宮応かつゆきの日本改革ブログ

●日本共産党
総選挙で市民と野党の共闘で政権交代を、共産党の躍進をめざします。

またもや艦載機の部品落下事故。住宅地の車の窓ガラスに穴、「米軍は口先だけ」主婦が怒りの声

2014年01月10日 | 基地・オスプレイ

 朝刊のニュースで知りました。 「昨日午後2時半ごろ、綾瀬市寺尾北7丁目で、飛行中の在日米海軍厚木基地(綾瀬、大和市)の航空機から金属部品が落下し、路上に止まっていたワゴン車の窓ガラスが割れた。 けが人はなかった。 同基地をめぐっては、所属ヘリが昨年12月中旬に三浦市で不時着に失敗し、乗員2人が負傷する事故を起こしたばかり。 綾瀬、大和の両市は原因究明と再発防止を求め、抗議した」(「神奈川新聞10日付)

 今回事故を起こした機種は、正月明けから激しい飛行訓練を続けていた、ジェット戦闘攻撃機FA18Eスーパーホーネットで、ブレーキシステムの一部であることが明らかになっています。 落下した部品は、長さ約17㎝、幅約2㎝、厚さ0.5㎝、重さ約170㌘と報道されています。

 落下事故現場近くに住む主婦は、「人に当たっていれば死ぬ可能性がある。 米軍は口先だけでなく、きちんと原因を公表し、再発防止に努めてほしい」(同紙)と訴えています。

 「両市によると、司令官(基地)は、『大変ご迷惑をおかけしました』と謝罪し、安全が確保されるまでの同型機の飛行停止を約束。 『原因を究明し、地元自治体に説明する』とも述べたという」(「朝日」10日付)

 2012年2月、艦載機の部品が基地北側の県道周辺に落下し、あわやの大事故になりかねない事態が起こりました。 この時も「原因究明と自治体への説明」を約束しましたが、「説明」は半年後、事故を起こした艦載機は2カ月後には、事故原因も一切公表されないまま米本国に帰還してしまいました。

 「爆音をなくし、米空母の横須賀母港に反対する厚木基地周辺住民の会」は、今日、抗議声明を発表しました。 繰り返される艦載機の様々な事故をなくすために、次の諸点を求めています。

 1、爆音と墜落、部品落下、不時着などの事故のおおもとである米空母の横須賀母港を止めて、米本国に帰還すること。 このことが安全確保と再発防止の確実な保障となる。

 2、全ての機種の艦載機、米軍機の飛行を中止すること。

 3、事故原因の究明と公表を行うこと。

 4、被害を受けた住宅、ワゴン車の所有者へ謝罪し、保障を行うこと

 なを、厚木基地司令官等への抗議要請を、1月14日15時に行うことになりました。

 


「日本共産党の理論活動の歴史」 日本・ベトナム両党第5回理論会談での不破報告(上)

2014年01月09日 | 綱領関連

 第26回党大会が来週(15~18日)に迫る中で、「しんぶん赤旗」(日刊紙)は昨日から、「日本・ベトナム理論交流での不破団長の報告」を連載(上、中、下)しています。 この理論会談は、「新しい情勢における社会主義理論の発展」をテーマに昨年12月16~17日日本共産党本部で開かれたものです。

 この会談は、「第26回党大会決議案」を練り上げる上でも、重要な内容を含んでいると思います。 特に、「第6章 日本における未来社会の展望について」を理解し、確信にしていく上で、欠かせないものとなっているのではないでしょうか。 党外の多くのかたにも是非読んでいただきたいと思っています。

 不破団長の発言の一部は当時の「しんぶん赤旗」で紹介されていましたが、報告の詳細がいつ発表されるか、待たれていました。

 昨日は、「日本共産党の理論活動の歴史」が紙面1頁にわたって掲載されました。 不破氏は冒頭部分で、「私たちの党は『1961年に党綱領を制定しましたが、2004年に党綱領のかなり抜本的な改定を行いました。 来年1月が改定した綱領の決定からちょうど10年になるところです」と振り返り、日本共産党の「理論活動の大きな起点となったのは、1950年代に自主独立の立場を確立したことでした」と述べ、自主独立の立場の確立と党の苦難の内容について、次のように紹介しています。

 「私たちは『1950年にソ連の党と中国の党の共同による激しい干渉を受け、党が分裂し、国外から武装闘争路線を押し付けられるという、たいへん苦難に満ちた経験をしました。 その前の1949年の総選挙で35議席を得ていたものが、その干渉を受けた時期の1952年の選挙では全議席を失うという困難な事態も経験しました」

