宮応かつゆきの日本改革ブログ

●日本共産党
総選挙で市民と野党の共闘で政権交代を、共産党の躍進をめざします。

憲法9条改定論議と同時進行、”護衛艦「いずも」”の空母改修。大軍拡許さず

2017年12月30日 | 憲法対決

12月25日付、「神奈川新聞」は、「『空母』 運用機本格検討」と報じ、「読売新聞」同月26日付は、1面トップ記事で、「護衛艦『いずも』空母改修」と報じました。 「しんぶん赤旗」27日付は、「攻撃型空母へ改修検討」と報じ、小池書記局長の記者会見の内容を掲載しました。 また、「朝日新聞」は同月28日付、「社説」で、「空母への改修 なし崩しの方針転換か」の見出しで冒頭に「憲法に基づく専守防衛の原則を逸脱することになる。 容認できない」と述べました。

 空母への改修対象とされている護衛艦「いずも」(横須賀基地)、同型艦の「かが」(呉基地)は、海上自衛隊が保有、運用している最大級の護衛艦です。 公表されているデータでは、全長248m、全副38m、基準排水量19500㌧、満載排水量26000㌧、乗員520名、建造費1208億円等とされています。

 横須賀基地に接岸中の「いずも」を見た時、大型のコンテナ船を見慣れていた私にとっても、その巨大さに圧倒されました。 20年近く前までは、2~3000㌧級の護衛艦を横須賀港の視察などで目していましたが、いつの間に、これほどの”軍艦”が市民の目の前に現れるようになったのか、と恐怖感をいだきました。

 「いずも」は、最大でヘリコプター14機の搭載が可能であり、オスプレーの格納庫も用意されているといわれています。 そして、今回新たに空母への改修で予定されているのが、F35B戦闘機です。 「読売」紙は、「米軍のF35B戦闘機の運用を想定しており、日米連携を強化することで北朝鮮や中国の脅威に備える狙いがある」とし、同機を10機程度搭載できる見通しだと報じています。

 米海兵隊は、すでに、岩国基地に「B型」機16機を配備し、朝鮮半島での米艦合同演習に参加させています。

 米海軍厚木基地の艦載機部隊が、岩国に移駐を開始していますが、米軍は、「運用上」必要があれば、いつでも同部隊の厚木基地で訓練を行うことを表明し、すでに実行しています。

 その上に、横須賀を基地としている「いずも」の空母への改修です。 米海兵隊や、航空自衛隊の「F35B」が厚木基地での訓練を行う可能性が現実のことになります。 1節では、「いずも」の甲板の耐熱補強などをするだけで運用が可能だとも言われています。 また、 航空自衛隊は、空軍仕様のF35A 42機の導入を決定しています。その1部を「B型」に変更し運用することも検討しているといわれています。

 日本共産党の小池晃書記局長は、安倍政権が長距離巡航ミサイルを導入しようとしていることや、空母保有を来年の防衛大綱見直しに盛り込むとの観測にふれ、「まさに歯止めなき軍拡の道を進みつつある。 米軍と肩を並べて海外に打って出て戦争に突き進むような大軍拡は絶対に許さないという立場で臨む」と述べました。

 


自民「やるなら来年だ」-憲法対決正念場の18年、日本の命運を左右するたたかいに

2017年12月29日 | 憲法対決

「やるなら来年(2018年)しかない。 大きな選挙がないからだ。 来年できなければ19年の参院選以降だが、できるかはわからない。来年できなければ当分できない可能性もある」(自民党憲法改正推進本部所属議員の1人)

 今日、29日付、「しんぶん赤旗」は1面に「9条会見と安倍政権」(上)を掲載しました。

日本共産党は、今月、2日~3日に開催された第3回中央委員会総会の幹部会報告で、「安倍9条改憲反対の1点での空前の国民運動」を呼びかけました。

「安倍政権による憲法9条改定を許さないたたかいは、文字通り、日本の命運を左右する歴史的闘争となります」

「国民のみなさんに心から呼びかけます。 政治的立場の違いを超え、安倍9条改憲反対の1点での空前の国民的大運動を起こし、安倍首相の野望を必ず葬り去ろうではありませんか」

「この問題で、揺るぎない国民的多数派をつくる最大の政治的カギは、憲法9条に自衛隊を明記する改定をおこなえば、9条2項の空文化=死文化に道を開き、海外での武力行使が文字通り無制限になるという問題の本質を、国民多数の共通認識にしていくことにあります」

「日本共産党は、論戦、宣伝、対話で、問題のこの本質を国民に広く明らかにする先頭に立って奮闘するものです」

また、3中総では、「今年から来年前半にかけてのたたかいが一つの勝負どころとなります。 『安倍9条改憲NO! 全国市民アクッション』が呼びかけた『3000万署名』を、全国の草の根で集めきることを、たたかいの軸にすえて頑張り抜こうではありませんか」

「野党各党は、『安倍政権による9条改憲に反対する』ことを市民連合との政策合意で確認しており、この1点での市民と野党の共闘を、国会内外で大きく発展させるために力をつくそうではありませんか。 草の根のたたかいと共闘が、たたかいを勝利に導く要であります」

 大和市内では、総選挙で中断していた「大和市民アクッション」立ち上げの相談が再開され、12月10日(日)結成されました。 「大和市民アクッション」はこの間の運動や総選挙の結果が反映し、はじめて、市議会3会派(虹の会、明るいみらい大和、共産党)からの連帯と共同の取り組みを進めるあいさつがありました。 また、神奈川ネットワーク運動の議員も会場に顔を見せていました。 立正佼成会、成長の家からの参加もはじめてでした。

 3000万署名運動を推進するために、はじめて市内を4つに区分して、連絡員を配置して、市内全体の運動を統一しながら、具体的な推進体制を確認しました。

 12月24日(日)には、市内2か所で共産党の署名、宣伝行動を行いました。1時間ほどの行動でしたが、党員、後援会員17名が参加し、44筆の署名の協力がありました。

 安倍政権の9条改憲をストップさせるには、3中総で強調された、「問題の本質」を明らかにすることと一体に、「憲法の力」=現状を打開し、未来を展望する力を草の根から広げていくことも重要だと考えています。

