ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

一生に一度の思い出

2017年04月07日 | 日記

 ブログを書き始めてから、あーもっと早くからしておけばよかったなあと思うことしきりです。

 いろいろと残しておきたいこと、もちろん俳句もそうですが、それらの思い出の記憶がどんどん曖昧になり、当時の感動はすっかり色を失いつつあります。やはり生の感動を残すにはすぐに書くことですね。

 今ここに一つ是非書き残しておきたいことがありますので、書きます。

 先日、稀勢の里のことを書いていて思い出したことですが、

 それはもう1年以上前のことです。

 一度でいいから相撲を観たいと、ずうーと思っていたんですが、なかなかチャンスがなくて、また、そんなに無理して観なくってもテレビで十分だわという思いもありました。

 ところが、九州場所後の地方巡業ツアーが山口から出るという広告が目に留まりました。

 「あ、行きたい!」と、忘れていた欲望がむらむらっと突き上げてくる。

 でも、一人じゃね~ウーン~誰か行く人いないかしら…旦那に聞くと、「ダメ、ダメ、忙しい!」娘も「ダメいね~用があるものー」……ああ、やっぱり縁がないのかなあと、一度は諦めました。

 でも、ダメモトで最後のあがき‼ 息子に恐る恐るそーっと、「相撲観に行かん?」と。

 「いつ?どこであるんかね?」「誰もいかんって?ふーん…」「行っちゃげてもいいけど、お金は出してよね。」 うん、うん、もちろん出しますとも…

 と、大人になってからの息子との初めてのバス旅行、と相成ったのでした。

 行く先は福岡県の直方市体育館。平成27年12月10日、冬巡業「もち吉場所」です。

 相撲初観戦と息子との初旅(?)、一生に一度の忘れられない思い出となりました。

 このときばかりは晴女に似合わない雨が、会場近くなるにつれてザアーザアーと…、

 これはきっと感激の涙だったんでしょうね。

 いつもは憎らしいのが、やはり若いだけあって、とろとろしている私をみかねては、てきぱきと何でも処理してくれて、頼もしい息子でした。

 席を確保したらまず弁当。おお、これぞまさしく幕の内弁当だ!と食べました。3500人の満員です。

 いよいよ、力士たちの入場。その前に、人気力士とちびっこたちの稽古。かわいい!

 琴奨菊も出てたかな?と思うのですが…彼はこの近くの柳川市出身ですもの、出場する度に拍手。

 次の初場所では日本人力士として約10年ぶりの優勝をするし、さらに結婚と、当時は話題の中心でしたから…

 順番忘れたけど、ここ直方市出身の懐かしい元大関魁皇へ、小学生からの感謝状授与もありましたね。

 お笑い芸人の「たか&とし」も来ていて、たかさんが子供相撲に出ていたっけ。 

 会場中が笑いでひとしきり盛り上がって、いよいよ本番です。

 序二段、3段目、幕下の取組みが済み、「相撲甚句」「初切」「櫓太鼓打分」と初めてのものばかり。

 いよいよ十両の土俵入り、髪結の実演もありました。

 中入後、幕内土俵入りと横綱土俵入りも始まります。

 その入場を待って並んでいる中に、あ、稀勢の里、あ、日馬富士、ああ、白鵬も…もう感激です。

 見ると、フアンがみんな駆けつけてはサインを求めたりしています。写真も撮っていますよ。

 私も、しばらくは大人げないと我慢をしていましたが、でも羨ましい! 

 とうとう堪えきれずに、「私もサイン貰ってくるね」と、…やっぱり私にもミーハーの気があったんですね。

 息子が「いいおばさんが恥ずかしいからやめろよ」というのも聞かず、飛び出したのでした。

 すると、みんな賢いんですね、ちゃんと色紙とサインペンを用意して…と思いきや、入り口で売ってたそうな、残念。

 でも、パンフに稀勢の里と豊響のサインはちゃんと貰ったんですよ。あまりよく見えないけど…

 がんばってくださいと握手もしましたが、ホント稀勢の里は照れ屋さんですね。

 豊響は山口県出身だから…わたし、山口から応援に来たんですよ、頑張ってーと言うと、笑ってくれました。

 白鵬は最後に登場、さすが他の力士とは貫禄が違いました。

 入場の時間が迫ってきているのに、私がまだもたもたしていると、「写真撮って来ちゃるよ」と、さっと前の方へ出て行って、撮ってきてくれました。感謝!感謝! (全ての写真は息子撮影です)

