昨日は、地域の会館で今年度より新しく始まる俳句教室の開講式でした。
この地域はあまり馴染みがないのですが、2年前より〝夏休み子ども大作戦〟の一環として、小学生の俳句指導を引き受けたのがきっかけで、今年からは大人の講師もと頼まれたのでした。
ちょっとドキドキ! やっぱり初めてのところは緊張しますね。
講師紹介では、自己紹介をと言われ…、ウーン、何かないかしらと考えて、咄嗟に出てきた句、
さまざまの事思ひ出す桜かな
芭蕉の句です。今日は歳時記も電子辞書も持って来てないし…間違いはないと思うけど、
「さまざまの」のところが「さまざまに」だったかしら? もし違っていたら、恥ずかしい! …どうしようと思う間もなく順番が来てしまいました。
ああ~言ってしまいました!
でも、やっぱりここは「さまざまの」でなくては収まらないと、確信をもって言いましたがね。
「さまざまに」だとすると、「思い出す」に掛かります。「さまざまの」にすれば、「事」です。「事」とは出来事の意味ですが、どちらの意味にとっても絶対におかしいとは言えませんから。
よく「の」と「に」のどちらの助詞を使ったらいいでしょうかと聞かれることがあります。
一般的には、「に」という助詞を使うと説明臭くなるので避けましょうと指導するのですが、そうすると初心者の方は何でもかんでも「の」にしてしまうという傾向があります。場合によっては、「に」でなくてはいけない場合でも、「の」にしてしまうのはちょっと困りものですが…。
俳句は17文字という制限がありますので、この助詞1字がとても大きな働きをするのです。
いや、少し上達すると、この助詞の使い方が句の出来不出来を決めるといっても過言ではありませんね。
ではこの芭蕉の句はというと、「いろいろな事」を思い出して桜を眺めているという場面が相応しいでしょうから、「の」が正解なのです。
実はこの句、芭蕉43歳の頃の作で、次のような前書があります。
「探丸子(たんがんし)の君別墅(べっしょ)の花見催させ給ひけるに、昔の跡もさながらに」
「探丸さまが下屋敷で花見の宴を催しになられました時、昔過ごした場所はそのまま変わらずにあるのに…」
そんな意味です。「探丸」とは、芭蕉が金作と名乗って奉公していた、伊勢国伊賀付侍大将藤堂良忠の遺児藤堂良長のことで、俳諧の号です。
主君の良忠は芭蕉より2歳上で、台所用人として仕えていた芭蕉の文才を認め、ともに北村季吟門として俳諧を嗜みます。その時の句が、良忠は蟬吟(せんぎん)、芭蕉は宗房(むねふさ)という号で残っています。
そういう繋がりもあって、探丸は殊に芭蕉を敬愛し、伊賀に帰郷するたびに屋敷へ招待していたそうです。
この句も、1688年の春、その下屋敷の花見に招かれた時の吟なのです。
芭蕉が俳諧を「生涯のはかりごと」とするに至ったのも、この人なしには考えられないという人物。ともに励みきっと主従を超えた間柄だったのでしょう、そのよすがとした良忠は25歳という若さで亡くなります。そんな大恩人の面影を目の前の探丸に重ね、良忠と過ごした日々を思い出しながら桜を眺めているのです。
その下屋敷の遺跡は、非公開ですが今も伊賀上野に「様々園」として存在するということですが…。
ちなみに、この句は俳諧紀行文集『笈の小文』(おいのこぶみ)に所収されています。
これだけ単純明快に桜を詠み上げるのは本当に至難の業です。
古来より「桜」というものには、日本人の〝こころ〟が宿っているのですから…
どんな人にも桜を見れば、思い出すことの一つや二つは…いや人によってはごまんとあるかも。それをこのような一句に仕立てて、万人と思いを共有できるという俳句はやっぱりスバラシイ!
どうですか?貴方も〝ミニ芭蕉さん〟になって、ちょっと詠んでみませんか?
そうそう、今回の俳句教室の初顔合わせ、申込みをされた方は11人でしたが、3人欠席の8人でした。
第3金曜日の4月21日が初日、早速兼題を決めて、〝桜(花)〟になりました。楽しみ~。