長尾景虎の戯言

読んだり聞いたりして面白かった物語やお噺等についてや感じたこと等を、その折々の気分で口調を変えて語っています。

山本一力著【芝浜】

2021-01-14 17:30:02 | 本と雑誌


落語の有名な人情噺五編を、一力節で味付けした「落語小説集」

『芝浜』
鮮魚の担ぎ売り「魚勝」の勝治郎、目利きでよい魚を売るので有名だったのだが。
せっかく授かった子宝を流してから、商いに身が入らず酒に溺れ、とうとう商売をしくじってしまう。
以来商いを辞めてしまってゴロゴロしている始末。
年の瀬に女房おしのは、叔母にカネの融通を頼みに行ったが、断られてしまう。
挙句「勝治郎さんをダメにしているのは他人ではなしに、おまいさんだよ」と戒められた。
その夜、流産後初めて、勝治郎と真正面から向き合った。
「明日っから担ぎ売りに出るからよう」
勝治郎は真剣に目の光を変えて断言した。
翌朝、勝治郎は仕入れに芝浜へ行ったが、おしのが時を間違えていたため、早く着きすぎて市場がまだ開いていなかった。
浜で時間潰しをしていた勝治郎は、大金の入った財布を拾う…。

『井戸の茶碗』
屑屋の清兵衛はとある日、千代田卜斎(ぼくさい)という浪人から、仏像を売りつけられたのが事の始まりだった。
その仏像が、細川家下屋敷の勤番若侍の高木作左衛門に売れた。
がしかし、その仏像の中から五十両が出てきたから、事はややこしくなった。
作左衛門の言では仏像は買ったが五十両は買っていないので、元の持ち主に帰すように清兵衛に命じる「なにがあろうと、こちらへもちかえるな」と。
ところが卜斎は頑として金を受け取らない。
道端の岩に腰掛けて途方に暮れている清兵衛、そこに通りかかったのが達磨の純次だった…。

『百年目』
近江屋の頭取番頭・治兵衛は、商売の手腕については文句なしの人物だが、希代の堅物で通っていた。
しかしそんな治兵衛だが、意外にも密かに隠れ遊びを楽しんでいたのである。
桜の季節になり、芸者や幇間を連れて花見に向かい、賑やかに芸者達と鬼ごっこに興じていた治兵衛だったが…。

『抜け雀』
浅野平三郎は父の容介(ようかい)に本勘当された身であった。
狩野派の絵師の家系であるのに、伊藤若冲(いとう じゃくちゅう)の元に行きたいと願い出たのであった。
狩野派を背負う限りは、若冲とは隔たりを保つのが通すべき筋だった。
小田原宿の小さな旅籠・相模屋に逗留していた平三郎であったが、なんせ無一文であった。
相模屋の女房・おかねにせっつかれ、あるじの長兵衛は渋々宿賃を要求しに平三郎の部屋へ向かった。
だが無一文の平三郎、江戸に戻ってから必ず払いにくるから、それまで待ってくれと、ふてぶてしく言い放つのだった。
その担保として、衝立に絵を描くと言うのだったが、長兵衛は渋る。
無地のままなら売れもするが、そこに何処の者かも分からん奴に、絵など描かれたら疵でしかない。
しかしながら委細を構わず、平三郎は衝立に五羽の雀を描いた…。

『中村仲蔵』
「八月の仮名手本忠臣蔵では、おまえも初の座頭だ」
師匠市川團十郎は、正座で仲蔵にこれを申し渡した。今年三月初旬のことだ。
座頭は歌舞伎役者身分の最上位、名題にのみ与えられる称号だ。
歌舞伎の血筋でもない仲蔵が、名題に昇格するのは前例のないこと。
しかし、立作者の金井三笑(さんしょう)の意地悪により、仲蔵が演じるのは「斧定九郎」のひと役のみだった。
定九郎は名題が演じる役ではなく、まったくの役不足であった。
与市兵衛を襲う山賊だった。
その五段目は「弁当幕」とも呼ばれていた。
仲蔵はこれまでに誰も演じたことのない、自分にしかでき得ない「斧定九郎」を思案したが、なかなかよい案が浮かんではこない…。

有名な落語のネタであるが、一力さんにより、よい味付けになっています。
小説の土台が落語だけに、ちゃんと最後にオチが待っています。

コロナ渦でその鬱々した気持ちを、極上の人情噺に癒されては如何でしょうか(^^♪



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