神なる冬

カミナルフユはマヤの遺跡
コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

ミステリー・ワンダー・ランドのセンス・オブ・ワンダー[27] 帰国

2016-05-07 22:42:02 | ペルー

帰りの便も往きと同様、アトランタ経由のデルタ航空。

リマを飛び立つと、軽食の機内サービス。メニューはサンドイッチ。正直言うと、そんなにお腹は空いていないし、貰っていない人も多かったが、ビールに期待してつまみとしていただく。

しかし、クスケーニャを頼んだら、「はぁ?」という反応。ハイネケンかバドワイザーしかないらしい。売りのはずのクラフトビールはどこに行った。仕方がないので、サンドイッチの具のハムとチーズをつまみにハイネケン。

そうしたら、後からすまなそうにクスケーニャを持ってきた。カートの反対側に入っていたという。でも、さすがにもういらないよ。

ひと眠りして起きると太陽は出ていたが、残念ながら窓の外はほとんど翼しか見えない。何もすることも無いので、またひと眠り。なお、リマとアトランタのタイムゾーンは同じなので時差は無い。

アトランタ着陸前に朝食サービス。ソーセージとオムレツ。今度こそとクスケーニャをお願いしたが、またもや「はぁ?」という反応。何度か言い直している間に、やっと思い出したのか、カートの奥からクスケーニャ缶登場。おかげで寝起きからビール。やっぱり、ペルーのビールといえばクスケーニャだね。

 

アトランタの乗り換え時間は、予定通りでも2時間弱。しかも、リマ発が1時間遅れということで間に合うかどうか、添乗員さんも機内から焦る。アトランタの到着は30分遅れ程度まで短縮されていたが、まだ安心はできない。

アメリカ入国は、今度こそESTAのマシンで。しかし、場所が良くわからない。係員に誘導されて窓口の列に並ぶが、そこから横に抜けられて機械の列があった。機械は経験があるし、日本語メニューなのであっさり通過。

ところがここでちょっとしたトラブル。メンバーの一人がしばらく出てこない。しかし、一方通行で追い出されるので、様子を見にも行けない。結局、10分以上かかってから出てきたが、どうやら機械の通信エラーか何かで「お待ちください」から動かなかったらしい。

国際線乗り換えなので、再び手荷物チェック。ここで引っかかる。カバンを開けられ、家の電子ロックを怪しげに見られる。確かに、何かのリモートスイッチに見えるけれど、それは没収しないで。家に入れなくなる。結局、軽食についていた紙パックのオレンジジュースを、無意識にかばんに入れてしまっていたのが引っかかっていた。とっとと捨ててくれと言って、やっと通過。コカ茶を持っていたら危なかったかもしれない。

そんなトラブルもありながらも、搭乗ゲートに着いたのは搭乗の30分前。充分間に合った。みなさん、良く頑張りました。

アトランタ-成田は、座席のテレビが怪しい画面になったぐらいで特に大きな事件はなく。なにこれ、Linuxか。ビールは相変わらずハイネケン。食事は日本発の方がうまいと思った。

やっと日本に帰ってきた。成田では特になにもなく、流れ解散。疲れた、風呂入りたい。

そんな感じで、締まりなくペルーの旅は終わりとなった。

 


ミステリー・ワンダー・ランドのセンス・オブ・ワンダー[26] 最後の夜

2016-05-06 22:19:56 | ペルー

この後は海辺のレストランでディナーということだったが、予定を遅らせてスーパーマーケットでお土産タイム。なにしろ、今晩はホテルに泊まるのではなく、深夜25:55の出発便でそのまま帰ることになっているのだ。ある意味、夜はまだまだこれから。

そこで、Metroという大型スーパーマーケットへ。実はこの店、クスコでも夜にホテルから出かけたのだけれど、24時間営業でクレジットカードも使えるので便利。ただし、レジのおばさんは英語がわからないので、基本的にジェスチャーで。

ペルーといっても、スーパーマーケットはスーパーマーケット。国際的に、雰囲気はそんなに大きくは変わらないけれど、やはりジャガイモの品ぞろえは豊富で、野菜売り場の一列全部が様々な種類のジャガイモで占められていた。海辺の街ということで、カツオもまるごと一本で売られていたりする。

あとはコカの葉やジャイアントコーン、サボテンの実など、ペルーっぽい物もたくさん。コーヒーやチョコレートもペルー産は有名。もちろん、インカコーラやチチャ・モラーダも。

 

お土産タイムの後は、ペルーで最後のディナー。海辺の高級レストランにて。

すでに真っ暗になっており、太平洋の波は黒く、大きく、怖いくらい。

通常のツアーでは、この店はランチで訪れるのだが、今回はフリアカ-リマのフライトの都合でディナーになってしまったという。おかげで、現地価格でも数千円という豪華ディナーに。

