『紙の動物園』 ケン・リュウ (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)
ケン・リュウは、ひとりストⅡみたいな筆名ながら、中国系アメリカ人。なので、基本的には日本とは係わりが無いはずなのだが、少し誇張された、ファンタジックな日本文化がたびたび登場する。これがちょっとくすぐったかったり、妙な違和感があったり。
「もののあはれ」なんかは、世界から見た忍耐強く、礼儀正しいという日本人像が描かれているけれども、実際にこんな事態になった時には、日本人は平静を保てるのだろうか。昨今の風潮を見ると、まったくそうは思えないのだけれど。
日本人ではないアジア系だからこそ、我々には見えないファンタジーとしての日本が見えているのかもしれない。
で、作風としては、非常に叙情的な記述が目立つ。人間を描かなくてもいい唯一のジャンルと言われるSFにおいて、敢て人間を深く深く描き続ける。これは賛否両論あっていいかと思う。
自分も、ケン・リュウの「紙の動物園」をSFマガジンで読んだときには、叙情的に寄り過ぎていてあまり好きではなかった。つい最近でも、ケン・リュウはSFである必要が無いといった議論がなされたりもしていたが、自分の印象も、まさに山本弘さんの指摘と重なる部分はあった。
しかし、短編集としてまとめて読んでみたところ、これもやはりSFマガジンに掲載され、ケン・リュウを一気に見直すきっかけとなった「良い狩を」を始め、まさしくSFとしか言えないようなコアSFから、一発ネタの馬鹿SFまでバラエティに富んだ構成になっている。ただの泣かせ小説屋かと思っていたけれど、SF、ファンタジーに対する偏愛と、深い問題意識が見え、SFである必要が無いなんてことはまったくなかった。
特に、後半の意識のアルゴリズム化が共通のテーマになっている作品群を読むと、シンギュラリティの果てにどうしても存在している西洋思想的な壁を、東洋思想的な力で軽々と飛び越えていけるような可能性を感じる。
SFファンとしては、著者本人も言及しているテッド・チャンとの関係も興味深いし、今年のヒューゴー賞を受賞して各方面で話題の『三体』の英訳者でもあるというのも面白い。中国系アメリカ人なので中国でも人気があるけれど、中国ネタの作品はヤバイので翻訳されないとか、本当にネタの宝庫だな、この人。
又吉が紹介していたから、といった理由で読んだ人にも、ちょっとはSFもおもしろいなと思っていただければと思う。
○ 「紙の動物園」
感動的ではあるけれど、露骨に泣かせにかかっているようで、実はあまり好きではなかったりする。
○ 「もののあはれ」
誇張された謎の日本人像が奇妙な感じ。ただ、英雄の自己犠牲的行為は好きだよね、日本人。
○ 「月へ」
ファンタジーと比べるには過酷過ぎる現実。
◎ 「結縄(けつじょう)」
縄による文字というのは中南米の古代文化にも見られるのだけれど、そっちの方面にいくとは思わなかった。最初から順番に読んでくると、初めてSF的な驚きに曝される瞬間。しかし、結末はケン・リュウらしい。
○ 「太平洋横断海底トンネル小史」
もしも太平洋戦争が起こる前に、日本とアメリカが世界恐慌の対策として太平洋横断トンネルを作ろうとしたら、というifに始まるものの、人間の本質は変わらず、歴史は過ちを繰り返す。
○ 「潮汐」
あまりに科学的な整合性が無いので、ファンタジーのつもりなのかSFのつもりなのか判断が付かず、どう読んでいいのかよくわからなかった。
○ 「選抜宇宙種族の本づくり習性」
本とは何か、記述言語とは何か。小品にまとまってしまっているので、もうちょっと突き詰めて欲しかったか。
○ 「心智五行」
冷静に考えれば、どこかで読んだようなありがちなお話なのだけれど、中国文化が期せずして科学的な方法とクロスするところがケン・リュウらしい。漢方って、要するにこういうことなのだよね。
○ 「どこかまったく別な場所でトナカイの大群が」
このあたりからシンギュラリティの影響下にある作品が連続。テッド・チャン+グレッグ・イーガン的な。この作品自体は、いまひとつな感じ。
○ 「円弧(アーク)」
最初に不老不死を成し遂げた女性の一生。人生は始まりと終わりのある円弧。それだからいいというのは陳腐すぎる。それが選択可能であることに意味がある。
○ 「波」
これも不老不死にまつわる話。資源の限られた世代宇宙船の中で不死が可能になったらという思考実験は面白い。宇宙船地球号も有限な資源であるわけだし。
○ 「1ビットのエラー」
この手の宗教観が出てくる話は、本質的に理解できていないような気がする。著者がこの小説の出版にこだわったということは、ケン・リュウの認識する世界感を読み取る大きなヒントかもしれない。
○ 「愛のアルゴリズム」
これもそう。いや、人間機械論にかなりのところまでは納得している身としては、その通りですが何か、としか。
○ 「文字占い師」
台湾が舞台で、二・二八事件が出てくる。アメリカ国籍を持つ著者の、中国、台湾の歴史に対する複雑な思いが垣間見られる。
◎ 「良い狩りを」
中華ファンタジーからサイバーパンクへの飛躍にびっくり。古きものを新しきものが駆逐する。東洋的なものを西洋的なものが飲み込むという捉え方はもちろんだが、ファンタジーからSFへという流れも無視すべきではないと思う。