若き日の私は山男で、あちこちの山に登っては山小屋に泊めてもらいました。それら全ての山小屋には一つの不文律がありました。「吹雪の中で助けを求めてたどり着いた人を断ってはならない」というものです。例え小屋中が人であふれ、横になることも座ることもできず、全員が立つ様になっても・・・です。断ればその人を見殺しにすることになります。何よりも人の命が大事でした。
先々週週国会で出入国管理法改定案が強行採決に近い形で可決成立しました。与党と日本維新、国民民主が賛成、立憲民主、共産、社会民主、れいわ新選組が反対でした。改定の骨子は「在留申請3回目以降は特段の理由が無い限り本国に送還する」というものです。これまでは申請を繰り返す限り送還されないのでした。これは「改悪」です。誰が好き好んで異国に避難したがるでしょうか。それは本国に返されると命の危険があるからにほかなりません。
ここで今回の出入国管理法改定の発端になったとされる柳瀬房子認定審査参与員の「難民をほとんど見つけることができない」との発言に注目します。柳瀬氏は昨年の審査対象の25%を占める1231件の審査を担当したことが参院法務委員会の調べで分かっています。勤務日数、勤務時間からして1件当たりの審査はわずか5分ほどでしかありません。これでは申請者がどのような状況で難民申請しているのか、難民に該当するか否か、調査・判定できる筈もありません。参与員は100人以上います。昨年の審査対象の総数は約5000件、100人で均等に割れば平均50件の筈ですが、柳瀬氏はその20倍をはるかに超えています。申請を却下する参与人に審査を集中させ、承認する参与人には審査を頼まないという事ではないでしょうか。
ここで2019年におけるG7各国の難民認定率を見てみましょう。カナダ約56%、英国約46%、米国約30%、ドイツ約26%、フランス約19%に対して日本は0.4%でしかありません。実に2桁ほど低く、絶望的な差があるのです。
一方出入国管理施設での外国人の扱いにも大きな問題があります。2019年、長期収容に抗議してハンガーストライキ中のナイジェリア人男性が餓死しました。また21年に33歳のスリランカ人女性が収容先で医師の診察を懇願しつつ叶わずに亡くなりました。我が国の法務省、出入国管理局には彼らの命を守るという意識が欠けているのです。21年、法務省が国会に提出した入管法「改正」案に対し、「国際法違反である」として国連のそれぞれ「人権」、「自由」、「人道」に関する特別報告者3人と同人権理事会が連名で日本政府に申し入れました。これに対して法務省は「法的効力無し」として無視を決め、更に先日採択された出し直しの同法案においても無視を続けています。ロシアのウクライナへの軍事侵攻を「国際法違反」として非難した我が国の政府ですが、「人権」分野の国際法違反には無頓着です。
我が国の法務省、出入国管理局は何故こんなに非民主的、非人道的なのでしょうか。これについては以下のような説があります。終戦直後の極東軍事裁判では多くの特高警察官が戦犯に列せられました。彼らは戦中、国内の「不逞の輩」なかでも主に中国人や朝鮮人の「不逞の輩」を「おい!コラ!」と捕まえては拘禁・拷問する任務に就いていたのです。やがて釈放された彼らの多くが再就職したのが出入国管理庁でした。そしてその任務は主に中国人や朝鮮人の入国を極力阻止することだったのです。現在出入国管理庁は難民申請者を判定するのに裁判所を入れず、内部だけで判断しており非民主的です。更に申請者の扱いが極めて非人道的ですが、それらはこの頃からの伝統なのでしょう。
将来私たち日本人が難民となってナイジェリアやスリランカのお世話になることは無いと言い切れますか。その時は先方の収容施設内で餓死したり、医療を受けられずに死ぬことを覚悟しなければなりません。
今私たちがしなければならないことはこの出入国管理法の真の「改正」です。難民審査には裁判所を含む第三者が判定し、受け入れ率をG7並みとしなければなりません。そして収容施設での処遇もG7並みに向上すべきです。さもなくば私たちはもはや「先進7か国(G7)」から脱落するのではないでしょうか。そのためには政権交代も必要になります。現在の自民党は憲法改悪を目指していて、国民主権と不戦平和主義を変えようとしています。そのあげくの日本社会は戦前・戦中の我が国の状況に近いもので、国民は前出のナイジェリア人の様に餓死させられ、スリランカ人の様に病死させられることでしょう。