 「その苦難の時期を抜け出したときに、自主独立の立場、すなわち、相手がどんな大国であっても外国からの干渉を許さない、どんな問題でも日本の党の方針は自分の頭で考えて決定する、この立場を確立しました」

 私が、党活動に参加したのは、「61年綱領」が制定されて間もない時期でしたが、「自主独立の立場」の重要性は、その後のソ連、中国・毛沢東派の日本共産党への干渉・分裂攻撃と直接たたかう事態となり、理論と実践の両面で身に付けなければならなっかことを思い出します。

 その後の理論活動、綱領の改定が、ソ連、中国・毛沢東派や、アメリカのベトナム侵略戦争とのたたかい、90年代初頭のソ連の崩壊等歴史の激動のなかで鍛えられ、発展させられてきたものであることを、改めて感じさせられました。

 


”マンデラ元南ア大統領は、南ア共産党員だった” 永原陽子京大教授が「しんぶん赤旗」に寄稿

2014年01月08日 | 党関係

 「しんぶん赤旗」8日付、「学問・文化」欄に、永原陽子京都大学教授(南部アフリカ史)の「寄稿文」が掲載されました。 永原教授は、「昨年末、ネルソン・マンデラが亡くなり南アフリカ全土が喪に服したとき、私は偶然にも現地に滞在していた」「日本のメディアは報じなかったが、今回のマンデラの死に際し、当人が1964年に終身刑を宣告された時点で南ア共産党の一員であった事実が明らかになった。 『アフリカ民族同盟(ANC)を主体とする政府を率い、人種間の『和解』を推し進めた大統領の過去として、意外に響くかもしれない。しかし歴史を振り返るなら、それも納得がゆく」と紹介しています。

 その上で、永原教授は、「1921年創立の南ア共産党は、この国の解放運動が総じて人種別に組織される中、当初から多人種構成をとる稀有な組織だった。 第2次世界大戦後、アパルトヘイト(人種隔離政策)を掲げて政権についた国民党が最初に行ったのが、共産党の非合法化である。 黒人を徹底的に隔離・差別する体制は、『アフリカ大陸に共産主義が広がるのを防ぐ』役割を自任した」

 「以後、共産党員は亡命先から、あるいは地下から国内の運動と連携し、最大の黒人解放組織ANCに加わって活動するようになる。 1955年には、ANCをはじめとする解放組織が結集し、『南アフリカはそこに住むすべての人のものである』とうたう『自由憲章』を採択した。 反アパルトヘイト闘争の綱領的位置を占め、今日の南ア憲法の土台ともなるこの憲章の運動は『共産主義』とみなされ、運動の中枢にいたマンデラらは大逆罪に問われた」と指摘しています。

 永原教授は、「民主化から20年を迎え、マンデラもいなくなったいま、南ア共産党は、ANCとの関係を再考すのか、はたまた多数者革命についての考え方を練り直すのか、岐路に立たされている。 私には、ANCのマンデラ追悼集会であいさつに立った共産党の幹部が『黒人の資本家が白人の資本家より良いというわけではない』と発言し、聴衆の喝采をうけていたのが印象的だった」結んでいます。

 南ア共産党と日本共産党との直接的な交流については、私もほとんど知りません。 2004年9月3日~5日、中国・北京市で開催された第三回アジア政党国際会議(35カ国80以上の政権党・野党が一堂に会し、共同の課題を議論し確認する機会となった)に日本共産党からは不破哲三団長らが参加しました。 この会議と個別の各国の政党との交流のなかで、不破氏が、オブザーバー参加していた南アフリカ共産党とアフリカ民族会議(ANC)の代表団と交流した写真が、紹介されています。(日本共産党ホームページより)

 日本共産党の志位委員長は、昨年12月6日、南アのネルソン・マンデラ元大統領の死去のあたり、次の弔電をジェイコブ・ズマ大統領に送っています。

 「南アフリカ共和国のネルソン・マンデラ元大統領の死去の報に接し、ご遺族と南アフリカのすべての国民に深い哀悼の意を表します。 マンデラ元大統領は、ANC(アフリカ民族会議)の指導者として生涯を白人政権によるアパルトヘイト(人種隔離)の撤廃にささげ、27年間獄中で不屈にたたかったのち、黒人初の大統領として人種・民族の和解の国づくりをすすめました。 その活動は、南アフリカだけでなく、民主主義、平等、人権をもとめる世界の人々を激励しました。 南アフリカのみなさんがマンデラ元大統領の遺志をついで南アフリカの社会発展をいっそう前進させるよう心から願うものです」

 