 取組みは大したことなかったけど、地方巡業とは、まあこんなもんなのでしょうね。

 でもやっと念願が叶い、もう思い残すことはありません。もちろん相撲に関してですよ。めでたし、めでたし。

 ところで、今回私が一番感動したもの、何だったと思いますか?

 実は鬢付け油の匂いなんです。会場に入って力士(もちろん下っ端の)と擦れ違ったとき、この甘~い匂い、何だろうと不思議でしたので、聞いてみました。

 「この匂いは、もしかしたら鬢付け油ですか?」「ええ、そうですよ」と、逆に不審がられてしまいましたが。

 でも、こんな匂いだったなんて…これ芸者さんと同じなんだろうななどと変なこと考えてしまいました。

 体育館を出るときには、もう雨もやんで…あの「もち吉」のおかきのお土産を貰ってバスへ。

 これで今回の話はおしまい、チョン!チョン!     

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行って来ましたー城崎へ(5)

2017年04月06日 | 日記

 いよいよ本当に最後です。

 餘部鉄橋を見て昼食、勿論ここも食べログで調べてきましたよ。最後ですからやっぱり日本海の幸を食べて帰ろうと…、

 海鮮丼を注文しました。もう1時過ぎ、この香美町で是非見ておきたいところがあるんです。

 そう、「大乗寺」という、高野山真言宗のお寺です。

 みんなはもう寺はいいよ…という顔をしていましたが、私の涙ぐましいお世話を知っていますから、誰も反対する人はいません。聞けばここから5分ぐらいのところだそうですので、すぐ出発。

 立派な山門…でも階段が見えます。奥の方にも駐車場が見えましたので、そちらまで車で上りました。

 「ここは他所の駐車場かも…」と言いながら、お堂の裏から入っていく。草を取っていた作務衣のおばさん(?)から

 「今度はあちらから入って下さいね」と言われ、すみませんと言いながら、

 「お寺拝観できますか?」と聞くと、あちらへどうぞと言う。庭には樹齢1200年の楠のご神木も。

 本堂らしき玄関には裃姿の銅像が据えてありました。「誰かしら?」とみな不思議がりながらも拝む。

 普通は弘法大師像などを据えるはずなのにね~…などと言いつつ庫裡へ。

 何と立派な梁に大きな竈、更に黒光りのする上り框…江戸時代を感じさせるには十分な造作でした。

 さあ入ろうとした時…拝観料800円! みんなの足がピタッと止まりました。

 実はこの寺は「応挙寺」と言って、円山応挙とその門弟12名の筆になる障壁画、165面があり、そのすべてが国の重要文化財に指定されているのです。そんな寺だから高いのです。

 「どうする?」「ウ~ン、せっかくここまで来たんだから見ようよ。」と、全員一致。

 すると誰かがシルバー割引ないの?と聞く。途端に嫌な顔をされてしまいました。

 1時間ほどかかりますがいいですかと、先程の作務衣のおばさんが尋ねながら、案内してくれました。

 寺の中はとても冷えるので良かったら毛糸のカバーも履いて下さいと、意外と親切。

 先ずは「孔雀の間」。三方の襖に松と孔雀が三羽描かれていて、ホント見事な絵です。(これはパンフより)

 これが応挙の亡くなる数ヶ月前に描かれたものだと…その力強い線には並々ならぬものを感じました。金地に墨だけで描かれているのに光線の具合によって松が緑に見えるなど…とにかくスゴイ!

