星野 源さんのYouTube【うちで踊ろう】に
貴族のマスクおじさんが何気にくつろいでいる出演に、世間では騒がれてますが。
そのパロディを”たむけんさん”がしていて、それが超うける!とか、本当、大笑いしたとか!
そんなにおもろいん?!とあらためて観てみた
獅子舞ネタ?
読書?
どこが?おもしろいのか?今一わからない・・・・
星野 源さんのYouTube【うちで踊ろう】に
貴族のマスクおじさんが何気にくつろいでいる出演に、世間では騒がれてますが。
そのパロディを”たむけんさん”がしていて、それが超うける!とか、本当、大笑いしたとか!
そんなにおもろいん?!とあらためて観てみた
獅子舞ネタ?
読書?
どこが?おもしろいのか?今一わからない・・・・
お茶の間のテレビも、局内からの新型コロナウイルス感染を防ぐため、司会者や各コメンテーターが2m程の距離をとり放送しています。なかには自宅からのセルフ出演もある。(将来は、これが支流になるかな?交通費もいらないし、時間の無駄もない。ただ、事前の打合せなどができない・・・)
同じように、ラジオ界も対策をしています。
放送室は、机の対面でマイクに向かい話してますが、真ん中にアクリル板などのシールドを設置し飛沫などをガードしているそうです。(RCC 天才:横山談)
また、わざわざ100km離れた福山から毎日ローズライナーで通っていた藤田くんが福山の放送局に居て、本局(広島)の道盛 浩とたわいもないやり取りをしてます。
かまぼこRockは、5:00からの【新人間革命】を寝たまま聴き、
生島ヒロシさんの【おはよう一直線】を聴き
通勤中は、たまに本名正憲の【おはようラジオ】を聴き、
武田鉄矢の【今日の三枚おろし】を聴き、
仕事での車の移動中、運がよければ
この二人が出る【平成ラジオバラエティー:ごぜん様さま】と
【バリシャキNOW】の聴いている。
昼休憩は、弁当食べながら【おひるーな】をチョックし、
【氷川きよし節】もおさえている。
これもたまにですが、深夜3時~【走れ!歌謡曲】を聴いています。
タイトルの「ラジオのスタイルが変わる?」がなんのこっちゃになったが・・・
俺は、どこまでラジオ人間なんだぁ!
2020/4/15
かまぼこRockは、自宅でこうしてPCの前に居て、【テレワーク】?【在宅勤務】?【自主自粛】?【オンライン・ランチ】?
そんなんじゃなく、ただの【代休】ですわ!
小さい電化製品を廃棄したり、
棚の補強をしたりしてます。
街の飲み屋さんやレストランが休業を要請されたり、三密を避けるため、各自の自宅でインターネットで飲み会、いわゆる【オンライン飲み会】が流行っているそうで。
かまぼこRockは、そんな飲み友達がいないので、これはしないと思いますが、なんか面白そうな気がします。
だって、店の選択や予約、会費などのめんどくさい段取りが皆無、みんな好きな飲み物や食べ物を並べ、おしゃべりしながら会が進み、眠たくなったらじゃね!となる・・・(あいつ寝たぞ?風邪ひくぞ!どうする?・・・)
まあ、たのしいなら、ありでしょう!
タレントの杏さんが、YouTubeで
『教訓1』をギターの弾き語りでカバーしている。
自宅でのセルフサービスなのか後ろの本棚にはお子さんが
本など読んで写っている。
書籍がたくさんありますなぁ
そのきれいな歌声の『教訓1』作詞:上野 瞭、加川 良 作曲:加川 良
1971年の発売されたシングルである。
加川 良さんは2017年にもう亡くなられている。
恥ずかしながら、かまぼこRockは、加川 良さんの曲をほとんど知らない。
吉田拓郎の曲【加川 良からの手紙】は聴いたことがあるが・・・
以下:勝手にコピペ
『教訓1』
命はひとつ 人生は1回
だから 命を すてないようにネ
あわてると つい フラフラと
御国のためなのと 言われるとネ
青くなって しりごみなさい
にげなさい かくれなさい
御国は俺達 死んだとて
ずっと後まで 残りますヨネ
失礼しましたで 終るだけ
命の スペアは ありませんヨ
命をすてて 男になれと
言われた時には ふるえましょうヨネ
そうよ 私しゃ 女で結構
女のくさったので かまいませんよ
死んで神様と 言われるよりも
生きてバカだと 言われましょうヨネ
きれいごと ならべられた時も
この命を すてないようにネ
以上
また、この曲ができた経緯を
勝手にコピー
加川良さんの歌で広まった「教訓1」だが、これはすでにみんなが知っているように作家の上野瞭さんが1967年に三一新書で発表した『ちょっとかわった人生論』の中の「戦争について」の「教訓ソノ一」をアレンジしたものだ。ぼくはこの本を高校生の時に買って読んでいたので、加川良さんの歌を聞いた時、「あっ、これは上野さんの『教訓ソノ一』をもとにしているな」とすぐにわかった。
しかし上野さんには失礼だが、この本はそれほど売れなかったようで、発売された当時話題にしたり、買って読んでいる人はぼくのまわりにはほとんどいなかった。そして今この本はめちゃくちゃ入手困難なものとなっている。もし加川良さんが歌にしなければ、上野暸さんが書いた言葉は、これほど知られ、広まることはなかったのだ。
加川良さんが「教訓1」を歌い始めた頃、この曲の歌詞は本人が書いたものだとみんなから思われていた。しかしはっきりしておかなければと、1972年12月に加川さんは上野さんの家を訪れた。その時のことを上野さんは1985年に光村図書から出版された『日本のプー横町』という本の中の「教訓」という章で次のように書いている。イーヨーとは、上野暸さん自身のことだ。
「話によれば、梅田の地下で、身障者のためにボランティア活動を続けている人がいて、パンフを売っていた。それを一部買ったところ、イーヨーの書いたものが載っていたというのである。加川良は、これは歌になると思った。うたってみたいと思った。かくして、フォーク・ソング『教訓1』が生まれ、それは、シンガー・ソング・ライターとしての加川良を人びとに知らしめることになった……」
以上
それにしても、杏さんこの曲を歌う心の思いとは・・・