「金八先生」のドラマでも紹介されたという、ご存じ奇跡の高校教師・宮本延春さん。
けさの新聞に彼のコラムが載っていたので読んでみたんですが、やっぱりこの人はすごい。
コラムの内容は、中高生向けの助言なのです。
どうも月一回のペースで掲載されているようですね。
今日のテーマは「なぜ幸せになりたいのか」。
要約してみると、こういうことです。↓
××××××××××××××××××××××××××××××××××××
人間が生きる理由は、幸せになることが目標、と言っても過言ではない。
そして幸せの基準は、人それぞれである。
しかし
自分が幸せだと感じる心は
幸せしか知らない人には育たない。
自分が幸せだと感じるためには
幸せを測るための物差しが必要である。
その物差しとは
「不幸な経験」
「不幸を感じ取れる感受性を磨く経験」。
つらさを経験して今の幸せを知ることができる。
病気を経験して健康のありがたみを知ることができる。
自分が遭遇する「つらいこと」「いやなこと」は
幸せな時間やすてきな場面を増幅してくれる貴重な経験である。
そう考えれば、つらいことにも意味があるのではないか。
××××××××××××××××××××××××××××××××××××
ほぉ~と朝から納得してしまいました。
私が前回のブログで、杉山登志の遺書についてちょろっと触れたことと、同じではないにしても遠からずな見解なんで、うれしかったですね。
ちょっとおこがましいですが(笑)。
この宮本延春さん、今さら紹介するまでもないと思うんですが、一応書いておきます。
小学生の時にいじめで不登校になり、勉強をまったくしないまま中学校に進学。
かけ算の九九も2の段までしか言えず、書ける漢字は自分の名前だけ。
成績はオール1で高校進学もムリ。
中学卒業後、大工の見習いなど苦労しながら成長し、
23歳の時、恋人に貸してもらったアインシュタインのビデオを観て感銘を受け、大学進学を志す。
小学3年生のドリルから勉強を始め、24歳で定時制高校入学、3年後には名古屋大学理学部物理学科に合格。
大学院まで進んだのち、自らの希望で母校の数学教師となる。
この「オール1の落ちこぼれ、教師になる」を読んだんですが、
これだけ波乱の半生が書かれているにもかかわらず
文面がまったくギラギラしてないんですね。
サラーっと読み進める。
たいていこういう自叙伝というのは、書き手の話し口調で書かれているのが多くて
(ゴーストライターが書いているからかもしれないけれど)
「俺ってこんなすごい経験してきたんだぞー!」みたいなパターンだけど
これはそういうところが全くない。淡々としてる。
自分を客観的に見てるんですよ。だから押しつけがましくない。
教師に向いてると思いますね。
タイトルは「落ちこぼれ」だけど、宮本さんは頭が悪いわけじゃないんですよね。
むしろ逆な人です。
でないとこんな奇跡は起こらなかったでしょう。
誰もが宮本さんのようになれるわけじゃない。
頭がいいだけじゃなく、彼の場合は桁外れの集中力があったんです。
それと「目標設定」。
宮本さんは「名古屋大学へ行って物理の研究をする」という、揺るぎない目標を設定しました。
その目標に、自分の生活すべてをシフトしたんだから、もう「参りました」としか言えないでしょう。
もちろん、周りの方々の協力がなければ、結果はどうなっていたかわからないですけれど。
宮本さんの場合は、バカだと思われていた人間が、実は頭がよかったと発掘された希有な例ですが
実際には、発掘されないまま(本人も頭のいいことに気づかず)人生を終えていく人がたくさんいるんでしょうね。
悲しいことではあります。
けさの新聞に彼のコラムが載っていたので読んでみたんですが、やっぱりこの人はすごい。
コラムの内容は、中高生向けの助言なのです。
どうも月一回のペースで掲載されているようですね。
今日のテーマは「なぜ幸せになりたいのか」。
要約してみると、こういうことです。↓
××××××××××××××××××××××××××××××××××××
人間が生きる理由は、幸せになることが目標、と言っても過言ではない。
そして幸せの基準は、人それぞれである。
しかし
自分が幸せだと感じる心は
幸せしか知らない人には育たない。
自分が幸せだと感じるためには
幸せを測るための物差しが必要である。
その物差しとは
「不幸な経験」
「不幸を感じ取れる感受性を磨く経験」。
つらさを経験して今の幸せを知ることができる。
病気を経験して健康のありがたみを知ることができる。
自分が遭遇する「つらいこと」「いやなこと」は
幸せな時間やすてきな場面を増幅してくれる貴重な経験である。
そう考えれば、つらいことにも意味があるのではないか。
××××××××××××××××××××××××××××××××××××
ほぉ~と朝から納得してしまいました。
私が前回のブログで、杉山登志の遺書についてちょろっと触れたことと、同じではないにしても遠からずな見解なんで、うれしかったですね。
ちょっとおこがましいですが(笑)。
この宮本延春さん、今さら紹介するまでもないと思うんですが、一応書いておきます。
小学生の時にいじめで不登校になり、勉強をまったくしないまま中学校に進学。
かけ算の九九も2の段までしか言えず、書ける漢字は自分の名前だけ。
成績はオール1で高校進学もムリ。
中学卒業後、大工の見習いなど苦労しながら成長し、
23歳の時、恋人に貸してもらったアインシュタインのビデオを観て感銘を受け、大学進学を志す。
小学3年生のドリルから勉強を始め、24歳で定時制高校入学、3年後には名古屋大学理学部物理学科に合格。
大学院まで進んだのち、自らの希望で母校の数学教師となる。
この「オール1の落ちこぼれ、教師になる」を読んだんですが、
これだけ波乱の半生が書かれているにもかかわらず
文面がまったくギラギラしてないんですね。
サラーっと読み進める。
たいていこういう自叙伝というのは、書き手の話し口調で書かれているのが多くて
(ゴーストライターが書いているからかもしれないけれど)
「俺ってこんなすごい経験してきたんだぞー!」みたいなパターンだけど
これはそういうところが全くない。淡々としてる。
自分を客観的に見てるんですよ。だから押しつけがましくない。
教師に向いてると思いますね。
タイトルは「落ちこぼれ」だけど、宮本さんは頭が悪いわけじゃないんですよね。
むしろ逆な人です。
でないとこんな奇跡は起こらなかったでしょう。
誰もが宮本さんのようになれるわけじゃない。
頭がいいだけじゃなく、彼の場合は桁外れの集中力があったんです。
それと「目標設定」。
宮本さんは「名古屋大学へ行って物理の研究をする」という、揺るぎない目標を設定しました。
その目標に、自分の生活すべてをシフトしたんだから、もう「参りました」としか言えないでしょう。
もちろん、周りの方々の協力がなければ、結果はどうなっていたかわからないですけれど。
宮本さんの場合は、バカだと思われていた人間が、実は頭がよかったと発掘された希有な例ですが
実際には、発掘されないまま(本人も頭のいいことに気づかず)人生を終えていく人がたくさんいるんでしょうね。
悲しいことではあります。