メニューはジャイアントコーンと海藻のサラダ、セビーチェ、フルーツ。ここでは雰囲気に合わせて白ワインを。セビーチェはペルーの名物で、ひとくち大にぶつ切りにした白身魚をマリネしたもの。内陸部では魚といえばマスばっかりだったので、海の魚はペルーでは初めて。適度な酸味で、さっぱりしていておいしい。

しかし、このセビーチェ、コリアンダー(パクチー)が入っていやがった。丁寧に除去しながら食べていると、子供みたいと笑われる。しかし、何と言われても身体が受け付けないのだからしょうがない。

リマの街の夜景も見え、雰囲気は抜群。カップル客、誕生日パーティを祝う家族連れ。隣の席では男性が女性をずーっと口説いていて、ツアーの女性陣はそちらに興味しんしん。結局、われわれの食事が終わるまでには、恋はかなわなかったようだ。

 

空港に着くと、意外なサプライズ。Sさんが何を持っているのかと思ったら、Metroで買ったホールのアップルパイ。これにろうそくを立てて、ツアーメンバーの中で、期間中に誕生日を迎えたふたりをお祝い。ひとりは俺だ。ありがたや。なぜアップルパイなのかというと、ほかのケーキはどぎつすぎて日本人には無理だから、とのこと。レストランのケーキにはそこまで凄いのは無かったけど、やっぱりスーパーだとそうなってしまうんですかね。

お世話になったSさんと別れて、国際線へ。出国は何も聞かれずにスタンプ一発。

しかし、フライトまでにはまだまだ時間がある。しかも、手荷物チェック強化期間とのことで、搭乗ゲート前にもX線装置が設置されていて、おかげで待合室が半分つぶされて椅子が足りない。仕方がないので空港内の売店をぶらぶらしたり、リャマと記念撮影(合成)ができる機械で遊んでる人を見たり。コカ茶が好きなのでなんとか密輸できないかと考えるが、結局は見送り。ただ足が疲れた。

そして、1時間近く遅延のうえ、やっと搭乗。アトランタ経由で日本へ出発。これでペルーを後にするというのに、名残惜しいというよりはとっとと帰ろうといった気持ちだった。

 


ミステリー・ワンダー・ランドのセンス・オブ・ワンダー[25] インカの前に

2016-05-06 14:35:16 | ペルー

バスが着いたのは住宅地の中で高く白い塀に囲まれた場所、ラルコ博物館。塀の内部は花が咲き乱れる植物園のよう。ここはなんと私立の博物館なのだ。普通はツアーといえば国立博物館のような場所になるのだろうが、なぜかこっちが有名らしい。

ここではSさんが大演説。

インカばかりが有名になってしまったが、インカに繋がる歴史も学んで欲しい。観光客はインカ目当てにクスコに行く。クスコのガイドはインカのことを話すが、学術的に見ておかしなことばかり。

ペルーの文明はチチカカ湖畔から始まった。4つ部族がチチカカ湖畔で文明を起こし、そこからペルー全土に広がり、最終的にインカがこの地域を統一した。当初、信仰されていたのは、虹や雲といった水にまつわる自然のものだった。コンドル、ピューマ、ヘビの3つを信仰していたなどというのは後から考えられた偽りの情報だ。

インカの石組みも不思議なものではなく、岩の結晶の方向を把握して、水と火を使って亀裂を入れ、楔を使って割ったものだ。実際に再現もできていて、科学的に解明されている。いたずらに不思議さを煽ってはいけない。

インカなんて南米文明の最後の1ページ。インカよりも、ここに文明を築いたプレインカ文明の歴史を知るべき。ここにはそれらがたくさん置いてあるので、ぜひ、感じて、学んで欲しい。と。

言っていることはその通りで、多少アジテーション気味ではあるが非常に感銘を受けた。ただ、4部族がティワナク、モチェぐらいがレギュラーで、ワリ、インカ、ナスカが入れ違いに入っていたり、入っていなかったりするのはご愛嬌。

この辺のプレインカ時代の歴史を系統的に網羅した書物があれば読みたいのだけれど、どこかに無いだろうか。ウェブで調べても、断片的で矛盾する記載しか見当たらないし。

特に興味深かったのは「ピューマではない」という説。クスコでは、天空を司るコンドル、大地を司るピューマ、地底を司るヘビと教わった。しかし、ここで見る土偶のデザインでは、ネコ科の動物とみられる像に様々な模様がある。ピューマであれば模様が無いはずだが、豹のように斑点があったり、まるで三毛猫のような斑模様もある。