 西欧の遠近法等の手法を取り入れ、絵の人物の視線が動くように見えたり、犬が付いてきたりと、まるで魔法のよう…。     だまし絵と言う言葉がぴったり、特に「芭蕉の間」の「郭子儀図」は、その色の鮮やかさに唸りました。(これもパンフ)

 ここでは、その素晴らしさを比較して貰うために複製画と原画を並べて見せているのだと…。(シゲシゲと見比べる) ホントに金箔の色が少しくすんでいるだけで、緑青や丹は全く変わりません。保存が格別なんだろうね。

 ところで、この寺の絵はなべて立体的曼荼羅を構成して描かれているそうで、今はそれを学術的に研究中だとか。

 他にももう沢山ありすぎて、とてもとても書き切れません。ゴメンナサイ!

 また、それを説明するおばさん(?)の口の滑らかなこと!〝立て板に水〟とはまさにこれ。

 ちゃんと約束の1時間で全てを終えてくれました。感謝!感謝!

 ではなぜこの寺に、こんなに沢山の絵が残されているのかというと、それは応挙が修行中の貧しい頃、当時の住職密蔵上人が応挙の才能を見込み、学資を援助したことが縁で、客殿の建築の際に恩返しとして、弟子とともに来て描いたそうです。それも8年間を費やして。やっぱりスゴイですね。

 見終えたあと…しばらくは放心状態で、「これなら800円高くないわねえェ~」と、口々に言いながら庫裡を出る。

 最初のあの像はやっぱり円山応挙だと…もう一度しっかり拝んで帰りました。

 あとでパンフを見ると、志賀直哉の『暗夜行路』にも出てくるし、与謝野鉄幹、晶子夫妻も来て、次の歌を詠んでいます。

    羨まし香住の寺の筆の跡作者みずから楽しめるかな        鉄幹

    いみじけれみろくの世までほろぶなき古き巨匠の丹青のあと    晶子

 ここから豊岡駅まで30分、5時にはまだ時間があるので、途中またコウノトリを見て帰ろうと言うことになりました。

 今日は晴れていたので、コウノトリが空を舞う姿もバッチリ…と思いきや、真ん中の黒い点がそうですが…

        コウノトリの郷(真ん中の塔が抱卵中の巣)                       コウノトリの巣の模型

           桜はもう少し…(大乗寺)                         辛夷もまだ固い(コウノトリの郷)

     

 コウノトリの郷に泣く泣く別れを告げて、レンタカーを返し、豊岡5時28分発、特急〝はまかぜ6号〟に乗車。

 しばらく経って、最後の締めはやっぱり句会だねということになり、コウノトリに敬意を表した句、その他を1句、

 合せて10句の句会をしました。みんな即吟にしてはなかなかいい句ができましたよ。

 ふと外を見ると、空の羊雲が別れを惜しむかのように車窓に美しく見えました。終り!  

           

        

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行って来ましたー城崎へ(4)

2017年04月05日 | 日記

 いよいよクライマックスです。

 8時半過ぎ宿に荷物を預けて、城崎最後の見学へ。

 芽吹いたばかりの川柳、アッ!燕も飛び交っている。パンフ定番の景色です。(天気は曇

 桜並木もあるのですが、ほんのりと花先が見えているだけ、この寒さで首を竦めているよう…。

 でも、夕べはもう赤い雪洞が川筋に灯っていたっけ…満開だったらどんなに美しかったでしょうね。

 温泉が飲めるというい飲泉場へ行く。ちょっとしょっぱい、でもいい塩梅。

 お土産は城崎名物〝独鈷水〟(どっこすい)を買いました。昔の人には〝だんじり太鼓〟で知られていたようですが…

 朝はやっぱりモーニングコーヒーがなくっちゃと、皆でコンビニを探して飲む。おいしかったあ~

 そうするうちに9時を過ぎたので、「城崎文芸館」へ。

 温泉街のすぐ裏手なのに、通る人はなく、まるで別空間のような静けさ。私たち一番乗りだったからかな?

 志賀直哉の直筆を拝見、掛け軸の字はお世辞にも上手いとは言えない…でも一生懸命な感じがいい。

 剛直だったのかな?…次の字はかなり上手くなってるよ、と仲間の書道大家が解説。(ホント?)

