鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

東北大震災9周年

2020-03-11 10:25:44 | 災害
今日3月11日は東北大震災の発生した日。

2011年3月11日2時46分が運命の時刻であった。昨日から市役所の広報無線で「3月11日の午後2時46分にはサイレンが鳴りますから、一分間の黙とうをお願いします。」と、その2時46分を強調するアナウンスが流されている。

その時間帯、私は仕事で市内を車で走っており、カーラジオを点けていなかったので知る由もなかったのだが、1時間くらい後だったが、息子からの電話で大地震のことを知ったのだった。

息子がなぜ電話して来たかというと、彼は北九州に本社のある企業に入社していたのだが、最初の年に各地にある会社の工場などを数週間ずつ研修か何かで回っており、その一つが仙台市にあった。

そこが津波の被害に遭ったというのだ。息子が半年くらい前に数週間研修に入っていた工場で、その時にお世話になった社員の数名が亡くなったらしい。自分の研修期間がもし3月にずれていたら自分も危ない目に遭ったという思いだったのだろう。

帰宅後、テレビで津波による災害の凄さを知ったが、その何年か前にインドネシアのスマトラ島を襲った大津波の情景を報道で見ていたので、恐怖という心理は湧かなかったが、とにかくついい1時間前まで通常だった人々の生活がぐしゃぐしゃになって行くという光景は、呆気にとられる他なかった。

今日も思い返したのだが、この震災の三日くらい前に同じ三陸沖を震源とするマグニチュード6か7かの地震が2回起きていたのである。その時自分はこう頭に浮かべていた。

「日本ではマグニチュード7くらいではたいしたニュースにもならないのに、2月に起きたニュージーランド地震ではマグニチュード6程度で大災害になったよなあ。」と。

今朝ウェブで検索してみたところ、そのニュージーランド地震というのは「クライストチャーチ地震」といい、2月22日に発生し、震源はクライストチャーチ市の近郊で確かにマグニチュードは6.1で、日本ではごく普通の規模の被害などほとんど出ないような地震に過ぎなかったので、そう思ったのも無理はなかった。

また、「東北大震災の前震」で検索して確かめたら、記憶では本震の3日前と思っていたのだが、実際は2日前の3月9日であった。そのマグニチュードは実に7.3。クライストチャーチ地震の100倍以上のエネルギーである。この時実は60センチほどの津波があったらしいが、60センチくらいでは大風の時に海岸に打ち寄せる波ほどにも留意されなかったに違いない。

さらに翌日、つまり本震の前日にも同じ三陸沖を震源とするマグニチュード6.8の地震が起きているが、これもクライストチャーチの数十倍の規模だが、「何だ、またか。大したことないな」くらいにしか受け止めなかったのであった。

そして翌日の午後2時46分・・・。

まさに見事に一日ごとの三段跳び「ホップ・ステップ・ジャンプ」ではないか。

しかし実はクライストチャーチの場合、4か月ほど前にマグニチュード7クラスのが発生しており、その時に建物にひびが入ったりしたらしく、補強をする間もなく翌年2月のが起きたので、揺れ自体は小さかったにもかかわらず、崩壊した建物が多く、その一つの6階建てのビルが完全倒壊し、その4階にあった語学学校にいた60人余りの生徒が亡くなった。うち28人が日本人だったという記憶に残りる地震災害だった。

ニュージーランドの場合は直下型(活断層型)であり、東北大震災の場合は海溝(トラフ)型という大きな違いがあるので直ちに比べるわけにはいかないが、後者の災害は津波が最大の引き金であることは、いやでも経験したところである。

しかし今後必ず起こるであろう「首都直下型地震」は前者が参考になる。こちらは地震が発生してから、揺れによる建物や構築物の損壊までの時間が極端に短いのが特徴で、人々はまずそれでやられ、次いで火災の発生によってとどめを刺されるのである。

マグニチュード9、震度7であれば数十万、マグニチュード8、震度6強でも10万規模の犠牲者は免れないというから恐ろしい。人的犠牲もだがインフラの崩壊・寸断もすさまじく、しかも関東大震災当時には全くなかった当世の情報通信網が断たれたら、まさに想像を絶する危機に陥る(早く首都機能を移転、拡散すればよいのだが・・・)。

昨今、目に見えない新型コロナウイルスの感染におびえて自粛の嵐が吹いているが、その時にも足元では地殻変動のタイムリミットが迫っていることを忘れてはならず、対策を常に念頭に置いておくことが肝要だろう。</span>