いまさらと思いつつ、いつの日かこの僕の軌跡をどこかに書き留めておきたい、残したいと常に思っていた。 一度にすべて書き下ろすには、とてつもない時間と労力を要するであろうから、連載という形で書いてみることにする。
思えばもう20年も前のことになってしまった。 どれだけ記憶をたどることができるのか不安もあるが・・・、いや、実はその不安は全くない。あのとき駆け抜けた僅か3ヶ月、もう20年も前の僅か3ヶ月。今でも鮮明に思い出すことができる。
イギリスに行きたい。そんなことを思うようになったのはおそらく19歳の半ばくらいではなかっただろうか。その頃彼女に「俺は卒業したらしばらく英国に行く」とよく話をしていたように思う。でも彼女は言った、「たぶん、あなたは行けないわ」彼女はいったい何を根拠にそんなことを言ったのか理解できなかった。いや、本当はその言わんとすることは充分理解できていたんだろう。だから、逆に意地になった。「あなたは行けない」 と言った彼女の言葉は、僕の意思の弱さを指摘していた。僕自身それは感じていたが、ストレートにそのやわらかな部分を指摘されたことに僕は反発していたんだと思う。だから、僕はイギリスに行くんだってことを友人に言ってまわった。そうすることで、行かざるを得ない自分を作り自ら追い込んでいった。意思の弱さを隠すために。
イギリスの田舎では、毎年夏にジャム工場の下請けの仕事がある。(おそらく今でもあるのではないか)各国からキャンパーを募り農場の草取りだとか、果実摘みだとかの仕事に従事する。 しかし、当時はその詳細情報が少なかった。イギリス大使館で、その情報が書かれたパンフレットをもらった。しかし読んでも(見ても)内容がさっぱり理解できない。英会話教室にも通っていたので、イギリス人の先生にそのパンフレットを見てもらい、日本人が参加できるキャンプを選んでもらった。 そのキャンプのオーガナイザーに書く手紙の文面もその英会話教室の先生に書いてもらった。 どれくらい待っただろうか。そのキャンプから返事が来た。エントリー№1をもらった。イギリス行きがだんだん現実味を帯びてきた。
思えばもう20年も前のことになってしまった。 どれだけ記憶をたどることができるのか不安もあるが・・・、いや、実はその不安は全くない。あのとき駆け抜けた僅か3ヶ月、もう20年も前の僅か3ヶ月。今でも鮮明に思い出すことができる。
イギリスに行きたい。そんなことを思うようになったのはおそらく19歳の半ばくらいではなかっただろうか。その頃彼女に「俺は卒業したらしばらく英国に行く」とよく話をしていたように思う。でも彼女は言った、「たぶん、あなたは行けないわ」彼女はいったい何を根拠にそんなことを言ったのか理解できなかった。いや、本当はその言わんとすることは充分理解できていたんだろう。だから、逆に意地になった。「あなたは行けない」 と言った彼女の言葉は、僕の意思の弱さを指摘していた。僕自身それは感じていたが、ストレートにそのやわらかな部分を指摘されたことに僕は反発していたんだと思う。だから、僕はイギリスに行くんだってことを友人に言ってまわった。そうすることで、行かざるを得ない自分を作り自ら追い込んでいった。意思の弱さを隠すために。
イギリスの田舎では、毎年夏にジャム工場の下請けの仕事がある。(おそらく今でもあるのではないか)各国からキャンパーを募り農場の草取りだとか、果実摘みだとかの仕事に従事する。 しかし、当時はその詳細情報が少なかった。イギリス大使館で、その情報が書かれたパンフレットをもらった。しかし読んでも(見ても)内容がさっぱり理解できない。英会話教室にも通っていたので、イギリス人の先生にそのパンフレットを見てもらい、日本人が参加できるキャンプを選んでもらった。 そのキャンプのオーガナイザーに書く手紙の文面もその英会話教室の先生に書いてもらった。 どれくらい待っただろうか。そのキャンプから返事が来た。エントリー№1をもらった。イギリス行きがだんだん現実味を帯びてきた。