 浜 矩子さんは、志位さんとの「しんぶん赤旗=新春対談」の中で、次のように語っていることは、力強い限りです。

 「だれも1人では生きていけない時代です。 『お互い様』 『おかげさま』の関係で、支え合い、助け合う。 そんなフレームをみんなでつくっいく時代なのです。 それが日本国憲法にはちゃんと書いてある。 最先端なんです」

 「それを『古い』 『時代遅れだ』といって変えようとするのは信じられない。そういう言い方こそが、今の時代が見えていないのだと思います」

 

 

 


”状況は変わるんだ”-浜 矩子 同志社大学大学院教授(4)

2017年12月28日 | 統一戦線論

「しんぶん赤旗」日曜版、新春合併号(2017年12月31日・2018年1月7日)には、浜 矩子 同志社大学大学院教授と志位和夫委員長の対談が5ページわたって掲載されています。 読者以外の方にも是非お読みいただきたいと思います。

 2人の対談の中で、主に浜さんの発言を私の主観で紹介したいと思います。 浜さんは、大和にも「9条の会」の講演で2回ほど来られ、話を聞いたことがあり、「しんぶん赤旗」やテレビのコメンテーターとしての発言などにも注目してきました。

 [市民と野党の共闘について]

 総選挙では安倍政権を追い込みましたね。 多くのメディアは『自公勢力の圧勝』と報じましたが、不正確です。『市民と立憲野党の共闘』から、立憲民主党が生まれたことも貴重です。彼らが野党第1党になり空気が変わりました。 共産党の尽力で共闘体制ができたおかけです」

 自分のところはさておき、市民連合が『闇の軍団』=安倍自公政権と対峙することに全精力をあげてくれたことはとてもよかったです」

志位 そう評価していただきますと心強い限りで、感謝いたします」

 あの安保法制のときに起きた動きが今、ぐっと広がっていますよね。 『21世紀型市民革命』が起きているとつくづく思います。 市民という言葉が持っている響きを体現した運動が全国津々浦々で、9条の会だとか実にたくさんあり、艱難辛苦の中、生き生きと活動されています」

 この間の展開は”状況は変わるんだ”ということをはっきりしめしていますよね。 良識ある人ほど『この閉塞的な現状は変わらないのでは』と思いがちですが、状況は変えられる。不可能は可能になる。 奇跡は起こる。その一端を目の当たりにしているといっても過言ではないと思うんです」

志位 共闘では、お互いに違いがあって当たり前です。 しかし、たたかう中で、違いを違いと認め合い、一致点で強力する。相手をリスペクト(尊重)する精神ーおおらかな精神でやっていけば、前途は開けてくると思っています」

 『おおらか』というのは、すごく良い言葉ですね。 トランプさんも安倍さんも、おおらかじゃない(笑)。 おおらかにお互いを認め合えるということは、ゆとりがあるということ。 おとなだということでもあります。 よい意味で、強き者たちです。 一方、闇の軍団は基本的に臆病者の集団。怖くてしょうがないから、抑えにかかる。 ある意味ではかわいそうな人たちです。 奇跡を担われているみなさんは、あらゆる場面でたくさんの奇跡を起こしていただきたいと思っています」

 


”党が鍛えられつつある”ーすべての都道府県で共闘を経験(3)

2017年12月27日 | 統一戦線論

 日本共産党は、今月2日~3日、総選挙の結果を総括し、教訓と課題を明らかにし、次の国政選挙、統一地方選及び当面する国民の要求実現へ向けた方針を決定するための第3回中央委員会総会を開催しました。

 総会は、志位委員長の報告、中央委員の発言・討論そして討論のまとめとしての「結語」を全員一致で採択されました。 志位委員長の「結語」も「しんぶん赤旗」に掲載されていますので、読者の方はお読みいただいていると思います。

 「結語」で、私が学んだことは、いくつかありましすが、統一戦線に関わって、新たな認識を得たことは、特に、次のことです。

「2016年参院選では、野党共闘は1人区に限定されましたが、総選挙では、参院選では複数定数区だった都道府県も含めて共闘が取り組まれました。参院選と総選挙の2つの国政選挙で、全国すべての都道府県で共闘を経験したことになります」

「これはわが党にとって重要な意義をもつ経験であります。討論では『共闘の取り組みを通じて党全体が鍛えられた』との発言がありました。 共闘ということになりますと、他の政党と交渉する力が必要です。 市民団体のみなさんと協力する力も必要です」

「そういう力を全党が2つのたたかいを通じてつけ、鍛えられつつある。 このことは、民主連合政府をになう党への発展を展望しても、重要な前進の一歩だと思います」

さらに、「結語」は、「この間の2回の国政選挙で野党共闘に取り組むなかで、わが党も支援して勝利をかちとった他党・他会派の国会議員は、衆院では小選挙区で勝利した32人と比例代表で『復活当選』した23人の合計55人、参院では1人区の11人です。くわえて13年参院選で勝利した糸数慶子さん。合計67人になります」

「野党統一候補で勝利した衆院議員から『これからは私を使って下さい』と言われたということも述べられました。 中央としても努力していきますが、それぞれの地域で、協力・共闘の関係の発展にぜひ努力していただきたいと思います。共通の課題での共同のたたかいを大いにすすめる。 国政選挙でさらなる共闘の発展のための協力をすすめる。 日常的に連携・協力した取り組みをすすめようではありませんか」

 神奈川県下、湘南地区でも、総選挙は、様々な取り組みが行われ、党としは、どの経験もはじめてのものだったと思います。

 湘南地区の担当小選挙区は、12区(藤沢市・寒川町)、13区(大和市、綾瀬市、座間市、海老名市)、15区(茅ヶ崎市、平塚市、大磯町、二宮町)です。選挙戦は、12区では立憲民主党の阿部さん=当選、13区は日本共産党の岡崎さん、15区では社民党の佐々木さんが市民と野党の統一候補としてたたかいました。 三選挙区ともそれぞれの特徴のあるたたかいになったと思います。

