昭和30年代、TBSで「サンヨーテレビ劇場」という単発ドラマ番組をやってまして
名作「私は貝になりたい」を放映したことでも有名なんですが
この番組のことを検索してたら
「サンヨー」でひっかかったのが
「サンヨーズバコン」
テレビで松たか子が子供の頃自宅にあったという話をしていたらしいのですが
私の実家にもあったよ。
世界初のリモコンテレビ
「サンヨーズバコン」。
なつかしいっ!
っつっても、「なんじゃそりゃ?」って思う年代の人が圧倒的だろうな。
私の実家がテレビを初めて購入したのは
今の天皇・皇后両陛下のご成婚の時らしいです。
ご成婚パレードを見るために
日本の家庭のテレビ普及率がぐわんっ!と上昇したのです。
その中に私んちも入ってたのですよ。
でもまだ私は生まれてなかったんですけどね。←ここ重要
もちろん当時は白黒テレビ。
ダイヤル式のチャンネルをガチャガチャと回すやつです。
私が小学生の時にカラー放送が始まり
カラーの番組は、画面の右上に「カラー」という文字が出てました。
現在、アナログ放送だと画面に「アナログ」と表示されますよね。
あんな感じです。
やがてまわりの家が1軒、また1軒とカラーテレビに買い替えていきました。
私は自宅の白黒画面で女性歌手の豪華なドレスを見て
「何色なんだろう。赤かな青かな。なんだかきれいっぽい」
と想像する日々でした。
そんな日々が終わりを告げたのは
忘れもしません。小学5年生の時です。
祖母が「きょう、電器屋さんが新しいテレビを持ってくるよ」と言いました。
「え!カラーテレビ?買ったの?」
「ううん、電器屋さんが、こんど新製品が出るから、1ヶ月モニターとして使ってみてって言ってくれてね」
新製品。どんなテレビだろう
ワクワクしながら待っていると
やってきました新製品。
電器屋さんがセットしてくれたカラーテレビは、脚つき(笑)の立派なやつです。
「で、これなんですけど」と、電器屋さんが説明を始めました。
手には赤い小型の懐中電灯のようなもの。
これがなんと、世界初のテレビのリモコン「ズバコン」だったのですよ
あ、「ズバコン」ってね、「ズバリコントロール」の略なんですよ。
「こっちのボタンを押すと、電源が入ります」
電器屋さんがズバコンをテレビに向け、水色のボタンを押すと
ブチッ。テレビが点いた。
おおおおおおおおお~っ!
「こっちのボタンを押すとチャンネルが回ります」
電器屋さんが白いボタンを押すと
ダイヤル式のチャンネルが「ガチャッ」と回った。
ひえええええええええ~!
離れたところからテレビが操作できる!
今じゃ当たり前で何が「おおおおおおおおお~っ!」で「ひえええええええええ~!」なのか
理解してもらえないでしょうが
当時はSFの世界でしかありえないことでした。
ましてまだCMもされてない、一般発売前でしたから
なにこれナニコレなにこれ~!と、私の脳内はお祭り状態。
電器屋さんが帰ってからは、私のオモチャとなったズバコン。
もうね、チャンネル変えまくりですわ。
ガチャガチャガチャ、うるさいのなんの。
そのうえ、待ちに待ったカラーテレビですから
「うわ~、カラーやカラー!色ついてる!(当たり前やがな…)」
ひとりで大騒ぎ。
まったく、リアル3丁目の夕日です。
次の日は学校に行って自慢しまくり。
「テレビのチャンネルが離れたとこから回せるんやで!世界初やで!」
友達を家に呼んで、みんなでズバコン祭りです。
「すご~い!」「うわ~、かっこいい!」「宇宙家族ロビンソンみたい!」
ずっとガチャガチャ回しっぱなしで、さぞうるさかったことでしょう。
「おもちゃと違うで!」父に叱られてしょぼん。
だけど1ヶ月の期間限定モニター。
1ヶ月後には電器屋さんが引き取りにきてズバコンは姿を消し
もとの白黒テレビが帰ってきました。
しかしカラーでしかもリモコンのテレビに慣れた1ヶ月。
私よりも父が耐えきれなかったようで
なんとズバコンお買いあげ。
電器屋さんの作戦にはまりましたね。
さて、ここでお気づきでしょう。
ズバコンで「チャンネルをかえる」のではなく「チャンネルを回す」と表現していることに。
そうです。
チャンネルはダイヤル式。
ズバコンのボタンを押すと、チャンネルが「ガチャガチャ」と回るのです。
すなわちそれは
一定方向にしか回らない
ということを意味しています。
わかりやすく言いますと
たとえば4チャンネルをみていて、6チャンネルにかえたいと思ったら
ズバコンのボタンを押すと
ダイヤルは「ガチャガチャ」と2つ分回ります。
ところが
4チャンネルをみていて、2チャンネルにかえたいと思った時。
ダイヤルは一定方向にしか回らないので
4チャンネルから約1周まわさなければ2チャンネルまで行けません。
「ガチャッガチャッ」で6チャンネル。
続けて「ガチャッガチャッ」で8チャンネル。
また「ガチャッガチャッ」で10チャンネル。
しつこく「ガチャッガチャッ」で12チャンネル。
そしてやっと「ガチャッガチャッ」で2チャンネル到達。
これ、時間もかかるし、とにかく「ガチャッガチャッ」の音がうるさい!
