使徒パウロはフィリピのクリスチャンたちに次のように、何事も「他の人が自分より上であると考え」、謙遜になり、他の人の益を図るように勧めました。
「何事も闘争心や自己本位の気持ちからするのではなく、むしろ、他の人が自分より上であると考えてへりくだった思いを持ち、自分の益を図って自分のことだけに目を留めず、人の益を図って他の人の事にも目を留めなさい」(フィリピ2:3,4)。
上の聖句に記されている通り、何事も、「何事も他の人が自分より上であると考えて」謙遜になり、人の益を図り、人の益を心に留めるように勧めています。何度も紹介致しましたが、現在の社会は「終わりの日との対処しにくい危機の時代」に生活していますので、自己中心、金銭第一、ごう慢な者、善良さを愛さず、誇りのために思い上がる者が多い世の中となっています(テモテ第二3:1~5)。こうした世の中に生活していると、謙遜な生き方は勇気が求められます。神エホバは私たちに勇気を出し、強くあるように求めておられます(ヨシュア1:5~9)。
パウロは上の聖句を述べた後で、イエス・キリストの精神態度を見倣い、その生き方を保つように、私たちに促しています。イエスが手本として示された、神エホバの子供でありながら、地上に遣わされている間、自分を無にし、謙遜に人々に仕え、死に至るまで神エホバに従順であったその精神態度にを見倣い、生き方に保つように勧めました(ペテロ第一2:21.フイリピ2:5~8)。イエスは不完全な人間の益を優先し、謙遜でした。それは、私たちが労苦を背負おう生き方から、心地よく爽やかな生き方に転じるためのイエスの優しい愛情と同情心の表われでした(マタイ11:28~30)。イエスの生き方の手本から謙遜という特質は神エホバへの従順という生き方と深く関係し、そのことが他の人を益する生き方を示すことができるようになることを教えています。
そのため、聖書の箴言(しんげん)は、「謙遜とエホバへの(健全な)恐れからもたらされる結果は、富と栄光と命である」と教えています(箴言22:4)。私たちの謙遜という特質と神エホバへの健全な恐れを抱いた従順という特質は、他の人から喜ばれるだけではなく、神エホバからの祝福に欠かせない特質なのです。
また、パウロは上の聖句を述べる前に、「優しい愛情と同情心が少しでもあるなら、あなた方が(わたしパウロと)同じ思いを持ち、同じ愛を抱いているのだという点で、わたしの喜びを満たしてください。・・・」と記しています(フィリピ2:1,2)。何事においても他の人が上である、という謙遜な特質を培うなら、他の人の益を図り、優しい愛情や同情心を培い、他の人を築き上げる言葉を話すことができるでしょう(コリント第一8:1.エフェソス4:29)。あなたも、謙遜という特質を培い、生活に適用されている方のお一人であれば幸いです。
WWW.JW.ORG
美しや 銀杏黄葉 仰ぎ見る 今日の一句
バラの愛好家の「初冬のバラ」