれいにパーマをかけているので、美容院にはしっかりと行っているかたらしい。
髪の様子から、70代だろうと思った。
さて、見ていると、スマホをしまい、コンパクトを取り出して、開いた。
なんと、品がいいと感心していたこのおばあさんは、紅筆を手に持って、ファウンデーションのコンパクトを見ながら、口紅を塗り直していた。
バスの中で。
最近はギャルでも電車で化粧をしなくなったように感じていたのだが。
前に、寒川神社の初詣の帰り、電車でむしゃむしゃ食べるおばあさんのことを書いた。
やはり、年配になればなるほど、身なり行動が、どうでもよくなるのではなく、若い人の模範となるような行動をすべきじゃないかと生意気ながら思うのだが、どんなものだろうか。
前から探していた手頃なサイズの気に入ったバッグをようやく見つけて、買った。
このダークネイビーの色を選んだ。
サイズはこれ。
来週、高校の仲間で集まるので、バッグ デビュー。
こんなふうに、買い物も楽しいし、これを持って会食に行く日をワクワク待つのもうれしいし、そんなに贅沢でもない60代の趣味だと思う。