昭和21年の私が4歳の時に生じた南海地震の記憶が
鮮明に残っています。
とても大きな地震で、地震が発生すると父が私を抱きかかえ
踏み段から土間に下りようとしましたが、揺れが激しく
父が土間になかなか下りることができなかったのを記憶しています。
揺れが収まり、玄関の引き戸を開き、父は私をたき抱えたまま
庭に出ましたら、屋根瓦が多数落ちて割れていたのも覚えています。
後に祖母や両親から聞いた話では、我が家は集落の高台に
あったのですが、津波が我が家の下の地域から奧高串まで来た、と
言っていて、津波の用心も肝心と言っていたのを思い起こします。
最近こちらではM6.6の大地震があり、津波こそ来ませんでしたが
あちこちで被害が生じています。我が家も棟瓦の修理が必要ですが、
業者の方の手が不足しているようで、いつ修理をして頂けるか
めどが立ちません。
余震も多発しております。地震はいきなり来ますのでとても怖い災害です。
能登地方の大地震では4ヵ月が経とうとしていますが、復興の遅れが生じています。復興支援と地震の多発する日本の地震対策が急務です。
時と予見しえぬことは、誰にも生じますので、個人としても備えをしておきたいものです。
近くの石垣の芝桜