  この経験と教訓を、今後の国政選挙にどう活かすか。 相談し、討論しながら発展させていきたいと思います。また、統一地方選へ向けても、首長選挙をはじめどんな、協力・共闘が可能なのか、探究していきたいと思います。

 注:日本共産党の中央委員会総会について

 日本共産党の規約は、第21条で、「党大会からつぎの党大会までの指導機関は中央委員会である」として諸任務を規定しています。第22条では、「中央委員会総会は、1年に2回以上ひらく。中央委員の3分の1以上の要求があったときは、中央委員会総会をひらかなければならない」

 第23条では、「中央委員会は、中央委員会幹部会委員と幹部会委員長、幹部会副委員長、書記局長を選出する」などを規定しています。 現在、幹部会委員長には志位和夫さん、書記局長には小池晃さんが選出されています。

 中央委員会の回数は、党大会から党大会までに開かれた総会の回数です。今回は今年1月に開かれた第27回党大会期の3回目の総会ということになります。

 今大会期の中央委員は、164人、准中央委員は50人です。准中央委員は、「評議権をもって出席しています」

 

 

 


4年前は、”連合の相手”がまだ見えなかった。いま、”共闘の時代”へ(2)

2017年12月25日 | 統一戦線論

 統一戦線につて、2014年1月に開催された日本共産党第26回大会の決議は、次のように述べていました。

「日本共産党は、単独政権でなく、民主連合政権という連合政権をめざしている。 その場合の連合の相手はどこから出てくるか。 革新懇型の共同ーー日本共産党と無党派の人々との共同が、いよいよ本流になってくるだろう。 同時に、いま『一点共闘』をともにたたかっている人々のなかからも連合の相手が生まれてくるだろう」

「政党戦線においても、日本共産党との連合の相手が必ず出てくると、私たちは確信するものである。 そのさい。私たちの連合の相手が、従来の保守の流れも含む修正資本主義の潮流であることも、大いにありうるkとである」

「日本共産党は、社会主義・共産主義の日本を展望する党だが、当面する変革の課題は、資本主義の枠内で『2つの異常』を正し、『国民が主人公』の日本への変革をはかることにあると考えている。 将来的な展望の違いがあっても、『2つの異常』を正すという当面する課題での一致がえられるならば、統一戦線をともにつくりあげることは可能であり、共同のために努力する」

 志位氏は、同大会への「報告」でつぎのように強調しました。

「この間のさまざまな課題での保守の人々との共同の発展は、そのことを強く予感させるものであります。 同時に、ここで強調したいのは、このような政党戦線における前向きの変動は待っていて訪れるものではないということです。 それを起こす決定的な条件となるのは、日本共産党が国民と結びつき、強大な組織力をもって発展し、国政において衆議院と参議院で数十という議席を確保することにあります

 そして、14年の衆院選で21議席へ、16年の参院選で14議席へと前進しました。

今年、2017年1月の開かれた日本共産党第27回大会決議は、次の文章で始まっています。

「安倍自公政権とその補完勢力に、野党と市民の共闘が対決する、日本の新しい時代が始まった」(第1章第1節)、また、「日本の政治は、歴史の本流と逆流が真正面からぶつかりあう、戦後かつてない激動的な新しい時代に入った」(同章)

 この「新しい時代」は、誰がどのようにしてつくり出したのでしょうか。 同決議は、最終章(第6章第31節)で、「党創立95周年ー歴史が決着つけた3つのたたかい」の「第3」として、次のように述べています。

「第3は、『日本共産党を除く』という『オール与党』体制とのたたかいである。 その一大契機となったのは、1980年の『社公合意』だった。 支配勢力が総力をあげて、日本共産党を政界から排除し、その存在をないものかのように扱う、反共作戦が大掛かりに開始された」

「同時に、この反共作戦は、最悪の『反国民作戦』でもあった。 新自由主義ーー『構造改革』路線が押し付けられ、社会保障も雇用も破壊され、格差と貧困が広がった。日本国憲法を無視し、日米安保条約の枠組みさえ無視し、自衛隊の海外派兵体制がエスカレートし、沖縄では基地問題の矛盾が噴き出した」

「さまざまな分野で、切実な一致点での『一点共闘』が広がり、悪政を国民的に包囲する流れが広がった」

「こうした国民のたたかいが大合流して、2015年~16年に開始された野党と市民の共闘を生み出した。 『日本共産党を除く』という『壁』は過去のもとなった。 この『壁』を取り払ったのは、党と国民、市民の共同したたたかいの力だった」

 

 

 


統一戦線ー社会変革の主体、日本共産党の不動の基本方針を考える(1)

2017年12月24日 | 未来社会へのプロセス

 私が、日本共産党の綱領(61年綱領)を読み、学習をする中で、最も強く惹きつけられたのが、『統一戦線」論でした。まだ、10代の私には、社会変革の主体など知るよしもなかったのです。子どものころから、地域の古老たちから聞かされていたのは、大原幽学の農政改革(江戸時代後期)の実績です。大原幽学の実績を記念する「大原幽学記念館」が千葉県旭市(旧干潟町)にあります。

 大原幽学の農政改革は、困窮する農民の生活、農地の問題を含めた根本的改革でした。あの時代に良くここまで考え、しかも実践できたものだと驚きの思いを、いまも感じています。 幽学の挑戦は、幕府の妨害によって中断され、農民生活は窮状生活に逆戻りし、その後、幽学は自害してしまいます。

 いま、統一戦線論を考える時、このことが大変教訓的なように思えます。 改革の提唱者と改革の主体の関係、権力(幕府)と地域の関係=幕府の最大の経済・財政基盤は農業生産であり、生産者は農民階級です。 農業生産の発展は幕府にとっては、必要であったとしても、封建的土地政策の改革は許せないことであったでしょう。

