SaltyDog

               by kaji

SAVE JAPAN

2011-08-02 | 被災地復興支援
ちょっと派手なので、実際に着て外を歩くかどうかは疑問だが、
多少なりとも支援につながればとの思いで2枚購入。

「SAVE JAPAN」というロゴがまず気に入らない。 日本を救う
などと、大上段に構えた態度が気にくわない。 SAVE TOHOKU
だったら絶対に買っていないと思う。 復興のお手伝いはさせて
いただくとしても、救うなんておこがましい。

Tシャツの売り上げ金が、日本赤十字に行くってのも気に入らない。
義援金の大きな受け皿ではあるが、集められた善意は「公平」という
悪しき呪縛によってなかなか必要な人のところに配られない。

ただ、かと言って、特定の人を支援すれば、ねたまれたりして
近隣との関係がまずくなったりといったこともあるようだし、
難しい問題だ。

これは大きな問題なので、今この場で議論をすることは避けたい。
とりあえず、SAVE JAPANのTシャツを衝動買いしたという話。

釘の踏み抜き防止中敷き

2011-05-10 | 被災地復興支援
今回、被災地での復興支援の際、リスクを感じながらも
釘を踏まないよう祈る思いであった。 この中敷きを
使っても完全に防止することはできないが、リスクはかなり
軽減できるはずだ。

ネットで調べるとも、足のサイズに合った物が売られて
いたが、倍ほどの値段だったので、近くのホームセンター
でみつけたこれを買ってきた。 切って長靴の大きさに
合わせる。850円位だったかと。

がんばろう!東北

2011-05-09 | 被災地復興支援
カテゴリーに「被災地復興支援」を追加した。

岩沼へ支援に入った際、「がんばろう!東北」と書かれたシール
をいろんなところで見かけた。 私も欲しかったので、ネットで
調べていたら、一応無料でダウンロードできるサイトを見つけて
印刷してみたのだが、どうもサイズが合わなかったので、自分で
作ってみた。

とりあえずヘルメットのサイズに合うように作成。

先日は、結局ヘルメットを持参しながらも、かぶることはなかった
のだが、次に行く時は、このシール付をかぶって作業に入ろう。

被災地復興支援レポート:岩沼(12:完)

2011-05-08 | 被災地復興支援
私は、夜の高速バスで仙台を発つ予定であったが、この日、ずっと
行動を共にしていただいたKAさんは、一泊して、翌朝のバス
で帰ると。 ホテルでシャワーを浴びて、仙台駅周辺で一杯飲み
ませんかとのお誘いをありがたく受け、まずKAさんの宿泊する
ホテルを目指す。 仙台駅でコインロッカーから荷物を取り出すと、
前述の先生に遭遇。この人混みの多い中で、よく出会ったものだと、
人の縁の不思議を感じる。

KAさんのホテルでシャワーをお借りし、やや復活。 準備も
整い、タクシーで仙台駅へと向かう。 タクシーの運転手さん
から、震災の話を伺いながら、駅に到着。
手頃な居酒屋さんに入り、酒と肴で話を弾ませる。

22時 いい感じに酔っ払ったので、店を出て、名残惜しくも
KAさんと別れる。

バスの時間は23時30分(45分発) コンビニでバスの中で
飲むビールとつまみを買い込み、バス乗り場で待つ。

さて、いよいよ仙台ともお別れだ。 また来るからね と心の
なかでつぶやいて、バスに乗り込む。

(完)

被災地復興支援レポート:岩沼(11/12)

2011-05-08 | 被災地復興支援
八巻家より、海の方角へ向けて歩き出す。 海が近づくにつれて
惨状はすさまじさを増す。 川を越えたあたりから、さらに
ひどくなった。









消防の方(たぶん)や、自衛隊の方が、瓦礫の撤去作業を行って
いたが、素人目にも何年かかるだろうかと、瓦礫の量に対する
撤去作業を行っている方の数の少なさに言葉を失う。





防波堤までたどり着いた。 崩れかけた防波堤が、当時のすさまじさ
を物語る。





防波堤に登ってみると、見渡す限りのおだやかな海。 津波を
イメージしてみたが、想像を絶するとはこういう時に使う言葉
なのだろう、全くイメージできない。





身体もそうであるが、心まで疲弊してしまった私たちは、途中
何度か休憩をとりながら、駅までの道を歩いた。

つづく

被災地復興支援レポート:岩沼(10/12)

