2010年11月16日(火)
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当ブログは、昨日の記事の最後に以下のように書いた。
意図はともかく、政府が禁止したものを現場の個人の判断で公開することは犯罪であるという『有罪論』も出ているが、元々公開を阻止する指示こそが、情報公開の原則に反して、国民に事実を隠蔽するという国家権力を嵩に来た犯罪的な『政治主導』ではないのか?!
当該の保安官が言っているように、政府が恣意的に情報をコントロールし始めれば、権力による独裁を許してしまうことになるし、国益に反することにも成りかねない。
無能な民主党政権が自らの正当化のために情報の独占と統制を行おうとしたことに反攻して国民が知りたい情報を提供したことは、適切であったと思う。
今後、当ブログは、この点を問うて行きたいと思う。
これに関連して、日経ビジネス・オンラインが
【尖閣ビデオ流出、守秘義務違反は問題の本質ではない】
誰もが「情報素材」を公開できる環境にどう対応するか
2010年11月16日(火)
という記事を書いているので紹介したい。(すごく長いです)
著者は、あの 郷原 信郎 氏である。
(当ブログが、この意見に全面同意という訳では無い)
郷原 信郎 (ごうはら・のぶお)
名城大学教授
コンプライアンス研究センター長
1955年島根県生まれ。東京大学理学部卒。
東京地検特捜部、長崎地検次席検事、
法務省法務総合研究所総括研究官、
桐蔭横浜大学法科大学院教授などを経て、
2009年から現職。
警察大学校専門講師、公正入札調査会議委員(国土交通省、防衛省)
なども務める。
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尖閣ビデオ 中国漁船が衝突の映像 (2分28秒)
この映像は、11月16日現在、まだ見ることができます。
(映像が始るまで1・2分待つ必要がありますが・・・)
今日、改めて見て気付いたことですが、この映像の1分45秒あたりからの
十数秒の背後の空を見ていると、どうも巡視艇側も右側に舵を切っている
ようにも見えます。 中国漁船も左側に舵を切っているような航跡もあり
双方が、舵を切り損なって衝突事故となった可能性も否定しがたいかも?
みなさん、どう御覧になりますか?
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もらえたら嬉しいです)
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【尖閣ビデオ流出、守秘義務違反は問題の本質ではない】
誰もが「情報素材」を公開できる環境にどう対応するか
日経ビジネス・オンライン 2010年11月16日(火) 郷原 信郎
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【1】
尖閣列島沖での中国船船長による海上保安部の巡視船への公務執行妨害事件に関するビデオ映像がYouTubeに投稿され流出した問題をめぐって、神戸海上保安部の保安官がビデオ映像を流出させたことを上司に告白し、捜査当局の取調べが行われている。この行為が国家公務員法の守秘義務違反に該当するかどうかをめぐって、専門家の見解が分かれ、捜査も難航している。
この問題をめぐって混乱が生じている大きな原因は、映像という「情報素材」そのものがインターネット空間ですべての人間に閲覧可能な状態に置かれたという問題であるのに、特定の「事実」としての秘密を漏洩した問題であるようにとらえられ、国家公務員法の守秘義務違反の犯罪の成否の点に報道や社会的関心が集中していることにある。そのようなとらえ方の違いは、この問題を、個人の行為を中心に考えるのか、政府や海上保安庁の組織としての対応の問題を中心に考えるのか、という点にも関連する。
そして、それらの問題の背景には、物理的に管理することが可能な有体物を個人の意思によって移転するという世界を中心に組み立てられてきた日本の法体系が、物理的な管理・支配が不可能な「情報」を中心とする社会に十分に適合できていないという現実がある。
守秘義務違反の成否は問題の本質ではない
国家公務員法100条は、守秘義務について「職員は、職務上知ることのできた秘密を漏らしてはならない。その職を退いた後といえども同様とする」と罰則の対象としている。この「秘密」に関して、最高裁判例(昭和五二年一二月一九日)は「秘密とは非公知の事実であって実質的にもそれを秘密として保護するに値すると認められるものをいい」としている。
