子供のころからこの時期になると柔らかな草に
小さな白い花を咲かせるのは「ヒヨ子草」と言って
文字通りヒヨ子に草を刻んで米ぬかと一緒に食べさせていました。
正式名が「ヒヨ子草」と、いうのかどうかは定かではありません。
小さな花ですが可愛い花です。
今日はヒヨ子草と小田原の紅梅を紹介致します。
畑に咲いている「ヒヨ子草」
新潟の写真家の提供の「小田原の紅梅」
子供のころからこの時期になると柔らかな草に
小さな白い花を咲かせるのは「ヒヨ子草」と言って
文字通りヒヨ子に草を刻んで米ぬかと一緒に食べさせていました。
正式名が「ヒヨ子草」と、いうのかどうかは定かではありません。
小さな花ですが可愛い花です。
今日はヒヨ子草と小田原の紅梅を紹介致します。
畑に咲いている「ヒヨ子草」
新潟の写真家の提供の「小田原の紅梅」
詩編114編には、エジプトの地から神エホバがイスラエルの民を救出する時に行われたくすしい業の紅海を二つに分けたこと、ヨルダン川を止めたこと、岩から水を流れるようにしたことが記されていました。神エホバの愛ある親切のくすしい救出の業を知ると、神エホバに感謝し、近づくことが出来ます(ヤコブ4:8)。今日紹介する詩編115編の3節~9節には、諸国の人々が行なっている偶像崇拝の空しさが実に分かりやすく記されています。偶像に口があっても話すことができないこと、耳があっても聞くことが出ないこと、等々が記されています(詩編115:4~7)。偶像崇拝は空しいだけではなく、偶像崇拝者のその結末も記し、偶像崇拝を避けるように促しています(詩編115:8)。あなたはどう思われますか。
詩編115編1節~9節には、下記のように記されています。皆様方はみ言葉からどのような宝を見いだされるでしょうか。
「エホバよ、わたしたちには何も属していません。
わたしたちには何も属していません。
あなたの愛ある親切とあなたの真実にしたがって、
ただあなたのみ名に栄光を
帰してください。
2 なぜ諸国の民が言ってよいでしょうか。
「彼らの神は一体どこにいるのか」と。
3 しかし、わたしたちの神(エホバ)は天におられ、
すべてその喜びとすることを
行われた。
4 彼ら(諸国民)の偶像は銀や金であり、
地の人の手の業である。
5 口はあっても、話すことはできない。
目はあっても、見ることはできない。
6 耳はあっても、聞くことはできない。
鼻はあっても、かぐことはできない。
7 手を持ってはいても、触ることはできない。
足を持っていても、歩くことはできない。
のどを使って声を出すわけでもない。
8 これ(偶像)を作る者たちはまさしくこれと
同じようになる。
すべてこれ(偶像)に
依り頼んでいる者たちは。
9 イスラエルよ、エホバに依り頼め。
神(エホバ)は彼らの助けであり、
彼らの盾である」(詩編115:1~9)。
上の聖句に記されている通り、偶像崇拝は空しいのです。金や銀で造られていても「人の手の業」ですから、偶像には命がなく、慰めの言葉を話すことも、あなたの願いを聞くことも、あなたを見ることもできません。偶像は鼻で嗅ぐことも、手であなたを触ることも、愛する家族を優しく抱きしめることもできません。偶像は歩いてあなたに近づくこともできません。誰かを助けに行くこともできないことをだれもが知っているはずです。それでも諸国の多くの人々は偶像崇拝に陥っています。偶像を崇拝する者は「肉の業」を行なっており、神の王国を受け継ぐことはありません(ガラテア5:19~21).上の詩編の聖句は偶像崇拝行う宗教に属さないように勧めています(詩編115:1)。さらに、偶像崇拝を習わしにする者の結末は偶像と同じになることを記し、私たちに警告されていることも覚えておきたいものです(詩編115:8)。ご承知の通り、偶像には木像、石像、金や銀で造ったもの、紙に印刷されたもの、お守り、石碑、人間、更には水や海や山や太陽と実に多くが人類社会の中で崇拝の対象に用いられています。神エホバの教えに注意深く従い、平安と義の道を歩みたいものです。詩編115編9節には、神エホバに依り頼むことが、身の保護となることが明記されています(箴言3:5~7)。あなたも神エホバに依り頼む人のお一人であれば幸いです。
学生ら 食べ歩きする 街うらら 今日の一句
裏の畑家の「ホトケノザ」
早くも明日からは3月です。
我が家の庭ではスミレが早くから咲き、
さらに、緋桜もほぼ満開になり、春の到来を告げています。
花々や花木は正確に季節の変化を教えてくれています。
今日は2月21日~28日までに詠んだ俳句を紹介致します。
白梅や 切り花となり 道の駅