曰く、あれはピューマではなく、猫だ。それでは猫とは何か。プーノのガイドに教わっただろう。チチカカ湖はピューマの形をしている。それは逆だ。当初はチチカカ湖の形をしているネコ科の動物を水の化身として信仰していた。それがインカの時代にピューマに固定され、大地を司ると間違って伝えられたのだと。

同様に、コンドルは鳥であり、風である。ヘビはカエルなども含む動物で、湿った大地を示す。なるほど、展示物のモチーフにコンドルはほとんど無く、鳥と言えばカモだったり、フクロウだったり。ヘビもあるが、カエルもやたらと多い。

これはちょっとゾクゾクするミステリーかもしれない。

そんな話をしていると、時間も無くなったので後は駆け足で。

おもしろかったのはキープの話。キープは縄の結び目として表現される記述言語。インカ時代はキープの読み書きを学ぶための学校があったらしい。Sさん曰く、スペイン征服後にキープが読めるという現地人もいたが、言っていることがバラバラだったので読める人は誰も残っていなかったのだろうとのこと。

一通り主展示室を見ると、中庭に降りて別室へ。中に何があるかは言わないけれど、行けばわかるとのこと。入ってみると確かに、これは説明できない。あー、いわゆる「秘宝館」ですね。性に関するモチーフの土器や彫像がたくさん。もしかして有名なのはこのせいか。写真は動物のものだが、これの人間版がこれでもかというくらい大量に展示されている。もちろん無修正。

やっぱり、古代では子作りは死の危険が伴い、かつ神秘的な事象であり、子孫繁栄を願う気持ちは信仰と結びつき、こういう像が数多く残されたということなのか。あるいは、昔からふざけた奴が多かったのか。

オリャンタイタンボの売店で見たアレも、伝統的な工芸品だったのかもしれない。いや、さすがにそれは無いか。


ミステリー・ワンダー・ランドのセンス・オブ・ワンダー[24] 武器広場にて

2016-05-06 12:28:18 | ペルー

サンフランシスコ協会から歩いてアルマス広場へ。

途中、トイレ休憩に立ち寄ったのは図書館。建物はもともと鉄道の駅として作られたものを転用しているので、切符売り場なんかもそのまま残っている。

ここの管理人のおばさんが熱烈な親日家で、日本語勉強中。Sさんとも知り合いで、日本人が来るとあいさつに出迎えてくれる。しゃべり方がフランソワーズ・モレシャン(って知らんか)みたいな感じでおもしろかった。

 

アルマス広場はリマの中心地。周囲にはカテドラルや大統領官邸がある。大統領官邸ということで、盾を持った警察官が周囲を警備中。しかし、一緒に写真を撮ってくれるぐらいフレンドリー。ここの警察官はセグウェイに乗っていたり、なかなかおもしろい。

クスコにもアルマス広場はあったわけだが、ペルーでは市街の中心地はどこでもアルマス広場。本来は、武器を集めておいて置く場所という意味。アルマス(armas)は英語の武器(arms)と同じ言葉というわけだ。四角い広場があって、教会と庁舎があるというのは中南米どこでも同じつくり。メキシコではソカロ。ボリビアだとラパスのムリーリョ広場が有名。アグリカリエンテスのような小さな村でも一緒の作り。

ここでの豆知識はペルーの国旗。普通は赤白赤の縦縞のものが使われるが、政府が使用する正式なものは真ん中に国章が入っている。作るのが面倒だからなのではなく、そういう決まりになっているんだとか。でも、縦縞どころか赤と白の四角ふたつだけというマークも良く見るので、本当は面倒だからだけなのかもしれない。

国章の動物はリャマかと思ったら、ビクーニャ。ビクーニャの方が希少種だからか。右の植物はクスリのキニーネに使うキナ。下は金貨。さすが、黄金の国。

中央にある像の竜の上に獅子が乗っているモチーフはスペインによる征服を示すモチーフなので、ペルー人が嫌っているというのはS氏談。そんなことより、てっぺんの天使の上に、帽子のようにちょこんと鳩がのっかているのが笑える。

 

ここからまたバスで移動。

途中で柵越しに見えた遺跡はプレインカ時代のもので、まだ発掘中だという。インカの石組みとはまた違った形の土のマウンド状の遺跡のようだ。かなり大きな区画で、リマの市内ど真ん中で発掘されたのは珍しく、いずれ新しい観光名所になるのでしょう。

 


ミステリー・ワンダー・ランドのセンス・オブ・ワンダー[23] リマ再び

2016-05-06 10:42:32 | ペルー

国内線の小さな飛行機に乗って、フリアカからリマへ。ペルー初日に泊まったのは新市街だったが、今日は旧市街の方へ観光へ。

機内のドリンクサービスでは、気になっていたチチャ・モラーダをいただく。これは紫トウモロコシの搾り汁にレモン果汁などを入れたもの。トウモロコシ酒のチチャとは違って、アルコール分は無い。インカコーラに並ぶペルーの国民的ドリンクで、チチャ・モラーダ味のキャンデーなども一般的。

