白のオキザリスの花が、陽が射すとお隣の庭で花弁を開きます。
オキザリスはギリシャ語で「すっぱい」の意味です。
花期は、10月~4月です。
用途は花壇、鉢植えです。
花言葉は「輝煌」と紹介されています。
今日は白のオキザリスと次々と咲く黄色のカタバミを紹介致します。
お隣の庭の「オキザリス」
庭で次々と咲く「カタバミ」
白のオキザリスの花が、陽が射すとお隣の庭で花弁を開きます。
オキザリスはギリシャ語で「すっぱい」の意味です。
花期は、10月~4月です。
用途は花壇、鉢植えです。
花言葉は「輝煌」と紹介されています。
今日は白のオキザリスと次々と咲く黄色のカタバミを紹介致します。
お隣の庭の「オキザリス」
庭で次々と咲く「カタバミ」
聖書のイザヤ書には、神エホバとの契約下かの民が、甚だしい不道徳に依る腐敗に陥ったことが記されています(イザヤ3:8,9)。それでも神エホバは、ご自分の民に、預言者イザヤを通して、愛ある世話に関する約束をされました。その内容がイザヤ書に次のように記されています。神エホバの辛抱強く、親切な愛を理解すると、神エホバに近づくことができるでしょう(ヤコブ4:8)。
「エホバが裁きの霊と焼き払う霊とによって、シオンの娘たちの糞便(エホバの契約下の民の不道徳に依る腐敗)を洗い流し、エルサレムの流血おもその中からすすぎ落されるとき、エホバはまた、シオンの山のすべての定まった場所とその大会の場所の上に、昼は雲、そして煙、さらに夜は燃え立つ火の輝きが必ず創造される。すべての栄光の上に覆いがあるからである」(イザヤ4:4,5)。
このイザヤの聖句の前に預言者イザヤは、派手な装飾品の下に不道徳に依る腐敗を隠した「シオンの娘たち」を叱責しました。また、イスラエルの人々全般の流血罪を暴き、身を清めるよう勧めました(イザヤ1:15,16;3:16~23)。しかし、ここでイザヤは、将来、神エホバご自身が人々の「糞便」、つまり不道徳に依る汚物を「洗い流し」、「血痕を洗い清める」時のことを見通して記しています(イザヤ4:4)。その清めはどのようにもたらされるのでしょうか。「裁きの霊」と「焼き払う霊」とによってもたらされます。来たるべきエルサレムの滅びとバビロンへの流刑は、汚れたイスラエル国民に対する、エホバ神の裁きと燃える怒りの突風のような表明となるのです。そうした災いを生き残って故国に帰る残りの者は、謙遜な者、精錬された者となっていることでしょう。だからこそ、彼らは神エホバにとって聖なる者となって、憐れみを受けるのです(マラキ3:2,3)。
神エホバは、イザヤを通して、それら清められた残りの者に愛ある世話を施すと約束しておられます。「雲」、「煙」、「燃え立つ火」という表現は、モーセによってエジプトを出たイスラエル人を神エホバが世話された時のことを思い出させます。「火と雲の柱」が、追跡して来るエジプトの兵からイスラエル人を守り、またそれが荒野では、彼らを導きました(出エジプト記13:21,22;14:19,20,24)。神エホバがシナイ山でご自身を現わされた時、その山は「全山が煙り」ました(出エジプト記19:18)。ですから、清められたエホバとの契約下にあったイスラエルの民は恐れる必要がありません。神エホバが保護者となってくださいます。神エホバの民が自宅で集まろうと、聖なる大会に集い合おうと、神エホバは共にいてくださり、愛ある世話をしてくださるのです。現在のエホバの民も、エホバの愛ある世話を受けることが出来ます。
あなたも、このような辛抱強く、親切な愛ある神エホバと共に歩むの多くの方々のお一人であれば幸いです(コリント第一13:4.ミカ6:8)。
鬼北地は ピンクの梅の 残り咲き 今日の一句
道辺の「椿」
庭で雀に毎朝パンくずを与え始めて、7,8年になります。
雀は私がパンくずを与えてくれる人であることは分っていて、
私が庭に出ると餌場の横の木の枝に来て、パンくずを督促します。
しかし、雀は警戒心が強く手元に来ることはなく、私がパンくずを置いて
その場を離れると、直ぐパンくずに来て食べ始めます。
雀が安心して手元に来て遊んでもらえないかと、期待してパンくずを
