「社会なるものは存在するのです」~コロナ被害で世界に歴史的変化が始まる 印鑰 智哉
世界に急速に広まる新型コロナウイルスの被害を前に、世界が大きな変化を始めている。歴史的な変化だろう。米国トランプ大統領はウイルス対策のため経済活動に制約をかけることを拒んできたが、その彼が急速に変わったのはこのままでは米国の死者が220万人にのぼる可能性があるという調査報告を見た後であるとニューヨークタイムズが報じている (1)。連邦準備銀行によると、4700万人が失業し、失業率は32%にのぼる可能性があるという(2)。
実は経済的な事態に限れば、これに似た事態はすでに世界は経験済みだ。それは世界恐慌。この時、米国はニューディール政策を打ち出すことでこの恐慌を乗り切った。農家の生産物をすべて政府が買い取ることで所得を保障した。今、その政策をもう一度、気候変動や生態系の危機に対応できるグリーン・ニューディールとして復活させようという声が米国で急速に強まっている。
英国でも同様の衝撃が走っている。強行なBrexitで権力を握ったボリス・ジョンソン首相、彼自身、当初積極的な封じ込めは行わず、経済活動を維持して、集団免疫を獲得することで克服させる方針だった。しかし、その策では死者が50万人を超すという予測を受けて、方向性を急に変え、大規模な抗体検査を行い、野戦病院「NHSナイチンゲール」を建設し、食料品など生活必需品以外の店をすべて閉鎖し、感染を封じ込める大規模な対策に出た(3)。人びとが失う収入は国家が補う。 そして、彼から驚くべき言葉が語られる。 “there really is such a thing as society” (確かに社会なるものは存在するのです)。これはマーガレット・サッチャー元首相が語った“There is no such thing as society.”(社会なるものは存在しない)という言葉を明らかに意識して語られた言葉だ(4)。
サッチャー元首相はこの言葉で社会的政策を否定して、民間企業にすべてを委ねる民営化路線、新自由主義(企業による私物化路線)に走った。米英の経済・社会政策はこの新自由主義でずっと彩られてきた。今、それを保守政治家自ら、この路線を否定する言葉を述べたのだ。これは歴史的な言葉になるのではないだろうか?
民間企業による活動では解決できない問題がある。人間にとって必須のもの、それは社会。人びとの公共空間であり、さまざまな関係の総体。それは企業原理では守ることができない事態を前に、新自由主義の洗脳から人びとが目覚めつつある。
民間企業のため、多国籍企業のための政治をひた走ることで世界は危険になった。この新型コロナウイルスは工業化された食のシステムが必然的に招いた、と多くが批判している。多国籍企業優遇の政治を続ける限り、このウイルスが克服できても第2第3のウイルスに人類は脅かされるだろう。気候変動、耐性菌、原発や有害物質などによる汚染…。
ブラジルで民衆運動が求めたベーシックインカムは英国でも昨年すでに英国版グリーン・ニューディールの中に組み込まれている(緑の党のマニフェスト)。そして、コロナウイルス蔓延を前に、緊急ベーシックインカムを実現することを求めるオンライン署名が始められておりすでに10万筆を超している(5)。
米国や英国、そして労働者党政権がつぶされた後のブラジルは世界でももっとも新自由主義を体現する国であったと言えるだろう。その国でのこの変化が持つ意味は巨大なものがある。
しかし、日本はオリンピック開催にまっしぐら、経済活動を止めずに感染を拡大させ、命をさらに危険にしている。種苗法を変えて民間企業のさらなる食のシステムへの参加を促し、世界一民間企業が活躍しやすい国にする、という路線が継続している。このままでは日本は最大の犠牲を払うことになるのではないだろうか? 日本も大きく変える必要がある。
その基本は #StayHomeButNotSilent 家に留まり、社会を守る、声は出し続ける。そしてこの政府の方針を大きく変え、システムを変える。今、私たちに必要なのはその大きな変化に向けた行動だろう。外に出ることはできなくてもできる。ブラジルの人びとは夜に鍋を叩いて、ボルソナロ大統領への抗議の意志を示した。家にいても抗議はできる。日本でも企業ではなく、人びとが変える中心になる時。