 若い時代の私には、漠然とした、こうした”歴史的出来事”が記憶のなかにありました。 

 さて、党綱領の大方針である統一戦線論について、3中総の1節を紹介します。

「日本共産党は、安保法制=戦争法が強行された2015年9月19日、『戦争法(安保法制)廃止の国民連合政府』を提唱し、全国規模での野党の選挙協力の追求という新たな道に踏み出しました。それから2年余、私たちは、さまざまな困難や逆流をのりこえて、共闘を一歩一歩前進させてきました」

日本の政治を変えるには、この道しかありません。思想・信条の違いをこえた統一戦線によって社会変革をすすめるというのは、党綱領の大方針であります。今後も、共闘の前進には、さまざまな困難や曲折が予想されますが、わが党は、いったん踏み出した共闘の道を、多くの方々と手を携えてとことん追求し、安倍政権を打倒し、自民党政治を終わらせ、野党連合政権をつくるために全力をあげる決意であります」(志位委員長の幹部会報告)

 市民と野党の共闘という、戦後はじめて生まれた統一戦線運動が、支配勢力の「謀略と奇襲作戦」で崩壊の危機に直面した時、市民が声をあげ、立ちあがりました。 日本共産党は共闘勢力一本化のために、67の小選挙区で予定候補者を降ろすという決断をおこないました。 こうした努力の結果、共闘の再構築ができました。 私は、支配勢力の作戦を基本的に打ち破ることができたと考えています。 

 この発展の先に、来年の安倍政権による憲法9条改悪に反対する国民的大闘争が展開されることになるでしょう。それが、2019年の統一地方選、参院選につながり、日本の社会変革をめざす運動は、今回の総選挙を第一幕として、はさらに激動していくことになると思われます。

 日本共産党の綱領は、統一戦線について、次のようにのべています。

「統一戦線は、反動的党派とたたかいながら、民主的党派、各分野の諸団体、民主的な人びととの共同と団結をかためることによってつくりあげられ、成長・発展する。 当面のさしせまった任務にもとづく共同と団結は、世界観や歴史観、宗教的信条の違いをこえて、推進されなければならない」

 今回の総選挙は、2年余の統一戦線運動の経験とこの綱領の規定の真価が問われ、発揮されたたたかいになったと考えています。


スターリンの日本共産党への干渉作戦を打ち破り、自主独立路線確立へ

2017年12月23日 | 未来社会へのプロセス

 スターリンが行った「巨悪」は不破哲三さんの著書「スターリン秘史ー巨悪の成立と展開」(全6巻)で新たな解明が行われました。不破さんが「前衛」誌に連載中に、私も随時紹介させていただきました。

 いま、「ロシア革命100年」の年に、レーニンがスターリンとの「生死をかけた闘争」の歴史的意味を、日本共産党の『自主独立』の立場で考えさせられています。

 志位さんは、「綱領教室」(第2巻230ページ)で次のように語っています。

 「1950年代後半のあの時期に、ことの是非をすべて詰めて総括し、事実と道理によって、分派の側の謝りを明確にして自主独立の路線を確立したというこのは、これは大変勇気のいることであり、本当にすばらしい大仕事を当時の先輩たちは成し遂げたと思います」

 「もしも、あのときに、きちんと総括ができなかったら、今日の日本共産党は影も形もないかもしれません。今のような形で存在し得なかったことは間違いありません。そういう歴史的な大仕事をやって、自主独立の路線を確立した先輩たちに、私は、深い感謝の気持ちをのべたいと思います」

 11月7日付、「しんぶん赤旗」の記事に戻ります。

 同記事は、1991年9月1日付の日本共産党中央委員会常任幹部会の声明、「大国主義・覇権主義の歴史的巨悪の党の終焉を歓迎するーソ連共産党の解体にさいして」を紹介しています。

 このなかで、「戦後、公然と活動を開始した日本共産党は1950年、スターリンによる武装闘争の押し付けという干渉を受け、党中央の一部が内通・呼応して中央委員会が解体されました(50年問題)」

 「日本共産党は、党の統一を回復する過程で、自らの国の革命運動は自らの頭で決める、どんな大国でも干渉や覇権は許さないという自主独立の立場を確立しました」

 スターリンは、1953年に死去しましたが、スターリンの後継者たちは、日本共産党への大干渉作戦に乗り出してきたのです。

 このソ連共産党の干渉作戦との日本共産党のたたかいについて、同記事は次のようにのべています。

 「日本共産党は、全党の団結で干渉とたたかい、ソ連のチェコスロバキア侵略などの大国主義・覇権主義を厳しく批判。1979年の日ソ両共産党会談で、ソ連共産党に干渉の誤りを認めさせました」

 「また日本共産党は、ソ連共産党との論争の仲で、ソ連流のマルクス・レーニン主義の歪曲を正し、世界論・革命論・未来社会論などあらゆる面でマルクス、エンゲルスの理論(科学的社会主義)の本来の姿と生命力を明らかにしました」

 そして、「ソ連覇権主義という歴史的な巨悪の崩壊は、大局的な視野で見れば、世界の革命運動の健全な発展への新しい可能性を開く意義をもった」と綱領の一節を紹介しています。

 私が、日本共産党の活動や理論を知り、党活動に参加したのは1960年代の前半です。その直後にソ連共産党の公然化した干渉、その後の中国毛沢東派の干渉が起こりました。2つの大国の共産党からの干渉、党の名だたる中央幹部の内通や裏切り、入党したばかりの私や仲間たちは、「アカハタ」に掲載される諸論文の学習に追われました。

 記事の中に、「全党の団結で干渉とたたかい」という、くだりがありますが、中央も、入党間もない私たちも、必至で学習し、さまざまな分野で、「干渉作戦の謝り」を明らかにし、党の見解を広めるために全力を尽くしました。 このことが、その後の選挙戦や、労働運動、平和、民主運動、核兵器禁止・廃絶を求める運動等の発展の土台をつくりだす一端をになうことができたと思っています。

 