梅の蜜 求めしメジロ 可愛いね
逆さなり 蜜を求めし メジロかな
ミカンの実 ヒヨドリ突く 午後の庭
日向ぼこ いつから見えぬ 老婦人
一本の 木立に雪の 花の咲く
ー 新潟の写真家の作品を見て -
甘平(かんぺい)を 求める婦人 品定め
お隣の 婆ちゃん庭で 日向ぼこ
青く澄む 冬の星空 魅了せリ
鳩たちの 集いのどかや 日向ぼこ
S字形 轍続きし 雪景色
ー 新潟の写真家の作品を見て -
幼き手 母に結ばれ 街うらら
古木なり 惜しみなく咲く 梅の花
春光や 天守閣壁 白きかな
甘平を 求めし夫婦 笑み優し
- 甘平は高価な柑橘です -
新潟の写真家の提供の「雪景色」
春の到来で「デコポンを食べるメジロ」
春の到来を告げる庭の「緋桜」
やや下向きに咲く「クリスマスローズ」
春を告げている庭の「スミレ」
畑に咲いている「ホトケノザ」
庭木の枝にデコポン(柑橘)を半分に切って挿して置くと
メジロとヒヨドリがどこからともなく来て食べています。
柑橘の実を雀が食べることはありません。
デコポンを食べるメジロの写真を何とか撮ろうと近づくのですが、
直ぐに飛び立ってうまく撮ることができません。
27日の朝にやっと一枚撮れました。
今日はデコポンを食べるメジロと越後の冬景色を紹介致します。
デコポンを食べに来た可愛い「メジロ」
新潟の写真家の提供の「越後の冬景色」
- 27日も雪が降ったそうで、
温暖な地とは大きな違いがあります -
詩編113編には、神エホバは「日の昇る所から沈む所に至るまで」、つまり世界中で「エホバのみ名は賛美されるべきもの」と記されていました。さらに、神エホバは非常に高い方なので、「天をご覧になる」にもご自分の身を低くする必要があります。宇宙の主権者であるにも関わらず、謙遜に立場の低い人、貧しい人、うまずめに対する優しい同情心を示されることが記されていました。神エホバはそのように模範を示し、人々が見倣って同じようにすることを望んでおられるのです。今日紹介する詩編114編には、紅海、ヨルダン川、シナイ山でエホバがご自分の民に行われた素晴らしい業について記されています(詩編114:3~8)。神エホバが民のために行われたくすしい業を知ると、私たちは愛ある親切に満ちる神エホバの業に心を動かされるはずです。「地」で表わされている人類は、主エホバ神ゆえに比ゆ的な意味で「激しい痛みを覚える」、つまり、畏敬の念を抱くべきことを教えています(詩編114:7)。
詩編114編には、下記のように記されています。皆様方はみ言葉からどのような宝を見いだされるでしょうか。
「イスラエルがエジプトから、
ヤコブの家が、理解できない話し方をする
民(エジプトの民)から出て行ったとき、
2 ユダはその(エホバの)聖なる場所となり、
イスラエルはその大いなる領土となった。
3 海(紅海)でさえ見て、逃げ去った。
一方、ヨルダン(ヨルダン川)は
引き返しはじめた。
4 山々は雄羊のように、
丘は子羊のように跳ね回った。
5 海(紅海)よ、どうしたのか、お前が逃げ去るとは、
ヨルダン(ヨルダン川)よ、
お前が引き返しはじめるとは。
6 山よ、お前たちが雄羊のように、
丘よ、お前たちが子羊のように
跳ね回るとは。
7 地(人類)よ、主(エホバ神)のゆえに、
ヤコブの神(エホバ)ゆえに、
激しい痛みを覚えよ。
8 神(エホバ)は岩を葦の茂る水の池に、
火打ち石のような固い岩を
水の泉に変えておられる」(詩編114:1~8)。
上の聖句に記されている、エジプトから脱出するイスラエルの民を救出するために、モーセを用い、紅海を二つに分けた業は出エジプト記14章13節~31節に詳しく記されています。神エホバの紅海を二つに分けたくすしい業を「海(紅海)でさえ見て、逃げ去った」と詩的に表現しています(詩編114:3,5)。さらに、神エホバはご自分の民を約束のカナン(現在のイスラエル)の地にヨルダン川の流れを止めて渡らせたときのくすしい業のことは、ヨシュア記3章9節から17節に記されています(詩編114:3,5)。エホバが荒野で民に水を与えるために岩から水が流れ出るようにされたくすしい業は、出エジプト記17章1節~7節に記されています。神エホバは水の豊富な土地を与え(申命記8:7)、民が神エホバに従う限り、彼らへの給水を祝福すると約束されました(出エジプト記23:25.詩編114:8)。神エホバの愛ある親切の善良さを理解すると、神エホバに感謝し、近づくように心が動かされるのではないでしょうか(ヤコブ4:8)。
幼き手 母に結ばれ 街うらら 今日の一句
生け花の「バラとグロリオーサ」