かまぼこRockの人生棚卸し

楽しいブログでありますように!

健康診断

2021-04-24 07:27:55 | 季節の風物詩

毎年この時期(ゴールデンウィーク前後)になると【健康診断】があります。

毎回慣れ慣れですが、いろいろとしなくてはならないことが多々あります。

検便

検尿(今は自宅で採取)

問診表記入

前日の夕飯は消化のいいものを食する等

かまぼこRockは、いつものように【うどん】です。

いつもなら、真の姿を診てもらわないと、と2日前まではビールやワインを散々飲んで検査に臨むところですが・・・

今年は、例の【JIGZI騒動】があったので、4月以降は完全ノンアルコールで臨みます。

(それにしても現在のノンアルコール市場は種類も豊富で各社色々と特色を持った商品がありますので助かります。)

普段、運動もしていませんが、21日には三原市の現場で14000歩ほど歩きましたので?

 

これで(数週間で?!)どれだけ改善されたか検査結果が楽しみです。

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憧れのベイ・シティ・ローラーズ

2021-04-24 06:41:35 | 英国のロック

ベイ・シティ・ローラーズのヴォーカリストのレスリー・マッコーエンさんが亡くなりました。享年65歳

以下:勝手にコピペ

ベイ・シティ・ローラーズ(BCR)のリード・シンガーだったレスリー・マッコーエンが2021年4月20日に死去した。享年65歳だった。  遺族が22日に発表した声明には、「愛する夫であり父であるレスリー・リチャード・マッコーエンの死を深い悲しみをもってお知らせします。

レスリーは2021年4月20日に突然自宅で亡くなりました。私たちは現在彼の葬儀の手配をしており、深い喪失のショックを受けた後ですのでプライバシーに配慮していただきたきたく存じます」と綴られている。

マッコーエンは、ティーン・ポップ・センセーションだったBCRの最盛期にあたる1970年代にフロントマンとして活躍した。BCRがリリースした13作のアルバムの内、1975年の『噂のベイ・シティ・ローラーズ』(最高位20位)や、1977年の『恋のゲーム/It’s a Game』(23位)を含む数作が米ビルボード・アルバム・チャート“Billboard 200”にチャート・インしている。また、ソング・チャート“Hot 100”では「サタデイ・ナイト」が1976年1月に1位を獲得したほか、「マネー・ハニー」が1976年4月に9位、「夢の中の恋/You Made Me Believe in Magic」が1977年8月に10位を記録した。

マッコーエンは1978年にグループを脱退したが、近年いくつかの再結成コンサートに参加していた。2016年に応じたThe Press and Journalのインタビューでは、「僕たちは1970年代における新鮮な息吹だったんじゃないかな。僕たちの音楽に複雑なことなんてなかったし……10代だった頃にコンサートに来てくれていた人たちの多くが、何年も経ってから娘を連れてまた来てくれて、一緒に僕たちの曲を歌ってくれているのはアメイジングだ。それは結構特別なことだよ」と述べていた。  また、バンド・メンバーと再結成コンサートで再びパフォーマンスを披露することについては、「ある意味、また新鮮な息吹になってるんじゃないかと思う。ステージに上がるたびに、空気中の魔法を感じることができて、古い友人たちと集まるみたいな感覚なんだ」と語っていた。

以上

昨日、昼に弁当食べようとしてネット開いたら突然の訃報だったので、思わず胸が痛くなりました。

ベイ・シティ・ローラーズと言えば、1974年以降、日本ではビートルズの再来と言われ、当時は信じられないほどの人気があり、1976年12月の初来日頃には、彼らの人気ぶりは“タータン・ハリケーン”と呼ばれるようになり、そのハリケーンはやがて“タータン・タイフーン”となって日本にも上陸した。

数々のヒットシングルをかっ飛ばし、楽しい曲、こころ踊る曲が多数世の中に流れた。そのほとんどでメイン・ヴォーカルを務めたのがレスリー・マッコーエンさんであった。

かまぼこRockも実のところ夢中になり、『サタディ・ナイト』のシングルを聴いて盛り上がっていた。来日公演での騒ぎもTVで見ていたりした。

でも、学校では、周りは、ツッペリンだの、パープルだの、イエスだの、ピンク・フロイドだの、ピンク・レディだので、あんなの(ベイ・シティ・ローラーズ)口パクのただのアイドルじゃないか?的な雰囲気だったので、そんだよねって話を濁していたが、このシングルを聴いては一人り”S・A・T・U・R・D・A・Y  N・I・G・H・T”だった!

いまじゃ、この音源しか家にないですが、彼らの音楽は不滅です。

最高にかっこいい!『イエスタディ・ヒーロー』

レスリーさんは日本女性と結婚して、お子さんは柳生十兵衛から”じゅうべい”と言う男の子がいます。それだけに日本のことが好きで、ベイ・シティ・ローラーズの名を借りて再結成やソロ・コンサートで度々日本に訪れています。

夢の1970年に華を飾ってくれたベイ・シティ・ローラーズ!

そして

その立役者であるレスリー・マッコーエンさん、ありがとうございました。

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