ベイ・シティ・ローラーズのヴォーカリストのレスリー・マッコーエンさんが亡くなりました。享年65歳
以下:勝手にコピペ
ベイ・シティ・ローラーズ(BCR)のリード・シンガーだったレスリー・マッコーエンが2021年4月20日に死去した。享年65歳だった。 遺族が22日に発表した声明には、「愛する夫であり父であるレスリー・リチャード・マッコーエンの死を深い悲しみをもってお知らせします。
レスリーは2021年4月20日に突然自宅で亡くなりました。私たちは現在彼の葬儀の手配をしており、深い喪失のショックを受けた後ですのでプライバシーに配慮していただきたきたく存じます」と綴られている。
マッコーエンは、ティーン・ポップ・センセーションだったBCRの最盛期にあたる1970年代にフロントマンとして活躍した。BCRがリリースした13作のアルバムの内、1975年の『噂のベイ・シティ・ローラーズ』(最高位20位)や、1977年の『恋のゲーム/It’s a Game』(23位)を含む数作が米ビルボード・アルバム・チャート“Billboard 200”にチャート・インしている。また、ソング・チャート“Hot 100”では「サタデイ・ナイト」が1976年1月に1位を獲得したほか、「マネー・ハニー」が1976年4月に9位、「夢の中の恋/You Made Me Believe in Magic」が1977年8月に10位を記録した。
マッコーエンは1978年にグループを脱退したが、近年いくつかの再結成コンサートに参加していた。2016年に応じたThe Press and Journalのインタビューでは、「僕たちは1970年代における新鮮な息吹だったんじゃないかな。僕たちの音楽に複雑なことなんてなかったし……10代だった頃にコンサートに来てくれていた人たちの多くが、何年も経ってから娘を連れてまた来てくれて、一緒に僕たちの曲を歌ってくれているのはアメイジングだ。それは結構特別なことだよ」と述べていた。 また、バンド・メンバーと再結成コンサートで再びパフォーマンスを披露することについては、「ある意味、また新鮮な息吹になってるんじゃないかと思う。ステージに上がるたびに、空気中の魔法を感じることができて、古い友人たちと集まるみたいな感覚なんだ」と語っていた。
以上
昨日、昼に弁当食べようとしてネット開いたら突然の訃報だったので、思わず胸が痛くなりました。
ベイ・シティ・ローラーズと言えば、1974年以降、日本ではビートルズの再来と言われ、当時は信じられないほどの人気があり、1976年12月の初来日頃には、彼らの人気ぶりは“タータン・ハリケーン”と呼ばれるようになり、そのハリケーンはやがて“タータン・タイフーン”となって日本にも上陸した。
数々のヒットシングルをかっ飛ばし、楽しい曲、こころ踊る曲が多数世の中に流れた。そのほとんどでメイン・ヴォーカルを務めたのがレスリー・マッコーエンさんであった。
かまぼこRockも実のところ夢中になり、『サタディ・ナイト』のシングルを聴いて盛り上がっていた。来日公演での騒ぎもTVで見ていたりした。
でも、学校では、周りは、ツッペリンだの、パープルだの、イエスだの、ピンク・フロイドだの、ピンク・レディだので、あんなの(ベイ・シティ・ローラーズ)口パクのただのアイドルじゃないか?的な雰囲気だったので、そんだよねって話を濁していたが、このシングルを聴いては一人り”S・A・T・U・R・D・A・Y N・I・G・H・T”だった!
いまじゃ、この音源しか家にないですが、彼らの音楽は不滅です。
最高にかっこいい!『イエスタディ・ヒーロー』
レスリーさんは日本女性と結婚して、お子さんは柳生十兵衛から”じゅうべい”と言う男の子がいます。それだけに日本のことが好きで、ベイ・シティ・ローラーズの名を借りて再結成やソロ・コンサートで度々日本に訪れています。
夢の1970年に華を飾ってくれたベイ・シティ・ローラーズ!
そして
その立役者であるレスリー・マッコーエンさん、ありがとうございました。