レーニン、”スターリンとの生死をかけた闘争”科学的社会主義の党建設の決定的意味(7)

2017年12月21日 | 未来社会へのプロセス

 同記事を読み続けたいと思います。

「レーニンはソ連邦の結成をめぐり、ロシア連邦がウクライナ、ベラルーシ、グルジア、アルメニア、アゼルバイジャンの各ソビエト共和国を吸収・合併するというスターリンの大国主義的な方針に反対し、『大ロシア人的排外主義に対する生死をかけたたたかい』を宣言。最終的に、各ソビエト共和国が対等・平等の権利で新しいソビエト連邦に加盟するというレーニンの統合プランにもとづいてソ連邦が結成されました(1922年)」

 しかし、これで問題は解決されませんでした。以下、志位氏の「綱領教室」第2巻185~187ページを紹介します。

「統合プランの基本原則のうえでは、謝りは是正されましたが、実際にはスターリンの謝りは、深刻な形で進行していたのです。その誤りがグルジアで猛威をふるい、矛盾が火を噴きます」

「グルジアは、スターリンの生まれたところですが、グルジア共産党は、スターリンの大国主義的な併合的やり方に一番強く反対していた共産党でした。スターリンは、この抵抗を力づくで抑え込もうという企てをすすめます。グルジアがあるのはザカフカズ地方といいますが、ザカフカズ地方にあるグルジアとアルメニアとアゼルバイジャンの3つの共和国を1つの『ザカフカズ蓮邦』に統一して、統一した『連邦』をソ連邦に加入させるというやり方で、グルジアの民族自決権を奪ってしまう企てをすすめたのです」

「レーニンは、この問題にかかわるスターリンの行状を知るなかで、スターリンはあまりに粗暴すぎる、書記長から更迭すべきだということも『大会への手紙』のなかに残します。しかし、レーニンは、1923年3月に脳卒中で活動不能に陥り、翌年1月になくなりました」

「レーニンが亡くなった後に、この問題で、レーニンの遺志を理解し、それを勇気をもって引き継ごうという人物は、残念ながら党の指導部にはいませんでした。こうして、スターリンの覇権主義の横暴が横行することになっていったのです」

 同記事に戻ります。

「レーニン死後、ソ連の指導者となったスターリン(1878~1953年)とその後継者は、社会主義の原則を投げ捨て、『対外的には、他民族への侵略と抑圧という覇権主義の道、国内的には、国民から自由と民主主義を奪い、勤労人民を抑圧する官僚主義・専制主義の道』(日本共産党綱領)を進みました」

「日本の千島列島や北海道の一部である歯舞・色丹の占領も連合国の戦後処理の大原則=『領土不拡大』を踏みにじった暴挙でした」

「スターリン死後も、覇権主義はその後継者たちに無批判に引き継がれ、ついにはアフガ二スタン侵略(1979年)の『泥沼化』、国民への抑圧、経済停滞などが重なり、ソ連の衛星国家の東欧諸国が崩壊したのに続いて、1991年、ソ連共産党は解散、ソ連邦も解体しました」

 こうした歴史を振り返るなかで、痛切に考えさせられることは、科学的社会主義の党建設の決定的な重要性です。

 日本共産党は、「科学的社会主義を理論的な基礎」(規約)として活動しています。 今回の総選挙は、経験のない緊急事態で、かつ複雑性を伴なったたたかいでした。この総選挙に大局的な立場で、逆流の本質を見抜き、何よりも、市民との約束を守り貫くことが党の最大の責任であることを全党の認識にしてたたかうことができた背景には、まさに、科学的社会主義の哲学と理論があったからだと考えています。

複雑で総選挙の


科学的社会主義者レーニンの「積極的努力」と「自己変革」-ロシア革命(6)

2017年12月20日 | 未来社会へのプロセス

 11月7日付「しんぶん赤旗」記事は、「ロシア革命では、『レーニンが指導した最初の段階においては、おくれた社会経済状態からの出発という制約にもかかわらず、また、少ないくない施行錯誤をともないながら、真剣に社会主義をめざす一連の積極的な努力』(綱領)」がおこなわれたことを述べています。 

 その例として、まず、挙げられているのが「新経済政策(ネップ)」です。 不破哲三氏は、「レーニンは、市場経済と社会主義の問題に挑戦した最初の共産主義者だった」と指摘しています。

 レーニンとソビエト政権は、イギリス、フランス、日本など帝国主義諸国の干渉戦争と内戦に最終的に勝利しました。

 「レーニンは、勝利の見通しがつき、資本主義諸国の網の目のなかで、ソビエト・ロシアが存立する条件を勝ち得たと見定めたことから、いくつかの路線転換をはかります」(同記事)

 「その一つが、『戦時共産主義』から『新経済政策』(ネップ)への移行です。『戦時共産主義』では、農民から余剰農産物を強制挑発していました。この矛盾が激化するなか、レーニンが施行錯誤のうえたどりついたのが、市場経済を活用しながら社会主義への前進に向う路線=『新経済政策』です。それまでの『市場経済=敵』という考え方からの大転換でした」

 この「市場経済を活用しながら社会主義」への探求と実践は、現在の中国やヴェトナムでも進められています。

 日本共産党の綱領では、「市場経済を通じて社会主義に進ことは、日本の条件にかなった社会主義の法則的な発展方向である。社会主義的改革の推進にあたっては、計画性と市場経済とを結合させた弾力的で効率的な経済運営、農漁業・中小商工業など私的な発意の尊重などの努力と探求が重要である」

 「国民の消費生活を統制したり画一化したりするいわゆる『統制経済』は、社会主義・共産主義の日本の経済生活では全面的に否定される」と述べています。

 資本主義国との平和共存外交も重要な転換です。このことについて、「記事」は次のように紹介しています。

 「22年にイタリア・ジェノバで開かれた国際経済会議のy準備会合では、どんな国であれ、自分の社会制度を他の国に押し付ける権利はないこと、自分たちの社会制度は自分たちで決めることがうたわれました。資本主義諸国がはじめて資本主義以外の制度の存在を認めた宣言となりました」