2011-05-08 | 被災地復興支援
人手がいないので、なかなか作業がはかどらず、ややイライラ。
それでも、できることからやるしかないので、モクモクと作業
に取り組む。 11時過ぎにようやくVが派遣されてきた。
私たちとは別の作業にとりかかっていた。

昼休憩。 この日は、牛丼と味噌汁が振る舞われた。 有り難い。
(写真撮るの忘れた)

後から来たVの青年に声をかけてみた。 何時頃並んだのかと
尋ねると、10時30分頃並んで、しばらく待っていたら、
緊急で活動先が出たので行ってくれと言われ、ここに来たと。
どうやら、社協とVCの連携もうまく取れていないようだ。
なにはともあれ、私たち2人が呼び水になったことは確かな
ようだ。

午後からはさらにVが追加され、やっと活動らしくなってきた。

午後3時の小休憩。少ない人数の中奮闘した私たちは、かなり
疲れていた。 それと、できることであれば海岸まで歩いて
行ってみたいという思いも。

そこで、私とKAさんは、戦線を離脱し(元々単独行動であった
わけだが)海まで歩くことに。 八巻さんにご挨拶させていた
だき、一足先に引き上げることを告げると、来年はトマトを
食べに来てくださいと、ありがたいお言葉。

つづく

被災地復興支援レポート:岩沼(9/12)

2011-05-08 | 被災地復興支援
私は決心した。 よし、昨日の現場に単独で行こう と。
絶対に人数が足りていない確信があった。
場所はiPhoneに登録してあった。 検索すると徒歩45分程度
だ。 周囲の人にそれを告げると、KAさんが、一緒に行くと
言ってくださった。 でも行きも帰りも歩くことになるけど
かまわないかと尋ねると、問題なしと。 早速私とKAさんは
私が昨日入った現場、八巻家へ向かった。



歩く途中、車からは伺い知ることのできない惨状を目にした。
歩道が崩れ、豚が死に、ご位牌、賞状の筒、お墓に立っている
木の札(なんて言うんだっけ?) そんなものが至る所に
散乱していた。 フェンスがなぎ倒されたままになっていたり、
水没したと思われる放置された車両。 そんな中を歩いて行った。
VCで、私の後ろに並んでいた方に偶然出会う。 彼は
小学校の先生をされていて、やはり午後組になってしまったので、
海岸まで歩いて行ってみることにしたと。

先生とは途中で別れ、私たちはほぼ計算通りに八巻さん宅に到着。
ハウスに近づいてみるとあまり人気がない。 あれ?Vの方は
どこにいるのだろうか。そう思っていたら、男性の方に出くわす。
八巻さんの居場所を尋ねるとハウスの向こうにいらっしゃった。

ご挨拶をし、Vの方は?と伺ってみると、まだ誰も来ていないと。
えっ? VCでは午前中の受付終了って言ってましたよ と
告げると、ビックリされ、社協(社会福祉協議会)に頼んでるん
だけどなぁ~と、早速電話されていた。

まさか誰も来ていないとは思いもよらなかった私たちも、
とりあえず、支度をととのえ、何からお手伝いすれば良いか指示を
受け、早速作業開始。

つづく

被災地復興支援レポート:岩沼(8/12)

2011-05-08 | 被災地復興支援
翌朝5時40分起床。 昨日より1本早く、6時3分発の電車
に乗ろうと思っていたのに、間に合いそうにない。 結局の
ところ、昨日と同じ6時27分に乗車。 駅で偶然にも昨日
いろいろと話をしていた京都から参加のNIさんに遭遇。VC
までの道を昨日の様子などを話しながら歩く。

VC前の列は相変わらずだが、昨日よりも短かった。

2日目は、要領を得たもので、どうせ8時30分までは動かない
だろうと、早々と座り込む。 ひとつ前に居た男性KAさんに
声をかけた。 横浜在住だが、栃木に居たので栃木から参加
されたとのこと。 その前に並んでいた大阪(堺)から参加
の20台前半の女性2人組も話に加わり、待っている間の時間を
楽しいおしゃべりで過ごす。