手だと、うるさくないように加減して回すからいいけど
なんせ相手は機械。マシーンなのです。
加減もへったくれもない。ファジー(死語)なんてのが開発されるもっと前の話。
実に機械的に「ガチャッガチャッ」と回してくれます。
いや、文章で表現するなら
ガチャッガチャッガチャッガチャッ
このくらいうるさい。
だいたい、私の実家は大邸宅でもなんでもなく
テレビが鎮座していた居間などは
ひとり寝転がれば、隣の部屋へ移動できなくなるほどの狭いスペースだったのです。
チャンネルだって、ちょっと手をのばせば届いてしまいます。
こんな狭い部屋に、チャンネルを替えるのにダイヤル1周させてしまうリモコンが
果たして必要なのだろうか。
父は買う前に気づくべきだったのです。
そのためにモニター期間があったのだから。
さて、その後の我が家のズバコンですが。
同梱されていたズバコン用のスタンドに入れられて
タンスの上に置かれたまま
一生を終えました。
テレビはそれから12年間、がんばってくれました。
9年目ぐらいから、時々画面が緑っぽくなり
上面をバシバシ叩くと戻る、という状態でしたが。
世界初のリモコンテレビのお話でした。
名作「私は貝になりたい」を放映したことでも有名なんですが
この番組のことを検索してたら
「サンヨー」でひっかかったのが
「サンヨーズバコン」
テレビで松たか子が子供の頃自宅にあったという話をしていたらしいのですが
私の実家にもあったよ。
世界初のリモコンテレビ
「サンヨーズバコン」。
なつかしいっ!
っつっても、「なんじゃそりゃ?」って思う年代の人が圧倒的だろうな。
私の実家がテレビを初めて購入したのは
今の天皇・皇后両陛下のご成婚の時らしいです。
ご成婚パレードを見るために
日本の家庭のテレビ普及率がぐわんっ!と上昇したのです。
その中に私んちも入ってたのですよ。
でもまだ私は生まれてなかったんですけどね。←ここ重要
もちろん当時は白黒テレビ。
ダイヤル式のチャンネルをガチャガチャと回すやつです。
私が小学生の時にカラー放送が始まり
カラーの番組は、画面の右上に「カラー」という文字が出てました。
現在、アナログ放送だと画面に「アナログ」と表示されますよね。
あんな感じです。
やがてまわりの家が1軒、また1軒とカラーテレビに買い替えていきました。
私は自宅の白黒画面で女性歌手の豪華なドレスを見て
「何色なんだろう。赤かな青かな。なんだかきれいっぽい」
と想像する日々でした。
そんな日々が終わりを告げたのは
忘れもしません。小学5年生の時です。
祖母が「きょう、電器屋さんが新しいテレビを持ってくるよ」と言いました。
「え!カラーテレビ?買ったの?」
「ううん、電器屋さんが、こんど新製品が出るから、1ヶ月モニターとして使ってみてって言ってくれてね」
新製品。どんなテレビだろう
ワクワクしながら待っていると
やってきました新製品。
電器屋さんがセットしてくれたカラーテレビは、脚つき(笑)の立派なやつです。
「で、これなんですけど」と、電器屋さんが説明を始めました。
手には赤い小型の懐中電灯のようなもの。
これがなんと、世界初のテレビのリモコン「ズバコン」だったのですよ
あ、「ズバコン」ってね、「ズバリコントロール」の略なんですよ。
「こっちのボタンを押すと、電源が入ります」
電器屋さんがズバコンをテレビに向け、水色のボタンを押すと
ブチッ。テレビが点いた。
おおおおおおおおお~っ!