今回のビデオ流出でこの守秘義務違反が成立するかどうかについて、否定する見解は、国会でも一部が公開され国民の多くは事のあらましは大体知っていたことから「非公知の事実」とは言えないことなどを理由とする。一方、違反が成立するとする見解は、政府が外交関係を考慮してビデオを公開しないと決定している以上、そのビデオは「秘密」に該当し、それをYouTubeに投稿して一般人が閲覧可能な状態に置くことは「秘密漏洩」に当たるとしている。前者が「秘密」を客観的に特定された「事実」ととらえている。この場合、ビデオに含まれている「中国船が巡視船に故意に衝突してきた」という事実が公知であるか、保護に値するのか、が問題になる。それに対して、後者の見解は、中国船が巡視船に衝突する場面を含むビデオ映像自体を公開したことを漏洩ととらえている。
守秘義務違反の成否という国公法の罰則適用の問題としては、法律及び判例の文言からも、「秘密」は「事実」を意味していることは明らかであり、前者の見解のようにとらえざるを得ない。したがって、ビデオで表現されている具体的事実が、非公知であるか、保護に値するかが問題となり、結論としては、守秘義務違反の罰則適用は困難であろう。
しかし、それは今回のビデオ流出問題の本質ではない。むしろ情報素材としてのビデオが日本国民のみならず世界中で閲覧し得る状態に置かれたことにある。これまで、このビデオを公開するかどうかをめぐって国会等で激しい議論が行われてきたのも、「中国船が巡視船に衝突してきた」という事実を公表するかどうかではなかった(その事実は、既に中国船船長の釈放の段階で那覇地検が公表している)。その状況が記録されたビデオ映像を日本国民や中国国民が見た場合に、それをどう受け止め、どのような印象を持ち、どのように反応するのか、ということを考慮した上での判断であった。
特定された過去の事実であれば、客観的なものであり、解釈や主観が入り込む余地がないが、映像、音声から構成された情報素材としてのビデオは、視聴する側の事前の認識や主観によって受け止め方は異なってくる。今回のビデオを見て、中国船の動きを「露骨に意図的な衝突」と見た人もいれば「意図的ではあるがそのレベルは低い」と見た人もいるであろう。そのような情報素材としてのビデオの取り扱い、情報管理のあり方について海上保安部の取り扱いや政府の方針がどうであったのか、そこに問題がなかったのかが、今回のビデオ流出問題の核心のはずだ。
【2】
ところが、情報素材としてのビデオ映像の流出の問題であるのに事実としての「秘密」の漏洩に関する守秘義務違反の問題として扱われ行為者の海上保安官個人についての犯罪の成否に社会の関心が集中した。そして、海上保安庁の情報管理の問題は、守秘義務違反という個人の行為を招いた原因の一つのように扱われてきた。
情報素材の取り扱いについての政府の対応の問題点
今、重要なことは、ビデオという情報素材が政府の方針に反して流出したことに関して、政府や海上保安庁としての情報管理の方針や具体的対応を検証し、そこにどのような問題があったのかを明らかにし、それを前提に、流出させた海上保安官個人の行為の違法性の判断や社会的評価を行うことだ。
今回のビデオ流出に関する報道で、この点に関して重要な事実が明らかになっている。
まず、今回流出したビデオは、石垣海上保安部が、中国船船長を逮捕した後に海上保安庁内部での研修用に編集・作成されたものだとされている。そして、最近になって報じられているところによると、このビデオは、海上保安大学校に送られ、それが担当者のミスで消去されないまま、数日間、保安庁内部のパソコンでは誰でも閲覧できる状態に置かれていたとのことだ。
このような状態で多くの海上保安官がビデオを閲覧し、ダウンロードした。それが、神戸海上保安部の海上保安官がYouTubeを通じてビデオを流出させることにつながった。
今回の事件については、摘発時のビデオの取り扱いについて、9月8日の事件発生当初も、9月24日に那覇地検が「日中関係への配慮」も理由の一つとして船長を釈放した後も、政府や海上保安庁の上層部からの特別な指示は行われていなかったようだ。そして、10月18日に至って初めて馬淵国土交通相がビデオの厳重管理を指示した。