 他にこの城崎を訪れた白樺派の文人墨客が残した色紙や俳画や条幅など、興味深く見学しました。

 まあ、好きな人には一見の価値ありですよ。入口には手湯足湯もあったけど時間がないのでパス。

 いよいよ今回の旅第三の目的地「餘部鉄橋」へ向かいます。

 餘部鉄橋は兵庫県香美町にあって、明治45年に完成、その後約100年間JR山陰本線を支えてきた鉄橋。

 でも、昭和61年の日本海からの突風で起きた列車転落事故は、いまだ鮮明に記憶にあります。

 平成22年、コンクリート橋に架け替えられ、それまでの橋脚3本が現地保存されて、餘部鉄橋「空の駅」の展望施設として生まれ変わっているそうです。

 城崎から餘部駅まで約45分、快適な高速道が途中まで開通しているのでそこを通る。勿論まだ無料です。

 今まで走ったことのない山陰線ルート、最初「ジオパー」の字が目に付き、次に「クロード」、???

 「どういう意味かしら?」などと無知さながらに言うと、「ジオパークロード!」だろうと旦那。

 ああ、この辺り一帯は「山陰海岸ジオパーク」と言い、世界ジオパークとしても認定されている所なんだ!

 そういえば、昨日行った「玄武洞」もその一つ、確か説明書きの看板があったけ。

 そうこうするうちに到着。お天気も良し、わあ~見えた!見えた!下から見上げると恐ろしい程高い‼ 

 地上41メートルとか。 餘部鉄橋〝空の駅〟展望施設へと上る。エレベーターが欲しいと言いながら坂道を行く。

 途中木五倍子(キブシ)が美しいのに慰められていると、頭上を〝ゴオーッツ〟と通り過ぎていく音。

 ああ、1分遅かった!と残念に思いながら、空の駅に立って見ていると、遅れて来た旦那がいやに興奮している。

 日頃は冷静沈着な人なのに…どうしたの?と聞くと、「今通り過ぎたのは〝瑞風〟だったんだ‼」

 あのJR西日本が売り出している、最高級ホテル並みの列車です。2泊3日で最高120万円とか…。

 それでも売り切れと話題に事欠かない列車。道を間違って反対側に出たのが幸運で、目前を通過したと。

   よく見ると、線路のところに〝瑞風〟の始発・終着と書いてありました。6月運行だからきっと試運転だったのでしょう。悔しいから次の普通列車でも見て降りようと待っていました。

 ホームにたくさんの人が待っていましたので、聞いてみると、「ミステリーツアー」で名古屋から来たとのこと。

 下の転落事故が起きたところに聖観音像が建っていましたので、手を合わせて祈ってきました。

 毎年12月28日に、亡くなられた6人の慰霊祭が行われているそうです。

 またまたお土産を買って、(私はマグネット、ある人は橋脚の材で作った文鎮など)昼食へgo。

 豊岡駅の17時までには、まだ時間がありますので、ここ香美町でもう一つ見学することに。

 その話をしないとまだ終れそうもありませんので、もう一回書き最後にしますね。ではまた。

 

                 

         

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行ってきましたー城崎へ(3)

2017年04月04日 | 日記

 夕方5時半過ぎ、城崎温泉の宿に到着。外で御主人様が待っておられました。気分いい。

 すぐに部屋に通され、仲居さんの説明。12畳の和室2部屋に男と女で分かれる。

 お腹はすいてるけど先にお風呂に入って、それからゆっくり食べようか…と、話していると、「せっかく城崎に来たのですから、外湯巡りをなさって下さい。」と、仲居さん。

 「宿の湯はいつでも入れますが、家族風呂なので小さいんですよ。」と、申し訳なさそうに。

 ここに来る人は、この外湯巡りが目的だそうだから、勿論これをはずすなんてもっての外!

 外湯には七湯あって、「さとの湯」「地蔵湯」「柳湯」「一の湯」「御所の湯」「まんだら湯」「鴻の湯」。

 

 聞けば、10時30分までに入らないと閉まるそうな。

 と言うわけで、まずは食事を済まし、それから外湯巡りに行こうと決めました。

 この宿の口コミには「食べきれないほどの料理が出た」とありましたが、果たしてどうでしょうか?