飲んだ感想は、うーん、ちょっと微妙。ぬるかったせいもあるのだろうが、なんとなくぬめっとした感じですっきりしない。色はブドウジュースのような紫色。高山地帯は甘い果実が少ないから、こういう飲み物ができたんだろうか。

リマの空港で出迎えてくれたのは、ガイドのSさん。敢えて名前は秘すが、名前からして明らかに沖縄系で、沖縄三世。この人も日本に出稼ぎに来ていたことがあり、それなりの要職を経験したらしい。父親もペルーでの成功者だが、彼が大学生の時に亡くなってしまい、学費が払えなくて日本に行ったのだそうだ。

エリートお坊ちゃんから異国での出稼ぎ労働者という、いわば異色の経験を持つせいか、いろいろと性格がひねくれていて、話を聞くには面白いんだが、添乗員さんには影で苦情を言われていたのを聞いてしまった。ペルー人としての誇りと、ペルー人を蔑む気持ちが同居していて、あんな感じになっているんじゃないか。その辺は、クスコのホセさんの自虐的なペルー人ネタとは必然的に異なっている。

まずはバスで空港からリマの旧市街へ。この道もフジモリ大統領の時代に整備されたらしい。フジモリさんは日系人たちの誇りだというのが伝わってくるし、フジモリ派のペルーの人々はみんな親日的。ちなみに、娘のケイコ・フジモリ氏が出馬した2016年ペルー大統領選挙は6/4が決選投票。

道路を走る車は様々で、最新式のトヨタ車もあれば、よく言われる日本の廃棄中古車も走っているし、ぶっっ壊れそうな旧時代のフォードも現役だ。信号待ちでフォードの写真を撮ったら、ドライバーのおじさんがこちらを向いてサムアップしてくれた(笑)。

リマの旧市街に入ると歴史的な建造物が増えるが、荒れ放題の建物も少なくない。なかには、火事で焼けたまま放置されたものも。これは歴史建造物の建て替えが禁止されているためで、所有者が復元するだけのお金が無い場合はそのまま放置され、最終的には政府が買い上げることになるのだそうだ。形がそのまま残っている建造物も、1階だけ使っていて、2階以上は危険だから立ち入り禁止のものも多いとのこと。Sさんがガイドだと、こういう無駄に政治経済的な知識ばっかり増えていく。

市内を流れる大きな川は、リマの語源にもなったリマック川。意味はうるさい川。今は整備されているが、流れが急で土石流の被害が頻発したのだという。ちなみに、マチュピチュ同様、この川の整備にもJICAが係わっている。

 

最初の観光地はサンフランシスコ教会。ここは建物内撮影禁止。しかし、ミサをやっている大聖堂の中だけは、なぜか撮影OK。どうもルールが良くわからない。

写真が残っていないので、詳細な記憶は残っていないけれど、修道士たちの食堂や更衣室なんかを見ることができた。壁のフラスコ画などで、教会を作ったサンフランシスコさんの業績が過大(キリスト並の奇跡を起こしたらしい!)に表現されているのが面白かった。

廊下の壁や天井にはイスラムっぽい青いタイルが張られていて、美術文化的にもそういう時代だったのだなということがわかる。なお、Sさんによると、最初のタイル職人は妻を殺した罪で投獄されてしまったが、地震ではがれた時に誰も修復することができなかったので、タイルを修復するために恩赦されたのだそうだ。

この教会では「最後の晩餐」の南米バージョンもみることができた。基本的には有名なレオナルド・ダ・ヴィンチのものと一緒なのだが、キリストと12人の弟子は丸テーブルについている。子供たちがその周りで給仕をしていて、テーブルの上にはジャガイモ。そして、キリストの横には女性が。そう、これが『ダヴィンチ・コード』の元ネタなわけだ。

撮影禁止なので、出所不明の拾い物画像でも張っておこう。あくまでも、出所不明ですからね……。

さらに、教会の地下にあるカタコンベ(地下墓地)へ。特に罪人がとか、大量死がとかいうわけではなく、普通に墓地として使われていたものだそうだが、なぜか頭骨は頭骨、大腿骨は大腿骨といった形で一か所に集めてあるのが異様な感じ。さすがに死んですぐにバラバラにしたわけじゃないんだろうけど、一旦埋めてから、埋葬場所確保のために古いのを掘り出して整理するんですかね。