この時点で必要だったのは、この種の事案の摘発時におけるビデオ等の情報の取り扱いの現状を把握し、それに応じて情報管理を徹底することであった。それを行っていれば、研修教育用にビデオが編集され海上保安大学校に送付されていることも把握し、それに応じた対策をとることが可能だったはずだ。しかし、報道によれば、実際には、馬淵国交相の指示は、海保内で第11管区海上保安本部(那覇)、本庁関連部署、映像を撮影した石垣海上保安部だけにとどまり、海上保安庁全体に周知徹底されることはなかった。
判断の主体と責任の曖昧さが最大の原因
このような事態を招いたそもそもの原因は、中国船による公務執行妨害事件に対する国の対応の混乱にある。
【3】
船長を逮捕・勾留するという厳しい方針で臨み、10日の勾留期間を延長するなど、起訴を前提とする対応を行っていたところに、突然、検察当局が船長釈放の方針を明らかにし、その理由の一つとして「日中関係への配慮」などという外交上の判断を示し、内閣側がその検察の判断を容認したという一連の経過に、根本的な問題があった。
この事件への国の対応には、第一に、公務執行妨害事件の客観的な事実関係を明らかにし、それに基づいて刑事処分を判断すること、第二に、我が国の外交上重要な日中関係に影響がある場合には、刑事事件に関する対応において考慮すること、という二つの重要な要素があった。
第一が、基本的に事件を摘発した海上保安部と、事件の送致を受けた検察庁が刑事事件の観点から判断すべき事項であるのに対して、第二は、内閣の責任において行うべき外交上の判断であり、刑事事件の観点からの対応や処分と異なる判断が必要な場合には、外交を担当する内閣の責任において行う政治的判断であることが明示されるのが当然である。
ところが、今回の事件に関しては、当初の船長逮捕という判断が、海上保安部や検察当局だけで行われたのか、そこに内閣側の政治的判断が介在していたのか、つまり「第一の判断」と「第二の判断」の関係が明らかになっていない(一部には、当時の前原国交相の意向に基づくものであるとの報道もある)。そして、逮捕、勾留、勾留延長という船長の刑事処罰に向けての対応を一気に覆すことになった船長釈放の判断については、事件の客観的な事実関係に基づく「第一の判断」だけではなく「日中関係への配慮」という「第二の判断」を検察当局が行ったことを自ら明らかにしている。
しかし、検察に与えられている権限は、刑事事件について起訴不起訴の判断を行うこと、裁判所に処罰を求める活動を行うことに関するものである。それに関連して、刑訴法248条によって、「犯人の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により訴追を必要としないときは、公訴を提起しないことができる」として、検察官には犯罪事実が認められる場合でも不起訴にする権限が与えられているが、そこで考慮すべき事情は、あくまで、その犯罪の内容・態様や犯罪者の情状等に関する刑事事件に関するものであり、それと無関係な外交上の配慮等は、ここで考慮すべき事項には含まれない。
外交上の判断については検察官には責任を負えないのであり、それが必要であれば、検察官の権限外の事項であるから、法務大臣に請訓(処分についての指示を仰ぐための手続き)を上げ、内閣の一員である法務大臣の指揮(検察庁法14条但書)にしたがって処分を行うべきであり、それを検察当局が自ら行うのは権限の逸脱だ。もし、それが容認されることになれば、今後、同種の事案が発生したときにも、検察当局が外交上の配慮に基づいて対応や処分を行うことが容認されることになり、検察が外交の一部を担当することになりかねない。
ところが、仙谷官房長官は、そのような理由による検察当局の釈放の判断を「了とする」と述べて容認し、それ以降も、釈放は検察の独自の判断によるものとして、その判断による責任をすべて回避しようとしている。
今回の事件についてどう対応するのかについて、日本政府の中で、判断の主体と責任の所在が明らかにされ、その上で、事件に関する情報をどのように管理し、どのような目的で活用し、どのように公開するのかについての方針が明確化されることが必要であった。
ところが、事件に対する日本政府側の判断の主体と責任が曖昧にされたまま対応が行われてきたため、事件に関する生の情報素材であるビデオ等の重要な情報を海上保安部等の組織でどう取り扱うかについての方針すら明確に示されていなかった。