都知事選、宇都宮氏を共産党推薦。 志位委員長が表明、勝利へ全力

2014年01月07日 | 選挙

 「志位委員長は、党本部を訪問した宇都宮氏と会談し、都知事選への支援要請を受けて『宇都宮さんは日弁連会長として、人権、平等、憲法を守るたたかいの先頭にたってきました。 政策を拝見しましたが、全面的に賛同します。 共産党として推薦し、勝利のために全力をあげます』と表明しました」(「しんぶん赤旗」7日付)

 会談で宇都宮氏は▼安倍政権の暴走にストップをかける ▼環境に配慮し震災・原発事故の被災者が歓迎できる五輪を目指す ▼猪瀬前知事の裏献金疑惑の徹底究明ーなど自らの政策を端的に説明。 『共産党にも力強い支援をいただきたい』 と申しでました。
 これに対して志位委員長は『今度の選挙は東京野暮らしと福祉を取り戻すことが大事な争点になります。 国民そっちのけの安倍政権の暴走に都民が審判を下す機会にもなります』と応じました。(同紙)

 今朝は7時から、新年最初の大和駅頭宣伝を行い、その中で、日本共産党が都知事選で、宇都宮氏を推薦し、勝利のために全力を尽くすことになったことを報告しました。 

 沖縄の名護市長選、東京都知事選ともに、すばらしい候補者を推薦してたたかう選挙、今年の、これからの日本の未来にかかわる選挙となってきました。 全力でたたかう決意です。


”しんぶん赤旗の魅力”ー「科学欄」ー地球の46億年の歴史に接近 《南極の隕石》

2014年01月06日 | その他

 [ワシントン=時事] 「米沿岸警備隊は4日、南極沖で氷に囲まれて動けなくなっているロシアと中国の船を救助するため、警備隊の砕氷船を投入すると発表しました。 中ロおよび救助活動に当たっているオーストラリアの要望を受けた措置」

 [しんぶん赤旗6日付、「風ぐるま」]「政府の南極地域観測統合推進本部(事務局・文部科学省)は5日、南極観測船『しらせ』(1万2650㌧、日高幸次艦長)が日本時間4日午後10時半に昭和基地沖に接岸したと発表しました。 ▼・・昭和基地沖の海氷は近年分厚く、接岸できたのは3年ぶり。 ▼しわせは前回の54次隊では昭和基地の18㌔手前、53次隊では21㌔手前で接岸を断念していました」

 [しんぶん赤旗5日付、科学欄」は、「南極」でした。 「隕石が開く太陽系の”窓”」と題して、間宮利夫記者の取材・解説記事が掲載されていました。 「科学専門誌」をほとんど読むことがない私にとって、「しんぶん赤旗」の科学記事は貴重な情報源です。 

 記事の冒頭で、「地球を含む太陽系は46億年前に誕生したと考えられています。 その間の歴史は多くの謎に包まれていますが、それを解く重要な鍵が隕石です。 日本は、その隕石の、世界で1、2を争う保有国です。 狭い日本にそんなにたくさん隕石があるのは南極で見つけているからで、南極はいわば太陽系へ開いた”窓”ともいえます。 南極で多くの隕石が見つかる秘密とは、・・・」と興味を誘います。

 「これまでに日本の南極観測隊が見つけた隕石は1万7000個あまり、国内で確認されている50個をはるかに上回ります」

 「なぜ南極でそれほど多くの隕石が見つかるのでしょうか。 隕石が落下する頻度は地球上どこでも同じで、南極に特別多く落下するわけではありません。 79年の第20次隊で隕石探査に加わっ以来5回南極で隕石を探してきた国立極地研究所の小島秀康教授は、隕石が見つかる場所の地形にその謎を解く鍵が隠されていると指摘します」

 「南極で隕石が見つかるのは、たいてい氷がむき出しになっている場所です。 裸氷と呼ばれ、山脈周辺に存在します。 南極大陸の大半を覆う厚い氷は常に低い方へ流れています。 その氷の流れが山脈にぶつかるとせき止められ、わき上がった氷は夏に強い日射を受け、直接気化(昇華)します。 山脈の周辺に裸氷が存在するのはそのためです。 高い方から流れてきた氷の中には、長い年月の間に落下した隕石が閉じ込められています。 これが南極でたくさんの隕石が見つかる主な理由と考えらています」

 隕石には、月隕石、火星隕石、鉄隕石など60種類あるとされているいいます。

 「隕石は、太陽系がどんな材料からできているのか、地球のような惑星はどのように進化したのかなどを探るうえで重要な試料となります。 炭素質隕石のように、地球の生命の起源を解き明かすのに役立つと考えられるものもあります」

