皆様方の中にも、信頼していた人に裏切られ、悲痛を味わった方がいらっしゃるかも知れません。一方、どんな試練の時も愛の絆で力になってもらった真の友に恵まれた方もあるのではないでしょうか(箴言17:17)。先に紹介しました通り、ダビデ王は妻に裏切られ、かつ息子アブサロムから追われ、命がけで逃げざるを得ませんでした。
ダビデ王には忠節を保つ者は一人もいなかったのでしょうか。逆境に遭ったと間ずっと、ダビデは忠節な方がおられることを意識していました。どなたでしょうか。それは、神エホバです。ダビデは、神エホバについて、「忠節な者には、あなたは忠節をもって行動されます」と述べました(サムエル第二22:26)。忠節とは何でしょうか。神エホバはこの特質をどのように示しておられるでしょうか。
ヘブライ語聖書での用法において、「忠節」とは、愛情を込めて対象に密着し、その対象に関連した目的が実現するまで離れない親切のことです。忠節には忠実であること以上のことが含まれています。結局のところ、人は単なる義務感から忠実な場合があります。それに対して、忠節は愛に根ざしています。また、「忠実な」という語は無生物に関して用いられています。例えば、詩編作者は月を、「空における忠実な証人」と呼び、書き記しています(詩編89:37)。月は、地球の衛星で、地球の周りを規則正しく回り、夜に現れるからです。しかし、月が忠節であるとは言えません。なぜでしょうか。忠節は愛の表われで、無生物が発揮し得ない特質だからです。
聖書的な意味において、忠節には温かさがあります。忠節が示されるだけで、その特質を発揮している人とその対象となる人との間につながりがあることが暗示されます。そのような忠節は気まぐれなものではありません。風の吹くままに乱れる海の波のようではないのです。むしろ、忠節つまり忠節な愛には、どれほど手ごわい障害をも克服する安定性と強さがあります。
確かに今日、そのような忠節はそれほど見られません。近しい仲間同士が「互いに打ち砕こうとする」ことも少なくありません。配偶者を捨てる人のことを、ますます耳にするようになりました(箴言18:24.マラキ2:14~16)。不忠節な行いが余りにも多いために、「忠節な者は地球からうせた」という預言者ミカの言葉に同意なさる方も多いのではないでしょうか(ミカ7:2)。人間は往々にして愛ある親切を示しませんが、忠節は神エホバの際立った特質です。事実、忠節の意味するところを正確に学ぶ最善の方法は、神エホバが愛のこの素晴らしい一面をどのように発揮しておられるかを調べることです。
次回は、比類のない神エホバの忠節についてお伝え致します。引き続きお読み下されば嬉しく存じます。
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満開の 山桜見ゆ 峠越え 今日の一句
宇和島市知永(ちなが)峠の山桜