この種の事件の摘発時のビデオについての海上保安庁での一般的な取り扱いは、組織内で共有し研修教育用にも活用していくということだったようだ。しかし、今回の事件では、船長の逮捕が日中関係に大きな影響を与えることが予想されたのであり、事件の核心部分を撮影したビデオという情報素材が、刑事事件の資料として重要であるだけではなく、それが公開された場合に、日本と中国の国民にどういう印象を与えるのか、どのように受け取られるのか、について、処分の内容との関係で微妙な問題があることも予測し、それを踏まえたビデオの情報管理を指示すべきであった。
【4】
ところが、今回明らかになった経過によれば、事件についての日本政府の対応が揺れ動き、責任の所在すら明らかにならない混乱状態の下で、情報素材としてのビデオの取り扱いについても、当初から明確な方針は示されず、海上保安庁の内部での情報素材の拡散を招いてしまった。
今回の事件の責任をどう考えるか
では、ビデオ映像を、インターネットを通じて流出させた海上保安官の責任をどう考えるべきか。
海上保安庁内部において広範囲に閲覧可能な状態になっていたとは言っても、その組織内部に止まっていなければならない非公開の情報素材としてのビデオを外部に流出させることが許されないのは当然である。
また、ビデオ映像のような情報素材そのものを流出させる行為が、「非公知の事実」としての秘密の漏洩と比較して軽微だとは必ずしも言えない。政府が管理する情報素材としてのビデオ映像を公開するか否かは、外交問題に重大な影響を生じる場合には、慎重に検討した上で政府の責任において決定しなければないのであり、それを海上保安官個人の判断で一般人に閲覧可能な状態にする行為は許されるものではない。
非公知の「事実」を漏洩するという国公法の秘密漏えい罪には該当しないとしても、海上保安官としての職務上の義務に違反したものとして懲戒処分の対象とされるべきであろう。
しかし、一方で、今回の事件については、事件への対応の判断の主体も責任の所在も曖昧にされたまま、情報管理についての格別の方針も示されなかったことで、事件に関する情報素材であるビデオの海上保安部庁内部での拡散を招いてしまったという重大な問題がある。
それを外部に流出させるという行為は許されるものではないが、その責任を問うのであれば、情報素材の拡散を招いたことについての組織の側の責任を問うことが不可欠である。ビデオ流出という個人の行為に対する馬淵国交相の監督責任の問題だけではなく、中国人の船長逮捕という日中の外交問題に発展しかねない判断時の時点で、それに応じた情報管理の徹底を指示しなかった前原前国交相の責任も問題にすべきであろう。
情報化社会に対応できていない日本の法令、行政
現行の法体系は、私有財産制の原則の下で、物理的に管理可能な有体物をめぐる権利関係について、意思能力を有する個人が意思に基づいて行う法律行為によって権利関係が変動することを基本原則としている。しかし、現在の社会は、有体物中心の社会から情報を中心とする社会に急速に移行している。
文書のやり取りの多くが、インターネットを経由した電子メールによって行われ、個人が映像・音声等をYouTubeに簡単に公開でき、USTREAMで放送することも可能だ。インターネットは、瞬時に情報が飛び交い拡散される環境を実現した。
そこには、(1)原本と複製の区別が困難、(2)直接的排他的支配の可能性が低く「所有」を観念することができない、(3)漏洩事故があっても元のデータが消失するなどの変化が生じないため流出等に気がつくことが遅れる傾向にあり、(4)情報の流出・拡散が不可逆的に生ずるため原状を回復することが事実上不可能、(5)漏洩しているデータが誰の所有に属するか把握することが困難、などの特質がある。
このような社会において発生する様々な問題を、有体物を基本的な前提とする現行の法体系によって解決することには限界があり、現行の法体系を前提に行われている行政の対応にも限界がある。
今回の問題が、視聴者の主観や印象に影響する情報素材としてのビデオ映像の流出の問題であるのに、客観的な事実としての「秘密」の漏洩の問題として取り扱われ、秘密漏洩という個人の行為ばかりに関心が集中しているのも、情報の性質に応じて、その取り扱い、管理のルールを定め、その実効性を高めるための対応が遅れている日本社会の構造的な問題を象徴していると言えよう。
官公庁の情報管理の問題も、国公法上の守秘義務規定という旧来の「事実」中心の制裁規定での対応は困難である。情報の性質や管理の実態に応じて、ルール違反に対して適切な制裁を科すための規定の整備を行っていかなければならない。
今回の事件が日本社会に及ぼした影響は甚大である。そこから得なければならない教訓も余りに多い。
2010年11月16日(火) 郷原 信郎