方丈記 13
原文
その所のさまをいはば、南にかけひあり。岩を立てて、水をためたり。林の木ちかければ、つま木をひろふに乏しからず。名を音羽山といふ。まさきの葛跡うづめり。谷しげけれど、西はれたり。観念のたより、なきしにもあらず。
春は藤波を見る。紫雲のごとくして、西方に匂ふ。夏は郭公を聞く。語らふごとに、死出の山路を契る。秋はひぐらしの声、耳に満り。うつせみの世をかなしむほど聞こゆ。冬は雪をあはれぶ。積り消ゆるさま、罪障にたとへつべし。若、念仏物うく、読経まめならぬ時は、みづから休み、身づからおこたる。さまたぐる人もなく、また、恥づべき人もなし。ことさらに無言をせざれども、独り居れば、口業(くごふ)ををさめつべし。必ず禁戒を守るとしもなくとも、境界(きやうがい)なければ何につけてかやぶらん。若、跡の白波にこの身を寄する朝には、岡の屋にゆきかふ船をながめて、満沙弥(まんしやみ)が風情を盗み、もし桂の風、葉を鳴らす夕には尋陽(しんやう)の江を思ひやりて、源都督(げんととく)のおこなひをならふ。若、余興あれば、しばしば松のひゞきに秋風楽をたぐへ、水のおとに流泉の曲をあやつる。芸はこれつたなけれども、人の耳をよろこばしめむとにはあらず。ひとりしらべ、ひとり詠じて、みづから情をやしなふばかりなり 。
現代語訳
庵のある場所の様子を言うと、南側に掛樋がある。岩を組み立てて水を貯めている。林の木が近くにあるので薪は十分にある。名を音羽山という。つるまさきが道を覆っている。谷は木が生い茂っているが西側は開けている。だから西方極楽浄土を観想する便宜がないわけではない。
春は藤の花波を見る。紫雲のような西方を思う。夏は郭公の鳴き声を聞く。聞くたびに死出の山路を教えてくれる。秋は蜩(ひぐらし)の声が耳を満たす。この世に生きることを哀しむほど聞く。冬は雪をうっとりと見て過ごす。雪が積もり消えていくようすは人間がこの世で犯す罪が積もり消えていくようすのようだ。もし、念仏をあげることが面倒な時は、気ままに休み、怠けることだ。妨げられる人もなく、また恥ずべき人もいない。わざわざ無言の行をしているわけではないが、一人でいる以上、言葉による災いが起きることもない。何としても戒を守ろうとしなくとも世俗にまみれることもなく、何についても戒を破るようなことはない。もし行く船の跡に起きる白波のたちまちにして消えてしまう儚さをこの身に思いを寄せる朝には岡の屋の辺りを行き交う船を眺めて満誓沙弥(まんせいしやみ)の風情になって、もし桂の木を吹く風の葉音のする夕べには白楽天が尋陽江で琵琶の音を聞いた故事を思いやって桂大納言経信わ真似て琵琶を演奏する。もし、興がのればしばし松に吹く秋風を楽しみ、水の音に合わせ流泉の曲を楽しむ。琵琶を弾く技は拙くとも人の耳を楽しませないとも限らない。一人で弾き、一人で詠い、自分の心を癒すだけのことだ。
楽器「琵琶」と語りについて 白井一道
紀元8世紀、唐王朝が成立する。唐王朝は西方の遊牧民が漢民族化して成立した制服王朝である。遊牧民族は東西交易の民でもあった。8世紀には中東において巨大なイスラム帝国が成立している。イスラムはまた交易の民でもある。8世紀は東西文化が交流した時代でもある。この時代に流行した楽器の一つが琵琶である。
唐時代の詩人、白居易は詩《琵琶行》の中で琵琶演奏のすばらしさを描いている。今でも中国人は琵琶というとこの詩を想い出すという。
「都から左遷されて地方に向かう白居易は、秋の夜、波止場の舟で琵琶の音を聞きます。田舎では聴けないようなすばらしい音色に惹かれて、音の主を探すと、昔、都で華やかな演奏を披露し、今は落ちぶれて田舎をさまようようになった老婆が、昔を想い出しながら琵琶を奏でます」。
太い弦で弾く音は激しい雨のようであり、細い弦で弾く音は小声でひそひそ話をしているようだ。 それを交互に弾いていくと、あたかも玉盤に大小の珠を落としたような響きになる。これ「大珠小珠落玉盤」と言っている。曲の最後には、4つの弦を一斉に払って、絹を裂くような気合いのこもった音、これが「四絃一声如裂帛」と詠んでいる。
8世紀、奈良時代、遣唐使が琵琶を日本に伝える。琵琶は語りを伴奏する楽器であった。