 あ~やっぱりこの時期は蟹ですね。茹でガニ、カニ鍋、カニみそ豆腐…ウ~ン、おいしい‼ 

 お刺身のイカも身の厚いこと、もっちりと甘みがあって、ウ~たまらない!

 茶碗蒸しも一味違うし、もう何も言うことありません。満腹で~す。(口コミ嘘じゃなかったねぇ-)

 下の写真は最初の時、このあと但馬牛のステーキ、赤だし、ご飯、香の物、フルーツ…まだあったかな~

 さて、いよいよ外湯巡り…七湯も入ったら干乾しなるよね、どこがお勧めですかと聞くと、「一の湯」「御所の湯」は是非、余力があれば「まんだら湯」がオススメですと仲居さん。

 男衆は「一つで十分じゃ!」と言うので、「勿体ないわよ…」と言いながら出掛けました。

 女性にはサービスの色浴衣が用意されていて、その心遣いが嬉しい!

 着ているところのバックシャンを撮ろうと思っていたのに…忘れて…。  

 下駄履いて、宿の番傘を…エッ!ないの?「今はビニール傘で、申し訳ありません」と謝られる。

 理由を聞くと、「番傘を知らない若い人が多くて、破ってしまうんですよ。」と。

 全く風情のないことです。でも、外に出るとまあ何と人の多いこと、多いこと。 

 今日はまだ少ない方で、土日はこんなもんじゃないらしい…  

 まずは宿に一番近い「一の湯」から入ると、まさに芋の子を洗うようでした。でも広いからまあまあかな。

 次の「御所の湯」に行く途中で、ひょっこりと男衆に会い、聞けばもう二ヶ所は済んで次に行くところだと。

 おまけに志賀直哉のあの『城の崎にて』の宿、「三木屋」にも行って来たとか…ウ~ン先を越されてしまったなあ…

 その上言うことがいい、「ついでに全部入ってくるから」と。最初の言葉は何だったの?

 結局私たち女性陣は、「まんだら湯」に滑り込みセーフで計三ヶ所に入りました。

 宿に帰ると、すでに男性陣も戻っていました。結果は?と聞くと、二ヶ所が時間切れで、入ったのは三ヶ所だと。

 なあ~だ! 一緒じゃないの。要するに「まんだら湯」と「柳湯」の違いでした。

 しめて四ヶ所に入ったことになるのですが、お湯はどこも熱め、なかなかいい温泉です。

 中でも「御所の湯」がオススメ、特に露天風呂が一番よかったですね。

 湯ぼてりの喉によく冷えたオレンジジュースの何とおいしかったこと! (ビールじゃないんですよ)

 さあ、明日の予定は…まだまだありますからね、お楽しみに。ではお休みなさい。      

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行ってきましたー城崎へ(2)

2017年04月03日 | 日記

 昨日のつづきです。

 いよいよ、「コウノトリの郷公園」へ。行く途中の田圃や川べりにコウノトリがいるかもと、キョロキョロしながら、誰かが白いものを見つけては、「あ、あれかも!」と騒ぐ。(笑)

 今日はどうも雨のせいか、野外ではどこにもコウノトリは見当たりません。

 かつて日本の至る所で見られた鳥ですが、農薬の使用などで餌がなくなり、湿地の減少など生育環境悪化で、その数を減らし、昭和46年には日本の空のどこにも見かけられなくなりました。

 コウノトリの最後の生息地であったここ豊岡で 、野生個体を捕獲して人工飼育が始まり、平成元年に待望のヒナ誕生。

 平成17年からは自然放鳥がなされ、野外でも43年ぶりにヒナが誕生する。

 一度は絶滅した種を飼育下で保護・増殖させ、元の生息地に帰す取組みは世界でも稀な例として注目され、2012年、この円山川下流域一帯が「ラムサール条約湿地」に登録されたということでした。

 このコウノトリを野生に帰すための拠点として、兵庫県立大学の研究部門が置かれているのがここ「コウノトリの郷公園」なのです。入館料無料ですが、環境協力金にワンコインを入れると、コウノトリの折紙をくれました。(下の写真)