 さらに、革命論についても大きな転換を図りました。

 「革命論では、干渉戦争の時期は『世界革命近し』という情勢認識から、少数者による革命論を一般化していましたが、革命情勢の成熟には長い時間が必要だとの認識に変化。勤労人民の多数を獲得することや、社会民主主義的潮流との統一戦線論などが展開されました。これは、のちの反ファシズム統一戦線戦術につながる提起でした」(同記事)

 レーニンがどうして、こうした転換をはかり、推進することができたのでしょうか。

 私が、最も強く考えさせられたことは、レーニンが、科学的者社会主義者として、その探求者として自己変革をはかりながら「人民・国民こそが歴史をつくり、発展させる主人公」という基本を貫き、現実との格闘のなかで弁証法を駆使し、人類史に世界的意義を刻むロシア革命を発展させることができたのではないだろうか、ということです。

 

 


日本国憲法の「努力」規定を考えるーロシア革命(5)

2017年12月18日 | 未来社会へのプロセス

 私は、憲法の「革命性」「行動性」にいつも励まされながら生活し、活動している一人です。 憲法には、「努力」という表現が何箇所かあります。また、それに近いか、同じ意味で使われている「前文」や条項もあります。

 その中でも、ロシア革命の世界史的意義を考える上で欠かせない条文として、憲法97条(第10章 最高法規)があると思っています。 知られているように、自民党の憲法改正草案(平成24年4月27日決定)では、現行憲法97条は全文削除されています。

「第97条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪え、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」

 この条文が憲法に規定された経過、議論にはいくつかの説がありますが、最終的に憲法改正国会で審議され制定されたことは大きな意義があるのではないでしょうか。それは、ここで言われていることは歴史の事実で裏付けられているからだと思います。

また、「第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」(同条前段)

 「第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。 国は、すべての生活部面において、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない

 前文では、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われわは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

 これらの、規定は国(権力)には、基本的人権を守る義務を明確に課し、国民には、国(権力)が基本的人権を侵害することに対し、侵害を許さないために、抵抗し、行動する正当性を人類史的立場で明らかにしてると考えています。

 そして、人類の歴史をつくるのは、人間一般ではなく、憲法が次のように規定していることは、とりわけ重要ではないでしょうか。

「第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする

 日本共産党は、今年1月開催した、第27回大会の決議で、あらためて、憲法第13条の意義を強調しました。

憲法13条が保障した『個人の尊重』『個人の尊厳』は、立憲主義による権力制限の究極の目的である。『個人の尊厳』が政治、経済、教育、文化、市民生活など、あらゆる分野で貫かれる社会をめざす」

 日本共産党は、憲法の完全実施をめざしています。 その実現の上に、社会主義・共産主義の日本を次のように展望しています。

 「社会主義・共産主義の日本では、民主主義と自由の成果をはじめ、資本主義時代の価値ある成果のすべてが、受けつがれ、いっそう発展させられる。『搾取の自由』は制限され、改革の前進のなかで廃止をめざす。搾取の廃止によって、人間が、ほんとうの意味で、社会の主人公となる道が開かれ、『国民が主人公』という民主主義の理念は、政治、経済、文化、社会の全体にわったて、社会的な現実となる」(「綱領」第5章)


「人権概念を発展させた社会権の承認、日本の憲法への影響」-ロシア革命(4)

2017年12月17日 | 未来社会へのプロセス

「11月7日」付「しんぶん赤旗」記事は、ロシア革命の2つ目の「世界史的意義」について、「人権概念を発展させた社会権の承認」を挙げています。

「2つ目は、人権概念をフランス革命以来の自由権から、生存権、労働基本権、社会保障といった社会権へと発展させたことです。社会保障という言葉も、革命のロシアで初めて使用されました」

「ソビエト政権は1918年1月、人間による人間の搾取の廃止などをうたった『勤労し搾取されている人民の権利宣言』を発しました。『宣言』は『社会国家の理念が一般的に承認され、権利宣言が各種の社会権を宣言・保障することが原則に』なるうえで『注目される』役割(『人権宣言集』=岩波文庫=宮沢俊義氏の概説)を果たし、ドイツのワイマール憲法(1919年)やILO(国際労働機関、1919年))創設などへとつながっていきます」

「ILOの設置を定めたのは、第1次世界大戦の講和条約・ベルサイユ条約です。その背景について、『日本労働年鑑』1995年版(法政大学大原社会問題研究所)は、『講和条約のなかに労働問題関係の条項を取り入れざるを得ないと関係者に考えさせた決定的要因は、1917年のロシア革命とその影響だったと言われている』と指摘しています」

「その結果、『本来は賠償、軍事などを処理する講和条約』で、政府、使用者、労働者の代表が平等の投票権と地位をもって、労働条件について協議する『3者構成主義』に立った国際機関が実現しました」

「ソ連社会は、その後、スターリンによって変質させられ、崩壊するにいたりましたが、ロシア革命はその後世界に持続的な影響を与える世界史的意義をもつ出来事となったのです」

前出の「人権宣言集」の「人権宣言概説」で、宮沢俊義氏は、つぎのようにのべています。

「社会国家の理念が一般的に承認され、権利宣言が各種の社会権を宣言・保障することが原則になったのは、第1次世界大戦以後のことである。1918年のソヴェト・ロシアの『勤労し搾取されている人民の権利の宣言』が、この点で、注目される。これは、直接には、ただちに他国に影響を与えることはなかったが、それは、1918年以後のヨーロッパ諸国の憲法会議に対し、『社会的なもの』に対する注意を呼びおこすのに貢献した」

「この時代に作られた憲法は、すべて多かれ少なかれ社会国家の理念を承認し、その表現として、権利宣言において各種の社会権を宣言・保障している」

「ここで、1789年に宣言された自由権のカタログ(フランス革命の『人権宣言』のことー引用者)とならんで、家庭や母性の保護、両性の平等、社会保障、教育を受ける権利、労働権、労働者の団結権、健康な生活や休息への権利、私有財産の絶対性への制約などが、権利宣言に顔をだしはじめた」(以上、「綱領教室」第2巻72ページ)