Sさんは最初にここに来たとき、一人になってしまい、頭骨がいっぱい安置されている穴を除いた瞬間にミサのオルガンが鳴り響いて、恐怖のあまり飛び出してきたんだとか。自分が怖かったせいか、「ほらそこに」みたいなことを言って何度も怖がらせようとする。ぜったいに罰があたるぞ、お前。

さすがに、ここの骨の写真は無しで。

 


ミステリー・ワンダー・ランドのセンス・オブ・ワンダー[22] チチカカ湖の朝陽

2016-05-05 11:56:44 | ペルー

プーノで泊まるホテルは五つ星の全室レイクビュー。部屋からは葦が群生する湖面が見える。夕食前には窓から夕陽を見ることもできた。

夕食はこれまた選択方式で、湖のマスを。焼き目はパリッとしていて、ふっくらとした焼き上がり。一方で、やっぱりビーフは硬くて不評。日本人は海外ではビーフを頼んではいけないのかもしれない。ほら、機内食だってそうでしょ。

ビールはこれまでに飲んでいないピルセン。ホップの効いたラガー系ビール。悪くは無いけれども、一度飲めばいいかという感想。

ここでは中国人グループと一緒。うるさくてホテルの人に何度も注意されていた。こっちも苦笑い。

飛行機の都合で、明日の出発はなんと朝の10時。初めてゆっくりできる朝になる。ということで、朝陽の撮影にチャレンジ。

夕陽はプーノの街の方に沈むが、朝陽は湖面から昇る。陽の出の予定は朝の5時ということだが、なんと明日の最低気温の予報は摂氏2度だとか。完全に冬装備が必要だ。ちなみに、最高気温は摂氏35度。さすがの高山気候。

試しに夜景もチャレンジしてみたが、やっぱり三脚が無ければ無理でした。

 

早朝、まだ暗い朝の4時半に日本出発時の完全冬装備で出撃。ホテルのテラスに出るドアが閉まっていたが、フロントに人がいたので頼んであけてもらう。

空はほんのり明るくなっている気配はあるが、まったく陽が登らない。そして、やっぱり寒い。どうやらぶ厚い雲がちょうど朝陽の登る方向にあり、朝焼けすら見えない。これって、ウユニでも見た奴じゃないか。またか。朝陽は難しいね。

やっと明るくなってきたのは1時間後くらい。実は飽きて部屋に帰ってきたぐらいが一番きれいだったかも。

 

朝食後には一休みしてあたりを散歩。早朝の寒さが嘘のように、陽が登ると暖かくなる。蝶やトンボも飛んでいる。ホテルの周りには野生化したクイが生息しているので、ちょこまか追いかけて遊んでみたり。良く見ると、ホテルからでもウロスのあたりが見えている。黄色い屋根は小学校だ。

ゆっくり過ごせたせいもあるけれど、プーノはなかなかいいリゾート地だった。

この後、フリアカの空港までバスで移動し、空港でボックスのランチを食べて、国内線でリマへ。ペルーで最終日の観光となる。


ミステリー・ワンダー・ランドのセンス・オブ・ワンダー[21] ウロスの浮島

2016-05-05 10:46:38 | ペルー

ウロスの浮島はチチカカ湖に浮かぶ葦でできた人工の島。戦争でインカに負け、土地を追われた部族が生き残るために選んだ生き方である。

プーノのガイドは、こちらもホセさんという名前。日本語は話せないので、説明は英語。

ホテルのマリーナというか船着き場からモーターボートで出発。葦の間にできた水路を進む。観光用のボートがいくつもすれ違うが、今日はこれで少ない方だとか。

その先に見える対岸かと思っていた場所は、実はもう浮島。

小学校や病院も浮島の上にあり、中には子供たちがサッカーをやっている島もあった。こういうのは浮島といっても、伝統的な葦の浮島というわけではなく、土台があるっぽい。

島からカラフルな衣装を着た女性が手を振ってくる。ただし、訪問できる浮島は決まっている。島民の主な収入源は今では観光業が担っていて、偏りが出ると不公平になってしまうので、ローテーションが決まっているらしい。

島の中には見張り台が立っているのだが、これがいろいろな形をしていて面白い。どれだけ奇抜なものを作るかアイディア勝負でもしているようだ。こういうオブジェでも観光客を楽しませようとしてくれているのだろう。

島に降り立つと、葦の地面は意外にしっかりしていて、浮かんでいるようなふわふわした感じはしない。

男性たちが島の作り方をミニチュアを使って説明してくれる。単純に葦を積み上げるだけで出来ているのではなく、長い竿の先に刃物を付けた道具で葦の根を切り離し、これを束ねた土台の上に葦が載っているらしい。流されないように石の碇も付けてある。ガイドさんも手慣れたように手伝っていて、こういう訪問が頻繁に行われていることがわかる。