与える日々です。どなたか、雀が手元に来るようになった事例をご存知ですか。
今日は餌場の雀と寒緋桜を紹介致します。
我が家の「餌場の雀たち」
庭に咲く「寒緋桜」
- 寒緋桜は下向きに咲き、写真を撮ると花びらの
下側が暗く写るので再挑戦してみました -
特にご年配の方であれば、人の命の短さを痛感させられるに違いありません。若い時から蓄えた世の中に役立たせるために蓄えた知識や識別力は増加する半面、それを生かすための体力が高齢によって衰えて来ます。愛する家族や友や同僚や同級生の死に直面すると、人生の短さに驚きます。そればかりか、今日、人類が直面している諸問題から解放されることを切望して多くの誠実な方々の努力にもかかわらず、願いは満たされないでいます。真の平和を願って、誰もが教育を受け、法や秩序を守っているにも関わらず、増加する国家間の対立、軍備費、特殊詐欺、性の不道徳、不公正(不義)の蔓延、自己中心や金銭第一主義、殺人事件、児童虐待等々を食い止めることが出来ません。まさに、この事物の体制下は「対処しにくい危機の時代」です(テモテ第二3:1)。
聖書のヨブ記には、次の言葉が記されています。
「女から生まれる人は、短命で、動揺で飽き飽きさせられます。(動揺をもたらす諸事件は)花のように出て来ては、切り取られ、影のように飛び去って、とどまることがありません」(ヨブ記14:1,2)。
上の聖句をお読みなって、同感なさる方も多いに違いありません。この事物の体制下の今の社会は、その通りであると言えるでしょう。米国の元上院議員はこう述べました。「冷戦は終わった。しかし、痛ましいことに、安全になったはずの世界は今、民族的、部族的、宗教的な復讐と残虐行為の温床となっている。・・・我々が道徳基準をあいまいにしてきたために、若者たちの多くは当惑し、落胆し、深刻な問題を抱えている。我々は親の怠慢、離婚、児童虐待、十代の望まない妊娠、落ちこぼれの生徒、非合法の薬物、暴力だらけの街といった結果を刈り取っている。まるで自分の家が、冷戦という名の大地震を切り抜けたものの、白アリに食い荒らされているかのようである」(ガラテア6:7,8)。
でも、悲嘆し希望を失わないでください。聖書の箴言(しんげん)の書には、神エホバからの思考力、知識や知恵を学び、心の中で快いものとなるなら、思考力と識別力が私たちを試練・諸悪から保護します(箴言2:10,11)。さらに、神エホバからの知恵や識別力を学び適用するなら、それは金や銀やさんごに勝り、人生は快い道、平安の道、命の木、つまり命の道となり、神エホバから「幸いな者」と呼ばれるのです(箴言3:13~18)。加えて、神エホバから出る教えの実・霊の実の愛、喜び、平和、辛抱強さ、親切、善良、信仰(信仰とは、明白な証拠に基づき、抱く期待、希望が保証されていること)、温和、自制を培うなら、動揺をもたらす「肉の業」から離れることができ、永続する平安と義の道を歩めます(ガラテア5:19~23.イザヤ48:17,18)。
あなたも、イエスの教えられた「思慮深い人」として歩む方々の中のお一人であれば幸いです(マタイ7:24,25)。
越後では 雪上花火 町興し 今日の一句
- 越後の写真家の作品を見て -
椿の「太田白」
こちらでは、陽射しが柔らかい春の陽射しになって来ました。
満開の河津桜は黄緑の葉が目につくようになりました。また庭では
寒緋桜が咲き春の到来を告げています。
引き続きアーモンドの花が咲けば、いっそう暖かい春の陽射しになります。
皆様方のお住いの地方は如何でしょうか。
今日は2月21日~25日までに詠んだ俳句を紹介致します。
柑橘や 新品種の 多かりし
並びたる 媛マドンナの 艶やかや
デコポンや 張りあり美味し 朝の卓
二月にも 海辺集落 雪残る
ー 越後の写真家の作品を見て -
沖縄の 平和の願い 2月かな
春来るも 平和の願い なお険し
ー 沖縄県民の 平和を願う辺野古基地移転反対多数の
意思表示にも関わらず、政府、防衛省の方針を聞いて -
慎ましや 寒緋桜の 下向きて
庭の慎ましく咲く「寒緋桜」
庭に咲いている鮮やかな「キンポウゲに似た花」
宇和島市JR駅前通り
河津桜に来ているメジロ
庭に次々と咲く鮮やかな「カタバミ」