家内の両親と同居して15年。5年前、義父が高血圧性脳内出血で意識不明の重体に。明日、目を覚さねば延命治療を開始、と宣告された時、義母が「パパ(拙僧)、お父さん、助かるよね」と涙声で。「大丈夫だよ。必ず目を覚ますよ」とは答えたが、内心は『無理だろうな』と。が、翌日、何と意識が。これには驚いた。
【追伸】
義父が倒れた同じ時期、同じ病気で4人が倒れ、助かったは義父だけ。助かりはしたが、元の様に1人で出歩く事は出来ないだろうな、と。ところが現在、遠出は無理だが、病院、図書館、買い物などは、義母が連れ添わなくても1人で。リハビリを嫌がらずに、頑張ったですもんね。檀家の中には退職後、足の手術が上手い具合にいかず、車椅子状態になった男性がいた。ところがこの男性、家はお寺の近くだが、家から這って山門まで、そこから130ある石段を這い上がって本堂まで。家からの所要時間3時間、これを毎日、半年以上も。そして、遂に。晩年は個人的に公園の空き缶やゴミを拾って回る奉仕を毎日。他にも奇跡的な事例は幾つか。が、奇跡は起こるものではない。奇跡は自らが努力して起こすものにて。無論、全てがそう上手くいくものではないが。努力が全て実るはない。が、努力しなければ、決して実る事はない。
(投稿写真は、本堂から眺めた駐車場と130石段)