 「小島さんは、『私たちが手にしている隕石は太陽系の謎を解くためにはまだまだ少なく、さらに見つける努力が必要だ』と話しています」

 第55次観測隊に期待したいと思います。

 「


”大義は国民のたたかいにあり” 安倍違憲政治と国民のたたかいの激突の年、志位氏年頭あいさつ

2014年01月05日 | 党関係

 4日午後8時過ぎ、全員無事スキーツアーから帰ってきました。 スキー場直前の坂道でマイクロバスがスリップして進められなくなり、急きょチエーンを着けなければならなくなり大苦戦。 スノータイヤを過信した結果でした。 装着に成功し、宿に着きました。 宿の主人も心配してくれていました。 まず反省のスタートでした。 

 スキー場のコンデションは上々でした。 今回は、小学3年生のM君のサポートに集中しました。 昨年初めて経験したスキー。 どれだけ覚えてくれているか、2日午後のスキーはここから始まりました。 いきなり転倒、スキー板の脱げる事態。 しかし、本人の意欲は高く、ちっともめげていませんでした。 この意欲が3日間続き、4日の午前中の最終滑走では、”楽しい、やったあー”の笑顔が印象的でした。

 今朝は、今年最初の配達でした。 配達後、”党旗びらき”(4日)の志位委員長のあいさつを、「赤旗」5日付、4~5頁を開きながら録画で視聴しました。 志位委員長は、最初に第26回党大会成功をめざして全国で取り組んでいる「党勢拡大大運動」のこの4カ月間の結果をについて、 「4か月間の通算で、新入党員は4700人を超えました」「日刊紙2400人、日曜版1万人、あわせて1万2400人の増加」であることを報告し、今月いっぱいの「大運動目標総達成」をよびかけました。

  このよびかけに、応えていきたいと思います。

 志位委員長は、あいさつの最後を次の言葉で締めくくりました。

 「秘密保護法、『戦争する国』づくり、靖国参拝、沖縄基地問題、原発問題、暮らしの問題と見てきましたが、どの問題でも、今年は、安倍政権の暴走と国民のたたかいが激突する年となります。 安倍政権の暴走は、国民多数の声に背き、世界の流れに背く逆流であります。 この暴走の先に未来はりません。 逆流は、必ず歴史と国民によって裁かれえます。 大義は国民のたたかいにあります。 ここに深い確信をおいて、新しい年に望もうではありませんか」

 安倍政権と国民のたたかいの中心的軸になるのは、「憲法」であることは間違いないのではないでしょうか。

 安倍政権は、今年は、「憲法」の機能停止をねらい、「安全保障基本法案」の成立に全力を挙げてくることが十分予想されます。 また、「集団的自衛権の行使容認」を「憲法の解釈の変更」で推し進めようとしています。 秘密保護法の施行に向けて政権の取り組みも加速するでしょう。 そして、暮らし、経済を直撃する消費税の4月実施も目前に迫っています。

 志位委員長は、あいさつの中で、「この暴走と正面から対決できる党は、日本共産党をおいてほかにありません。 今年は、『自共対決』こそが、日本の政治の真の対決軸であることが、いよいよ際立つ年となるでしょう。 そういう年としていくために、力いっぱい奮闘しようではありませんか」と訴えました。 

 こうした大きな歴史の激動のはじまりのなかで、いよいよ15日から第26回党大会を迎えるます。 

 


 1年ぶりのスキー、水上・宝台樹スキー場へ。 一番の目的は体力チェック

2014年01月02日 | 出来事

 今日(2日)から4日まで、大和民商主催(第30回)のスキーに参加してきます。 かっては、2~3回スキーを楽しんでいましたが、今は、年1回の貴重なスキーとなってしまいました。 菅平、蔵王や野沢温泉、札幌周辺のスキー場が思い出されます。

 今回は、大人(最高齢78歳)10人、小学生3人、高校生1人、合計14人のツアーです。 宿はゲレンデの目の前の民宿「本家」です。 民宿を経営している主人と奥さんも80歳を超えていますが、元気です。 すぐ近くの食堂の女性主人がガンで亡くなり、閉店してしまったことは残念です。 露天風呂で有名な宝川温泉も近くにありますが、宿には温泉がありません。 こうしたことも参加者が少ない理由のようです。 しかし、4日の帰りには、ふもとの水上温泉でゆっくり温泉を楽しく計画です。

 積雪は100㎝程のようで、全面滑走可能のようです。 いつもながら驚くことは、子ども達の上達の早さです。 昨年も小学2年生の男の子が初めて参加しました。 スキーをつけることもままならない彼は、スキー教室で半日教えてもらい、2日目から私たちが援助して2日程滑りましたが、しっかりとボーゲンができるようになりました。 今年も一緒にいきますが、パラレルまでいけるかどうか、楽しみです。