台所のように火を使う場合も、この葦の根の土台を使う。泥が混じっていて水分もあり、容易には燃えなくなっているようだ。

葦は大地であり、建材であり、燃料であり、食料でもある。皮を剥いて渡してくれたので、ひとくち齧ってみたが、味はほとんどしなかった。食感はザクザクしていて悪くない。

ウロスは基本的に漁業の村だが、今では観光収入の方が多そうだ。村人たちも片言の英語を話すが、訛っているので英語を話しているとわかるまでちょっと時間がかかった。これはお互い様か。

家の中も見せてくれたが、建材こそ葦でしかないが、ソーラーパネルの太陽電池が普及していてテレビも見えるし、携帯電話も使える。インディヘナの家に比べるとかなり近代的。この太陽電池もフジモリ氏の政策で格安でリースされているのだとか。

女性たちがケチュアの唄とアイマラの唄を歌ってくれたが、ぜんぜん響きが違って、まったく別な言語のようだ。日本語の唄も歌ってくれたが、なぜか「チューリツプ」。誰が教えたんだろう。

ここでも伝統的なデザインのパッチワークや刺繍を作って売っているが、そのデザインは蛍光色を使っているなど、伝統的というよりは近代的に解釈され直されたおしゃれな柄になっている。しかも、ただの布ではなくクッションカバーやレターラックの形をしているものもあり、デザイン性だけではなく、実用性もばっちり。さすが、テレビを見ているだけのことはある。

そこから葦船に乗って、別な島へ移動。これは高くないけど別料金。しっかしりている。

今回乗ったのはオレンジ色のドラゴンボート。ふたつの葦の船体の上に櫓を作ってある。見た目はかなり不安定だが、双胴なので思ったより安定していた。

おもしろいのは、観光客が乗っているのは手漕ぎだけれども、回送するときはモーターボートで押している。葦の船はもはや主流ではなく、観光用の出し物ぐらいになっているのかもしれない。

ボートが向かった先はウロスで唯一のホテルがある島。ホテルは葦ではなくてプレハブっぽい作りの小屋。ここには島の中に生簀があって、不漁の時にも料理が出せるように備えてあるのだとか。黒い小さな水鳥がうろついているが、これも食べられるらしい。

こういう近代的な設備やアイディアは、ウロス出身の大学生達がウロスを出なくても生活できるようにするにはどうしたらいいかと考えて試行錯誤中なのだという。これまではプーノやフリアカへ出稼ぎするしかなかったのが、こうやって伝統的な浮島に住みながら、観光業で経済的にも自立するというのが彼らの夢らしい。

我々が使ったバス用ハイウェイのおかげで観光客も増えており、これからの発展が期待されている。

 


ミステリー・ワンダー・ランドのセンス・オブ・ワンダー[20] インディヘナ宅で雨宿り

2016-05-04 23:16:24 | ペルー

フリアカではインディヘナ(現地人)の家に招かれ、古来の生活を見せていただくことになっていた。

フリアカに入ってからすぐと言われたインディヘナの家だが、街を出てから40分くらいは走った気がする。走ってる間に急に雲行きが怪しくなり、空には黒雲が。しかも、その雲の方を向いてバスは走っている。

ハイウェイを外れて小さな村の中に入り、アルパカの毛を満載したトラックの並ぶ市場を抜け、さらにその村の外れへ。

我々を迎えてくれるインディヘナの方の家の前に乗り付け、降りた途端に大粒の雨がポツポツと降り出した。

せっかく庭で料理の準備をしていてくれたのに、説明の途中で本降りになり、慌てて狭い家の中に駆け込んだ。そうすると、なんと大粒の雹まで降ってきた。そういえば、平原の風景なので忘れていたが、ここはクスコよりも高い高山地帯なのだった。

仕方がないので、6畳くらいの部屋の中で農具や食べ物の紹介から。

キヌアの揚げパン、羊のチーズ、茹でたジャガイモ。キヌアのパンは揚げたてで香ばしい匂いがしたが、味はあんまり無い。チーズは塩分が多いが、モッツァレラチーズのような弾力のある食感。ジャガイモは……まぁ、ジャガイモ。

壁にはカラフルなタペストリー。天井には守り神としてコンドルのミイラが。ちょっと作り物っぽいけど。収穫したキヌアの束が乾燥させられていたり、毛糸の束がぶら下がっていたり。どこまでが観光用で、どこまでが必需品なのかよくわからないけれど、イメージする通りの様相だった。

どうも、このお宅は農業と手工芸品で生計を立てているようで、雨が止むまで手芸品の展示会。毛糸の編み物から、毛皮のパッチワークまで。直売でも、相場はやっぱりララヤ峠が安かった。ちょっと後悔。

 

