《千両役者達》
目細一家の親である杉本安吉は、何から何まで新時代のハイカラ紳士。
しかしその実は、仕立屋銀次から掏摸(もさ)の技を受け継いだ、義に篤きをおく男。
「おじさんあにさん方はどうか知らないが、私は終生、仕立屋銀次の子分です。箸の上げ下げから教わった親分に取って代わろうなんて、これっぽっちも思ってはいません。官の都合で貧乏人に背を向けるなんて、私にはできませんよ」と、仕立屋銀次の跡目を継ぐことを拒んだ。
雑踏の中、狙い定めた的とすれちがいざま懐の紙入れから札だけ抜く「中抜き」は、安吉にしか出来ない芸術的技。
大仕事の前に、山高帽に燕尾服、襟元に真っ白な絹のマフラー下げて、ダンスホールで壁の花に咲いていた目のさめるような別嬪に、白くて細い手を差しのべワルツを踊る粋と度胸。
「三社祭の御輿の前で うちの旦那に中抜きかけた 目細の安 みいっけたァ」
「観兵式のタンクの前で 乃木大将に中抜きかけた 目細の安 みいっけたァ」
「洲崎女郎衆は見てござる 粋な小僧さんは見てござる 目細の安 みいっけたァ」
子供の戯れ歌にまでなる、伝説の義賊。
二つ名は戯れ歌に謳われし「目細の安」。
そのこめかみから吊り上げたような細い鋭い目で睨まれれば、誰もが竦み上がる。
寅弥は一家の小頭と言っても、親の安吉よりいくつか齢かさ。
稼業は強盗(タタキ)で、相州物の出刃をどんと畳におっ立てては、説経を垂れる説経強盗。
いつしか「説経寅」の二つ名で呼ばれる。常日頃舎弟たちにも説経を垂れ、あげくは親の安吉にまで塁は及ぶが、道理を弁えた筋の通った説経だ。
腕っぷしの強さと気っぷの良さが詰まったずんぐりな体に、坊主頭で出来そこないの西郷どんみたいな怖い顔がついているのがご愛嬌。誰よりも純真な心根を持つ男。
日露戦役の英雄河野寅弥軍曹の過去を持つが、そのとき部下の殆どを死なせてしまった悔恨の情は、未だ癒えぬままであった。
ダグラス・フェアバンクスと見紛うばかりの男伊達。
橙色の墨で、宝剣と玉を捧げ持つ不動明王を彫った、黄不動を背負(しょ)うひと呼んで「黄不動の栄治」。
二十歳前ぇに肋膜を病んで、せめて強え体になりてえと、駒込の目赤不動に願をかけた。
ご利益あってか病は本復、お礼参りのつもりで、不動明王の彫物を入れたのよ。
何を隠そう、花清の大旦那花井清右衛門が、女中に孕ませた御落胤。
花清と言えば江戸以来の高名な邸大工で、合名会社花井組に改組され、日本はおろか支那朝鮮にもビルディングをぶっ建てる威勢だ。
清右衛門は栄治を孕んだままの女中を、花清の下職をやっている、根岸の棟梁に下げ渡しやがった。
義理人情をからめて頭を下げられりゃ、相手が誰だろうが、まさかいやだとぁ言えねえのが江戸っ子。
この棟梁はなさぬ仲の息子を大層可愛がり、母親が死んだ後も、栄治に継母を添わせちゃならねえと、男盛りをずっと独り身で通した。
栄治にとっちゃあ、花清なんざぁ父(てて)親でもなんでもねえ。
根岸の棟梁だけが、この世でたったひとり、「おとっつぁん」と呼べる御仁なのさ。
血よりも濃い水、黄不動の栄治とはその棟梁に似て、竹のようにどこまでもまっつぐな気性の男だ。
その上背のある体で大甍の上に仁王立ちに立って腕を組み、じっと瓦ごしに屋敷の間取りを読む。
黄不動の栄治に、お屋敷の図面は要らない。目当てのたった二枚の瓦をはずして忍びこんだ真下には、必ずその屋敷の主が寝ていた。
そして枕元に立って寝息に自分の呼吸を合わせれば、一切合財を搦め取って屋敷を出るまで、主人も家の者もけっして目を覚ますことがなかった。
それが大江戸の闇から一筋の師弟相伝に伝えられた、天切りの技。天切りの芸は大江戸以来の夜盗の華である。
黄不動の栄治こそが、伝説の盗賊天切り松蔵の師匠なのだ。
紅一点、安吉親分お墨付の女掏摸、華族令嬢お姫(ひい)様の懐ばかりを狙う仕事っぷりから、付いた名前が「振袖おこん」。
