夕映えに

陽が落ちるまで輝きたい、くさぐさの記録(日々の出来事、読書、スポーツ、友だち)

サミット終わり日常に

2016-06-03 21:26:36 | Weblog

  我が志摩地方はサミットが終わり、日常生活が戻りましたが、まだ道路
は警察関係の車両が何台も往復しています。警備のために設置された建物
や臨時に作られたへりポートなどの撤去など結構日がかかりそうです。

  こちらはあまり外出をしなかったせいで、専ら畑や花の世話ばかりの生活
で変化なしでした。やっとキュウリやピーマン、ししとうが採れだし、トマトもゴ
ルフボールほどのが成ってきました。昨日はジャガイモ掘りもしました。1株に
まあまあのが5,6個で極小さいのがくっついています。今日は塩茹でにして食
べました。

  フェンスいっぱいに広がり10日ほど咲いたピンクの蔓バラも花びらが落ち
出したので、フェンスの丈に切り落としました。庭木の剪定などもあり、家にい
るとしっかり仕事はあります。

 借りてきた本も読まねばならず、これらは夜か早朝(4時ごろ)となってしま
います。
     五木 寛之氏の「嫌老社会を超えて」 を読んで 
                   嫌老から賢老への道を

      老いることは悪か 高齢者は社会のお荷物か 「逆走」する老人
           等問いかける。

      健康格差もあり100歳でもマラソンに挑むスーパー老人もあれば
      70歳くらいでも衰えて寝たきり近くも居る。

      60歳の子が90歳 100歳の親を看るような「老々介護」も珍しく
           ない。また「お1人さま」の老人も増す一方、団塊の世代700万人
      が雪崩を打って加わってくるといった社会です。

      終末医療のどれだけ金が要るか、「老衰」を認めよと言いたい。
           一方で戦後日本の高度成長は著しく新幹線 車など成長戦略
      で作られている時代に、高齢者用の自然に聞こえる補聴器、
            
自然の歯よりも丈夫な義歯世界最高の視力矯正手術などの
           開発が出来ないのか?
 

     80歳を越えた我が身です。「社会のお荷物」だけにはなりたくない
 もの
です。