 ここで見られるのは、屋根のないケージ内の飼育コウノトリですが、あ~いました!いましたよ‼

 1羽2羽3羽…8羽です。 もう感激、感激。なんと美しい姿でしょう…鶴にも感動したけど、やっぱり鳥たちを見るとこころが癒やされますね。いくら見ていても飽きません。(右端は青鷺)

 なんと青鷺や白鷺もちゃっかりと来ていましたよ。ここには餌があるからだそうですが。

 研究員の方がいろいろと説明してくれました。翼を広げると2メートルはあるということ。重さは6キロ。

 コウノトリは、ヒナの時は甘えて声を出すが成鳥になると声を出さない。ただ、求愛や威嚇,仲間とのコミュニケーションのときは、嘴を〝カチカチッ〟と打ち鳴らす、「クラッタリング」をするのだと。

 その音を聞かせて貰いました。

 「鶴の一声」はあっても「コウノトリの一声」はないということ! ちなみに漢字で書くと「鸛」。

 餌は今泥鰌が手に入らないので冷凍の小鯵だそうな。食べている様子がよく見えました。

 雨が降っても何のその…、時間を忘れて見ていましたが、でも寒かったあ~

 ああ、そうそう、望遠鏡で外の営巣しているところを覗くことができますよ。

 次の目的地がありますので、後ろ髪を引かれながらも公園を後にしました。

 途中で「あ、コウノトリ!」と指さしても、もう今度は誰も騙されません。

 「あんなに小さくないわよね~」と言って。

 まさに「百聞は一見に如かず」です。

 今から行く所も、一見の価値ありとガイドブックにありましたが、本当にその通りでしたよ。

 ちょっと道を間違い、宿の時間もあるし、お腹もすいたし、雨もまだ降っていて寒いし…

 「もう寄らずに宿へ直行しようか?」と、運転手の旦那が言う。

 「ダメ、ダメ。せっかくここまで来たんだし…次はもうないかも。」と、私。

 やっと「玄武洞」にたどり着く。しかし、工事中で駐車場や入口が分りにくい。

 工事の人に尋ねて、階段を上る。雨も止まずもうすぐ5時になろうかというので、うす暗い。

 私は調べているので何となく想像ができるが、他の人たちは本当なの?と気乗りしない様子。

 しかし、突然目の前に広がった景観に……みんな「うわ~すごぉ~い!」というだけ…他の言葉が出ない。

 「ほら、来て良かったでしょう。」と鬼の首でも取ったように言う私。(鼻もちならん奴ダ~)

 約160万年前の溶岩の冷却でできた柱状の割れ目の美しい玄武岩の大露頭、それが「玄武洞」です。

 江戸時代から採石場として利用されていたのが、その地質的な価値と自然の作り出した節理の美しさや学術的な重要さから、昭和6年に玄武洞と青龍洞が国の天然記念物に指定されました。

 そのあまりの素晴らしさに、私たちは残りの「青龍洞」「白虎洞」、南北の「朱雀洞」も見たいと、時間も足の痛いのも忘れて行きました。いやあ~人の言うことはやっぱり聞くもんですね。

 ところで、「玄武」「青龍」「白虎」「朱雀」は、天の四方(東西南北)を司る四神、江戸時代の儒学者が命名と。

 雨もそろそろ小やみになって、鶯はじめいろいろな鳥の声や姿が…とっても素敵な充実した時間でした。

 少し遅れますと宿に電話すると、「玄武洞からならもう10分はかかりませんよ。」とのこと。

 さあ、念願の城崎温泉のお宿へ。今日のところはここまで、つづきはまたね。

       

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行ってきましたー城崎へ(1)

2017年04月02日 | 日記

 あっという間の4月です。ブログ28日に書いたあと、忙しくてしばらく休みました。

 昨夜旅行から遅く戻り疲れていたので、PC開く気力もなくすぐに寝てしまいました。

 今朝は溜まっていたものを片付け、一段落した後さあブログを開いてみると、…

 それ程気にしてるんじゃないけど……やっぱり気になって、見ればランキングがた落ち!

