月の21日は、お大師さん(弘法大師空海)の縁日、月の24日は、地蔵菩薩の縁日。わが寺では毎月、その日に縁日法要(御礼報謝)を。その他も各法要には必ず、誰かしら子供達が参拝を。その時、偶に子供達に問われるは「蝋燭(ろうそく)と線香(せんこう)は何故、お供えするの」と。様々な意味合いがあるが、子供達には、次の1点を説明する事が多いかな。
「蝋燭も、線香も、自分で火を付ける事は出来んだろ。1度火がついたら今度は、時間が来るまで、自分で消す事も出来ないでしょ。何となく、人間の命(寿命)に、似てると思わないかい。火をつけられた蝋燭と線香を、じっと観察してごらん。蝋燭は自分の身を削りながら、周囲に明かりを灯してくれているだろ。線香も自分の身を削りながら、周囲に癒しの香りを与えてくれている。蝋燭と線香は『あなたは、この様な人生を送っておられますか』と参拝者(人間)に、問い掛けてくれているんだよ」と。
この蝋燭と線香の話を聞いて、気持ちが変化した子供さんは、少なからずおられます。心が綺麗で素直だから、スッと入ってくるんでしょうね。大人も昔は、そうだったんでしょうけどね。どこにその心を置いてきたんでしょうね。さて、それまでは、家の仏壇に手を合わせる事がなかった子供さんも、その後は手を合わせる様に。因みに、仏壇(手を合わせ、頭を下げる対象物)がある家と、ない家とでは、子供さんの成長に少々違いが出ている様に感じられます。貰ったおやつ(お菓子)を先ず、亡くなった爺ちゃん、婆ちゃん(仏壇)に「はい、どうぞ」とお供えする行為で『施す』という心が育まれますもんね。
今1つ、檀家の子供達から「死ぬって、怖い事なの、痛いの、苦しいの」と問われる事が度々。その道に明るい専門家が「動物と人間の7歳までは、大脳が発達してないから、死の恐怖はない」との見解。そういえば、7歳の時に拙僧、結構多めの血尿が。その時、恐怖はなく「僕が死んだら、親は悲しむだろうな」と思った記憶が。朝、血尿が出て、夕方まで黙っていたが、止まらないので父親に拙僧「小便から血が出たら、大変なの」と尋ねると「出たんか」と父は血相変えて、即、病院へ。病名は膀胱炎、結構酷い病状でしたが。因みに、拙僧、この日(7歳)より毎日、小便する度に血尿が出てないかを確かめ、心の中で「御礼報謝の為には、仏説摩訶」と般若心経を。61歳になった今でも「御礼報謝の為には、」と続けているは、7歳の時のあの衝撃を忘れない為、今日まで命がある事を当たり前と思わない為、ですかね。
さて、檀家子供に聞かれた『死』の恐怖に対してですが、その子供達に「これまでに拙僧、1000人近くの葬儀、それ以上の『生き死に』に立ち会ってきましたが、余命宣告された時点では皆、恐怖心を持ち、落胆を。そりゃ、そうだよね。初めて経験する事は、誰しも不安だもんね。ところが、徐々にその恐怖心が薄れ、落ち着いた状態で、その日を待つ人が大半だったかな。因みに『草食動物が生きたまま、肉食動物に食べられる時、激痛がきたら麻痺状態になり、痛みがわからなくなる』とその道の専門家が。海で泳いでいて、気付かない内(痛みなし)に、足がサメに食べられて、なくなっていたという話もあるよね。これに同じく『死』という心、瞬間にとなり、に対しても、恐らく何かしらの作用が生じ『恐怖心』を消し去ってくれているのかも。数多の臨終間際の人達を見てきた拙僧には、そう思えるんだよね。但し、病気による苦痛は別義。あくまでも、心中の覚悟の話にて」と檀家の子供達に。
読者の方々は「こんな難しい話を、ほんとに子供達に話しているのか」と、思われている方々も恐らく、おられるのではないかと。お察しの通りです。上記の言い回しは、SNS 内での大人向けに表現しているもの。子供達には、上記の話を時間を掛けて、わかりやすく、ゆっくりとお話をさせてもらっています。
さて、ここで余談ですが『大師(だいし)』といえば、弘法大師空海さんが頭に浮かびますが、他にも『大師』を授かった高僧は、隠元さん、最澄さん、法然さんなど、25人ほど。が、あまりにも空海さんが有名である事より「大師は、弘法に奪われ」の言葉が。また『太閤(たいこう)』といえば、豊臣秀吉公が頭に浮かびますが、太閤は、摂政、太政大臣に対する敬称。秀吉公以外にも。が、これについても「太閤は、秀吉に奪われ」の言葉が。檀家、知人の若者達には拙僧、この『大師、太閤に奪われ』の例え言葉を度々引用して「この仕事を(これを)させたら、こいつの右に出る者はいない、と言われるくらいの、一角の人物になりなよ」と。
話が長くなりましたが、今1つだけ。妻の妹が先々月、3週間程、日本(わが寺)に滞在(病気の治療為)を。その時、幼児虐待の話に。妹曰く「英国では、5歳児と親が一緒に入浴すると、近所から通報(性犯罪疑い)され、警察が問答無用で家の中に。私も近所から訴えられたが、警察が来て私(親)が日本人だとわかると『日本人なら(生活慣習)』と引き上げて行った。それと、両親共に親の自覚(毒親)がなくば、国が介入し、施設で子供を保護だよ」と。「拙僧周囲でも昨今『子供は親を選ぶ事は出来ん』の類の相談が結構あるんだよね。1年程前も、お金遣いが荒く、浮気三昧の母親と、子供に全く関心がなく、自分の欲が中心の育児放棄の父親が離婚裁判で、親権の擦り付け合いを。子供達は祖父母に引き取られ、何とか生活の基盤は、確保する事が出来たが」と。
因みに、この手の話をすると、決まって「親も子供は選べない」と反論してくる人達が登場。対し、拙僧「それは少し部が悪くないですか。無色透明で生まれてきた子供に色を付けてきたは、親ですよ。親が作った家庭環境の中で、その親が育てるんです。親に似た子供が育つ確率が高いは、当然の事だと思いますよ」と。
次回の投稿法話は、4月30日です。
