ギリシャまでの道のりでは旧ユーゴスラビアを経由する。列車の中にもたくさんのユーゴスラビア人が乗っていた。そんな中、僕は一人のユーゴスラビアのおっさんと仲良くなった。コンパートメントの外の通路で二人並んで窓の外の風景を見ながらユーゴスラビアの言葉であれは何々というが、日本ではなんて言う? 日本ではウシと言う。なんて会話を延々と繰り返していた。会話と言ってもお互い何語も通用しない。身振り手振りと単語のみでの会話。 そのうち、おっさんがビールをおごってくれた。ユーゴスラビアと日本の親善のためと言って握手をし乾杯。2本くらいおごってもらったかな。そのあとコインの交換をした。 余談だが、ヨーロッパでは穴あきコインは珍しく、皆から喜ばれる。ある時5円玉と1ポンド硬貨を交換したこともあった。
コンパートメントに戻りくつろいでいると、どこかの駅で列車が止まり、各車両に突然軍隊がライフル銃を持ち乗り込んできた。コンパートメントの外に居た連中はみんな窓に手を挙げた状態でボディーチェックを受けていた。僕らのコンパートメントにも一人の軍人が入り込んできて、「パスポート!!」と怖い顔で言い放つ。みんなそれぞれパスポートを見せていた。僕もパスポートを見せようと思い、取り出した瞬間、「OK」と言われた。日本の赤いパスポートは当時信頼度抜群だった。
もうすぐギリシャへ着くという頃になると、ホテルの営業が各部屋をノックしてまわる。 ギリシャでの宿はもうお決まりですか?ってな具合に。僕はまだ決めていなかったので金額交渉をしていたが、当初描いていた予算の3倍近い金額だったためみんな断った。 3倍と言っても決して高くはないのだけれど、あのときはドミトリー形式の一人一泊500円って宿を予定していた。
コンパートメントに戻りくつろいでいると、どこかの駅で列車が止まり、各車両に突然軍隊がライフル銃を持ち乗り込んできた。コンパートメントの外に居た連中はみんな窓に手を挙げた状態でボディーチェックを受けていた。僕らのコンパートメントにも一人の軍人が入り込んできて、「パスポート!!」と怖い顔で言い放つ。みんなそれぞれパスポートを見せていた。僕もパスポートを見せようと思い、取り出した瞬間、「OK」と言われた。日本の赤いパスポートは当時信頼度抜群だった。
もうすぐギリシャへ着くという頃になると、ホテルの営業が各部屋をノックしてまわる。 ギリシャでの宿はもうお決まりですか?ってな具合に。僕はまだ決めていなかったので金額交渉をしていたが、当初描いていた予算の3倍近い金額だったためみんな断った。 3倍と言っても決して高くはないのだけれど、あのときはドミトリー形式の一人一泊500円って宿を予定していた。