雨は止まず、結局、土砂降りの中をバスまで移動。ここからプーノまでふたたび40分ぐらい。

山を越えると眺望が開けて湖面が見えてくる。これがチチカカ湖。

湖側の斜面には結構な都市が開けていた。ここがプーノ。街中にはインターネットカフェが目立ち、リゾートっぽい雑然とした雰囲気がある。

街を通り抜け、湖岸沿いに走ると、湖面に突き出した小さな半島の先に白い建物が見えてくる。これがなんと今晩のホテル。クスコで泊まった五つ星ホテルと同じチェーンで、ここも五つ星なのだそうだ。

ここで一休みして、船でウロスの浮島へ向かうことに。

 


ミステリー・ワンダー・ランドのセンス・オブ・ワンダー[19] 天空のララヤ

2016-05-04 21:53:12 | ペルー

朝。今日は半日かけてバスで移動。

朝食はしっかり食べようとレストランへ。さすがに五つ星だけのことはあり、簡単なコンチネンタル式ではなくてソーセージやサラダもふんだんにある。サーモンもあったので一切れ皿に盛っていたら、それ生ですよとの声が。いや、知ってるけど。もしかして、お腹壊すとか。まぁ、大丈夫でしょう。

外は生憎の雨。クスコの旧市街には大型バスが入れないので、小型のバスで郊外まで行き、そこで大型バスに乗り換える。

ガイドのホセさんは昨日までだったはずが、朝も迎えに来てくれた。大型バスに乗り換えるのを見届けて、また次のツアーをマチュピチュへ連れていくんだとか。とてもいい人だ。

石畳の舗装もある旧市街を抜けると、片道4車線の大通りに出る。ここでトイレ付きの大型ハイデッカーバスに乗り換え。二人席を一人で占有しても、座席数は余裕。後ろもいないので、リクライニングも全開。しかし、例によってトイレは使用禁止。詰まると大変だからとのことだけど、使用料金でも取られるんですかね。

途中でパン屋さんにより、このあたりの名物という巨大なパンを買う。表面にちょっと蜂蜜がかかっていて、とてもおいしい。雨なのですっかり冷めていたのは残念。

 

クスコの郊外はモライと同じような赤土の丘が目立つ。アンデス山脈はロッキー山脈やヒマラヤ山脈のようにプレートがぶつかってできた造山帯だが、活火山は今でも多く、日本のように地震も頻発している。しゅう曲山脈には火山が無いのだと思っていたら、実は違うのだな。

道路はクスコからプーノまで続く新しい舗装路。これが開通して、クスコ-プーノ間のバス路線が活性化した。この道路を作ったのも、もちろんフジモリ元大統領だ。道路を作り、学校を作り、観光産業を発展させて外貨を稼ぐ。フジモリ氏がいまだに人気があるのもわかる気がする。

クスコ郊外を抜けて山間部に入ると、明らかな人工植林地帯が目立つ。この林はユーカリ。成長の早さを買われて、てオーストラリアから輸入されたもの。最近ではユーカリが一般的になり過ぎて、ユーカリ茶もペルーの名産になりつつある。だから、インカ茶にもユーカリが。って、インカ関係ないじゃん。

トイレ休憩は観光客用のゲート付き駐車場。塀に囲まれた中庭のような場所だ。お客さんが来ると、中庭にリャマやアルパカが放たれる。ここにはビクーニャもいた。小屋の中には丸々としたクイもいたのだけれど、食料だということを知っているので、可愛いというよりは、おいしそう。

リャマ、アルパカ、ビクーニャの3種類が近くにいるので、それぞれの特徴も良くわかる。リャマの蹄は近くで見ると、すね(かかと?)のあたりに毛皮の裂け目のようなものがある。怪我なのか、タコみたいなものか?

 

そして、バスはこの行程の最高峰、ララヤ峠へと至る。ここの標高は4000メートルを超える。看板によると4335メートル。しかし、裏に回ってみると、あれ、4338メートル。3メートル増えてるけど、どっちが正しいのやら。

このあたりになると、作物が取れないので放牧が中心となる。放牧されている動物は、最初のうちは羊なのだが、峠が近づいてくるとアルパカに変わっていく。中には、羊の中に一匹だけアルパカが混じっていたりする群れがあったりするのだけれど、きっとあのアルパカは自分を羊だと思っているに違いない。

クスコを出発した時には雲が立ち込めるというか、クスコ全体が雲の中のような感じだったので眺望はまったく期待していなかったのだが、雲の上まで来てしまったのか、ララヤ峠は快晴。陽射しが痛い。耳が焼ける。

