皆様方は、立派な技術を学び、その円熟した技術を用いて社会に貢献し、永遠にそのことができたら素晴らしい、と、お考えになったことは無いでしょうか。しかし、この事物の体制下では、良い仕事を身に付けても老化と共に、その能力を発揮し続けることができなくなることにもどかしさを感じることは無かったでしょうか。もし、いたずらに労することもなく、自分の能力を喜びのうちに存分に発揮できる新しい社会が実現することを神エホバが保証なさっているなら、あなたはどう思いますか。そのような義の宿る新しい社会・楽園に住んでみたいと思われますか(ペテロ第二3:13)。きっとそう思われるに違いありません。神エホバは、預言者イザヤを通して、間もなく回復される義の宿る新しい社会・楽園での生活を次のように予告しています。
「そして、「わたしは病気だ」と言う居住者はいない。その地(回復される義の宿る地上の楽園)に住んでいる民は、自分のとがを赦された者たちとなるからである」」(イザヤ33:24)
「そして 彼ら(エホバに祝福される民)は必ず家を建てて住み、必ずぶどう園を設けてその実を食べる。彼らが建てて、だれかほかの者が住むことは無い。彼らが植えて、だれかほかの者が食べることはない。わたし(エホバ)の民の日数は木の日数のようになり、わたし(エホバ)の選ぶ者たちは自分の手の業(能力)を存分に用いるからである。彼らはいたずらに労することなく、騒乱のために産み出すこともない。彼らはエホバの祝福された者たちからなる子孫であり、彼らと共にいるその末孫もそうだからである。そして、彼らが呼ばわる前に、わたし(エホバ)自身が答え、彼らがまだ話していないうちに、わたし(エホバ)自身が聞くことになる。
「おおかみと子羊が一つになって食べ、ライオンは雄牛のようにわらを食べる。蛇に関しては、その食物が塵となる。これらはわたしの聖なる山(神の王国)のどこにおいても、害することも損なうこともない」と、エホバは言われた」(イザヤ65:21~25)。
上の聖句に示されている通り、神の王国がこの事物の体制を終わらせ、回復される義の宿る新しい社会・楽園での生活は(ペテロ第二3:10~13)、エホバに選ばれた「大群衆」の民は、自分の手の業(能力)を存分に用い、喜びのうちに永遠に亘って、満足のゆく生活ができるようになることが保証されています(啓示7:9,14.イザヤ65:22)。もはや老化し死に至ることもなく、嘆きも叫びも苦痛もない、真の平和の回復した新しい地上の社会で、各自がその賜物を存分に生かすことができるのは、何と大きな歓びでしょうか(啓示21:4)。間もなく回復される神の王国の地上の楽園では、いたずらに労することも、騒乱のために生み出すこともなく、義の宿る新しい社会で存分に各自の能力が発揮できるようになるのです。あなたも、きっとこのような祝福にあずかりたい、と思われるのではないでしょうか。
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まくわうり 自然の甘さ 広がりぬ 今日の一句
庭に咲いている「山百合」