神エホバはイザヤを通して、偉大な創造者エホバ神に敬虔な専心を保つことの重要性と豊かな報いを告げられました(イザヤ33:15,16)。
次にイザヤは、輝かしい将来を見せて、次のように告げ知らせました。
「あなたは輝かしい王を見つめ、遠い土地を見る。心の中で恐怖を思い起こす。「秘書官はどこにいるのか。貢ぎ物を量った者はどこにいるのか。塔を数えた者はどこにいるのか」。横柄な民を見ることはもうない。彼らの言語はあまりに曖昧で理解できず、口ごもるので言葉を聞きとれない」(イザヤ33:17~19)。
神エホバに忠実なユダヤ人は、将来のメシアなる王の神の王国を遥か先に望み見ることしかできませんが、幾十年にも亘るバビロンでの流刑中、その王と神の王国に関する約束に支えられます(ヘブライ11:13)。メシアの支配がついに実現する時、バビロンの圧制は遠い過去の記憶となります。暴虐なアッシリア人の攻撃を生き残った人々は嬉しくなって、こう言うでしょう。「秘書官はどこにいるのか。貢ぎ物を量った者はどこにいるのか」(イザヤ33:18)。
イザヤの言葉がバビロン捕囚からの回復を保証しているとはいえ、個々のユダヤ人流刑者が預言のこの部分を完全な成就にあずかるには、復活を待たなければなりません。今日の神の僕・エホバの証人のクリスチャンたちの場合はどうでしょうか。1914年以来、霊的な実に満ちたメシアなる王イエス・キリストを「見つめる」、つまり識別することができています(詩編45:2;118:22~26)。その結果、サタンの邪悪な体制の圧迫を行う「横柄な民」から救われる経験をして来ました。そして神の王国の座であるシオンのもとで、真の霊的な安全を享受しているのです。さらにイザヤは何を告げるでしょうか。その内容は次回にお伝え致します。
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イチジクの 甘き美味しさ 満ち足りる 今日の一句
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