 閲覧して下さる人も少なく…そりゃ当然ですよね。

 やっぱりブログというものは書かなくちゃ意味がない?

 でも、誰のために書いてるの?と疑問に思ってしまう私なのです。

 俳句も、最初は面白くて、ただただ詠みたくてという感じでした。

 そのうち褒められるような句が出来ると、またまた嬉しくて…どんどん突っ走っていました。

 何でもそうですが、ある程度まで走ってくると、段々嫌になる時期が来ます。  

 いわゆる倦怠期でしょうか?見るのも詠むのも嫌になって…

 そういう時、いつも〝おまえ何のために俳句やってんの?〟と、自問するんです。

 〝ああ、自分のためなんだ〟と思い直します。ブログも同じですよね。

 書きたいから書くのであって、そのうえで読んでくださる人がいればなおいいというもの。

 それが書く喜びでしょうか。俳句もしかり、自分だけでは自己満足に終る、やはり読んで貰ってなんぼのもんでしょう。とか何とか言ったって…やっぱりランキング上げてくくださ~い!お願いしま~す。

 3月31日~4月1日、長年の夢であった「城崎温泉」へ行って来ました。

 もう20年以上になるでしょうか。志賀直哉の『城の崎にて』の舞台、あの城崎温泉へ仲間と一緒に行こうと思って計画を立てたのですが、実現しませんでした。

 その後も何度か計画したのですが、必ず何かがあって、とうとう諦めていました。

 それが、やっと実現したのです。何とプレミアムフライデーのクーポン券をゲットして…女3男2の5人旅です。

 山口から新幹線、姫路で降りて播但線に乗り換え、豊岡市まで。姫路には何度か来ていますし、姫路城も見学しましたが、播但線は初めてです。乗り換えの待ち時間が50分ほどあったので、外に出て姫路城を眺めて来ました。晴女が2人もいるのに、強烈な雨男に負けて、今日は雨。     

 播但線では、あの〝天空の城〟で有名になった竹田も通りましたよ。今度はここに来たいねなどと言いながら12時過ぎ豊岡に到着。レンタカーを借りてさあ出発です。

 まず腹ごしらえをと、食べログで調べていた〝なか井〟へ。ここは、秋篠宮様ご指定の料理屋とか、

 味に定評があり、お昼のランチが1,050円でお得と、口コミ。そりゃ食べなくっちゃと、探してやっと着いたら、「今日はもう40人分出てしまって売切れ!」

 「エエッ!せっかく山口から来たのに…」悔しい。

 まあ、いいか、これも縁です。そこで二番手登場、ちゃんと調べて来てますよ。

 今度はこの辺りで有名な出石蕎麦です。出石と書いて「いずし」。ここは五万八千石の城下町で、古くは『古事記』『日本書紀』にも登場する由緒あるところ、全く知りませんでした。

 で、ここの蕎麦は、割子そばならぬ〝皿そば〟と言って、出石焼の小皿に盛り付け、一セット五皿850円で

 あとは追加でお金さえ払えば何皿でも自由。「挽きたて」「打ちたて」「茹がきたて」と、伝統の「三たて」で作られた、つるりとした喉ごしの優しい蕎麦でした。

 口コミで1,2を争う店に行ったのに今度は閑散としていました。ちょっと奥まっていたからかなあ~

 この出石城下町に着いたときは、びっくり…なんでこんなに人がぞろぞろ歩いているの?

 みな蕎麦が目的なの? まるで萩に来たみたいな、まあ、そういう雰囲気の町でした。

 ここでの私たちの目的は〝コウノトリ〟だから、食べたらすぐに「コウノトリの郷公園」を目指しました。

 私と旦那は見たことがあるのでわかるのですが、他の3人は始めて…「ほら、あそこにコウノトリが…」と、指さすと本気で探します。そうそういるわけないのにネェ~知らぬということはホント恐ろしいことですよ。

 以前青鷺を見て「鶴だ!」と大騒ぎをしたとても面白い話…また何かの時にでも書きましょうね。

 まだまだ先は長いので、今日のところはここまでにします。つづきをお楽しみに!      

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