 私は、こうした、憲法論議が、第2次世界大戦を経験し、一層発展し、日本の憲法制定にも影響を与えたと考えています。


民族自決権を獲得した国ぐにが人類存続のための核兵器禁止条約の採択に大貢献

2017年12月16日 | 未来社会へのプロセス

民族独立を果たした国ぐにが100を超えて、国際政治の舞台に登場したことは、どんな意味があるのでしょうか。今年、2017年7月7日、国連は加盟国(193カ国)の3分の2の122カ国が賛成し、人類史上はじめて核兵器を違法化する「核兵器禁止条約」を採択しました。122カ国の中心は、東南アジアや中東、中南米、アフリカ地域の国ぐにでした。 ロシア革命から100後の年でした。

こうした国々の活躍について、志位和夫委員長が体験を語ったことがあります。 以下、「綱領教室」第2巻から紹介させていただきます。

この体験は、2010年5月に国連本部で開かれたNPT(核不拡散条約)再検討会議に参加した際のものです。

「とくに、私が目を見張ったのは、非同盟諸国が果たしている積極的役割でした。NPT再検討会議が開始された初日に、最初に演説したのは、カバクチュラン議長(フィリピンの国連大使)です。2番目に演説したのは、藩基文国連事務総長です。そして、3番目に演説したのは、非同盟諸国の代表としてのインドネシアのマルティ・ナタレガワ外務大臣でした」

「マルティ外相の演説は、『核抑止力論は平和も国際安全保障ももたらさず、核兵器完全廃絶に向けた前進への妨害になるだけだ』、『核兵器禁止条約の検討は、この会議が採択する行動計画の不可欠の一部になるべきだ』--この会議の確信的な主題を理路整然、格調も重みもある演説でズバリ明らかにして、会場全体を圧する素晴らしいスピーチでした」

「こういう演説を非同盟諸国の代表が行い、会議の大きな流れをつくりだしました。非同盟諸国の存在感の大きさに、私は目を見張る思いでした」

「そして、この会議の焦点になったのは、核兵器禁止条約(NWC)でしたが、それを毎年の国連総会に提案しているのは、コスタリカとマレーシアという非同盟の国なのです」

「いまの世界で大事なのは、国の大小でもなければ、経済力の大小でもなければ、ましてや軍事力の大小でもありません。その国がどういう主張をしているかによって、その国の値打ちが決まります。世界の道理にかなった主張をしている国ならば、コスタリカのような小さな国でも世界を大きく動かす力をもちます。道理にかなっていない国、他国の言いなりになっているような国は、何を言っても相手にされません。21世紀の世界は、そういう世界になっているのです」

 核兵器禁止条約の国連会議の議長は、コスタリカ出身の外交官エレン・ホワイト(女性)さんでした。コスタリカは中米の国で、人口は460万人(2011年現在)の国です。

 12月17日付「しんぶん赤旗」は1面で、核兵器禁止条約に関して、日本総合研究所会長の寺島 実郎さんの発言を掲載しています。

 寺島氏は、「私が注目しているのは、東南アジア諸国連合(ASEAN)10カ国中、9カ国が同条約に賛成していることです。『東南アジアの非核化』に強い決意を示しています。彼らは、『北東アジアの非核化』に向け、日本がをどうするのか注視しています」

「北朝鮮の核・ミサイル問題で日本が一番、長期的にこだわるべきは朝鮮半島の非核化です。広島・長崎の悲劇を背負う国として、核兵器禁止条約に入り、北東アジアの非核化を主導していく。それは、122カ国を味方につけ、国際社会で影響力を高めていくことにもつながります」


「世界に与えた巨大な『持続的』影響ーロシア革命(2)

2017年12月14日 | 未来社会へのプロセス

[記事の商会のつづき]

「『10月革命』によって、人類の歴史ではじめて資本主義から離脱して社会主義への道に踏み出そうという試みが始まりました。『10月革命』の影響は『近代の他のいかなる歴史的事件よりももっとも深く、もっと持続的な反響を世界中に及ぼしている源」(E・H・カー『ロシア革命 レーニンからスターリンへ、1917-1929年』)となりました。

 日本共産党綱領は、「日本共産党は、わが国の進歩と変革の伝統を受けつぎ、日本と世界の解放闘争の高まりのなかで、1922年7月15日、科学的社会主義を理論的な基礎とする政党として、創立された」(綱領第1章第1節)と述べています。日本共産党創立にとっても、「巨大な影響」があり、その世界史的意義を正当に評価しています。

 ロシア革命の世界史的意義、「持続的影響」の第1は、世界の「構造変化」につながる民族自決権を全世界に適用されるべき大原則としたことです。

 記事は、「ソビエト政権は、革命翌日の11月8日に『平和に関する布告』を公布。交戦諸国民に無併合・無賠償の講和をよびかけるとともに、民族自決の原理を高らかにうたいました。

 「布告」の要旨を「綱領講座」から紹介します。

 「労働者・兵士・農民代表ソヴェトに立脚する労農政府は、すべての交戦諸国民と彼らの政府に、公正な民主主義的講和についてただちに商議をはじめることを提議する。・・・(労農ー引用者)政府がこのような講和とみなすのは、無併合(すなわち、他国の土地を略奪することのない、他民族を強制的に合併することのない)、無賠償の即時の講和である。・・・」

 「(労農ー引用者)政府が、民主主義派一般、とくに勤労諸階級の法意識にしたがって、併合、すなわち他国の土地の略奪と解するものは、すべて、弱小民族が同意あるいは希望を正確に、明白に、かつ自由意思にもとづいて表明していないのに、強大な国家が弱小民族を合併することである」