玄人の新橋向島の姐さんたちの、きりりと締め上げた帯の前からでも、すれちがいざまに真正面から紙入れを掏り取る「玄の前」が得意の技。
すれちがう男ばかりか、女までも振り返らせる程の、美人画から抜け出たような別嬪ながら、度胸はそんじょそこいらの渡世人にも退を取るもんじゃない。
したっけおこん姐御てえお人は、一見男勝りのふうだが、根は決してそうじゃあねえんだ。その実ァ、人一倍に内気で照れ屋で、好いた惚れたどころかからきし男が苦手だった・・・。
「百面相の常次郎」の正体は誰にも分からない。美男子でその色白ののっぺりとしたお役者顔からは想像だにできないが、芯は燃え立つ侠気そのもの。
「あれで侠気がなければ、ただの化け物だ」と目細の安をして言わしめた変装の名人にて、天才的な詐欺師である。
家は没落御家人で、本多常次郎の名から、世が世であれば旗本の若様ってえことになる。
いってえ何があったは知らねえが、嘘でかためた世の中ならば、嘘で世間を渡ってやらあてえ、とんだ若殿様もいたもんさ。
本当の学生よりもずっと優秀な東京帝国大学の偽学生の顔から、「書生常」とも呼ばれている。
剃刀のように切れるおつむを持つ、目細一家の知恵袋にして財テクで支える金庫番。
さてどん尻に控えしは…
「お控えなすっておくんなさんし。とんだところで御免こうむりやす。稼業ちげえは承知の上で、勝手な仁義切らしていただきやす。手前、姓は村田、名を松蔵と発します。親分と発しますは、目細の安の二ツ名で渡世張りました杉本安吉親分にござんす。したがうところ手前、仕立屋銀次親分の孫分にござんす。大正の時代に目細の盃を頂戴いたしましてより、かれこれ八十年の盗ッ人稼業、平成の御世にまで生き恥さらしまして、通り名を「天切り松」と発します。時世流れまして親分兄弟分みな身罷りやしたが、名にし負う義賊、目細の安吉が一門の威名を今日まで蒙りやして、上は官、下は渡世人のみなさんの厄介者にてござんす。お天道様の真下をお歩きになるそちらさんとは、そもそも関わりのねえ者ではござんすが、こうしてお目に留まるのも何かの縁、向後面態お見知りおかれまして、宜しくお頼み申し上げやす」
世直しなんぞと大それちゃいねえが、没義道がまかり通りゃ世も末よ。
腐れ外道どもにはわからすめえがの、盗人にも三分の理がある、こちとら貧乏人の米櫃に手をつっこんだためしは一度もねえ、盗られて困らぬ天下のお宝だけを掠め取ってきた。
一寸の虫にも五分の魂って奴だ、天下国家を論ずるつもりは更々ないが、したっけ筋の通らぬ曲がったこたあ了簡がいかねえ!
大向こうの喝采にお応えして、せいぜい面白え芝居をご覧にいれやしょう…
よっ、待ってました大統領!
今日もまた、六尺四方にしか届かぬ夜盗の声音、闇がたりで松蔵がかたる義賊達の痺れるような噺に酔いしれる。
『絶景かな絶景かな。春の眺めは価千金とは、小せえ小せえ、この五右衛門の目から見れば。価万両、万々両。日も西山に傾きて、雲とたなびく桜花、あかね輝くこの風情、はて麗らかな眺めじゃなあ』
『石川や、浜の真砂は尽きるとも、世に盗人の種は尽きまじ』
今年の紫陽花の開花は遅れたそうな、だが日照り続きで枯れるのは早かろう。
そんな中あの悪党達が帰ってきた。
【天切り松・闇がたり4】
目細の安も説教寅も年老いちまい、黄不動の栄治は胸を病んじまってるのは寂しい限り。
その分松が成長しやがったし、百面相の書生常はパワー全開だってこった。
それに大年増になっちまったおこん姐御だが、益々艶っぱくなってるってんだ。
ぜずともよい戦をする国に、屁のつっぱりをお見舞いするってんでえ!
時は昭和初期、永田鉄山を相澤三郎中佐が刺殺し、その後2・2・6事件で天皇機関説は消滅、天皇は神の地位に戻った。
しかし文化はモダニズム全盛で、日本史上最高のファッショナブルに彩られていた…