昨日は、聖書に記され私たちがその特質を学び適用するように勧められている神エホバから出る教えの実・霊の実の愛、喜び、平和、辛抱強さ、親切、善良、信仰、温和、自制の九つの要素をお伝えさせて頂きました(ガラテア5:22,23)。霊の実は愛から始まり、愛が基軸となっています。この霊の実を九つの特質からなる、完全な球体で比喩表現される方もいます。どれか一つの要素が欠けていると球面は凹みます。私たち人間は不完全ですから、完全な球体になっていないかも知れません。それでも、神エホバが霊の実を培い適用するように勧めておられるのは、神の言葉は生きていて、愛の神エホバから出る活動する力・霊が私たちに力を及ぼし、神エホバが喜ばれる霊の実を反映する人に成長させてくださるのです(ヘブライ4:11)。繰り返しますが霊の実は「愛」から始まっています。では神エホバが教える「愛」とはどのような内容でしょうか。聖書には次のように記されています。
使徒パウロは、「愛」を説明する導入部で、み使いの言葉・聖書のみ言葉を語っても愛がなければ「ただ鳴り響くシンバルとなっています」と述べ、次のように記しています。「すべての神聖な奥義とすべての知識に通じていても、また、たとえ山を移すほどの全き信仰を持っていても、愛がなければ、何の価値もありません。そしてほかの人たちに・・・自分の体を渡して自分を誇れるようにしたとしても、愛がなければ、わたしには何の益もありません」(コリント第一13:1~3)。
「愛は辛抱強く、また親切です。愛はねたまず、自慢せず、思い上がらず、みだりな振る舞いをせず、自分の利を求めず、刺激されてもいら立ちません。傷つけられてもそれを根に持たず、不義を歓ばないで、真実なことと共に歓びます。すべての事に耐え、すべての事を信じ、すべての事を希望し、すべての事を忍耐します。
愛は決して絶えません。・・・」(コリント第二13:4~8)。
上の聖句の「愛」についての説明と、皆様方がお持ちの国語辞典の「愛」についての説明を比較考察される方は幸いです。このコリント人への手紙は、使徒パウロが神エホバの霊感を受け、西暦55年に書き終えたものです。日本の歴史と比較し、クリスチャンと呼ばれる人たちは、当時から聖書の価値ある真理を学ばれていたことをご理解してくだされば嬉しく思います。
神エホバの教えの「愛」とは、どのような内容かを熟考し、心の書き板に記し、できることからご自身の生活の中に適用される方々は幸いです。
上の聖句からお分かりと思いますが、私たち人間は同じ人間であっても、最初のアダムから罪を受け継ぎ不完全になり、気短で不親切な人がたくさんいることを教えています(ローマ5:12)。そればかりではなく、他の人にねたみを抱く人、自慢する人、みだりな振る舞いをする人、自分の利を優先し求める者、有害な言葉で刺激しいら立たせる人、誹謗中傷し傷つける人、不義を歓ぶ人、真実なことを共に歓ばない人、すべての事を耐え、信じ、希望し、忍耐しない人がいるのです。それでもあきらめないで下さい。み言葉・聖書は上の「愛」について熟考し適用できるように、「古い人格」を脱ぎ捨て「新しい人格」を身に着けることができることを親切に教えてくださっています(エフェソス4:22~24)。
私たちは神エホバに喜ばれる愛を培う必要があるのは、神エホバを愛し、隣人を自分自身のように愛さなければならないからです(
マタイ22:36~40)。加えて私たちが幸福に生きることを神エホバは願い、神に「神の像(かたち)」に創造されていることの証しとなるからです(創世記1:26,27)。
聖書は神エホバは愛の源であることを次のように教えています。
「愛さない者は神(エホバ)を知るようになっていません。神(エホバ)は愛だからです」(ヨハネ第一4:8)。
人類がアダムとエバから受け継いだ罪と死からの解放のために、最大の愛を表わされたのは唯一まことの神エホバとそのみ子イエスです。聖書には次のように記されています。
「というのは、神(エホバ)は世(一般の人類)を深く愛してご自分の独り子(イエス)を(贖いの死のために)与え、だれでも彼(贖いの死を遂げたイエス)に信仰を働かす者が滅ぼされないで、永遠の命を持てるようにされたからっです」(ヨハネ3:16)。
愛が神エホバとそのみ子イエスと、私たち人間にとってどれほど重要かをご理解くださり、聖書の教えの愛を培い、生活に適用される方々は幸いです。
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