 雪と縁のない千葉県育ちのためと運動神経がよくないせいか、スキーを覚えることがなかなかできませんでした。 いろんな方々に教えていただきましたが、うまく滑れませんでした。 考えてみると、一つ一つの動作がコマ切れになっていたいたように思います。

 何年も前のことですが、3歳の子どもにアドバイスをしたことがありました。 むずかしいことは一切わかりません。 お母さんに緩やかな斜面の5~6㍍先に立っていただき、子どもに「お母さんのところまでいってごらん」と腕を離しました。 こどもは、お母さんをめがけて、笑顔で滑っていきました。 何度か繰り返した後、お母さんに少し横に立ってもらい、同じような練習を試みてみました。 子どもは、転ばずにターンしてお母さんのところに到着しました。

 スキーには「ころび」はつきものです。 いかに楽しく「ころぶ」ことができるか。 ここにスキーの魅力の一つがあるのかなとも思っています。 ただ、年齢も十分考え、「怪我」をしないように、楽しんで来たいと思います。

 


 2014年への思い、安倍暴走・違憲政治との対決。 「自共対決」に勝ち抜く自力をつけることが課題

2014年01月01日 | 党関係

 心から新年のごあいさつを申しあげます。

 「安倍晋三首相による靖国神社参拝に関して、米国務省のハーフ副報道官は30日の記者会見で、『今回の場合、日本の指導者が隣国との緊張を悪化させる行動をとったことに、われわれは失望していると繰り返す』と述べ、在日米大使館や国務省の声明で述べられた立場を改めて表明しました。 『遺憾』や『懸念』ではなく、『失望』という強い言葉を使った理由を問われた副報道官は、『(首相の参拝が)緊張を悪化させると考えていることを、非常に明瞭』にするためだと語りました」(「しんぶん赤旗」1日付)

 「韓国国会は31日、安倍首相の靖国参拝を『侵略戦争に対する真の反省もなしに、むしろ侵略行為を美化している』と糾弾する決議を採択しました。 決議は『日本政府は人類の普遍的価値を否定する時代錯誤的行為を即刻中断し、歴史に対する責任ある姿勢を取らなければならない』と述べています」(同紙)

 安倍首相が、最も頼りにしているアメリカを「失望」させた「靖国参拝」問題が、今年の日米関係をはじめ、中国や韓国、アジア、世界の国々との外交関係にどのような影響が及んでくるのでしょうか。
 戦後の自民党政治の歴史では、米国の理解・信頼を失った政権は長続きしない、危機に陥ることが「常識」とさえ言われ続けてきました。 そうした事態をはらんだ2014年でもあるのではないでしょうか。

 国内政治でも、「自民党内にも、『増税実施で景気が悪化するのは避けられない。 そこが正念場』『景気が悪くなれば政権は終わりになる』と厳しい声があります」(同紙)

 最近の論壇では、「『自民党のネオコン化が止まらない・・現在の自民党は、果たして保守政党の王道を歩んでいると言えるのだろうか』『今の自民党は保守政党でなく、右傾化した全体主義政党だ』」「特徴的なのは、むしろ、『保守』の論客からの安倍晋三政権へのきびしい見方です」(同紙「主張」より)

 しかし、どんな暴走・違憲政治であっても、国民のたたかいの発展がなければ、政治は変わりません。 2014年は、国民が暮らし、民主主義、平和を守るために、憲法をよりどころに各分野で、全国各地でたたかいが、大きく発展する可能性を秘めながら迎えたのではないでしょうか。

 こうした歴史的局面で問われるのが、日本共産党の役割だと考えています。
政策的に対案を示す力と同時に、「一点共闘」などの統一戦線政策・運動論の発展、同時に組織的にも、自力の拡大・強化が強く求められることになるのではないでしょうか。

 昨年12月の「党勢拡大大運動」では、全国で約2000人の新入党者を迎えた、「しんぶん赤旗」読者では、日刊紙1800人、日曜版5800人、合計で7800人前進して、新年を迎えることができたと伝えられました。

 入党決意者のなかには、「法曹界、宗教者、研究者、農民、中小企業家など多彩な分野の人々が各地で党に加わりました。 青年・学生分野での入党も広がり始めている」(同紙)とのことです。

 当面する、沖縄名護市長選、都知事選の支援を強めながら、2015年のいっせい地方選に勝利できる自力をつくる新たな気持ちを抱き、新年を迎えました。