こちらも朝晩は気温が下がるようになりました。
そうした中で初夏から咲く花トラの尾が今も咲いています。
淡いピンクの可愛い花です。
この花は私の手持ちの花図鑑には紹介されていませんでした。
今日は秋の花トラの尾とキバナコスモスを紹介致します。
裏の畑に咲いている「秋の花トラの尾」
道辺に咲いている「キバナコスモス」
こちらも朝晩は気温が下がるようになりました。
そうした中で初夏から咲く花トラの尾が今も咲いています。
淡いピンクの可愛い花です。
この花は私の手持ちの花図鑑には紹介されていませんでした。
今日は秋の花トラの尾とキバナコスモスを紹介致します。
裏の畑に咲いている「秋の花トラの尾」
道辺に咲いている「キバナコスモス」
私たち人間は、不完全であり、何かの思い煩いに陥ることがあるかも知れません。30日の夜のニュース番組よれば、現在の社会では、若者たちが希望を失い、親にも打ち明けることなくSNSで「死にたい」と訴えている件数が多いことを伝えていました。前途のある若者が「死にたい」と、誰かに訴えている状況は、深刻な思い煩いに陥った状況に違いありません。そうした方々も、祈りを聞かれる方エホバ神がいらっしゃること知って頂き、はばかりのない言葉で、お父さんエホバ神に請願してくだされば嬉しく思います(詩編102:17.ヘブライ3:6)。
では、感謝をささげ、私たちの請願を神エホバに知って頂くのは何故でしょうか。私たちが神エホバに祈願するのは、私たちを守ってくださり、試練や苦難や思い煩いから救って頂きたいからです。さらに重要なことを、フイリピの聖句は次のように教えています。
「何事も思い煩ってはなりません。ただ、事ごとに祈りと祈願をし、感謝をささげつつあなた方の請願を神(エホバ)に知っていただくようにしなさい。そうすれば、一切の考えに勝る神(エホバ)の平和が、あなた方の心と知力を、キリスト・イエスによって守ってくださるのです」(フイリピ4:6,7)。
上の聖句に記されている通り、事ごとに祈りと祈願をし、感謝を捧げつつ、私たちの請願を神エホバに知って頂くようにするのは、一切の考えにまさる神エホバの平和が、私たちの心と知力をイエスによって守ってくださるのです。神エホバの平和は愛を基盤としています(ガラテア5:22)。その神エホバの平和が、私たちの心と知力を守ってくださるとは、どういう意味でしょうか。神エホバの平和は霊の実の一つで、マイナス思考に陥らない健全な思いの心と知力、すなわち喜び、辛抱強さ、親切、善良、信仰(明白な証拠に基づき、抱く期待、希望がほしょうされていること)、温和、自制等々の優れた特質を聖霊の働きに基づき守ってくださるのです(ガラテア5:22,23)。そうすれば、積極的な思考力が守られ、「死にたい」という思い煩いからも解放され、快い道、平安の道、命の道を歩ことができるでしょう(箴言3:17,18)。あなたもそのように神エホバに請願を知って頂いている方々のお一人であれば幸いです。
暖地にも 北の冠雪 ニュースあり 今日の一句
道辺に咲いている「コスモス」
朝晩は気温が下がるようになり、すっかり秋の気候になって来ました。
庭でもメドセージの花が咲いています。
メドセージの花は独特の花びらで、一度見ると印象に残ります。
この花は私の手持ちの花図鑑には紹介されていませんでした。
今日は秋のメドセージとピンクのランタナを紹介致します。
庭に咲いている秋の「メドセージ」
ご近所の庭の秋の「ランタナ」
イエス・キリストは悪魔サタンを、始まりにおいて人殺しであり、真理の内に堅く立たず、偽り者であり、偽りの父と、教えられました、また、偽りの宗教指導者を悪魔からの者である、と厳しく指摘しました(ヨハネ8:44)。また、聖書は悪魔サタンをほえるライオンに例えて、次のように教えています。
「冷静さを保ち、油断なく見張っていなさい。あなた方の敵対者である悪魔(サタン)がほえるライオンのように歩き回って、だれかをむさぼり食おうとしています」(ペテロ第一5:8)。
上の聖句に示されている通り、悪魔サタンはわたしたちの敵対者であり、ほえるライオンに例えて、注意を喚起されています。ご承知の通り、ライオンが獲物を狙う時は、群れの動物にほえると、その群れの中の臆病なもの・恐れをもつ弱いものは、群れから離れます。ライオンはそのようにして弱い動物を捕食します。悪魔サタンは同じように、真のクリスチャンに対しても、身近な人を用い、真理を学び日の浅い人、あるいは信仰が弱まっている人、あるいは自分は大丈夫と思っている人にも、「いじめ」、「中傷」、「恐れを感じさす」、「気落ちさす」等々の方法を用いて攻撃をしてきます。
そのために、「冷静さを保ち」、霊的に目覚めて油断なく見張っている、必要があるのです。どのように冷静さを保ち、神エホバに依り頼み、対処することができるでしょうか。ダビデは詩編27編1節の中で、次のように記していますので、神エホバが「命のとりで」であることに確信を抱き、恐れを克服し、強いものとして歩むことができます。
「エホバはわたしの光、私の救い。
わたしはだれを恐れる必要があろうか。
エホバはわたしの命のとりで。
わたしはだれを恐れる
必要があろうか」(詩編27:1)
私たちはエホバからの光・真理を頂き、知恵と識別力を働かせ、先を見ることができます(箴言2:10,11)。いじめ、中傷、落胆、恐れを抱かす攻撃が加えられても、賢く予測し、冷静さを保ち、力を発揮することができます。神エホバが「命のとりで」となってくださり、必ず救いをほどこしてくださるのです。
あなたも、詩編作者と同様な神エホバへの堅い信仰を持ち、冷静さを保ち、強くあって、悪魔サタンの攻撃に対処されている方々のお一人であれば幸いです。
桐一葉 夕陽を受けて 舞いにけり 今日の一句
道辺の「キバナコスモス」
ご近所の庭のソテツとジニアが調和して
心地よい秋の庭を見せています。
こちらでは、比較的暖かい地方なので庭の広い方はソテツを
植えていらっしゃる方が見られます。
今日はソテツとジニアとランタナを紹介致します。
ご近所の庭の「ソテツとジニア」
ご近所の庭の「ランタナ」