 「そのさい、その強制的な合併がいつおこなわれたか、また、強制的の合併させられている、あるいはある国家の境界内に強制的に引きとめられている民族が、どれだけ発展しているかおくれているかは、かかわりない。また、この民族がヨーロッパに住んでいるか、遠い海外に住んでいるかにも、かかわりない」(レーニン全集第26巻、249~250ページ。「綱領教室」第2巻106ページ)

 「ロシア諸民族の権利宣言」とその実施の記述については省略します。

 「このように、すべての民族の独立と民族自決権の完全な承認を、対外政策の根本にすえました。このことが、世界に衝撃を与え、民族解放運動の高まり、第2次世界大戦後の植民地体制の崩壊といった世界の『構造変化』につながっていきました」

[参考] 「国際政治における独立国数の変化」(綱領教室第2巻103ページ)

 地域           1899年「万国平和会議」             2011年「国連加盟国」

ヨーロッパ・北米           20                            52

アジア           5(日本、清、シャム、ペルシャ                 54

                  トルコ)

ラテンアメリカ       1(メキシコ)                            33

アフリカ           0                                   54

合計            26                             193


ロシア革命と日本の未来社会論(1)

2017年12月14日 | 未来社会へのプロセス

 11日、志位和夫委員長を迎え横浜で「これからの日本共産党と”市民と野党の共闘”の展望」が開かれました。大和からも2人が参加しました。21日に参加者の感想を聞く会を開く予定です。

 「つどい」では、参加者から「共産主義というと旧ソ連や中国を連想する。共産党のめざす未来社会とは?」と問われ、志位氏は「旧ソ連の人間抑圧型社会とは全く無縁であり、いまの中国のような1党独裁制もとらない」と明言し、「私たちのめざす未来社会の最大の特質は、すべての人間の自由で全面的は発展を保障する社会でであることです」と語りました。(「しんぶん赤旗」13日付)

 こうした疑問は、今度の選挙でもいろんな方々から寄せられました。引き続きさまざまなかたちで疑問を解消し、「積極的な支持者」になっていただく努力が必要であることが党自身の重要な課題となっています。

 旧ソ連について、「どう見るのか」つついて、大事なことは、レーニンが主導した時期とレーニン死後、ソ連の指導者となったスターリンとその後継者たちの行った「対外には、多民族への侵略と抑圧という覇権主義の道、国内的には、国民から自由と民主主義を奪い、勤労人民を抑圧する官僚主義・専制主義の道」(日本共産党綱領)を区別して見ることを私たちは基本にしています。

 「しんぶん赤旗」は11月7日、 「ロシア革命100年と社会主義を考える」特集記事を掲載しました。お読みになっている方も多いと思いますが、党内外で改めて討論の参考にしていきたいと思います。私たちも今月22日に新入党者の要望がり、このテーマで学習会をひらくことにしています。

 同記事は、「ロシア革命の起きた20世紀初めの世界は『資本主義が世界を支配する唯一の体制とされた時代」(党綱領)でした。世界中の圧倒的地域を植民地として支配していた英、仏、独、露などの『列強』はその再分割をめぐって第1次世界大戦(1914~18年)を引き起こしました」

「こうしたなか、皇帝(ツァ―リ】による専制体制が敷かれていたロシアでは、『平和とパン』を求める国民の要求が高まり。1917年3月(旧暦2月)首都ペテログラード(現サンクトぺテルブルク)で労働者のデモが起き、これをきっかけに帝政が崩壊、臨時政府が樹立されました(「2月革命」)」

「しかし、臨時政府は戦争を継続したため、即時講和・食糧・土地を求める労働者・農民の運動の高まりの中で、レーニン(1970~1924年)が率いるボリシェビキ(ロシア社会民主労働党内の革命派)の指導のもとで労働者・兵士らが11月7日(旧暦10月)武装蜂起して臨時政府を打倒。労働者・兵士・農民ソビエト(ロシア語で『会議』の意)が権力を握りました」

(つづく)

 


「21世紀の世界は、資本主義を乗り越えて成長し、発展する」

2017年12月11日 | 未来社会へのプロセス

「21世紀の世界は、発達した資本主義諸国での経済的・政治的矛盾と人民の運動のなかからも、資本主義から離脱した国ぐにでの社会主義への独自の道を探究する努力のなかからも、政治的独立をかちとりながら資本主義の枠内では経済的発展を開きえないでいるアジア・中東・アフリカ・ラテンアメリカの広範な国ぐにの人民の運動のなかからも資本主義を乗り越えて新しい社会をめざす流れが成長し発展することを、大きな時代的特徴としている」(「綱領」第5章)

 この展望論は、大胆なものであり、科学的な根拠をもったものです。これだけの展望を綱領に堂々と明記している政党は世 界でも他にないのではないでしょうか。

「朝日新聞グローブ」(12月3日付)は大変興味深い記事を掲載していました。 1960年、2015年、2050年の国内総生産(GDP)推計値(購買力平価ベース)を世界地図に表現したものです。

 記事は、「1960年の地図では欧州と米国が大きいが、2015年になると、中国とインドが大きく成長。2050年には東南アジアを含め、アジアが突出して大きな経済力を持つ地域になる可能性がうかがえる」

 同記事によれば、2050年のGDP(購買力平価ベース)「The World in 2050」は、第1位が中国584990億㌦、第2位インド441280億㌦、3位米国341020億㌦、4位インドネシア105020億㌦、5位ブラジル75400億㌦、6位ロシア71310億㌦、7位メキシコ68630億㌦、8位日本67790億㌦、9位ドイツ61380億㌦、10位英国53690億㌦となっています

 さらに、記事は、21世紀後半について、「アフリカはいまだに貧困や紛争などの課題を抱え、経済規模もアジアより小さい。ただ、成長率という勢いではすでにアジアと並ぶ。国連の予測では、21世紀後半には人口が減少するアジアに対して、アフリカは2050年以降も突出した人口増を続ける見通しだ」と述べています。

 社会主義、共産主義社会への前進は、経済的規模の成長、発展だけでは起こりませんが、資本主義の制約を乗り越える土台は劇的に変化することは間違いないのではないでしょうか。