30〜60代初め迄、図書館に通った。
車谷長吉・町田康等を知ったのも、図書館で、芸術新潮を楽しみにしていた。
その後、足が悪くなり、
細くて交通量の多い図書館への道は危なくて、通うのを止めてしまった。
3ヶ月前、隣駅の古書店へ、裏道を通り行ける事を
夫に教えられ、月1通うようになった。
受賞作や、再読したい本を選んだ。
これは、再読の1冊(こんなに、面白かった?)。
彼は、佐藤愛子の父、佐藤紅緑の父である。
近寄りたくない人であるが、私は昔から、奇人・変人が大好きなのである。
以下、抜粋。
・・・・・・・
私の祖父は、津軽藩の微禄な藩士だったが、山鹿素行の兵学を修め、
後藩命によって上京、勝安房塾に入塾後、洋学を学べという命令で
福沢諭吉の英学塾で学んだという人である。
維新後は弘前市で西洋小間物の店を開いたりしたが
客が来て値段を聞くと
うるさい、ほしければ勝手に持っていけ、と怒鳴ったりしたので
経営が成り立つわけがなく、晩年は郷土史研究や農業改善に
力を尽くして八十一歳で亡くなった。
祖父は弘前では知らぬ者はいないといわれたほどの
口やかましい頑固者で、人に向かってことごとに馬鹿者呼ばわり
をしたので、祖父が死んだ時、弘前の人たちは
「これで弘前から馬鹿者がいなくなった」といったという。
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祖父はリンゴの品質改良に功績があったという理由で、
黄綬褒章が与えられた。町の人が喜んで祝賀会を開いたところ、
祖父は、
「俺が百姓の仲間入りをしたのがそんなにめでたいか!」 と怒ったので祝賀会はメチャクチャになってしまった。
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伊藤博文が立憲政友会を組織して祖父の参加を勧誘してきた時も
「小僧どもの仲間入りはまっぴらだ!」といって拒絶した。
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