遠くの雪山もちょうど雲が晴れて姿を現した。チンボヤという氷河のある山だそうだ。標高5500メートル。

これだけの高地なので空気は薄いはずだが、明るい日差しと美しい景色に気を取られて、まったく息苦しさは感じなかった。澄んだ空気がとても気持ちが良いくらいだ。

気分がいいせいで、民族衣装を来て出てきた少女に1ドル払って写真を撮らせてもらう。こんなことめったにしないよ。

ララヤ峠の土産物売りは近隣の人々なので、相場はここが一番安かった。本物かどうかわからなかったので買わなかったけど、良く考えるとここらの人々は偽物を買うよりも本物の方が安く手に入るんじゃないか。

 

ララヤ峠を下り、二回目のトイレ休憩。ここは地元の人も立ち寄るドライブインのような場所。アルパカ製品の相場は峠の2倍。お菓子やナッツの類は市場の定価っぽい感じ。

ここではキヌアのビールなるものも売っていたのだけれど、ビンが1リットルくらいある大きなものだったので断念。お土産にするのではなく、買ってみんなで飲めば良かったかね。

 

バスはプーノ県に入り、中心地であるフリアカを通過。この辺りに入ると、街の雰囲気がちょっとだけ変わる。アイマラの人達が多くなり、ボリビアとの交易も盛んなせいで、どちらかというとボリビア文化圏に入ってくるようだ。まるでウユニを思い出させるような泥だらけの街並みになってくる。ただし、街の規模は格段に大きい。

そして、街の中心には日本では考えられないレベルの巨大な滑り台。これもウユニで見たよ。

街中にはピスコと同様に、三輪の自動車が目立つ。ただし、こちらは青色が主流。しかも、それぞれ思い思いにオプション付き。中にはすごいエアロパーツを付けた三輪車もいた。三輪車にそんなパーツ不要だろうと笑っていたら、これめちゃくちゃ速くて、あっという間に見えなくなった。さすが、エアロパーツ凄い。

 


ミステリー・ワンダー・ランドのセンス・オブ・ワンダー[18] アルパカのあれとそれ

2016-05-04 17:52:36 | ペルー

ホテルまでの途中でインディアンマーケットによるはずが、なんとガイドさんの思い違いで今日はマーケットがお休み。急遽、近くの毛糸工場へ見学に。工場というか、観光用に民族衣装を着て毛糸の染色や手でつむぐ方法を見せてくれる場所。

毛糸の染料は紫のトウモロコシや緑の葉っぱ、そして、サボテンに付いた虫、コチニール。これって食紅にもなるんだと知らない人もいるのね。いや俺もメキシコで初めて知ったけど。実演してくれた女性は口紅として塗っていた。そして、女性のお客さんに勧めて嫌がられるというお約束のパターン。

アルパカに餌をやって、染色を見て、機織りを見て、最後は売店へ。なんとも典型的な観光コース。

添乗員さん曰く、売っている安いのはアルパカじゃなくてリャマだからやめたほうがいいとのこと。どこでもやることは一緒か。

 

クスコについてから、ガイドさんのはからいで、ガイドブックにも載っているクスコのアルパカ専門店(Alpaca Tamon)でお買い物。やっぱりここのはセーターが一万円ぐらいして、高い。小物系を適当に買ってお土産に。

今晩のホテルはなんと五ツ星クラスのホテル。壁の一部はインカの石垣。というか、クスコ初日に通った道の石垣がホテルの壁だったのだ。

やたらと広く、迷いそうなくらいのロビーにはレコンキスタ時代の古びた蝋燭台や化粧箱が展示されていて、サービスのコカ茶はティーバックじゃなくてコカの葉を煮出したポットが置いてある。廊下の壁には謎の黄金レプリカだ。

部屋に入ると、落ち着いたアンティーク調の家具に、どっしりとしたベッド。そんなに広くは無いが、確かに高そうな部屋だ。

ちなみに、部屋には無料のミネラルウォーターと、有料のエビアンが置いてある。だまそうとしているわけではないだろうけれど、これはかなり危険だ。

夕食はホテルのレストランにて。

ビールはクスケーニャの赤。ちょっとエールっぽい雰囲気もあるレッドビール。これでついに3種類制覇だ。

料理は事前に選択していたアルパカのロースト。毛糸の後はステーキってことで。アルパカさんごめんなさい。

200グラムは超えそうな肉のかたまりがゴロンと出てきたのにはびっくりしたが、思ったよりも柔らかく、絶妙な焼き具合。料理方法にもよるのだろうけど、ボリビアで食べたリャマのローストよりも柔らかくて臭みも無い。ソースがちょっとスパイシーなのもいい感じさすが、一流ホテルのローストだった。

しかし、ビーフはかなりダメっぽかったので、あたりハズレはあるのかも。今回はアルパカが大当たりだったというわけだ。