ただ、このあたりから、これだけのVの意志が時間的に無駄に
なっていることに憤りを感じはじめた。 仮に時給換算すると
莫大な金額になる。 VCの方も一生懸命やられているのだから
しかたないという思いが、なんとか心をつなぎとめていた。

昨日と同じように8時30分から列が少しずつ動きだした。
それにしても非効率的である。 全く機能していないと言って
も過言ではない。

列がすすんで、受付まであと少しのところまで来た。この時点
でやはり9時50分頃。 するとVCのスタッフが、ここまで
で午前の受付終了しますと。 なに!! あと少しだったのに。
午後の受付は12時30分からだと言う。 ふざけるな!
何時に来て並んでると思っているのだ。 2時間半も何して
過ごせというのか。 それ以上に、活動しにやってきたのに
この時間的な無駄が許せなかった。

つづく

被災地復興支援レポート:岩沼(7/12)

2011-05-08 | 被災地復興支援
初日の午後も同様の作業を行い、その日の目標を達成できたと
ご主人が挨拶をされ、Vからは拍手が。 初日の作業終了。
数回いろんな現場に参加された方の話では、今日の現場は
なかなかハードな現場であったそうだ。

再びSOさんの車でVCまで送っていただき、長靴のドロなどを
高圧洗浄機で洗い流してもらう。 SOさんはさらに岩沼駅まで
送り届けてくれると言っていただき、お言葉に甘えることに。
SOさん、どうもありがとうございました。

KUさんと一緒に仙台駅まで戻り、明日またあえるかどうか
わからないので、ご挨拶をして仙台駅で別れた。

仙台駅から20分ほど歩いたところにあるカプセルホテルを
予約していた。 まずはそこを訪れ、荷物を置いて、晩飯を
食べるために外出。 疲れていたこともあり、あまりガッツリ
食べる気もせず、ラーメンを。 「熊本ラーメンおっぺしゃん」
って言ったかな、なかなか旨かった。 仙台まで来て熊本ラーメン
かよって感じもあったが、深くは考えまいと。

国分町のカプセルホテルは最新式でとても対応がよく、快適だった。
4Fのフロアが、休憩所になっていて、リクライニングシート
に座り、各席に1台ずつテレビが付いている。 ビールや
料理なども注文でき、ついつい飲み過ぎてしまう。

つづく

被災地復興支援レポート:岩沼(6/12)

2011-05-07 | 被災地復興支援
VCの方が、グループ分けを始めた。 車を出せる人を募り、その
方が何人乗せられるかで小グループが作られる。私は車の所有者SO
さん、それから前述のSAさん、KUさんのチームに加わり、そう
いった小グループが集まって作業内容と現場の場所を知らされた。
この時点で10時。時間がもったいない。

何とか活動に参加できた。 早速車に乗り込み現地を目指す。
八巻さんというお宅の、トマトハウス復旧に向けた活動であった。
Vの数もおそらく80人ほどは居たのではないだろうか。




<八巻さんのトマトハウス>


<手前の広い場所には、震災前ビニールハウスがあったそうだ>



八巻さんのご主人が、ハンドマイクを手に、Vの活動の指揮をとられ、
見事な采配ぶりを発揮なさっていた。 大量のビニールや金具、
そしておそらくお湯かなにかを循環させる鉄のパイプ。 そういった
物を一旦外へ運び出す作業が続いた。


<運び出し作業がだいぶ進んだところ>

お昼休憩。Vは基本的に食料持参なので、それぞれおにぎりなどを
持っていたが、ご主人がVのみなさんにおにぎりを配ってくれた。
私も1パックいただく。 米がいいのか、めっちゃ旨いおにぎりだった。



休憩の間、ご主人から、震災当日のお話しを聞くことができた。
その日、たまたま、家の近くにおられたそうで、地震発生後すぐに
戻ってみて、被害状況などを確認していると、海の方角から津波が
押し寄せてくるのが見えたと。 急いでご家族を車に乗せ、海と
反対の方角に向けて車を走らせ、無事だったと。 あと5分判断が
遅れたらダメだったかもしれないと。

高さにして2メートルほどの波が押し寄せた跡が残っていた。

つづく