「こっちのボタンを押すとチャンネルが回ります」
電器屋さんが白いボタンを押すと
ダイヤル式のチャンネルが「ガチャッ」と回った。
ひえええええええええ~!
離れたところからテレビが操作できる!
今じゃ当たり前で何が「おおおおおおおおお~っ!」で「ひえええええええええ~!」なのか
理解してもらえないでしょうが
当時はSFの世界でしかありえないことでした。
ましてまだCMもされてない、一般発売前でしたから
なにこれナニコレなにこれ~!と、私の脳内はお祭り状態。
電器屋さんが帰ってからは、私のオモチャとなったズバコン。
もうね、チャンネル変えまくりですわ。
ガチャガチャガチャ、うるさいのなんの。
そのうえ、待ちに待ったカラーテレビですから
「うわ~、カラーやカラー!色ついてる!(当たり前やがな…)」
ひとりで大騒ぎ。
まったく、リアル3丁目の夕日です。
次の日は学校に行って自慢しまくり。
「テレビのチャンネルが離れたとこから回せるんやで!世界初やで!」
友達を家に呼んで、みんなでズバコン祭りです。
「すご~い!」「うわ~、かっこいい!」「宇宙家族ロビンソンみたい!」
ずっとガチャガチャ回しっぱなしで、さぞうるさかったことでしょう。
「おもちゃと違うで!」父に叱られてしょぼん。
だけど1ヶ月の期間限定モニター。
1ヶ月後には電器屋さんが引き取りにきてズバコンは姿を消し
もとの白黒テレビが帰ってきました。
しかしカラーでしかもリモコンのテレビに慣れた1ヶ月。
私よりも父が耐えきれなかったようで
なんとズバコンお買いあげ。
電器屋さんの作戦にはまりましたね。
さて、ここでお気づきでしょう。
ズバコンで「チャンネルをかえる」のではなく「チャンネルを回す」と表現していることに。
そうです。
チャンネルはダイヤル式。
ズバコンのボタンを押すと、チャンネルが「ガチャガチャ」と回るのです。
すなわちそれは
一定方向にしか回らない
ということを意味しています。
わかりやすく言いますと
たとえば4チャンネルをみていて、6チャンネルにかえたいと思ったら
ズバコンのボタンを押すと
ダイヤルは「ガチャガチャ」と2つ分回ります。
ところが
4チャンネルをみていて、2チャンネルにかえたいと思った時。
ダイヤルは一定方向にしか回らないので
4チャンネルから約1周まわさなければ2チャンネルまで行けません。
「ガチャッガチャッ」で6チャンネル。
続けて「ガチャッガチャッ」で8チャンネル。
また「ガチャッガチャッ」で10チャンネル。
しつこく「ガチャッガチャッ」で12チャンネル。
そしてやっと「ガチャッガチャッ」で2チャンネル到達。
これ、時間もかかるし、とにかく「ガチャッガチャッ」の音がうるさい!
手だと、うるさくないように加減して回すからいいけど
なんせ相手は機械。マシーンなのです。
加減もへったくれもない。ファジー(死語)なんてのが開発されるもっと前の話。
実に機械的に「ガチャッガチャッ」と回してくれます。
いや、文章で表現するなら
ガチャッガチャッガチャッガチャッ
このくらいうるさい。
だいたい、私の実家は大邸宅でもなんでもなく
テレビが鎮座していた居間などは
ひとり寝転がれば、隣の部屋へ移動できなくなるほどの狭いスペースだったのです。
チャンネルだって、ちょっと手をのばせば届いてしまいます。
こんな狭い部屋に、チャンネルを替えるのにダイヤル1周させてしまうリモコンが
果たして必要なのだろうか。
父は買う前に気づくべきだったのです。
そのためにモニター期間があったのだから。
さて、その後の我が家のズバコンですが。
同梱されていたズバコン用のスタンドに入れられて
タンスの上に置かれたまま
一生を終えました。
テレビはそれから12年間、がんばってくれました。
9年目ぐらいから、時々画面が緑っぽくなり
上面をバシバシ叩くと戻る、という状態でしたが。
世界初のリモコンテレビのお話でした。